コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

木原地区(静岡県袋井市木原)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:39 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

木原地区

▲木原は、元亀3(1572)年に武田信玄が徳川家康を破った三方原の戦いの前哨戦(木原畷の戦い)の地として知られています。また武田勝頼軍の斥候笹田源吾に由来する「木原大念仏」(市指定無形民俗文化財)の発祥の地でもあります。地区内には、原寸大に復元された木原一里塚をはじめ木原権現社(式内許禰神社)長命寺笹田源吾の墓や供養塔徳川家康腰掛石など多くの歴史遺産が残っています。

 

 ▲古戦場 木原畷

元亀3(1572)年、兵3万5千を率いて甲府を出発した武田信玄は犬居城飯田城を落として久野城へ向かった。しかし久野宗能の激しい抵抗にあったため東海道を西に向かい、ここ木原・西島に陣をはった。これを知った徳川家康の兵とこの付近で小競り合いをくり返した信玄はやがて二俣城を攻略し、東三河へ向かうべく三方ヶ原を通過しようとした。これに対して家康は兵1万で迎え撃ったが、信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰った。これが世にいう三方ヶ原の合戦で、木原での戦いはこの前哨戦ともいうべきものであった。1985年5月袋井市教育委員会

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木原一里塚(61里)(静岡県袋井市木原 )~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:37 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

木原一里塚 

静岡県袋井市木原

▲説明文によると復元されたもの

 

木原一里塚は、江戸から数えて61里目の一里塚です。「東海道宿村大概帳」(逓信総合博物館蔵)には「(袋井)宿より見附迄之間壱里塚壱ヶ所、木立松。但、左右之塚共木原村地内」と記され、「東海道分間延絵図」(東京国立博物館蔵)や「東海道分間絵図」(東京国立博物館蔵)などには、塚の上に松や榎が描かれています。本来の一里塚はこの場所から約60m東にありましたが、現存していません。記載内容

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木原松橋道標~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:35 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

木原松橋道標

 

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蔦屋版東海道袋井~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:33 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

蔦屋版東海道 袋井

 

松の枝に吊した茶釜で湯を沸かす出茶屋の女主人、キセルをくゆらし、しょざいなく高札を見入る駕篭かき、床几に腰掛け、茶をすする職人風の二人づれ、馬子はいないが、荷物と女性を乗せた馬は軽尻であろうか。街道は遠くの村々へと続き、夕日にはえる山並みとともに、袋井市域のおだやかな夕暮れを思わせます。

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旧澤野医院(静岡県袋井市 )

2011-06-19 20:09:32 | 洋館

2011年6月13日 静岡県

旧澤野医院 袋井市指定文化財

静岡県袋井市

 

旧澤野医院は、澤野家が江戸時代末期から昭和初期までに建築し、使用してきた建物群です。病棟、居宅、渡り廊下、洋館の4棟は地域医療を担ってきた建物であり、貴重な文化遺産として平成11年4月23日に袋井市指定文化財に指定されました。澤野家は享保12(1727)年に作られた「山名郡川井村差出明細帳」に内科医としてその名が記され、すでに地域医療を担っていたと考えられます。旧澤野医院は、旧東海道に面する敷地幅(間口)10.5間を有し、間口幅としては大きな部類に属します。奥行きも29間あり、さらに西側に12.5間、9間の短形敷地が設けられていたと考えられます。この敷地内に、街道に接して病棟(洋風2階建て)が建ち、これに接続して居宅(和風建築平屋)、さらに東側に突出した生活空間の建物(炊事場、風呂場など)、西側には渡り廊下によってつながれている洋館が建てられています。各建物の特徴は居宅が純和風に対して、病棟と渡り廊下、洋館は洋風となっています。澤野医院の最盛期にはさらに多くの建物があったと考えられます。また、内庭及び南面の築庭についても同時期のもので、その後若干の変更が見られます。各建物の建築磁器は明らかではありませんが、構造、形式から見ると、居宅は幕末から明治期、洋館と病棟については昭和初期の建築と考えられます。これらの建物と敷地は旧東海道に面する医療建築として、その類例が少なく、近代の医療行政や制度、医業の流れを知る上では貴重な存在と言って過言ではありません。

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旧澤野医院(静岡県袋井市 )~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:31 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

 旧澤野医院 袋井市指定文化財

静岡県袋井市

 

