カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

【インドの人々】 ~ ダラムサラ② ~ 

2006年08月15日 22時12分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
こちらもインドでは、良く見かけるサドゥー(修行僧)である。
バラナシハリドワールの様なヒンドゥー教の聖地や
お寺のそばに良くいらっしゃる。

でも本当のサドゥーならば、ダイバ・ダッタの様に、
インドの山奥で修行していて、
一般人の目に触れるような人里にはいないはず。

 (注)ダイバ・ダッタ:愛の戦士レインボーマンこと
             ヤマトタケシの師。

つまり観光客相手に写真を撮らせたり、
物をあげる代わりにお金やガンジャ(マリファナ)を要求するのは、
観光用サドゥーと言って、そう言う職業の人である。

この人もダラムサラ界隈をうろついては、
観光客をつかまえて安っぽいプラスチック製のネックレスを渡し、
お金を要求する(もらう、せびる又は巻き上げる。)
職業サドゥーであった。

ちなみに私も道端で話しかけられ、
無理やりネックレスを首にかけられた。

・・・彼の話は、

  「自分はサドゥーである。
   自分の両親はもう亡くなっている。
   これからマナリーへ行きたいのだが、
   バスのお金がない・・・。」

などと遠まわしにお金を要求するような事を
何度も繰り返すだけだった。

仕方がないので写真のモデルになってもらって、
10Rs渡した。

その時の彼の表情からして、
10Rsでは少なかったらしい・・・。

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【インドの人々】 ~ ダラムサラ① ~
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日本スーパーフライ級タイトルマッチ

2006年08月14日 22時55分59秒 | スポーツ / SPORTS
日本スーパーフライ級チャンピオン
WBCスーパーフライ級14位 菊井 徹平(花形)
                    20勝(4KO)4敗
                

前東洋太平洋スーパーフライ級チャンピオン
元日本スーパーフライ級チャンピオン
WBCスーパーフライ級7位
WBAスーパーフライ級11位  有永 政幸(大橋)
                     21勝(10KO)4敗1分  

チャンピオン菊井選手の初防衛戦は、
元チャンピオンで世界ランキングでも上を行く
強豪:有永選手を迎えた。

写真右側:赤いトランクス菊井選手の左フックが有永選手をとらえる。

             

1ラウンドのゴング共に菊井選手が飛び出して、
右ストレートをヒットさせた。
見て行くだろうと思っていた私もビックリしたが、
有永選手はもっと驚いただろう。
これで菊井選手が試合の主導権を握った。

2ラウンドも菊井選手は前進し、
左ジャブから右ストレートをヒットさせる。
前試合で無敗の世界ランカーの相澤選手を破って
チャンピオンになった事で自信を持った菊井選手は
明らかに強くなっていた。

3ラウンド・4ラウンドとリーチの長い菊井選手の距離で
面白いようにパンチが当る。
有永選手はパンチがなかなか届かない。

5ラウンドになって有永選手がようやく前進して、
菊井選手がさがるようになったが、
サイドステップ、バックステップでかわしながらも
上手くパンチを当て続ける。

6ラウンド、焦ってきた有永選手のパンチが大ぶりになる。
これではますます当らない。

菊井選手はかわしながらも、時折、前に踏み込んで連打を当てる。
距離がつまれば有永選手のものかと思っていたが、
近距離でも菊井選手は腕をたたんでアッパー、フックと
細かいパンチを数多く当ててポイントをかせぐ。

9ラウンド、KOしか勝ち目がなくなった有永選手は、
思い切ってパンチを強振しながら前進するも、
逆に菊井選手に向い打たれる。
菊井選手の右のガードはあごから下がらず、
サウスポーの有永選手の左のパンチが当たる事はなかった。

有永選手は全くペースをつかめないまま、試合終了。
自分のボクシングが出来ず、
菊井選手のいいところだけが目立った。
全く危なげなく手数、有効打に勝った
菊井選手が3-0の判定で完勝した。
100-90、100-91、99-92だった。

           

前回の試合同様、
真面目で礼儀正しい性格が現われているような
基本に忠実なボクシング。

自分より戦績やランキングで勝る強い相手に
立ち向かって行く気迫。
2戦連続で世界ランカーを破ったその実力は本物である。

一発KOの派手さはないが、
菊井選手の試合は終わった後にすがすがしさが残る。
ボクシングの素晴らしさを伝える為にも、
頑張って欲しいものだ。

本日26:40から、フジテレビで放送があります。
ボクシングファンの皆様もこれからファンになる可能性のある皆様も、
そうでないかもしれない皆様も、ぜひ、見てください。

