広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

夢のかき揚

2017-11-30 00:15:39 | 津軽のいろいろ
夢のハワイ旅行(「アップダウンクイズ」で1970年頃まで使われていたとか)、夢のマイホーム…
時代や人によって、「夢」として憧れる対象はさまざまである。

こんな夢もある。
夢のかき揚
「夢のかき揚」のネーミングだけでなく、「奥様の料理の友」というキャッチコピー(?)もなかなか。
パッケージおもて面では「真心めんつくり サンプク」とロゴがあるが、裏面によれば黒石市の「三福製麺」の製造。

今年まで存在すら知らなかったけれど歴史あるローカル商品で、イギリストーストなどには及ばないが、青森県内では一定の知名度があるそうだ。青森県外への流通状況は不明。
弘前市内では、イトーヨーカドー弘前店にも、地元スーパーでも、1袋90円前後でほとんどのスーパーで売っていた。生麺コーナー(冷蔵ケース)の近くのメンマや味付け油揚げなんかといっしょに置いてある。
常温保存可能。賞味期限は長く、2か月ほどだろうか。


さて、一般に「かき揚げ」と言えば、千切りにした野菜や小エビなどをまとめて天ぷらにしたもの。
でも、夢のかき揚は…
エビだけ
一般的なかき揚げとは違い、天かす(揚げ玉)を円形に固めて、乾燥小エビを数匹トッピングしたもの。
1個は直径7センチちょっと(一般的なかき揚げと比べると小さいね)で、1袋にそれが2個入っている。内容量としては「10g×2」と表示されているが、以前は22グラム(1枚11グラム)だったとの情報もある。

これでは「かき揚げ」とするのはふさわしくないような気もしてしまう(だから「夢」?)けれど、透明な袋で中が見えるんだから、誤解して買う人はいないでしょう。

これとほぼ同じと思われる商品が、大手・東洋水産から「マルちゃんえび天ぷら 3枚入」として発売されていて、夢のかき揚と並んで売られている店もあった(「野菜天ぷら」もある)。マルちゃんのは140円程度だから、1枚当たりでは同じくらい。
【30日追記】マルちゃんのえび天ぷらは、エビそのものは載っておらず、エビ味と思われる赤い天かす状のものが混ざっている形のようだ。どん兵衛などのカップ麺に添付される天ぷらに近いかもしれない。
また、秋田市の製麺会社(2社あって1社は倒産。どっちだったかは忘れた)でも、こんなようなものを製造していたはずで、食堂などへ麺やつゆとともに卸している(いた?)そうだ。
【2018年1月4日追記】2017年末の年越しそばシーズンの秋田市内の店では、「八郎めん(男鹿市)」と「マルヨ(八戸のとは別の秋田市の会社?)」の同じような商品が売られていた。夢のかき揚よりエビが小さく色が薄く、4個入りの商品もあった。【2018年1月21日追記】秋田市の秋田生鮮市場保戸野店では、通年で売っているようだ。
したがって、モノとしては青森県外にも存在するが、これをして「かき揚」しかも「夢の」としたネーミングが、夢のかき揚の魅力(?)。


エビは袋の絵ほど赤くはない。原材料名欄では「素干しえび」で、駿河湾の桜えびよりはちょっと大きめ。
袋のエビは、カルビー「かっぱえびせん」の袋のエビにとてもよく似ている気もするが、比較すると脚や触覚の長さ、しっぽの開き方・角度などが違い、かっぱえびせんはやや簡略化(昔はもう少しリアルだった)され、夢のかき揚のほうが細部まで詳細に描かれている。

類似商品も含めて同じだと思うが、ごはんのおかずとしてそのまま食べるには、油分が多く、食べごたえもない。麺類に乗せて、つゆに溶かしながら揚げ玉のようにして食べるべきでしょう。


青森県のブログ「まるごと青森」の2013年6月19日の記事(http://www.marugotoaomori.jp/blog/2013/06/10204.html)で、製造元にも取材して夢のかき揚が紹介されていた。
それによれば、40年以上前から作っているとのことなので、昭和40年代後半には存在したことになる。昔は素干しえびではなく「真っ赤なベッコウエビ」だったとのこと。昔はパッケージと同じ色のエビだったようだ。

【2018年10月14日追記】2018年10月、秋田市のスーパー・いとく(本社は秋田県大館市で津軽地方にも店舗がある)新国道店で夢のかき揚が売られているのを確認! 秋田にも来ていた。
【2019年4月8日追記】2018年末の弘前のスーパーでは、夢のかき揚の5枚入り(トレイ入りだったか?)もあった。年越しそば対応の年末限定なのかも。

青森には「夢のパン」もあった!
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弘前いろいろ2017夏秋

2017-11-09 00:21:08 | 津軽のいろいろ
夏~秋の弘前の話題いろいろ。
前回の新寺構や最勝院の近く、県立弘前高校前。
右が弘高。奥右が最勝院、道は左にカーブして新寺構
押しボタン式信号があって、いつの間にか信号機が更新されていた。ストリートビューによれば、2015年8月時点では未更新だった。
車両用は樹脂製縦型だったのが、フラット型の横設置に(新旧とも片面設置)。アームも細い平行2本に更新。

更新前後とも変わっていないのが、車両用信号機のアームに取り付けられた表示板。
「押ボタン式信号」とはひとこともないのは青森県ではわりと存在するようだ(別になくてもいいと思う。あればあったで、押しボタン信号を軽視する自己中心的運転者による信号無視を誘発しかねないし)からいいとして、「主要地点」(いわゆる交差点名)の案内標識らしきものが設置されている。
普通なら、片側に1つだけ「弘前高校前」とでもしそうなのに、ここは「弘前高校→」と矢印付きが、しかも豪華に両面設置(つまり1つの方向向きに2枚ずつ)されている。信号機は片面なのに。

「施設はこっち→」の案内は、秋田などでは独立した逆L型の表示版を道端に立てるのが一般的。(道路管理者ではなく、その施設設置者が管理するようだ。)
この弘前高校は主要地点表示を兼ねた案内という位置づけか。
【9日追記】本来の「こっち」を示す標識なら「青森県立弘前高等学校」と表記し、英語も併記するべきだろう。最低限度の案内で経費節減を狙った(だったら片面1枚ずつでいいのでは?)ことになろう。

主要地点表示というものは、設置するのは道路管理者ながら、設置場所は警察管轄の信号機のアームということで、両者の調整が必要なようだ。場合によっては信号機とは別にアームを設けることもある。
秋田では、そんな調整を嫌っているのか秋田県警と各自治体の仲が悪いのか、主要地点表示は少ない。
青森県警と青森県教育委員会は、関係が良好なのだろう。弘前高校のほか弘前実業高校でもまったく同じもの、弘前南高校には片面のみ青地に白文字のものが設置されている。


弘前市役所では、庁舎の建て増しや耐震補強が行われていた。その一環で、今年2月9日に新館1階にローソンがオープンしたと聞いていた。
正面奥がローソン。後方が弘前公園追手門、左が循環バスバス停、右が市役所正面玄関
土手町循環100円バスのバス停の近く、従来は執務室の一部だったはずのところに、小さなローソンができていた。
バス停側から直接出入りできるドアもできた

看板も小さめ
店舗名は「ローソンS弘前市役所店」。
ローソンには、アルファベットなどを付けて店舗形態を区別したものがある。「S」について公式な意味は明らかになっていないようだが、見かけからして「small」ってことか。
S弘前市役所店には、マチカフェはあるが、ATMはない(地元銀行のATMは庁内にある)。
【9日追記】庁舎をはさんで西側の市役所敷地内にはスタバもある。循環バスで来た観光客には、位置的にスタバは気づきにくいし、ちょっと飲み物がほしくなった時にローソンが重宝されるかもしれない。観光客の利便の意味では、コンビニATMがあってもいい。

