雀の手箱

折々の記録と墨彩画

閉じる

2011年05月18日 | 雀の足跡
 今年は会を閉じることがつづいています。3月の終わりには42回をもって旧制女学校の同窓会の組織を閉じることにしました。

 次いで4月25日には、女学校の同期だけで続けてきた同窓会も今年を最期に終わることになりました。最後に集まったのは180人卒業したなかで43名でした。年毎に鬼籍に入る人が増えるのも寂しい限りです。

 今月8日は、土地の古名から採って「みまき会」と称して二十数年、欠かさずに開催していた母方の従兄弟の集まりが、解散することになりました。これからは不定期で、集まれるものだけでということに形が変わります。
 1泊が難しくなり、さらには日帰りも遠出は無理という年齢になりました。私の母が末っ子でしたから、その子供たちは、一番年下がすでに還暦を越えています。
 はじめの頃は夫婦での出席で30名近く集まって盛会でしたが、今は迎えのバスも小さくなり、この日の参加者は15名でした。
 最期だから近くでなるべく参加しやすいようにと、市内の若松海岸の割烹旅館で活き魚の懐石料理ガ選ばれました。
 舟盛のシマ鯵や、鮑、烏賊が豪華であるだけ、一抹の寂しさを口々にお酒も例年よりは進まなかったようです。最期に出されたデザートの盆の西瓜や甘いものには箸をつけない者もいました。

 小学校2年の頃から、昨年他界した妹と二人、夏休みは母の実家で過ごすのがきまりでした。半径3,4キロの範囲に散らばる従兄弟達とも、蝉取りや、魚掬いに夢中になり、都会の暮しとは異なる活き活きした日々がありました。毎回その頃の失敗や武勇伝で冷やかされたものでした。
 それぞれに、九十九髪の頂が透けるようになりましたが、集まれば昔話で童心に還る気の張らないよい集いでした。多分、これからも、この季節になると誰彼が言い出して何人かで集まることになるでしょう。







ヤブウツギに毎日来ていたカラスアゲハは、今日は花が終わったツツジの残花で朝食です。