土山宿の家並みの玄関先には、「旅籠鳥居本屋」「たば古屋」、お六
櫛商「三日月屋」などと書かれた、旧屋号の札が掲げられている。
その先には祠があり、白化粧された二体の地蔵尊が安置されている。
更に右手に旅籠大槌屋跡の石標が続くが、建屋はなく奥行きの深い跡地
だけが残されている。
次いで右手に東海道一里塚跡石標が見えてくる。
江戸日本橋から数えて百十里目の土山の一里塚跡で、塚木は榎が植えら
れていた。高さ凡2.4m、周囲凡12m程の塚であったらしいが、今は完全
に失われ何も残ってはいない。
宿場はいつの間にか、北土山から南土山に入ってきた。
街道筋には弁柄塗りの「岩田屋」、「油屋」の表札や、「旅籠 阿波屋」、
「旅籠 寿し屋」、「旅籠 木屋」、「旅籠 海老屋」等の跡地を示す石
標等が次々と現われ、往時の街道の賑わいを今に伝えている。
「旅籠山本屋」、「旅籠簾屋」、「旅籠釣瓶屋跡」、「旅籠大工屋跡」、
「旅籠柏屋」等と、旅籠跡を示す石柱が次々と現われ枚挙に暇が無い。
宿場には44軒の旅籠があったと伝えられているので、これら全てに石標
が建てられているのでは、と思える程だ。
やがて南土山地区の中程を流れる来見(くるみ)川を、来見橋で渡る。
町並との調和を図って造られたのか、瓦葺の白壁土塀造りの欄干が贅沢
な橋である。
上流側には、東海道五十三次の画が、下流側には、「お茶を摘めつめ
しっかり摘みやれ 唄いすぎては 手がお留守」と土山茶もみ唄の歌詞
が書かれたレリーフが飾られている。(続)
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