移転した健生病院にもローソンSができたが、ATMあり。
弘前大学医学部附属病院や秋田市役所にも、24時間営業ではないローソンが入っているが、こちらはSでない通常店舗。


弘前駅。
てっぺんに足場が組まれ「弘前ネオン」
駅ビル上の「アプリーズ」とあった看板が工事中。新しくするということかな。※続きはこちら

弘前駅中央口のバス・タクシー乗り場の屋根下には、
リンゴ形のランタン
「弘前りんご王国」の一環ということだろうか。ビニール製のリンゴがたくさんぶら下がっていた。赤が多いけれど、端だけは黄色。緑の青リンゴもあったか?
点灯したところ


最後は、平川市碇ヶ関。
この記事後半で取り上げたように、「いかりがせき」は、地名(かつての村名、今の地域名)としては小さい「ヶ」の「碇ヶ関」、JRの駅名としては大きいカタカナの「ケ」の「碇ケ関」と表記する。(鰺ヶ沢や茅ヶ崎も同様の区別。保土ケ谷はどちらも大きいケ)
JR東日本では、きっぷの表記や発車標において、おおむね「碇ケ関」で統一されていた。
碇ケ関駅舎
碇ケ関駅正面の表示を見ると、
碇ヶ関駅と碇ケ関駅。左の緑色のは、かけっこするタケノコの「たけっこくん」
下のJR東日本のロゴ入り・ローマ字併記のは「碇ケ関駅」なのに、そのすぐ上の少し大きいのは「碇ヶ関駅」となっていた。上下に2つ並んでいること自体、不思議だけど、上の看板はJRでなく地元自治体(旧・碇ヶ関村)が設置したとかだろうか。
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新寺構遊歩道

2017-11-07 20:47:10 | 津軽のいろいろ
今さらながら夏~初秋の弘前の話題。場所は弘前公園や土手町から少し足を伸ばした一角。
弘前大学医学部の脇、あるいはホテルドーミーインと、五重塔がある最勝院の間を結ぶ道路(青森県道28号線)は、あまり通りたくない道であった。先日記事にした秋田市保戸野の秋田県道のボトルネック区間と同じように。
ここは道幅が狭く、谷のような地形になっていて、五叉路もあるという場所。カーブもある一方、100メートル強の直線の区間もある。西側が南塘町、東側が桶屋町。

2013年度(供用は2014年春から?)にこの辺がちょっと変わったという話を聞いていたが、やっと現地を訪れることができた。
実はこの直線の道路がある部分は、もともとは弘前城築城直後に造られた、城の防御の役目をするため池の堤(土居)の跡で、国指定史跡なんだそう(「弘前城跡」を構成する1つという位置づけか)。
池は「南溜池」もしくは「鏡ヶ池」と呼ばれ、明治時代に埋められた。今、道路がある堤は「南溜池土居」。それらを合わせた防御施設としては、近くに新寺町があることから「新寺構(しんてらがまえ)」。
※禅林街の「長勝寺構」も防御施設であった。
【12月5日追記】五重塔の隣にある県立弘前高校の同窓会組織の名称は「鏡ヶ丘同窓会」なんだそうだ。学校の立地が、鏡ヶ池の近くの丘だから鏡ヶ丘という由来なんだとか。
余談だけど、秋田県内では、あげまき会(秋田北高)、美入野会(横手高)と、愛称がある同窓会では「同窓会」の言葉を入れない愛称とするのが一般的なので、それに従えば弘高は「鏡ヶ丘会」で良さそうなのに。やはり県が変われば違うということか。

この堤を西端にして細長い池があり、池だった部分は現在は寺沢川や弘前大学医学部の「南塘グラウンド」になっている。
医学部裏手の寺沢川沿い~五叉路付近は、高低差が激しい不思議な地形に感じていたけれど、こういう経緯によるものなのだろう。
(再掲)寺沢川沿いの道。左が南塘グラウンド、奥の左右が県道。昔はここが池の中だったのだろう

3年前に変わったのは、弘前市教育委員会が新寺構に遊歩道を整備したこと。4336万円、長さ175メートル。遊歩道自体の名称は特にないようだ。
南・最勝院側から現地へ。
この左下が池ということになる
新寺構についての知識がなかったから、てっきり池のほとりの跡とか、県道とは別の位置に遊歩道ができたのかと思っていた。
そうではなく、県道と完全に並行な遊歩道だった。県道の東側なので、池の反対側・堤の外側。【8日追記】見かけとしては「県道に新たな歩道が拡幅された」形だが、実際には道路本体と遊歩道で設置・管理者が異なることになる。

なお、県道の西側には、従来から歩道があったが、道路外には木が茂っているので、かつて池だった部分を眺めるのはあまりできなかったはず。何よりも、五差路のところではその歩道がなくなっており、だから危なくて通りたくなかった。
左が医学部、正面がドーミーイン
遊歩道には、新寺構を説明する看板やベンチ6基が設置。車道との間には分離帯的な芝生が設けられ、道幅も充分で、快適かつ安全に歩くことができる。
振り返ると左に五重塔
池と逆の東側も斜面になっていて、下の土地は低い。そこには家が建ち並ぶ。
弘前駅方向が見渡せ、これまであまりなじみがない光景ではあるのだけど、その手前のお宅をのぞいてしまうようで、じっくり見るのは気が引ける。(だからベンチが西向きなのかな?)
北端の五叉路
遊歩道北端では、五叉路の横断歩道にうまく接続する。五叉路の先は相変わらず歩道がない狭い道だけど、遊歩道を通れば、五差路のいちばん危なそうな部分は避けられると思う。
新寺構側向きの指定方向外進行禁止標識はこんな形

五差路から振り返って南方向。右奥が池跡のグラウンドでがくんと低くなっている
北端と南端は、既存道路との接続部が緩い坂になっている。手すり付きのスロープも設けられていて、特に南端はぐるりと遠回りのスロープ(上のほうの写真参照)。大した勾配ではないように感じるけれど、必要とする人がより楽に利用できるための設備なんでしょう。

ところで、遊歩道ができる前、ここはどうなっていたっけ? 歩道はなかったと思うけど。
2013年5月撮影Googleストリートビュー
そうでした。竹垣で囲われた草地(?)だった。おそらく20年前で既に。
工事予定地として、市が確保していたのだろう。
それにしても、県道は路肩に電柱がでーんと立ちはだかっていて、気安く歩ける場所ではなかったのが分かる。

考えてみれば、堤として現役だった頃は、全幅がこんな感じだったのかな。(堤自体の幅=今の遊歩道+県道であって、全体の幅は往時と変わってないってことなんでしょうかね)
県道を造る時、どうして全幅を道路にしなかったんだろう。昔は家が建ってでもいたのだろうか。
江戸時代のことよりも、その後、現状になるまでの変遷に興味がある。


まあ、観光客も多い最勝院、弘前高校も近いので、歩行者・自転車の通行が多い道路だから、遊歩道ができたのは妥当。変化は時代の流れということでしょう。

気になるのは、冬の積雪期の除雪。坂だし、開けていて吹きさらしだし。
道路は青森県が除雪する。遊歩道は別に弘前市が除雪しているんだろうか。ロードヒーティングは制御盤が見当たらなかったから、ないと思う。それとも積もるに任せて実質冬季閉鎖?
雪に埋もれるのなら、ちょっともったいないし、県道部分だって歩行者空間は雪が残っていそう。冬だけは相変わらずのあまり通りたくない道のままかもしれない。


