私と違って、母はとても信心深い。
家にいる時は、毎朝・毎夕、神棚に手を合わせ、
祝詞(のりと)をあげ、お供物をかかさない。
「高天原に神留り座す 神漏岐神漏美の命以ちて。・・・」
(たかあまはらにかむづまります
かむろぎかむろみのみこともちて・・・)
聞いた事がある人もいると思うけれど、
神社の神主さんがあげている、あの祝詞である。
そのおかげか、今までも何度も神様に命を救われてる。
まさに、『信じる者は、救われる・・・。』のである。
正しい信仰している人には、ちゃんと奇跡が起きている。
その点、私は信心深い方ではないので、
『苦しい時の神頼み・・・。』でしかない。
先日、母の病室にキリスト教徒(宗派不明)の従兄弟がやってきて、
「神様が違うけど、祈らせてもらっていいか?」と私に聞くので、
名前は違えど神様に違いはないと思い、お願いした。
数分間、祈りをささげて従兄弟は言った。
「俺が今、神様にお祈りしたので、
他の神様には、祈らないでくれ。」
この言葉に、違和感を覚えるのは、
私だけであろうか?
宗教観については、人それぞれ、
さまざまな意見があると思いましたが、
あえて書かせてもらいました。
家にいる時は、毎朝・毎夕、神棚に手を合わせ、
祝詞(のりと)をあげ、お供物をかかさない。
「高天原に神留り座す 神漏岐神漏美の命以ちて。・・・」
(たかあまはらにかむづまります
かむろぎかむろみのみこともちて・・・)
聞いた事がある人もいると思うけれど、
神社の神主さんがあげている、あの祝詞である。
そのおかげか、今までも何度も神様に命を救われてる。
まさに、『信じる者は、救われる・・・。』のである。
正しい信仰している人には、ちゃんと奇跡が起きている。
その点、私は信心深い方ではないので、
『苦しい時の神頼み・・・。』でしかない。
先日、母の病室にキリスト教徒(宗派不明)の従兄弟がやってきて、
「神様が違うけど、祈らせてもらっていいか?」と私に聞くので、
名前は違えど神様に違いはないと思い、お願いした。
数分間、祈りをささげて従兄弟は言った。
「俺が今、神様にお祈りしたので、
他の神様には、祈らないでくれ。」
この言葉に、違和感を覚えるのは、
私だけであろうか?
宗教観については、人それぞれ、
さまざまな意見があると思いましたが、
あえて書かせてもらいました。