![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/94/50d4235feb65cf403b6001286fe57e2d.jpg)
道遊坑は、明治に成って開発された近代的な坑道で、平成元年まで操業が続け
られていた。近代の鉱業遺産としての文化的価値も高く、宗太夫坑が人力により
掘り進められたのとは違い、多くの部分で機械化されていて、その対比が興味深く
面白い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/bb/d58f49b07d12fedf95bffaafd1008565.jpg)
資料館から外れ少し山側に歩くと、異様な容をした小さな山が見えてくる。
「道遊の割戸」と言われるもので、国の史跡に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/43/23be04d8b5c6deab66805f7acdfb2ae4.jpg)
これは佐渡金山発見当初からの主要鉱脈の一つで、山頂は斧で割り裂いたように
成っていて、当時の露頭掘りの跡であり、その下には大きな空洞がぽっかりと口を
あけている。明治以降に採掘が行われた跡だと言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ff/2221b0d9e2ddbb66d7f4d550231058ad.jpg)
「道遊の割戸」を降りると、赤い櫓が印象的な高任立杭の前に資料館がある。
機械工場の前に敷かれた幅の狭い線路に、チョコンと乗っかる様な「2トンバッテリー
トロッコ」が可愛らしい。
これでも時速12~13キロの速度で、当時の坑内で活躍していたと言う。
ここには充電設備、ターンテーブル等も残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/b1/4e93f3d3c20af35fae3721beae999594.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/30/1099ae787e1c27242d1b7568c472f4cb.jpg)
江戸末期には初めて火薬発破も行われ、明治14年には初めて削岩機が導入され
たと言う。金窄大工達が、タガネを上田箸で挟み、鎚で打ち採掘していた江戸時代
からすれば、画期的的な技術革新が行われたことに成る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/67/2b95cb00e26060b2fd5e99c6033a99e7.jpg)
国内主要鉱山として、いち早く官営化・近代化が行われ、近代日本の模範的鉱山
と言われた場所である。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/46/94866019310a3c6aff141b759008d52a.jpg)
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