なお、2015年に土手町の中央弘前駅~蓬莱橋の間の土渕川沿いにできた歩行者用通路のことが思い浮かんだ。土渕川は、県と市の共同事業で、長さは新寺構と同じくらいか。新寺構のほうが、勾配が緩く幅が広くゆったりしている。【8日追記】新寺構の遊歩道は県道と並行するのだから、ここも県と共同でやれば、工事や管理が効率化できそうだけど、そう簡単な話でもないのでしょうね。
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弘南 生え抜きエアロミディ

2017-11-04 21:11:23 | 津軽のいろいろ
弘南バスでは、三菱ふそう製のバスをけっこうな台数保有している。
観光タイプ(貸切より高速用が多いかな)から、弘南バスならではの路線仕様のマイクロバス、さらに以前はどこで誰が使っていたか想像もつかないような、自家用バスを転用した中型路線バスまでさまざま。

近年、新車で導入される一般路線バスは、マイクロバスは三菱、中型は日野で固定されているため、「三菱ふそうの中型(=エアロミディ)の新車」は永らく導入されていない。
秋田の中央交通は、三菱とはそれほど親密な取り引きはなく、路線用は中古車が多い。新車では、2004年にエアロミディ2台を入れたのが最後だが、弘南バスはそれよりも前が最後だった。
9月に弘前で見かけた、弘南バス生え抜きのエアロミディを導入順に紹介。

今年正月にも紹介した、1993年製の2台のエアロミディは、9月時点でも元気に走っていた。
904
いずれも弘前営業所の「青森22か904(30501-2)」と「905(30502-2)」。
905
2台を比べると、バンパーや正面の外板は、905のほうがちょっときれい。車検は904が11月、905が12月まで。
フロントガラス下の「K KONAN BUS」ロゴも905のほうがきれいだけど、大きさは控えめ。というより(この2台以外も含めて全体的に見れば)904が特に大きい。
905には、向かって右のヘッドライトの上に、三菱マークと「FUSO」の小さいエンブレムがある。
一方、904には側面・前輪の上に小さい「MMC」エンブレムがある(正月の記事参照)が、905にはないようだ。
(再掲)904の狼森行き
運用は固定されておらず、相馬、大鰐・碇ヶ関などあちこちの路線で見かけるが、富田大通り経由狼森(おいのもり)行きにわりと入っている感じ。
ちなみに、弘前駅前10時45分発の狼森行きの車両は、その後同日16時00分発の狼森行きにも再度充当される運用。

904と905では、狼森行きの行き先表示(方向幕)の書体が違う。以前取り上げたように、弘南バスでは方向幕を大事に使い続けているが、書体は新旧2タイプある。(昔と最近とで書体が違うのは、全国的に見られる)
(再掲)
904は「弘前駅」も「狼森」も新しい書体。
905の「狼森」が古い書体だけど、「狼」のけものへんが丸っこくてなんかかわいい。かつての秋田市営バスの幕の書体に雰囲気は似ているが、市営バスのほうがやや太い感じ。市営バスに「狼」があったら、どんな文字だっただろうか。

弘南バスの方向幕は、自動停止でなく、裏(車内)の覗き窓から確認しながら、手動でスイッチを操作する方式。それなのに、904と905には、自動停止に使うセンサーらしきものが見える(幕右辺の小さい四角)。センサーがあるだけで使わない(使えない)のか。

ここで、1990年製の秋田市営バスのエアロミディ(現在は廃車)と比較。
秋田市営バスでは、エアロミディを大量に導入しており、中型バスでは最多勢力だった。
秋田市営バスの三菱車はエンブレム類が一切なかった(他社製ではあるものも)
なるほど。ウインカーの位置が違う。秋田市営バスはヘッドライトの脇で、弘南バスでは独立して上にある。
弘南バスでは日野レインボー、青森市営バスでもいすゞLVキュービックなどで同様の仕様があり、積雪時の視認性向上を狙ったもの(中古車や最近の車両などは標準のまま)。エアロミディでもそうだったとは、気付かなかった。


エアロミディは1993年9月にモデルチェンジされ、ヘッドライト周りやボディラインが少し変わった。上記2台はその直前の製造と考えられる。
1995年に導入したのが、先日の城東安原線の記事に登場した車。
弘前駅中央口-さくら野-弘前駅城東口という経路の福田線の運用
「10-47(30701-9)」と「10-48(30702-9)」の2台が、五所川原、青森を経て、今春から弘前市内の和徳車庫所属。一般路線のほか、城東環状100円バスに入ることもあるようだ。
行灯があり(今は埋められたが青森営業所時代は「弘南バス」と表示されていた)、寸詰まりで、非常口が昔のバスのように前寄りの中央部にあるといった、ちょっと変わった車で、てっきり自家用バスの中古車かと思っていたが、ナンバープレート、社番、座席の形状から判断すると、新車で購入したものであった。

ウインカーはヘッドライトの脇で標準仕様に変更。
ただ、この時期のエアロミディのヘッドライトとはデザインがちょっと違う(次項で紹介するのが標準ライトで、ロービームとハイビームがはっきりと分かり、ウインカーが外側に突き出ている)。おそらく、エアロバス・エアロクイーンなど観光バス用のライト。だから行灯があるのかもしれない。短尺車ではこのライトしか設定がなかったのかもしれないが、この点も自家用バスっぽさを醸し出す。

写真はないけれど、テールランプや後部ウインカーはリアウィンドウの直下に大型の四角いもの。普通サイズのエアロミディでは、このモデルチェンジの時に、位置が下げられバンパーの中に移ったのだが、短尺版は違うようだ。
リアウィンドウに三菱マークと「FUSO」表示。
行き先表示の設置方法も異なり、フロントガラスの中。これも自家用バスかと思いこんでいた一因
この福田線は、経由地が分数のような表示、行き先が「弘前駅/城東口」と2行に分けているのが独特。経由地の“分母”に「さくら野弘前店」と詰めて略さず表示するのが律儀。
この車にも、方向幕自動停止用のセンサーっぽいものがある。
座席は、布地が緑色に黒い縦線(昔の東北新幹線の色違いみたいだ)、背もたれ裏側がグレーのプラスチックでカバーされ、それと一体化した太いとってが上に突き出しているのは、2000年前後の日野レインボーと共通。これが自社発注と判断できた決め手。JR東日本の最近の普通電車並みの硬い座席なんだよね…【5日補足】三菱の座席には座ったことがないから分からないけれど、日野レインボーは硬い。
つり革は三角形のようだ。客席の側窓は引違い窓。


1998年。弘南バスとしては最後の新車エアロミディ導入。
「12-80(31002-2)」弘前営業所所属
「12-70(31002-3)」が五所川原営業所にいるらしい。【2018年6月3日訂正】初回アップ時の勘違いか入力ミスか、12-70は別の車種で既に廃車済み。五所川原のエアロミディは「12-71(31001-3)」だった。ナンバーが9番も飛んでいて、五所川原のほうに先に導入されているのがおもしろい。テレビで車内が映ったが、下記の通り1人掛けメインの硬い座席。運転席側後方に短い網棚があった。
再び、一般的なサイズの中型バス。ヘッドライト・ウインカーもやっと完全な標準スタイルになった。したがって、下の写真の秋田市営バスの同型車と差がなくなった。

