コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

葛川一里塚跡(56里)(静岡県掛川市葛川)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:59 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク>旧東海道>金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

  葛川(くずがわ)一里塚跡(56里)

静岡県掛川市葛川

▲日本橋から54番目の一里塚

 ▲ここには風変わりな常夜灯があった。祠付き

 ▲馬喰橋/一里塚跡の標識

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道標 成滝(静岡県掛川市成滝)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:55 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

道標 成滝

 

▲掛川宿宿境まで二十町(2.2km)、日坂宿宿境まで一里六町(4.5km)

掛川← 日坂 cosmophantom

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224km/225km/226kmの標識(国道1号)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:53 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

224km/225km/226kmの標識

▲靜岡県掛川市伊達方

 ▲靜岡県掛川市千羽 袋井まで袋井まで14km

 ▲靜岡県掛川市薗ケ谷

 

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伊達方一里塚(57里)(静岡県掛川市伊達方)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:51 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

 

伊達方一里塚

静岡県掛川市伊達方

 

 

 一里塚は、慶長9(1604)年、江戸幕府の命により築かれた。江戸日本橋から1里(約4キロ)ごとに塚が設けられ、松か榎を植えて目印とした。旅人にとって夏は木陰、冬は風よけとして重宝がられた。また、塚の傍らには旅人の必需品が商われたほか、一服できる休息の場でもあった。江戸日本橋から京都まで125里(約500キロ)。掛川市内には佐夜鹿、伊達方、葛川、大池の4ヶ所に塚は設けられていた。ここ伊達方一里塚は、江戸より57番目の塚として街道の両側に築かれ、南側は現・萩田理髪店東側あたり、北側は現・三浦たばこ店屋敷あたりに設けられていた。当時、塚の大きさは直径7間、高さ3間の小山で、一里山と言われた。明治33年頃取り壊されたという。

掛川宿←日坂宿 cosmophantom

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日坂宿宿口~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:49 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

日坂宿宿口

▲ここまでが日坂宿か?次の宿は掛川宿!  掛川宿←日坂宿←金谷宿

日坂宿 cosmophantom

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秋葉常夜灯3~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:47 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

秋葉常夜灯3

 

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下木戸跡(静岡県掛川市)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:31:45 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

下木戸跡

静岡県掛川市

江戸時代、宿場の治安維持のため、東西の入口には木戸が設けられていた。大規模な宿場では観音開きの大きな門でしたが、小規模であった日坂宿では川が門の役割を果たしていた。古宮橋の架かる逆川のこの場所が「下の木戸(下木戸)」となっていて、江戸時代初期の頃までは橋幅も狭く、粗末な木橋で、いったん事が起こったときは、宿場の治安維持のために橋をはずしたとも伝えられている。また、宿役人の管理下にあった高札場が木戸の機能を果たしていたという説もある。

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日坂宿高札場~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:29:49 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

日坂宿高札場

幕府や藩の定めた法令や禁令を板札に墨書したものを高札、しの掲げられた場所を高札場といいます。高札場は人々の注目をひきやすい所に設置され、日坂宿では相伝寺観音堂敷地内にあり、下木戸の高札場ともいわれていました。 高札の内容は日坂宿が幕領であったため公儀御法度(幕府法)が中心で年代によって若干の書き換えがありました。ここに掲げられている八枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間のものを復原いたしました。高札場の大きさ「高さ二間、長二間、横七尺」は日坂宿の「御尋二付申上候」書付(天保十四年)によりました。

高札小史

◎正徳元年(1711)日坂宿の高札場設けられる。このときの高札五枚(親子・切支丹・火付・伝馬・毒薬)は幕末まで続いた。

◎慶応四年(明治元年・1868)大政官布告により従来の高札を撤去し新たに五枚(五傍の掲示)を掲げた。

◎明治六年(1873)高札が法令公布の方式として適さないとの見地から撤去された。

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秋葉常夜灯2~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-16 11:29:45 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

秋葉常夜灯2

 

日坂宿はしばしば火災にあっているためか、火伏せ(火防=ひぶせ)の秋葉信仰が盛んであったようです。 当時の人々は神仏のご加護を願い秋葉講を結成し分社や常夜燈をなどを各所につくりました。秋葉常夜燈は秋葉神社に捧げる灯りをともすためのもので、辻などにの人目につきやすい場所に建てられました。日坂宿には弘化二年(1845)に建立された、この常夜燈の他に、本陣入口と相伝寺境内の計三基が遺っております。 秋葉山のほかに「駅中(宿内のこと)安全」とあるのは、火災を恐れる気持ちの強さを示していると言ってもよいでしょう。

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旅籠川坂屋(日坂宿)~静岡県掛川市日坂

2011-06-15 19:41:40 | 建築物(洋館以外)

2011年6月13日 静岡県

旅籠川坂屋

静岡県掛川市日坂

 