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日本Sフライ級王座決定戦
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【インドの人々】 ~ ダラムサラ① ~ 

2006年08月13日 20時56分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
インドへ行った人なら知っていると思うが、
至る所にバクシーシ(喜捨)を求める人々がいる。

   平たく言えば「お金ちょうだい。」
   と言って手を出してくる人々の事。  

それは、子供から老人まで・・・。
赤ん坊を抱えた母親らしき人(借り物の赤ん坊もいる)や、
身体に障害を抱えた人々・・・。

寺院やホテルの前、駅やバススタンド、
ショッピングセンターやレストランの前、
果ては信号待ちのリクシャーにも寄って来る。

いろんな考え方があると思うが、
私はバクシーシは一切やらない事に決めている。
今まで一度もお金を渡した事はない。

          

この男は大道芸人(ストリート・ミュージシャン)である。
ダラムサラからバグス村へ続く路上にいた。
人が通ると演奏を始める。

こういった人々を「テイのよい乞食」と
呼ぶ人もいると思う。
確かにこういうパフォーマーの中には、
音楽とは言えないヒドイ音で太鼓をたたいたり笛を吹き、
お金を要求する人々もいる。

私もいつもは無視して通り過ぎるのだが、
それほど人相も身なりも悪くなかったし、
なかなかいい音を奏でていたので立ち止まった。
そして、男にヒンディー語で話しかけた。

   私:「その楽器は何と言うの?」
     男:「サーランギー。」

私の知ってるサーランギーとは、
ちょっと違うような気はしたが・・・。

   私:「写真を撮ってもいいかな?」
     男:「OK。」

良かった・・・ヒンディー語が伝わって。
 (今回の旅は3月に習ったヒンディー語の成果を
  確かめる旅でもあった。)

演奏代とモデル代として、
お金を入れる皿の上に10Rs札を置くと、
男は「タンキュー。」(Thank you) と言って笑った。

少ないからもっとくれとは言わなかったので、
やはり大道芸人だったのだ、と思った。

◆豆知識◆

サーランギ:もともとはラジャスタン地方の楽器。
       木をくりぬいたボディに3本の弦があり弓で弾く。
       100音の響きと言う意味。
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【インドの寺院】 ~ ディップ・ツェリョン寺院 ~(ダラムサラ)

2006年08月12日 14時51分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
バススタンドから細いナウロジー・ロードを下っていくと
右手にオーム・ゲストハススがある。
その先の右側に下る山道をさらにどんどん降りていくと、
このチベット寺院がある。

  下ったら上るのが道理・・・。
  行きはよいよい帰りは怖い・・・。
  膝がガクガクして大変だった・・。

寺院の周囲にはお坊さん達が暮らす住居が、
長屋のように連なっていた。
若いお坊さんが多いようで、
部屋から顔を出して珍しい訪問者を覗き見ていた。

チベット寺院の見所は、
マンダラやマニ・ラカンだろうけれど、
この小さな寺院には見当たらなかった。

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【インドの寺院】 ~ ツクラカン寺院 ~(ダラムサラ)
【インドのチョルティン】 (ダラムサラ)
マニ・ラカン
OM MANI PADME HUM
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OM MANI PADME HUM

2006年08月11日 21時31分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
ツクラカン堂の脇にあった石。

「OM MANI PADME HUM」
 (オム・マニ・ペメ・フム)と刻んであった。

傍らに腰を降ろすおっちゃん(写真の石の左側にいた)は、
石を売っているのかと思ったら、
サブジ・ワーラー(野菜売り)だった。

そう言えば・・・石の右前には、
確かにオクラなどの野菜が並んでる。(○印)

   「OM MANI PADME HUM」

細かく分けるとオム・マ・ニ・ペ・メ・フムという
六つのマントラ(真言:Six-syllable mantra)で構成されている。

ダライ・ラマによると、これら六つの真言は、
私たちの不浄な身体・言葉・思考を、
完全に統一された秩序と知恵の教えの道に導くことにより、
仏陀になれるということを意味しているとのことだ。

◆ オム(OM)

私たちの不浄な身体・言葉・思考とともに、
高尚純粋な釈迦の身体・言葉・思考を表している。
「悟りの道を開いて純粋な境地に到達したとき、
過去の不浄から負の属性を取り除き、
不浄な身体・言葉・思考も変わることが出来る」と釈迦は説いている。
その意味がこの言葉に集約されている。

