簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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佐渡の金山 (JR全線乗潰しの旅)

2013-07-26 | Weblog
 七浦海岸に有る民宿に宿をとった翌日、佐渡の金山を訪ねて見る。
島を周回する県道45号を外れ、大佐渡スカイラインを2キロほど進むとそれは有る。





 佐渡の山々では、古くは平安時代末期頃から、砂金が取れていたとする記録が
残されていると言う。



 そんな古い歴史の有る金山が広く知られるようになったのは、関ヶ原の合戦が行わ
れた翌年で、その年にはこの地は天領となり、以後徳川幕府が大規模な開発を進め、
それにより幕府の財政を支えてきたのである。





 公開されている宗太夫坑は、坑口の高さ3メートル、幅2メートル程ある江戸時代
初期から開坑された大型坑道で、国の史跡に指定されている。



 少しひんやりとした坑内に続く坑道の脇には、当時の採掘の様子が実物大の人形
で再現・展示されていて、劣悪な環境の下、過重で過酷な気の遠く成る様な作業の
様子を窺い知ることが出来る。

 開発された坑道はまるで地下の蟻の巣のようでその総延長は400キロにも及び、
その斜坑は佐渡を取り巻く外海の下まで伸びていると言われている。



 坑内での採掘は多くの人手を要したため、幕府は近隣の農村に人足割り当てをし、
安い賃金で多量の人足を確保すると同時に、当時の都市部からは、無宿人を多量に
送り込んだと伝えられている。

 こうして金山に送り込まれた無宿人は、現在テレビドラマなどで見聞きするような
極悪非道な罪を犯した罪人ばかりでは無かったようだ。(続)






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