旧澤野医院は、澤野家が江戸時代末期から昭和初期までに建築し、使用してきた建物群です。病棟、居宅、渡り廊下、洋館の4棟は地域医療を担ってきた建物であり、貴重な文化遺産として平成11年4月23日に袋井市指定文化財に指定されました。澤野家は享保12(1727)年に作られた「山名郡川井村差出明細帳」に内科医としてその名が記され、すでに地域医療を担っていたと考えられます。旧澤野医院は、旧東海道に面する敷地幅(間口)10.5間を有し、間口幅としては大きな部類に属します。奥行きも29間あり、さらに西側に12.5間、9間の短形敷地が設けられていたと考えられます。この敷地内に、街道に接して病棟(洋風2階建て)が建ち、これに接続して居宅(和風建築平屋)、さらに東側に突出した生活空間の建物(炊事場、風呂場など)、西側には渡り廊下によってつながれている洋館が建てられています。各建物の特徴は居宅が純和風に対して、病棟と渡り廊下、洋館は洋風となっています。澤野医院の最盛期にはさらに多くの建物があったと考えられます。また、内庭及び南面の築庭についても同時期のもので、その後若干の変更が見られます。各建物の建築磁器は明らかではありませんが、構造、形式から見ると、居宅は幕末から明治期、洋館と病棟については昭和初期の建築と考えられます。これらの建物と敷地は旧東海道に面する医療建築として、その類例が少なく、近代の医療行政や制度、医業の流れを知る上では貴重な存在と言って過言ではありません。

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春興五十三駄之内袋井など~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:29 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

春興五十三駄之内袋井など

春興五十三駄之内 袋井
葛飾北斎が生涯に描いた十一種類の東海道風景がの一つ。画面上部に三首の狂歌が添えられています。大きな荷物を背負った馬と大黒様を思わせる旅人。お茶を差し出す女将の姿は、どまん中袋井宿の「おもてなしの心」を表しています。

東海道五十三次之内 袋井之図
「保永堂版東海道五十三次之内 袋井」を模した出茶屋を背景に、荷を背負い、杖をつき、先を急ぐ女性の旅人を描いています。おそらく伊勢参りに行くのでしょう。当時、女性の旅は伊勢参りがほとんどでした。

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高札風説明板(秋葉山常夜灯、高札場、土手)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:25 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

高札風説明板(秋葉山常夜灯、高札場、土手)

秋葉山常夜灯
日伏の神様、秋葉山三尺坊大権現に対する庶民信仰は、江戸時代に入って盛んになりました。特に東海から関東地方にかけて数多くの秋葉講が生まれ、各地に分社や常夜灯が建てられました。公園入口の常夜灯はもと東海道の北側にあり、南側約50mの円信寺跡には、1800年(寛政12年)に建立された常夜灯が今も残っています。平成11年4月袋井市

 

高札場
幕府が人々を治めるため、忠孝、毒物、駄賃、火付けなどに関する法令や禁令を掲示した場所を高札場と呼び、1711年(正徳元年)以降に整えられました。高札場は、町の辻や橋のたもと、街道の追分(分岐点)、渡船場、港、関所など全国いたるところに設けられ、幕府の権威を誇示する役割をも果たしていました。平成11年4月袋井市

 

土手(土塁)
いくつかの中小河川をひかえた袋井宿は、背の高い土手(土塁)に囲まれていたといわれています。大正時代に撮影された宿入口の写真に、石垣で補強された高さ2mをこえる土手が写っています。土手の内側には桝形(宿の警護所)がありました。袋井宿の景観をイメージしていただけるよう、階段の両脇に土手を再現しました。平成11年4月袋井市

▲どまん中ふくろいのモニュメント

☆cosmophantpm

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時空を越える道との対話:名所旧跡案内~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:23 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

時空を越える道との対話:名所旧跡案内

 

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問屋場(人馬会所)跡(袋井宿)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:21 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

問屋場(人馬会所)跡

 

袋井宿で、人馬の継立業務を行っていたところ。文化年間(1806~17)には、街道の北、中本陣の西側にあったといわれています。

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此処はどまん中袋井宿~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:18 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

此処はどまん中袋井宿

 

州山名郡袋井宿
掛川宿へ二里16町(約9.7キロ)
見付宿へ1里半(約6キロ)
当所うなぎすっぽん名物

袋井宿の名は、すでに弘安の頃(1278~88年)に書かれた「遺塵和歌集」の長唄の一節に見ることができます。江戸時代の袋井宿は、徳川家康公により東海道の宿駅制度が定められてから15年後の元和2年(1616年)八月四日に開設されました。江戸日本橋から数えても京都三条大橋から数えても27番目、東海道五十三次のちょうど「どまん中」の宿です。以後若干省略

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袋井宿東本陣跡~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:15 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

袋井宿東本陣跡

袋井宿には三軒の本陣が置かれていました。その場所から東、中、西本陣と呼ばれ「東海道宿村大概帳」には次のように記されています。

一、宿内惣家数百九拾五軒

本陣 凡建坪弐百九拾坪半 門構・玄関附     宇新町 壱軒

同  凡建坪弐百拾九坪   門構・玄関附     宇本町 壱軒

同  凡建坪百六拾六坪半 門構・玄関附      同   壱軒
三軒の本陣は東海道往還通に面して北側に建てられていました。3本陣のうち東本陣は「壱番御本陣」とも呼ばれ、代々八郎左衛門を名乗っていた田代家が営んでいました。田代家は本陣の運営とともに宿役人として書状・荷物の継ぎ立てを行った問屋場の最高責任者である問屋をも勤めています。本陣の構造上の特色は門構えと玄関があり、また内部に「上段の間」が設けられていたことです。東本陣の場合、敷地全体の坪数1068坪、塀を除いた建坪288坪、間口13間半、奥行き31間もあり、その規模の大きさがうかがわれます。平成12年7月28日袋井市教育委員会