◆ マニ(MANI)

宝石を意味する。秩序、慈悲、
他者への思いやりなど悟りを開くための要素を表す。
「宝石が貧困をなくすことができるように、
利他主義的な悟りの境地は、
貧困・孤独を取り除くことができる。
宝石が私たちの望みをかなえてくれるように、
利他主義の心によって悟りを開き、
私たちの望みは実現される」。

◆ ペメ(PADME)

蓮を意味する。知恵を表す。
泥の中に生えていても泥に染まらない蓮は、
私たちを矛盾から救い出す知恵の本質を示している。

◆ フム(HUM)

分離できないものを意味する。
秩序と知恵が調和することにより至る純粋なる境地を表す。

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前日本ライト級チャンピオン 伊藤俊介(金子ジム)

2006年08月10日 22時58分59秒 | スポーツ / SPORTS
イケメン・ボクサー達による2回目の興行、
「DAVIDⅡ」(ダビデ・ツー)の観戦に行って来た。
なんとイケメンのラウンド・ボーイも登場した。
 (見慣れてないせいか・・違和感が・・。)
 
もちろんメインイベントの伊藤俊介君の
再起戦を見守る為だ。

63Kg契約ウエイト:6R

前日本ライト級チャンピオン
  日本ライト級5位
 東洋太平洋ライト級8位  伊藤俊介(金子ジム)19勝(14KO)3敗1分

                           

                  圓谷英一(ジャパンスポーツ)7勝3敗

            

4ヶ月ぶりの再起戦、楽しみだったが、
ちょっぴり不安もあった。
精神的に立ち直れているだろうか・・・・と。

南側の客席の通路から、
珍しく赤いトランクスでガウンもまとわずに登場した。

試合開始のゴングと共に前に出る俊介君。
しかし圓谷選手は臆する事もなく、
スピードのあるワンツーを放つ。
どうした!俊介君! 心なしかガードが低いようだ・・。
1ラウンドは、圓谷選手がリード。

2ラウンド、3ラウンドと俊介君は前進しながら、
ボディー、顔面とアッパーで攻撃する。
圓谷選手は押されながらもワンツーと右フックを放つ。
思ったより圓谷選手がいい。

しかし3ラウンドが終わった頃から、
圓谷選手のスタミナが切れてきたようだ。
前進する俊介君のプレッシャーとボディー攻撃の前に、
疲れが出てきたように見えた。

4ラウンド、ロープにつまる圓谷選手。
足元がふらつきクリンチで逃げるも、
明らかにグロッギーになった所で、ゴング。

5ラウンド、変わらずに前進しアッパーで攻める俊介君の前に、
圓谷選手はもはや手が出せない。
2分10秒、レフリーが試合をストップした。

再起戦はハラハラさせられたが、
とにかく勝って良かった。
次は「一撃必殺」でお願いします。

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BOXER’S ROAD (伊藤俊介君のブログ)

DAVIDⅠ
DAVIDⅡ

ボクシング人気回復のために
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マニ・ラカン

2006年08月09日 22時39分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
チョルティンにあるマニ・ラカン(マニ車)
いかにもチベットらしいカラフルなマニ車だ。
以前にTVでも見た事がある。

チョルティンの建物の3面にマニ車があった。
ぐ~るぐる、ぐ~るぐる、ぐ~るぐる・・・回してみる。
けっこう重いので、スムーズには回らない。
もっと軽やかに回せる物かと思っていた。

でも、あんまり軽々と回す事ができたなら、
ありがたみがないかもしれないと、思い直した。

今度は、経典を読むようなつもりになって、
厳かな気持でゆっくりと回してみる。

  「OM MANI PADME HUM」
      (オム・マニ・ペメ・フム)

そうマントラ(真言)を唱えながら・・・・。
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【インドのチョルティン】 (ダラムサラ)

2006年08月08日 22時45分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
マクロードガンジのバススタンドのすぐ近くにあるチョルティン。

最初、これは寺院なのかとも思ったのだが、
ガイドブックを見ても寺院の名前がない。
あのロンリープラネットでもチョルティンとあるだけだった。

チョルティンとは、うぅ・・・ん・・・
訳すとすれば仏塔あたりかな。
まぁ広く・・チベット仏教施設あたりが、無難だろうか。

周りは村一番の繁華街なので、
通りすがりのチベット人達がマニ車を回して行く。
私も真似して回してみた。

ぐ~るぐる、ぐ~るぐる、ぐ~るぐる、ぐ~るぐる、ぐ~るぐる・・・。
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【インドの寺院】 ~ ツクラカン寺院 ~(ダラムサラ)