1995年車と同じ硬い座席・三角つり革で、ツーステップ。側窓も以前と同じ上下2分割の上昇窓になったが、モデルチェンジで天地方向にやや拡大。
なぜか正面にロゴマークがなくてすっきりしている。その代わりか中央に小さい三菱マークがぽつんとあり、右ヘッドライト上に「FUSO」。中央交通の2004年車にも、三菱マークが同じ位置にある。
行き先表示は、「回送」は古い書体、自動停止のセンサーはなさそう。
(再掲)秋田市営バスが最後に導入した1995年度のエアロミディ
このモデルではカラードバンパーが標準(モデルチェンジ直後は黒バンパーだったのか、秋田市営バスの1993年度車では黒い)になったのか、秋田市営バスではバンパーが黒からグレーに変わり、従来と印象が変わった。
弘南バスではバンパーからヘッドライト部分までが銀色になった。ロゴマークがないのと合わせて、間延びした印象。
一方、秋田市営バスでは、ヘッドライト上に段差がついているのが目立ってやや不自然だったものだが、弘南バスでは色の境目であるため、段差は目立たない。
【2023年3月14日補足・写真の通り、弘南バスではバンパーは前後とも銀色。秋田市営バスでは前だけグレーで、後ろは黒いままだった。】
側窓の後ろ2つが幅が狭い。中ドアがない分の調整か
灯火が収納された後部バンパーは前部と同じ銀色、リアウィンドウ右下には三菱マークと「FUSO」。秋田市営バスでは後ろは黒いバンパーで、窓のロゴはなし。

1998年車は、弘前市内では1台だけということもあるのかもしれないが、同じ弘前営業所所属の904・905と比べて、印象が薄い。見たことはあるけれど、何線を走っているか連想できない。


弘南バスの新車エアロミディで現存するは、上記3世代・6台だけだろうか。どれも乗ったことはない。
1999年からは中型車の新車には、ワンステップ低床の日野レインボーを導入するようになり、それが現在まで続いている(昨年からノンステップに。2017年のマイナーチェンジ車も購入したとか)ことになる。
高速やマイクロといった、弘南バスにとって三菱ふそうでないといけない車種・用途もあって、エアロミディまで新車で買えないのかもしれないけれど、エアロミディの新車も見てみたい(秋田でも同じく)。

1年後の状況
※2018年には中古ながら路線仕様エアロミディが久々に導入
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兄弟だんご/紅屋カツ丼

2017-10-25 00:09:00 | 津軽のいろいろ
青森県内製造の食べ物2つ。
【28日カテゴリー変更】八戸は津軽地方ではありませんが、アップ時の「各地お土産・食べ物」カテゴリーから、「津軽のいろいろ」へ変更します。

8月に盛岡駅前のマックスバリュで福田パンを買った時、近くの和生菓子コーナーに、だんごが売られていた。
秋田なら、たけや製パン、ヤマザキもしくは岩手県の千葉恵食品の商品【25日追記・味はあんこ、しょうゆ(みたらし)、せいぜいずんだ程度】ってところだけど、製造元も味も見慣れないものもあった。
ごまがたっぷりかかった串だんご
山形では地元の餅を売っていたのと同様、餅文化の岩手ならではの地元商品かと思ったら…
【25日追記】おはぎなどでは黒いごまをまぶしたのはよく見かけるが、白いごまは全国的にはまずないと思う。餅文化の一関・平泉辺りでは、白ごまと餅の組み合わせはわりとあるはずで、その存在は知っていた。

青森県八戸市の「西川餅店」というところの商品。初めて聞く製造元だし、まさかどちらかと言えば餅の印象が薄い八戸から岩手へ来ているとは!
表示では商品名は「兄弟だんご・くるみ」。だんご3兄弟を意識したのか?
串1本につき、大きめのだんごが3つ刺さっている。やっぱりだんご3兄弟?
※20年弱前にだんご3兄弟がブームになった時、歌詞に合わせようと、それまで4連以上だっただんごの1つ1つを大きくして3連に変更した製造元がちらほらあり、「食べづらくなった」という声があったそうだ。
ごまダレみたいな見かけだけど甘いです
米粉は米国産だそうだけど、まずくはないし、何よりくるみのソース(?)がおいしい。秋田ではまず味わえない。
少なくとも弘前では売っているのは見たことがないけれど、青森県内でもどこかで買えるのかな。


9月、青森市の新青森駅近く・国道7号線青森西バイパス沿いのスーパー「カブセンター西青森店」へ立ち寄った。
カブセンターは青森市に本社がある「紅屋商事」が経営するもので、スーパーとしては「カブ」「ベニーマート」、ドラッグストア「スーパードラッグメガ」というブランドもある。弘前市内にも店があるし、スーパードラッグメガは秋田市内にも2店舗ある。

惣菜弁当コーナーで「チーフのオススメ」として特売(?)されていたものを見て、懐かしい気分になった。
とろとろ玉子の自家製上かつ丼
よくあるスーパーのカツ丼だけど、紅屋系列のカツ丼と思えばちょっとした思い出が。

大学生の頃、僕はたまにスーパーのカツ丼を食べるのが楽しみだった。
特に1年次の火曜日午前の苦手な英語の授業の後の空きコマに、解放感にひたりつつ、カツ丼を買って帰って食べていたものだ。【2018年4月19日補足・しかもこの後、たしか2コマ・昼休み・3コマの空き時間をはさんで、最後の5コマ目まで講義が入っており(4年間で、実習・実験を除く講義形式の授業が5コマにあったのは、1年の火曜だけだったはず)、英気を養って気合を入れる意味合いもあった。のかな?】
※コンビニのカツ丼は(特に当時は)ニセモノっぽいし、店で食べるのは好きじゃないし、スーパーのカツ丼がよかったのです。また、しょっちゅう食べるのじゃなく、たまに食べるのがいいのです。

大学隣のマルサン(後にマルエスを経て、現・Uマート弘大前店)のものをたまに食べ、ごくごくまれに中野にあるベニーマート松原店のものも食べていた。
そのベニーマートのカツ丼が、一般的なカツ丼とはちょっと違うような、なんとなくおいしいというか好みに合ったというか、なんとなく記憶に残っていた。頻繁に食べたいとか、わざわざ訪れてまた食べたいというほどでもないのだけど。そんな思い出だけど、思い出したので購入。
三つ葉が巨大

三つ葉を撤去
「新カツ丼」というシールが貼られているから、20年前と同じレシピじゃない可能性が高いし、そもそも20年前の味など覚えていない。
容器の雰囲気がなんとなく昔と似ているような気がしなくもないけれど、スーパーのカツ丼ってたいていこんな容器かも。(でもマルサンのは白い発泡スチロールだったはず)

味は、おいしいけどよくあるカツ丼といえばそうかもしれない。「焼津産かつおだし」とあり、それらしき味もしたけれど、わりとしょっぱい。
好きな味だけど、僕がイメージする標準的なカツ丼の味とは若干違うかも。ということは、20年前のベニーマートのカツ丼と同じような感想?
味の系統としては昔と変わってないのかな。

真実は分からないけれど、懐かしの味に再会できた。ということにしておきます。
紅屋のおはぎについて
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ヨーカドーから和徳小への道

2017-10-04 22:52:43 | 津軽のいろいろ
9月始めの弘前(7月末時点で既にほぼ同じだったので、その写真も混ざっています)。
弘前駅西側の北側では、区画整理(弘前駅前北地区土地区画整理事業)が行われている。※今年正月の模様
Googleマップに加筆。「プラザ」「プリンス」はホテル