本陣の宿泊

 袋井宿東本陣の利用状況は、元和四年(1618)から寛永十一年(1634)までの十七年間の状況を記した袋井指定文化財「本陣御宿帳」からうかがい知ることができます。袋井宿が開設されてから二年後に始まる幕藩体制初期の宿帳は大変貴重なものです。

 その記載は極めて簡略で、利用の月日、休・泊の別、休泊料、そして利用者のみの記載となっています。この十七年間のすべてについて、月毎にその休泊の状況を整理すると、全体として宿泊と休憩はいずれも30回を超えています。若干休憩が多いようですが、ほぼ半々となっており、宿の設置は他の宿より十五年遅れましたが、開設当初から宿泊の利用がかなり盛んであったと考えられます。また、年間を通しての利用回数をみると、20~40回程度の年が大半で、寛永三年(1626)と寛永十一年(1634)は将軍の上洛の影響によって70回を超えて利用されていることは注目されます。また月別の利用をみると、他の月に比べて十二月の利用が多くなっています。参勤交代が制度化されて以降は、外様大名の交代期四月と、譜代大名の交代期六月が多くなっているようですが、残念ながらこの宿帳は寛永十一年までで終わっているため、その翌年に武家諸法度が改訂され、参勤交代が制度化されて移行の状況を知ることはできません。

 十七年間で繰り返し東本陣を利用したのは伊勢国神戸城一万五千石の一柳直盛と三河国宝飯郡形原五千石の松平清直で、領地と江戸を往復するのに利用したと考えられます。

 

 

本陣の利用

 

大名が本陣を利用するにはそれなりの手続きがありました。まず各本陣に対して休泊の予約を伝え、利用可能なら本陣から調書を提出します。この後、他の大名との差合を避けるために先触れを発し、家臣は大名の発籠に先立って現地に入り、宿割りを行い、関札を掲げ、玄関には定紋付きの幕を張り、提灯を灯し、本陣当主は礼装して宿はずれまで出迎えます。行列の出発は午前四時頃が習慣であったため、準備の時間を考えると午前一時~二時の起床であったと考えられます。

 

本陣の経営

 

本陣の主たる収入は休泊料ですが、この休泊料には特に定められたものはなく、「御祝儀」と呼ぶにふさわしい性格のものでした。東本陣を数多く利用した一柳直盛と松平清直は一貫文から二貫文(千文~二千文)でしたが、金銭だけでなく、袷羽織・帷子(たれまく)・反物・色紙などで支払われることも多かったようです。また幕府から下賜金や各種の補助がありましたが、建坪200坪を超える大建造物を、常に休泊に応じられるように維持することは大変な苦労でした。「きせるなどは50本出せば10本返ってくるのはまれである」といわれたように、本陣備え付けの椀・皿などの什器類から、はては屏風・布団・衣類にいたるまで持ち去られ、これらの補充に要する出費もかなりのものだったようです。

本陣の経営は享保の頃からしだいに苦しくなり、戊辰戦争時には利用率が若干多くなりますが、明治維新以降、田代家は本陣を廃業し、伝馬所(明治元年6月に問屋場から名称変更)の元締役となりました。郵便業務の開幕とともに、その取次所も兼ねることなり、東本陣の建物は、最初の袋井郵便局となりました。

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袋井 出茶屋ノ図~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:13 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

袋井 出茶屋ノ図

 

初代広重が天保5年(1834)頃に描いた「保永堂版 東海道五十三次」の一枚。この版画は袋井宿の東の入口を写したものと思われる。宿近くのたんぼの中に建つ出茶屋の風景に、のどかな庶民の姿が感じられます。記載内容
 
 
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袋井宿道標~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-19 20:09:11 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

袋井宿道標

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袋井宿と天橋/袋井宿石碑~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-17 12:29:19 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

袋井宿と天橋/袋井宿石碑

 

袋井宿は元和2(1616)年に設置されました。いわゆる「東海道五十三次」でいえば品川宿から数えて27番目の宿駅にあたります。天橋(阿麻橋)は袋井宿の東の入口にかかっていた土橋で、有名な広重の版画「出茶屋ノ図」にその姿が描かれています。天保14(1843)年の調査によれば、宿内の町並みは西端の中川まで5町15間。人口843人、家数は本陣3軒、旅籠屋の50軒を含め195軒でした。平成元年六月四日袋井市教育委員会 記載内容

これより袋井宿

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