2006年08月07日 22時37分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
マクロードガンジのバススタンドから商店街を抜けて、
テンプル・ロードを下って行く。

5分ほど歩くと、ツクラカン堂と言う建物がある。
外見からは寺院とは思えないその一帯には、
ダライラマ14世の公邸や博物館やチベット仏教寺院等がある。
その一つがツクラカン寺院だ。

写真左手に金色に見えるのは、
マニ車「マニ・ラカン」といい、
この中には、経典が入っている。
一回まわすと経典を一回読んだ事と同じ徳があると言う。
経典を読むのは大変だが、マニ車を回すのは簡単だ。

マニ車本体を手で回すのかと思って、
回してみたらけっこう力が要る。
これは重労働だ・・・と思っていたら、
チベット人達はマニ車の下に手を入れていた。

マニ車の下部には取っ手があって、
これをつかんで回すと楽にマニ車を回すことができた。

             

マニ車に巻かれている経文「スン」の中身は様々であるが、
大多数は真言「オムマニペメフム(観音の真言)」である。
「オムマニペメフム」が何千回、何万回と繰り返し書かれており、
その分量はマニ車の大きさによって異なる。

時には、「オムマニペメフム」の他、
パドマサンバワ(蓮華生)、ジャムペーヤン(文殊菩薩)、
ドルマ(タラ菩薩)などの真言もみられるそうな。
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人生そのものだ。

2006年08月06日 22時47分59秒 | スポーツ / SPORTS
不本意ながら最下位争いをしている、
我が栄光の巨人軍を応援すべく、
東京ドームへ横浜巨人戦を観戦しに行って来た。

必勝を期して写真の長嶋記念Tシャツを着て行った。
これは、美津濃から限定発売された、
長嶋JAPANドリーム・プロジェクトのTシャツである。
 (限定・・の言葉に弱い私は予約購入したのだった。)

背中に写真の長嶋茂雄氏の直筆メッセージが入っている。

「野球と言うスポーツは、人生そのものだ。」

前面は木梨憲武氏のイラストで、3番が金色に輝いている。
木梨氏の言葉によると「日本中のスポーツを愛する、
野球を愛する大勢の子どもたちを
長嶋さんの背番号3をモチーフに描いてみました」と言う事で、
バットやボールを手にした子どもたちのイラストで
「3」を形どり、長嶋さんも描かれている。

          

試合は1回の裏、トップバッターの矢野がツーベース、
2番の清水がフォアボールを選び、
ノーアウト1・2塁で先制のチャンス。

3番の二岡の送りバントがキャッチャーへの守備妨害となって、
イヤな空気が流れた・・・・。
頼れる4番の李承が空振りの三振・・・。

この場面で5番の高橋由伸が重いムードを一掃する
140mのホームランを豪快にライトスタンド上段へ叩き込んだ。
そして阿部もこれに続きホームラン。

今年は投げても投げても打線の援護がなく
ツキもなかったエース上原を盛り上げた。
しかも4回まで横浜をノーヒットに抑える好投。

欲を言えば、得点が1回裏のみだった事。
ノーアウトからランナーが出て、
得点圏に進むもタイムリーヒットがなく、
追加点を挙げる事が出来なかった。

ただリリーフ陣は安定しており、
林⇒久保⇒高橋尚がピシャリと抑えてくれた。

試合は4-1でジャイアンツが勝った。
これから1つでも多く勝てるよう、
集中力を切らさず頑張って欲しいものだ。

長嶋はバカじゃない

草思社

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日本スーパーライト級タイトルマッチ

2006年08月05日 23時06分59秒 | スポーツ / SPORTS
チャンピオン 木村 登勇(横浜光)
         28勝(13KO)5敗2分
                
           同級5位 小暮 飛鴻(八王子中屋)
                   19勝(8KO)6敗1分  

チャンピオン木村選手は現在11戦連勝、国内に敵はいない。
 木村術は進化し続ける。 7回目の防衛戦。

チャレンジャー小暮選手は2001年1月に
当時のチャンピオン前田宏行選手(角海老宝石)に挑戦したが、
7ラウンドTKOで負けている。
今回が5年ぶり2度目のタイトル挑戦である。