イトーヨーカドー弘前店の北西角(上の地図で赤い★)では、これまで丁字路の突き当たりだった並木通りを北へ延長するように、新しい道路が造られていた(新規区間に街路樹はないので、厳密には「並木通りの延長」ではなさそう)。10月時点では、もう開通しているかも。【2018年3月開通となった。末尾の追記参照】
右がヨーカドー。先が工事中
7月末の時点で、交差点の信号機が新しくなっていた。このことからも、供用開始が近いことがうかがわれる。
これまでと同じ茶色ながら、横型のフラット型(低コスト仕様ではない模様)が、十字路対応で(つまり区画整理側にも増設)設置されていた。7月末時点で既に、区画整理側向きも点灯していた。
東西方向は、弘前公園側から駅前へ向かう側の青が長い時差式動作になっている。十字路になってもこのままだろうか。東西両方とも、右折矢印にしても良いのでは?【2018年6月に開通後の現地を確認したところ、矢印はなく時差式のままだった。】
左が工事区間
これまで突き当たりだった箇所で道路に変わる歩道跡には、もちろん横断歩道が設置され、歩行者信号機も新設されていたが、こちらはカバーがかかっていた。
視覚障害者信号(音響式)は、引き続き「通りゃんせ」「故郷の空」の模様。青森県はピヨピヨカッコーは導入しないのか。
歩車分離にして、歩行者が全方向へ横断できるようすれば便利そうではあるけれど、車両の通行も多く、渋滞しそうか。

さて、この交差点の新しい道路ができる箇所東側には、小さくて古びた「薬局」と呼びたくなりそうなドラッグストアがあった。秋田など東北各地でもおなじみの「スーパードラッグアサヒ」の弘前店。
本社が隣の板柳町にあり、弘前市内には他にも店舗があるのにここが「弘前店」を名乗っていたことからも、由緒ある店だったのだろう。(この記事中ほど)
そのスーパードラッグアサヒは、跡形もなくなっていた。

その代わりといってはなんですが、交差点の西、新しい道路を挟んで向かい側に、
ツルハドラッグができていた!
ツルハドラッグ弘前駅前店で、3月30日にオープンしていた。
駐車場がある標準的なサイズのツルハのようだけど、以前のスーパードラッグアサヒと比べると、巨大。
ちょっと下がってイトーヨーカドー前から。マルサンなどもなくなって岩木山がよく見える

工事中の道路は、道路としての形はできており、車止めはあるものの歩行者は通れた。(舗装が未完成で凹凸があったり、夜は暗そうだけど)
工事区間を進んで、南を振り返る
今まで見たことがないアングルのイトーヨーカドー。そして正面の並木通りは思ったより狭く見えた。

この道は、弘前プリンスホテルから西へ向かう、同じく区画整理でできた新しい道路とぶつかった所までが、現在の工事区間のようだ。
そこからさらに北へ進めば、和徳小学校前の既存の東西方向の通りへ突き当たる。この区間も道路予定地っぽい雰囲気ではあるが、まだ道路の形になっていない。

弘前市の資料を見ると、この和徳小寄りの未着工の部分は、「駅前北公園」を併設した「特殊街路(歩行者専用道路)」として計画されている。
区画整理完成後も、車はヨーカドーから和徳小前まで一直線に通り抜けられないことになる。
ちなみに、資料によれば道幅はヨーカドーから北へ付きたる道路は20メートル、プラザホテル【2018年3月29日訂正】プリンスホテルから西の道路は18メートル。


今回、和徳小の隣の弘前プラザホテルに、初めて宿泊した。運良く、8階の南向きの部屋だったので、区画整理エリアを見渡すことができた。
手前左が和徳小、左奥の白いのがプリンスホテル、その右が駅前の東横イン、新しいマンションなどをはさんで中央奥がヨーカドー

ヨーカドー方向を拡大

区画整理エリアと周辺の既存道路の接続部には、ヨーカドー前以外は信号機がなく、小学校の近くでもある。
周囲の既存の道は、歩道がない狭い道が多かった。特に北東一帯では、すごく狭い道なのに歩道橋があったり(2007年撤去)、児童が県知事へ要望して歩行者用アンダーパス「ゆみちゃん道路」が造られたり(現在は新しいみのりのトンネルに吸収)といった、歩行者環境の劣悪さを物語る構造物があった。
新しい道路が開通により、交通量にどのような変化が生じるのかは、よそ者には想像つかないけれど、充分注意して通行していただきたい。

それから、区画整理エリアでいちばん駅に近い、南東角のパチンコヨーデル跡のマンションも、すっかりできあがっていた。


【2018年3月29日追記】エリア内の道路(約480メートル)は、2018年3月28日14時に開通。
ヨーカドーから北進・丁字路で西進して代官町へ至るのが「都市計画道路3・3・6号駅前町取上線」、丁字路から東進して弘前プリンスホテルまでが「3・4・26 号駅前二丁目線」。歩道には融雪装置設置。

3月18日アップ弘前経済新聞によれば、
丁字路北の「駅前北公園」には、防災機能のほか、夏はねぷた小屋を設置、冬はスプリンクラーで消雪できる雪置き場(雪捨て場)になる。
また、近いうち(今春オープン予定と表記)には「ドラッグストア「メガ」」ができるそうだ。(メガドラッグは、青森市の紅屋商事の運営)

開通後の記事
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弘前公園2017.9

2017-10-03 20:18:58 | 津軽のいろいろ
ちょっと時が経ったけれど、9月上旬、青春18きっぷで弘前へ行った。
その時の弘前公園の弘前城の石垣工事について。天守を移動させて、その下の石垣を解体して組み直すもので、今年正月にはすべての石垣にナンバリングされており、春から解体作業が始まっているとのこと。
「石垣修理に伴う石垣の解体をしています」
現場の工事予定表によれば、この時は「掘削・石垣撤去・調査・運搬」の作業。他の建設工事同様、日曜だけがお休み。
天守があった当時の撮影スポット・下乗橋から
足場が組まれ、クレーン車や重機も入って、石垣の上のほうが崩されていた。

外側(三の丸【8日訂正】二の丸)から下乗橋に向かって右側には、
堀の上にせり出した見学用デッキ
下乗橋以外からは、桜の枝にさえぎられて工事現場があまり見えないから、これはおもしろい。もちろん入場無料(有料区域外)。
【8日追記】これまでに、お堀対岸の本丸側の天守の移動を見るためのデッキ、お堀を埋め立てた後を開放した「内濠ウォーク」が行われているが、それらとは別物で視点も違う。
下乗橋側からの一方通行

目の前で石垣工事中。右奥に移動した天守
ただ、あまりPRされていないせいか、気づかないのか、興味がないのか、ほとんどの観光客は素通りしてしまっていた。もったいない。
左を向けば下乗橋

石垣をまさに撤去している部分
石垣の下って、さらに同じような石があるのかなと漠然と思っていたけれど、どうも細かい石が詰まっているようだ。その石まで撤去して、斜面の地肌が出るまで作業しているということなんだろうか。
抜かりはないのだろうけど、これを石の1つ1つまで元通りに戻すというのだから、信じられない。

石垣工事についてはここまで。その他、弘前公園内いろいろ。
上の、下乗橋の撮影スポットで撮影するのに、若干待たされた。
花見シーズンならば、代わる代わる譲り合って記念撮影する人たちがいるものだけど、今回は、1つのグループがずっと突っ立っていた。写真を撮るでもない。
桜の枝が張り出しており、工事現場を眺められる箇所は、橋の上でも「点」に近い限られた部分だけ。そこに長時間“居座って”、何してるの?

