昔から「蹴上(けあげ)」という、一風変った地名が気になっていた。
調べてみると、粟田口には刑場があり、処刑を拒む受刑者を蹴り上げなが
ら無理やりお仕置場まで連れて行った事に由来するとの説が有るらしい。
もう一つ源義経に纏わる「泥水蹴り上げ」伝説も残されているようだ。
義経がまだ「牛若丸」と名乗っていた頃、金売り商人・吉次に連れら
れ奥州の平泉に旅立つ途中この日ノ岡峠に差し掛かったところ、たまた
ま平家の侍・関原興市重治(せきはらよいちしげはる)と出会った。
ところが一行が乗った馬が誤って水溜まりの水を牛若丸に蹴り掛けた。
晴れの門出を泥水で汚されたにも関わらず、誤ることなく通り過ぎた
一団の無礼に怒った牛若丸が、その侍主従9人を切り殺してしまった。
一時は激高したがその後、冷静になると軽率な行いを悔いて、九体の
石仏を作って弔ったという。また一説には見かねた村人が弔ったとも、
義経に頼まれた村人が弔ったともいう。
その後九体の石仏はバラバラになり、その内六体は所在が分からなく
なったが、三体は今日まで残されているらしい。
そのうちの一体は、先ほど三条通り沿いの民家の脇にへばり付く用に建
っていた地蔵堂の地蔵で、中には赤い前掛けの地蔵尊が祀られている。
もう一体は南禅寺近くの疎水脇、本願寺水道水源地の「義経地蔵(義
経大日如来)」がそれという。
また最後の一体は、東山ドライブウェイの入り口辺りにある。
嘗てこの辺りには、「九躰町」と言う地名が残されていたらしい。(続)
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