先の颱風17号で幹が断裂し、無惨な裂け目をさらしていた椎の老木が半分伐採されました。200年近い年月を生きてきた老木は、折れた太い枝を二股に分かれた上の方に絡ませた状態で宙に留めていましたので、いつまた落下して、崖下の家の屋根を破るようなことがあってはと、撤去が決まっていました。
昨日はクレーン車が2台、切断された枝を宙吊りにしてトラックに運ぶ大型と、チェンソーで切断すための人が乗る小型クレーン車です。朝8時半からお酒と塩でお清めが行われ、総勢4名のフル活動で1日がかりの作業で出たものは、2トン車4台分が産業廃棄物として運ばれてゆきました。
当初の説明では3段階に分けて、時間をおいて少しずつ切り詰めてゆくということだったのですが、緊急を要する部分を切断してみると、中の空洞化が進んでいて、やむなく二股の分かれ目のところから一気に切断ということになりました。
朝夕見慣れた風景が一気に変わり、門の上の覆いかぶさっていた枝もすっかり姿を消しました。なんだか半裸状態になったみたいで、門の周りが殺風景ですが、安全のためにはこれも致し方ないことでしょう。
それでも、ここに暮らし始めて70年近い年月、坂を上がる目印となり、木陰に憩い、帰ってきたと実感してきた老木との別れはつらく、寂しいものがあります。切株から10年もすればひこばえが生えてまた違った姿になるのでしょうが、それを見ることはもう叶いません。
眺める度に 霊を感じる。
太古から 山や川そして 巨岩・巨石にも 神の存在を信じる遺伝子は 令和の時代を生きる人達にも引き継がれています。
しかし 撤去されて もう二度と会えないとなると 寂しいですね。
廃材から 将棋盤でも造ってもらって 懐かしむ方法もありますね。
どこかで自分自身に重ねて眺めているのでしょうね。
来月には残りの枝も整理されて、小さくなるのだそうです。
形を変えて残すのは、椎の樹ですから無理ですし、切株だけで充分です。