見ると、ガイドが1名付いて、他の人は小さいゴーグルのようなものを装着し、動画やバーチャルリアリティー(VR)を見ているようだ。
調べると、「スマートグラスガイドツアー」なるものらしい。多言語に対応し、1回70分1000円、弘前市の外郭団体「一般財団法人弘前市みどりの協会」がやっているようだ。
下乗橋の上ではガイドが「3分(だったか5分)間の映像です」と言っていて、実際そのくらい滞在していた。見ている人たちは楽しそうだったけれど、傍(はた)から見ていると、なんだかな…と思わざるを得なかった。

VRは、何らかの制約や事情があって、弘前に来られない人に弘前公園を体感してもらうには、有意義だろう。
また、弘前を訪れた人に、春の桜の時期はこうですよ、天守が本来の位置あったらこうですよと、実感してもらうのも楽しいかもしれない。
だけど、他の観光客を押しのけて(待たせて)、少ない絶好の場所を独占してまで、やることだろうか。橋のたもとの人が少ない辺りでタブレットの画面でも見せれば済む話ではないでしょうか。あと、視聴中は立ち止まるのが原則のようだが、それでも、足を踏み外したり、他の観光客とぶつかったりしてトラブルになる恐れもないだろうか。
それでもどうしてもやるのなら、ガイドが「VR体験中・ご協力をお願いします」といったプラカードを持つとかしたほうがいいと思う(弘前市へ提案済み)。


2011年末の雪で倒れた「二の丸大枝垂れ」。全盛期には及ばないが、着実に茂っている。
左が大枝垂れ
その右に、新しい枝垂れ桜が植えられたようだ。
※大枝垂れの続きは2020年1月


場所変わって、二の丸と三の丸の間「杉の大橋」付近の三の丸側だったか。
ソメイヨシノのけっこう太い幹が切られていた

サルノコシカケ系のキノコがびっしり
カワラタケとか?


本丸から岩木山を眺める時、崖下にあるのが蓮池。そのほとりへ。
対岸上が本丸
水面を覆い尽くすほどびっしりとハスの葉が茂っていた。花はほぼ終わっていたが、盛りは見事だったことだろう。秋田市の千秋公園・大手門の堀にも負けないかもしれない。

※石垣工事の続きは、2018年6月のこの記事後半。
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川先線・小比内線 再編

2017-09-25 23:56:57 | 津軽のいろいろ
先日少し触れた、10月の弘前市のバス路線改変について。
9月6日、弘南バスのホームページに「『川先線』・『小比内線』の廃止について」と「『城東安原線』の運行開始について」という告知が掲載された。
9月30日で2路線を廃止、10月1日から1路線を新規運行するもの。

ちょうど1年前、秋田市では、泉山王環状線と堂ノ沢線を廃止して、泉八橋環状線に再編された。その実態は、これまでも本数がきわめて少なかった路線を統合して、さらに減便して1日1本にしたという、とても後ろ向きな路線再編であった。
弘前でも同じようなことになってしまったのかと思ったが、告知の中身を見ると、そうではなかった。ルートもダイヤも運賃も、新規需要開拓を意識した、なかなか前向きな路線再編に感じられる。もちろん、現行路線の利用者の中には、不便になって困ってしまう人が出てしまうかもしれないけれど。

Googleマップに今回の記事に関連した地名を加筆

まず、現行路線。
路線名の「川先(かわさき)」と「小比内(さんぴない)」は、いずれも弘前駅の南東にある地名。
僕は小比内は難読地名としてだいたいの位置も知っていたが、川先は名前しか知らなかった。どちらにしても土地勘はほとんどないエリア。

弘前駅南側で、奥羽線と並行していた弘南鉄道弘南線(黒石方面)が東方向へ大きくカーブして分岐していく。分岐付近に「弘前東高前」駅、分岐直後に「運動公園前(以前の訪問記)」駅がある。
その分岐点の線路に挟まれたところが川先、その東隣で弘南鉄道の線路の南北にまたがるのが小比内(線路北側だけだと思っていた)。

川先線と小比内線のバスは、たまに見かけることはあった。駅西側(中央口)の乗り場から「さくら野弘前店」行きとして、また駅行きは「下土手町」を経由する旨の行き先表示を目にしていたから、中央口~川先または小比内~さくら野という経路なんだろうな、そっち方面から弘駅駅に戻るのにわざわざ土手町を通るとは遠回りだな、程度に思っていた。

廃止の報に接し、ルートやダイヤを調べると、経路はもう少し複雑。弘前駅の反対側、城東口にも立ち寄っていた。※以下、バス停名はすべてではありません。
両路線とも、弘前駅中央口~小比内東口までは同じルート。
中央口4番乗り場を出て、バスターミナル前(路上)、上代官町までは富田大通り経由と同じ。上土手町へ左折し南進、豊田跨線橋の通りである中央分離帯付きの県道109号線へ。そこに、他路線とは別位置の「中央松森町」バス停。昔小僧寿しのあった辺り?
跨線橋は渡らず、すぐに右折し再び小さい道を南進。ユニバース南大町店の前を通り、左折、奥羽本線の踏切を渡って、弘南鉄道弘前東高前駅に突き当たる。
ここまでは現地の状況が思い浮かぶけれど、以後は未知の世界。

弘前東高前駅を右折して奥羽本線沿いに南進。東高校前を過ぎて、左折して線路から離れ、いよいよ川先・小比内地区。第五中学校の裏(?)を過ぎ、「大清水1丁目」でV字に折り返して北進。そこが「小比内東口」。五中の正面側へ来て、両路線が分岐。

川先線は、西寄りの道へ入り「第五中校前」「小比内四丁目」、弘南鉄道を踏切で越えて「小比内団地」「弘前年金事務所前」「城東2丁目」とほぼ一直線。
小比内線は1本東の道。こちらのほうが狭くてくねくねした古そうな道で、県道128号線。「第五中校前入口」弘南鉄道を踏切で越えて、「中央小比内」「豊田小学校前」、運動公園のほうに右折して、「武道館入口」「サンライフ前」、大きい道路へ左折して「運動公園入口(復路では外崎)」、北へ右折し「城東2丁目」。

と、城東2丁目からは再び両路線が同じ道。
弘前駅城東口2番乗り場に入る。以後は、城東環状100円バスと同じ長四郎公園などを通って、さくら野弘前店が終点。

さくら野発の復路は、城東口、川先/小比内を経て中央松森町の後、下土手町まで土手町を突っ切り、上元寺町、ホテルニューキャッスル前をぐるりと回って、ターミナル前(路上)、弘前駅中央口。
所要時間は、
中央口→城東口は川先線20分、小比内線23分。城東口→中央口は川先線30分、小比内線35分。城東口-さくら野は100円バスと同じく5分。


ダイヤは、川先線は4往復でうち2往復は土日祝運休。小比内線は3往復中1往復が土日祝運休。
川先線は、中央口発が10・13・16(土日運休)、18(土日運休)時台。さくら野発が9(土日運休)・11・15・18(土日運休)時台。
小比内線は、中央口発9・12(土日運休)・14時台、さくら野発10・13(土日運休)・17時台。

運賃は、両路線とも同じバス停間は同一料金。中央口からは、城東口まで190円、さくら野まで220円。城東口-さくら野は170円。
経由が違う区間を含むさくら野および城東口から川先西口までは、いずれも初乗り170円。
中央口からは、川先線は年金事務所、小比内線は運動公園入口まで、いずれも170円。


以上、現在の両路線は、途中経由地が少し違う(道路1本隔てた程度)程度、かつダイヤも同じような時間帯におおむね交互に運行されており、“兄弟路線”と呼べそうな関係。
秋田市で例えれば、牛島経由日赤病院線(旧・上北手線荒巻経由古野行き)の城南中学校経由と牛島小学校経由みたいな関係で、別の路線というよりも、同じ路線の別系統に位置づけることもできそう。

