簾 満月「バスの助手席」

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大黒屋 控え本陣と大黒橋 (東海道歩き旅・近江の国)

2023-12-18 | Weblog


 土山公民館から100m程、一の松通りの十字路を越すと大黒屋公園だ。
「大黒屋本陣跡」の石標があり、本陣の跡地が公園に成っている。
 土山宿の豪商立岡家が営む「大黒屋」は、「堤家本陣」が衰退すると
控本陣として指定され代替えとして使われていたそうだ。



 ここには、「大黒屋本陣跡」と並んで、「問屋場跡」、「高札場跡」
の石標もある。園内奥には、明治天皇聖蹟碑がある。
その先は、やや右に曲がりながら吉川を大黒橋で渡る。



 来見橋と同様の瓦葺白壁土塀風の欄干を持った橋だ。
川幅は左程広くはなく、元々は土橋が架かっていたが、大黒屋本陣を勤
める立岡長兵衛が石橋に架けなおしたという。

 鈴鹿馬子唄の歌詞やそれに因む画が貼られている。
「鈴鹿山には 霞がかゝる 可愛いゝ娘にや 目がかかる」
「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」



 土山は、当時は幕府直轄地で、代官が詰める陣屋が置かれていた。
天和3(1683)年、代官・猪飼次郎兵衛により初めて設けられたが、
寛政12(1890)年の土山の大火で焼失し、以降陣屋は信楽に移され、
跡地が残され石標が建てられている。

 その先左手奥が、森鴎外ゆかりの常明寺だ。
境内に芭蕉の句碑がある。
「さみだれに 鳰(にお)のうき巣を 見にゆかん」



 「旅籠古め屋跡」「旅籠藤屋跡」「旅籠常盤屋跡」の石標を見て進む
と、やがて国道1号線に突き当たり、その右角に「東海道土山宿」の石
標と共に石灯籠が建っている。

 この辺りが宿場町の西の外れで、京方口があったとされる場所である。
町並はこの先も続いていたらしく、ここで南土山交差点を横断する。(続)





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