木村選手が圧倒的な強さを見せて、
早い回でKO勝すると予想していた。
それほど、安定しているチャンピオンである。

写真:右側、木村選手の左ストレートが小暮選手をとらえる。

             

1ラウンド:小暮選手は頭を低くして突進して行く。
      作戦としては、これしかないだろう。
      木村選手がロープに追い詰められた。
      時折、小暮選手の右が木村選手の顔面をとらえる。
       (小暮選手やや優勢。)

2ラウンド:1ラウンド同様に前に出る小暮選手に対して、
      いつもとは違う木村選手。
      やりにくいのか?調子が悪いのか??
       (互角。)

3ラウンド:ようやく木村選手のワンツーが当り始める。
      左右のアッパーも見せ始めた。
       (木村選手、優勢。)

4ラウンド:小暮選手の前進に下がりながらも
      パンチを当て続ける木村選手。
       (木村選手、優勢。)

5ラウンド:木村選手の連打が小暮選手を追い詰める。
      終盤、小暮選手はダウン寸前になる。
       (木村選手、優勢。)

6ラウンド:小暮選手は打たれながらも前に出続けるが、   
      木村選手のパンチの嵐の前に足が止まる。
       (木村選手、優勢。)

7ラウンド:いつレフリーが試合を止めてもおかしくない状況。
      小暮選手は挽回不可能だろうと、思った瞬間、
      レフリーが間に入り小暮選手を抱きかかえた。
      2分59秒だった。

全体を通して小暮選手は良く頑張ったのだが、
木村選手は圧倒的に強かった。

スーパーライト級の防衛記録は10回。
世界ランキングも9位になった。
どこまで続くか?木村選手の牙城

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日本スーパーライト級タイトルマッチ
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ダライラマ14世

2006年08月04日 23時57分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
この写真のお方は、ダライラマ14世である。
昨年の4月、日本を訪れた際に、
縁あってお話を聴きに行った。

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ダライ・ラマ法王の来日公演

その時には今年のインド旅行がダラムサラになるとは、
思いもしなかった。
だが、やはり縁があったのだろう。私はこうして、
亡命政府が置かれているダラムサラを訪れた。

         

1949年にチベットは中国共産党によって、
国家が接収された。
この年以降、チベット国内の宗教施設は破壊され、
独立の動きはことごとく押しつぶされた。
尊い命と共に・・・・・。

チベットの宗教上の指導者であったダライラマ14世は、
1959年に徒歩でヒマラヤを越えてインドへ亡命した。
その後を追ってダラムサラやダージリン等へ
チベット人たちは移住して来た。

チベット開放の為に戦ってきたダライラマ14世は、
1989年にノーベル平和賞を受賞し、
中国は対話を拒み続け、現在に至っている。

        

ダライラマ14世:1935年5月、チベット北東部の農家生まれ。
           本名は、テムジン・ギャムツォ。

【追伸】今年も11月に訪日されるようです。
     11月10日(金)16時~18時
     両国国技館にて公演が行われます。

チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝

中央公論新社

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ロリン・ゲストハウス

2006年08月03日 23時02分40秒 | 北インド / NOUTH INDIA
標高1770mのマクロードガンジは、
高原のため涼しく過ごしやすかった。
7月でも水シャワーはちょっと厳しいし、
朝晩は肌寒く感じられた。

          

ロリンゲストハウスは、バストイレ共同のシングルルームと、
バストイレ付のダブルルームがあった。
当然、バストイレ共同の方が安いのだが、
いちいち部屋に鍵をかけて行くのは面倒だし、
バスもトイレも行きたい時に行きたい。

写真のこの部屋は、広々としたバストイレ付のダブルルーム、
150Rsでホットシャワーが付いているのは安い。
トイレもペーパーは無かったけれど、
洋式トイレだったし。

まぁエアコンはない(必要ない)のだけれど、
天井にインド名物の扇風機はあった。
あとは、机と椅子が2脚、クローゼット付き。

インドにしては、破れもシミも無い清潔なシーツ。感激!
可愛いガラのお布団付き。いいじゃない・・。
床もツルツルのピカピカ。申し分ない・・。
窓からの風景は隣のGHだけど・・・。

これだけそろっていて150Rsとは、
今まで行った場所の中でも一番安い。
ダラムサラっていい所だな・・・と思った。
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今夜の宿探し。(ダラムサラ)