両路線の歴史はよく分からないが、2000年代の経緯はWikipediaに記述があった。
両路線とも現在の経路になったのは、2004年12月。弘前駅に城東口が新設された時。それ以前は城東口自体がなかったから、通らなかったほか、現在は「福田線」として別立てになっている路線と一体化したルートの「川先・新里線」「小比内・新里線」だったらしい。
その前は2003年4月。城東環状100円バス(当初は城東循環100円バス)の運行が始まった時のようで、それと同時に新里線と一体化されたようだ。一体化していたのは、わずか2年弱だったことになる。
それ以前は不明なので、憶測だが、川先線、小比内線としてそれぞれ駅(現・中央口)とさくら野(2002年以前は弘前ビブレ)を行き来していたのだろうか。
さらにさかのぼって1993年10月。土手町から移転して弘前ビブレがオープン。それ以前は、ここには大したものはなかったはず。それ以前の両路線がここまで来ていたとは考えにくく、延長されたと思われる。以前はどこが終点だったのだろう。【コメント欄でご指摘いただいたが、ビブレ近くには1998年まで弘南バス高崎営業所があったので、そこが終点だった可能性がある。また、当時は両路線を高崎営業所が担当していたはず】

運行開始時期も分からないが、小比内線のほうが昔からあるであろう県道を通り、「“中央”小比内」停留所があることからすれば、先に走っていたのかもしれない。
バス停名としてはむしろ川先線のほうが「小比内」を多く通るような印象すらあり、先に小比内線が存在しているので、やむなく川先線としたのかも。


この両路線、弘前駅を2度通るわけで、通しで乗る人はまずいないだろう。
この点は、秋田市の赤沼線(車庫-秋田駅西口-大学病院-秋田駅東口)と同様に、途中停留所から駅へ行く人にとっては乗車機会が倍増するわけだから、悪くはないと思う。

問題は、城東口-さくら野で、城東環状100円バスと競合していること。川先/小比内とさくら野の行き来は別として、駅とさくら野の往復では運賃でも本数でもかなわない。
もう1点、中央口へ向かう便は、土手町を遠回りするので時間がかかること。土手町が中心市街地であり、下土手町が一方通行の関係もあるとはいえ、イトーヨーカドーや中央口へ行きたい人はまどろっこしいだろう。

午前中に小比内から来たバスを城東口で見たところ、それなりの人が下車した。当然、乗る人はなく、ほぼ空車でさくら野へ向かっていた。さくら野から来た両路線もガラガラ。一方で、環状バスはたくさんの人が乗り降り。
城東口で行き違う和徳回りと大町回りの環状バス。ここでは一般路線は肩身が狭そう
なお、改正後も、「福田線」は初乗り170円で中央口から土手町を経由して、さくら野・城東口方面へ運行される。(こちらは中央口-さくら野-城東口という、秋田の赤沼線みたいな経路)

長ったらしい現状説明はここまで。ここで車両・行き先表示コレクション。
個人的には小比内線は小型の日野リエッセ、川先線は中型の日野レインボーという印象だったけれど、実際には、弘南バスの他路線同様、マイクロバスから特殊な(?)中型まで、さまざまな車両が運用され、その行き先表示もさまざまであった。確認できた限り、全便、和徳車庫が担当していた。
中央口行き川先線・日野レインボー。31205-9号車
川先線といえば、このタイプのイメージ。
正面の行き先表示は、昔から使っているのか「城東口」はない。
経由地が、秋田市営バスの「県庁 市役所」などのように青文字で上下2段に表示されているのは、弘南バスではやや珍しい。カッコ付きで、しかも分数のように線を引いてある【10月15日補足・岩手県交通(北上周辺?)では、分数式経由地表記が使われているようだ】のが特徴的。「下土手」と「町」を抜いている。あまり意味がない、系統番号(?)表示がないのも珍しい。
このタイプの車両では、金属団地経由桜ヶ丘線などでも「桔梗野/金属団地」とカッコ付き分数になっているはず。
弘南バスでは珍しく、側面の経由地表示も(看板式のサボでなく)幕式で、けっこう細かく書いてあったけど、見損ねた。

さくら野行き川先線・日野リエッセ
やはりリエッセも川先線で運用されていた。
よく分からない「87」番で「(川先)さくら野弘前店」。
「弘前店」までいらない気がするけれど、以前は「弘前ビブレ」と表示していたから、変更時にそのまま「弘前」も継承してしまったのだろう。

さくら野行き小比内線・三菱ローザ

折り返し中央口行き
マイクロバス・ローザの情報量が少ないLEDでは、「小比内・城東口経由 さくら野弘前店」「小比内・下土手経由 弘前駅」。

こんな小比内線も。
さくら野行き小比内線・三菱エアロミディ。30702-9号車
中型バスの寸詰まりサイズ。本荘や大曲のコミュニティバスで使っているものよりは少し長く見え、非常口が真ん中にある。
この車は、ナンバーが1番違いの10-47とともに、以前は青森営業所に配置されて、青森市から委託されたコミュニティバスなどに使われていた。さらにそれ以前は、五所川原営業所にいたらしい。
今年春に、2台とも弘前の和徳車庫に転属になったようで、城東環状100円バスや福田線(経由地が分数表示だった)にも入っていた。※この車の少し詳しい紹介や福田線の表示はこの記事にて。
(再掲)2015年春青森にて
かつては正面に紺色地に金文字で「弘南バス」と書かれた行灯(点灯するのかな?)があったのだけど、少なくともこの車は車体と同じ色で塗りつぶされてしまった。

正面行き先表示の構造や全体の雰囲気からして、元自家用バスの中古かと思っていた。
でも、ナンバープレート・社番や経歴、行灯があったことから判断し、また車内をのぞくと、弘南バスの同じ製造時期(1995年)の日野レインボーと似た硬そうな座席だったことから、弘南バス生え抜きの車のようだ。
側面の行き先も、方向幕が車体に埋めこまれたしっかりした造り。だけど現在は「弘南バス」表示固定で、リエッセなどと共通の板(サボ)をぶら下げていた。
小比内線のサボ。「城東口」はなし、「下土手町」は往復兼用だから表示できない
昔は手書きだったが、今はこのような赤い線にパソコンで印字した経由地を貼り付ける方式が主流。なぜか毛筆体。



では、新路線「城東安原線」。
ルートは、
さくら野-あらい眼科・小児科前-弘前駅城東口-外崎-弘前年金事務所前-川先南口-大清水1丁目-医療福祉大学前-運動公園駅前-健生病院前-大清水2丁目-マックスバリュ安原店
細かく見ると、さくら野-城東口の経路は、旧路線や城東環状100円バスとは一部異なる。
城東口を過ぎると、旧・小比内線を多少意識しつつも、どちらかと言えば旧・川先線のルート。
V字に折り返していた第五中~大清水1丁目は、途中で東から西へ道を変えつつ戻らずに進む。
大清水1丁目からは完全な新規区間。運動公園前駅前の「弘前オフィス・アルカディア(以前の記事)」を反時計回り(往復とも)に1周。
大清水方面へ戻って、奥羽本線の踏切を渡って、安原。踏切はこれまでバスは通っていなかったもので、渡る直前に、門外・大鰐・碇ヶ関方面のバスの道と交差する。

運賃は、100円・150円・200円の3段階(定期券・回数券使用不可)。さくら野・城東口-小比内方面・大清水2丁目までは150円。

ダイヤは、7時台~18時台にかけて、さくら野発8本、安原発7本。旧路線の合計と本数はほぼ同じながら、運行時間帯が朝早くに拡大される(その分、昼間は間隔が空く)。


第一印象として、弘前駅中央口も土手町も、というか弘前市の古くからの中心地をバッサリとカットしたのが、潔くて驚いた。
一方で、これまで路線バスがなかった弘南鉄道弘南線運動公園前駅のアルカディア方面、さらに、この方向からは路線がつながっていなかった奥羽本線の先の安原まで行くのは、斬新で驚いた。