大坂の陣(慶長十九年・1614の冬の陣と翌年の夏の陣)で深手を負った武士太田与七朗源重吉は長松院で手当を受け、その後、日坂に居住しました。旅籠屋「川坂屋」はその子孫で寛政年間(1789~1800)に問屋役を務めたこともある齋藤次右衛門が始めたと伝えられています。現在の建物は宿場の殆んどが焼失した嘉永五年(1852)の「日坂宿大火」後に再建されたものです。 宿で一番西にあった旅籠屋で、日坂宿では江戸時代の面影を遺す数少ない建物の一つです。精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのことです。 また、「川坂屋」には脇本陣などと云う肩書きの着いた資料は見られませんが、床の間付きの上段の間があり、当時禁制であった檜材が用いられたことは、身分の高い武士や公家なども宿泊した格の高い旅籠屋であったことを伺わせます。旅籠屋としては本陣と同じ明治初頭に廃業したようですが、当家に伝わる維新政府の高官、山岡鉄舟・巌谷一六・西郷従道などの書から推測しますと廃業以後も要人には宿を提供していたと思われます。その後、平成五年(1993)まで齋藤家の住居として使われ、平成十二年(2000)修理工事が竣工し、現在に至っております。 敷地は三百坪ありましたが、昭和二十五年(1950)の新国道開通で分断され、その後、平成七年のバイパス工事により明治元年(1868)に掛川城主太田候より拝領した「元掛川偕楽園茶室」も移転を余儀なくされました。茶室は平成十五年(2003)母屋の北側の地に復元されました。文久二年(1862)の宿内軒並取調書上帳には「川坂屋」について次のように記されています。

間口 六間
畳  五拾八畳半 旅籠屋
板鋪 六畳 次右衛門
奥行 拾参間
惣畳数  〆六拾四畳半
惣坪数  〆七拾八坪

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旅籠川坂屋(日坂宿)(静岡県掛川市日坂)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-15 19:41:31 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

旅籠川坂屋

静岡県掛川市日坂

 

大坂の陣(慶長十九年・1614の冬の陣と翌年の夏の陣)で深手を負った武士太田与七朗源重吉は長松院で手当を受け、その後、日坂に居住しました。旅籠屋「川坂屋」はその子孫で寛政年間(1789~1800)に問屋役を務めたこともある齋藤次右衛門が始めたと伝えられています。現在の建物は宿場の殆んどが焼失した嘉永五年(1852)の「日坂宿大火」後に再建されたものです。 宿で一番西にあった旅籠屋で、日坂宿では江戸時代の面影を遺す数少ない建物の一つです。精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのことです。 また、「川坂屋」には脇本陣などと云う肩書きの着いた資料は見られませんが、床の間付きの上段の間があり、当時禁制であった檜材が用いられたことは、身分の高い武士や公家なども宿泊した格の高い旅籠屋であったことを伺わせます。旅籠屋としては本陣と同じ明治初頭に廃業したようですが、当家に伝わる維新政府の高官、山岡鉄舟・巌谷一六・西郷従道などの書から推測しますと廃業以後も要人には宿を提供していたと思われます。その後、平成五年(1993)まで齋藤家の住居として使われ、平成十二年(2000)修理工事が竣工し、現在に至っております。 敷地は三百坪ありましたが、昭和二十五年(1950)の新国道開通で分断され、その後、平成七年のバイパス工事により明治元年(1868)に掛川城主太田候より拝領した「元掛川偕楽園茶室」も移転を余儀なくされました。茶室は平成十五年(2003)母屋の北側の地に復元されました。文久二年(1862)の宿内軒並取調書上帳には「川坂屋」について次のように記されています。

間口 六間
畳  五拾八畳半 旅籠屋
板鋪 六畳 次右衛門
奥行 拾参間
惣畳数  〆六拾四畳半
惣坪数  〆七拾八坪

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脇本陣「黒田屋」跡(日坂宿)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-15 19:41:21 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

脇本陣「黒田屋」跡

日坂宿の脇本陣は時代と共に移りかわり何軒かが努めた。ここには幕末期に日坂宿最後の脇本陣を努めた「黒田屋(大澤富三郎家)」があった。黒田屋の拵えは文久2年(1862年)の宿内軒並取調書上帳に、間口8間・奥行15間・畳101畳・板鋪15畳・惣坪数〆120坪と記されている。また、明治天皇が街道巡幸の際、明治2年3月21日と明治11年11月2日の2回にわたりここ脇本陣で小休止をなされた。

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池田屋(日坂宿)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-15 19:41:11 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目 

池田屋 

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秋葉の常夜灯(日坂宿)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-15 19:41:09 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

 秋葉の常夜灯(日坂宿)

 ▲日坂宿入口付近

 庶民の秋葉山に対する信仰は、江戸中期にとても盛んになりました。常夜燈は秋葉山に参詣するための街道沿いにあるものばかりでなく、人々が火伏せの神への信仰や地域内の安全を願って建てられたものも数多くあります。日坂宿は、しばしば火災にあったためか、秋葉信仰が盛んだったようです。掛川ホームページより

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日坂宿(静岡県掛川市日坂宿)~旧東海道を歩く(8回目)

2011-06-15 19:41:08 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク>旧東海道>金谷宿(金谷駅)~見附(磐田駅)
2011年6月13日 8回目

日坂宿

静岡県掛川市日坂宿

 

江戸から五十四里余、日坂は東海道三大難所の一つ「小夜の中山峠」西の麓に位置し、西坂、入坂、新坂とも書かれていました。「日坂宿」の初見は、室町末期の文明12年(1480)の「平安紀行」といわれています。慶長6(1601)年、徳川家康による東海道の整備にともない、問屋場が設けられ、伝馬の継ぎ立て駅としての日坂宿は重要な存在になりました。助郷43村の協力で、伝馬百疋と伝馬人百人が置かれ、役人の公用と荷物の輸送に役立ってきました。天保14(1843)年の記録によれば、家数168軒、人口750人とあり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒がありました。大井川の川止めや、大名の参勤交代などで小さな宿場町ではありましたが、かなりの賑わいであったと思われます。宿場の東口から西口までの距離は、およそ六町半(700m)町並みの形態は現在もあまり変わっていません。 日坂地域振興の会 日坂宿おこし委員会 記載内容 
 
 
 
▲日坂の町並み
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