2006年08月02日 23時09分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
豪雨の中おんぼろバスは、
濁流に押し流されそうになりながら山道を登って行った。
マクロードガンジ(アッパーダラムサラ)へ着いたのは、
午後4時だった。

tabisukiさんが勧めてくれた
クンガ・ゲストハウス(以下GHと省略)へ行こうと
決めていた私はバスの中にいたチベット人に、
その場所を訪ねた。

するとそのチベット人は言った。
  「満室だと思う。」

インド人の客引きならば、
自分の知っているホテルに連れて行くために、
こう言う事は良くある。(「地球の歩き方」にも書いてある。)
しかし相手はチベット人である。

その男性は話を続けた。
  「私はGHのマネージャーをやっている。
   この時期のマクロードガンジは観光客が多い。
   今日は私のGHも満室だ。」

豪雨の中、私とカナダ人のイザベラとマネージャーは、
バスを降りて近くのレストランの軒先へ走りこみ、
大勢の人たちと共に雨宿りをした。
たった10mだったが、ずぶぬれになった。

しかし雨は全く止みそうになかった。
マネジャーは言った。
  「私のGHの周りに何軒かGHがある。
   部屋が空いているかわからないが、
   そこへ行って見ないか?」

行く宛のなかった私とイザベラは、
その申し出をありがたく受け入れた。
豪雨の中をやみくもに歩き回って、
体力と精神力を奪われるのはイヤだった。

         

ダラムサラは坂道が多い。
TIPAロードを3人は上り始めた。
道路は足首までの濁流が流れていた。
もはや折りたたみ傘は、何の役にも立っていなかった。
バックパックはカバーに守られて無事だったが・・。

そしてたどり着いたのが、ロリンGHだった。
写真の様な階段をズーーーッと上っていく。
10Kgのバックパックが重くひっくり返りそうだった。

ロリンGHに荷物を置かせてもらって、
私とイザベラは近所のGHへ空き部屋を確認しに行った。
私の行ったGHは誰も人が出て来なかったが、
イザベラの行ったGHには、2部屋空きがあった。

150Rsの水シャワーのダブルと
165Rsのホットシャワーのダブルだった。

私はホットシャワーを選んだ。
イザベラはカナダ人なので、私より寒さには強い。
それに若かったし、節約したかったようだった・・・。

この日は、ロリンGHのすぐ上のGHへ宿泊し、
明日は部屋が空くと言うロリンGHへ戻る事にした。
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ダラムサラは・・・豪雨だった。

2006年08月01日 21時46分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
アムリトサルからダラムサラのマクロードガンジまでは、
バスを2度乗り換えて約6時間30分だった。

まずアムリトサルからパタンコット行きのバスに乗る。
約3時間、54Rs。ホコリっぽい街中の道路を走る。

次にパタンコットでダラムサラ行きのバスに乗り換える。
約3時間、68Rs。
さらにダラムサラ(ロウワー)でマクロードガンジ(アッパー)
行きのバスに乗り換える。約30分、7Rs。

待ち時間なくバスをつかまえる事ができた私は、
順調にダラムサラへ向かっていた。

パタンコットから2時間ほど走るとカーングラに着く。
その昔チャンド王朝の頃に栄えた町だ。

 ちょうどカーングラに差し掛かった頃から、
雨が降り出した。その雨はスコールと言うものではなく、
台風の時の集中豪雨の様だった。

カーングラからダラムサラへは約20Kmほどだが、
箱根を彷彿とさせる急な山道が続く。
しかもインドの道路である。
舗装してある面積は狭く、その上ガードレールはない・・・。
谷底が迫って来る様で窓の外を見る事が出来なかった。
 そして舗装していない路肩はもろく、
豪雨の影響で所々で軽い土砂崩れが起きていた。

 道路は砂利の混じった濁流と化し、
おんぼろバスを押し流さんと言う勢いだった。
 (今、思い出しても恐ろしい・・・・。)

豪雨の中、ダラムサラに着いた。小さなバススタンドだ。
偶然乗り合わせたカナダ人のイザベラと一緒に、
15分ほどバスを待っていた。
あと30分行けば目的地マクロードガンジに到着する。

 雨は・・全く止みそうにない。
折りたたみ傘で太刀打ちできる程度の雨ではなかった。
バックパックカバーを買っておいて良かったなぁ。
そうしみじみと思ったのであった。

           

写真:ダラムサラは、すぐに霧が出る。
標高1770m・・・・思ったより高地だった。
コメント (2)
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