簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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車石広場 (東海道歩き旅・山城の国)

2024-09-23 | Weblog


 北花山の交差点で三条通に合流し暫く行くと、左に小公園があった。
平成9(1997)年、京都市営地下鉄東西線の開通に伴い京阪電鉄は、
御陵駅から三条駅の間が廃線となり、同線に乗り入れることとなった。
廃線後軌道敷を利用し、三条通りの四車線化と歩道の整備がなされた。



 完成記念の一環で整備されたのがこの公園で、三条通に敷設されてい
た「車石」や、牛車や大八車に見立てた台車に積まれた米俵等がモニュ
メントになった。近くには「京阪 九条山」のバス停も有り、ここには
嘗て京阪九条山駅があったらしい。



 江戸時代、幕府は物資の運搬のための馬車や牛車などの使用は原則禁
止していた。ただ江戸や駿府の町中等は、例外的に認められていたが、
東海道の大津と京の間も例外の一つとして認めていた。

 この間は物資輸送の要衝で、年間一万五千もの牛車が通行する。
ところがここには、逢坂峠と日ノ岡峠の二つの峠があり、雨が降るとぬ
かるんで牛車の通行が大変困難であった。



 当時としては、画期的な舗装工事が行なわれるのは、文化2(1805)
年の事だ。凡三里(約12㎞)の間に、「車石(輪型石)」と呼ばれる花
崗岩の厚板石が敷き詰められたが、この車石は明治9(1876)年、東
海道の道路改修完成の時まで使用されていた。



 道路が石敷に改修されたとは言え、開通したのは一車線に限られていた
ため、一方通行である。京に向かって右側が車石の敷かれた牛車道、左側
は安全を考慮して一段高くした人馬道と成っていて、上り下りで時刻を分
けて使用していたようだ。
これにより、牛車や馬車での運搬も、人の往来も随分と楽になった。(続)





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