雀の手箱

折々の記録と墨彩画

妹を送る

2010年06月07日 | 塵界茫々
 三つ違いの妹が他界しました。40代の終わりから難病患者となり、入退院を反復して30年近くの闘病生活でした。
 この8年間は週3回の透析を受けていましたが、この間に脳梗塞も発症していたので、いづれ別れのときが近いことは、覚悟していました。
 6月2日、透析の途中で意識がうすれ、救急搬送で厚生年金病院に入院しましたが、その夜あっけなく旅立ってゆきました。
 呼吸も脈も安定してきたので、家族に任せて私は自宅に帰っていました。
 次に会った時は、私の体重の半分しかない痩せきった妹は、美しく化粧されて気に入りだった晴れ着を着せられて穏やかな顔で横たわっていました。

 通夜から葬儀と、業者の手によって慇懃な中にも流れ作業でことが運ばれる斎場にあって、次第に喪失感がこみ上げてきました。幼い日の他愛ない思い出の一齣や、最近の病院での老いを嘆くやり取りを思い出しました。そうでなくても口数の少ない妹だけに、口にする言葉は重いものがありました。読書家でもありましたが、病がちになってからは、本も読めなくなったとこぼしていました。私の洋裁の先生でもありましたが、最近は針を持つことも全くありませんでした。辛かったはずの病からも解放された今は、ただ冥福を祈るのみです。