上記の通り、土手町を回るのは効率が悪いし、今となっては利用者も多くはなかったのだろう。
また、告知では控えめに触れているだけだが、10月から津軽保健生活協同組合・健生病院がアルカディア内へ移転するため、それに合わせた路線開設ということのようだ。

それにしても、駅とアルカディアの単純路線ならともかく、さくら野と安原へつなげたのが、すごい発想のように感じられた。これまで、安原へは、中央口またはバスターミナルから、富田大通り/門外/取上経由の路線があったものの、弘前駅からこういう行き方もあったのか。
でも、地図を見れば、旧路線経路のすぐ東隣がアルカディアだし、アルカディアから1キロちょっとで安原だけど。

運賃が3段階で割安に設定されていることも驚いた。
まず、さくら野-城東口が100円になったので、城東環状100円バスとともに、この区間だけ乗車する人も増え、便利になるだろう。
そして、さくら野や城東口からアルカディアまでが150円。弘南鉄道弘南線では、弘前駅から運動公園前駅まで270円(弘前東高前までは210円)だから、かなり安い。
所要時間は電車4分・バス12分だから、バスでもいいだろう。30分~1時間ごとという本数の多さ以外では、電車に勝ち目はない。
ルーツは同じとはいえ、現在では関係性はほとんどない弘南鉄道と弘南バス。弘南バスからの挑戦といったところだろうか。
ちなみに、弘南鉄道大鰐線では、沿線の医療機関でハンコをもらって、帰りの電車賃が100円になるとかいうきっぷがある(市から補助でも出てるのか?)。そんなものを弘南線でも出すとか、対抗策に出るだろうか。
さらに、安原まで200円。中央口からの既存路線では280円。所要時間は既存路線より10分以上余計で30分ほどだけど、駅-安原でも新路線へシフトする客がいるかもしれない。
(再掲)弘前駅中央口発安原団地行き。藤代営業所~浜の町~富田大通り~安原の路線の派生系統扱いらしい
安原は弘前駅から南へ3キロ弱の住宅街。20年ほど前は、いとくがあるくらいで、路線バスもあまり通っていなかったような気がする。
現在は、いとくはアルカディアへ移転した(上記の通り遠くはない)ものの、マックスバリュとサンデー、しまむらなどができていて、バス路線も増えている。今は座頭石線や自衛隊行きが遠回りして経由しているけれど、昔は行っていなかったはず。


現在地の健生病院では、患者向け通院バスを自前で運行している。移転後はどうなるのか不明。
それは別としても、アルカディアには既に弘前脳卒中・リハビリテーションセンターや弘前医療福祉大学があり、それらの関係者は、弘南鉄道からシフトするなどしてバスを利用する人がいることだろう。
よそ者の感覚だけど、2時間に1本程度では少ないような予感もするし、少なくとも小型バスを使っていては積み残しが出そう。
新たな発想の新路線が、どうなっていくか興味がある。

秋田市では、なかなか旧来のバス路線網から脱却できないでいる。高齢者以外は何百円も運賃がかかるし。
面積が広くて一概に比べられないが、弘前のような発想の転換をすることはできないだろうか。
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土淵川で確認と発見

2017-08-31 23:56:23 | 津軽のいろいろ
毎回話が飛んで恐縮ですが、7月下旬の弘前の続き。
弘前市石川を後に、弘南鉄道大鰐線で弘前市街地へ。
6人ほどしか乗っていない電車は、懐かしい天井の扇風機と窓からの風が心地よかった(もっと気温が高い日ならばサウナだけど)。

終点中央弘前まで行かず、弘前学院大前(旧・西弘前)で下車。
弘前大学裏手の土淵川沿いを歩いて、2つのことを自分の目で確認したかったから。

この辺りに住む/住んでいた者にとっては、土淵川は身近な存在。川幅のわりに深い護岸で固められている区間が長いものの、独特の風景には懐かしさを覚える。
ただ、僕は北・下流側の土手町の蓬莱橋~弘高下駅付近は、川沿いを通ることがあったが、大学や家に近い桔梗野・西ヶ丘町付近は、ルート上遠回りになってしまうので通る機会が少なく、明確なイメージはなかった。

西弘前からすぐ、枡方交差点からまっすぐの県道130号線に架かる橋(昔サンクスがあったところ)は「弘盛橋」というらしい。
この橋を境に、上流側はリンゴ畑などが多い郊外の風景、下流側は住宅街を抜ける街の風景と趣が変わる。「子供の森自転車道」というのは、ここから上流側の右岸(線路・城南側)の道を指すのかな。

下流側へ。車は通れるが、通行量は少ない。
いかにも土淵川という光景
この辺りでは、思っていたより護岸が深くない。

確かめたかったことの1つは、キショウブ
2000年代中頃【2018年6月17日補足・1990年代後半との情報もあり】から、近くに住む高齢男性が、美化のために土淵川の弘盛橋から寒沢橋まで約1キロ【2018年6月3日訂正】約350メートルに、キショウブを植えているという。
陸奥新報では、2015年と2016年に報道され(2017年は、少なくともサイトには未掲載)、花の盛りには水面近くが一面黄色になった写真をツイッターなどに投稿する人もいた。

キショウブは、本来日本に自生しない外来の帰化植物。繁殖力も強く、既存の生態系に影響を及ぼす可能性があり、環境省が「総合対策外来種」の3つのうち上から2番目の「重点対策外来種」に指定している。
土淵川は護岸で固められ生態系といえるものもないかもしれないが、種や根が流れて、下流・合流先の岩木川、さらには十三湖や日本海にまで影響を与えてしまう恐れもある。少なくとも、河川という開かれた場所にキショウブをわざわざ植えるのは適切ではないと考える。
地元ではおおむね好意的に受け入れられているようで、よそ者が口を出すのもどうかとは思っていたのだが、気になっており、とりあえずは現地を見てみたかった。

花は終わっていたが、キショウブと分かる葉が繁茂していた。
元から中州状、あるいはわずかな岸辺に植えたようだけど、植える以前・僕が住んでいた頃はどうなっていたんだっけ? 雑草が生えていたのかな。
おひとりで植えたとすれば、相当な苦労だったのがしのばれる。(だからこそ、これほどまでになってから、やめろとは言いにくい)

確かめたかったこと2つ目。
「フェリースマンション」
この方向からは見覚えがない光景だけど、ピンク色の大きなアパート自体は印象にある。
そして、ここを、今年7月に放送されたNHK BSプレミアムの「にっぽん縦断こころ旅」一行が通った。
番組では、写真奥の下流側から来て、マンションの角を左折(写真奥を右方向)し、寒沢スキー場(坂)、踏切、弘前大学と進んだ。
マンション・曲がり角を通り過ぎてから振り返る
↑上の写真が、番組で流れたアングルであり、僕自身も見覚えがある光景。20年前と変わっていない(はず。たぶん)。

曲がった先の光景

中央部をトリミング。弘大生が通り、坂の上に理工学部2号館がそびえる
この光景もテレビで流れたけれど、僕はこの方向に歩いた記憶はほとんどない。
初めて通った場所でないけれど、ごくまれに、下流側から弘盛橋方向に川沿いを通ったということのようだ。

再び川沿いを下り、寒沢橋を過ぎる。
黄色い花はキショウブではなく、キク科植物
川沿いの光景も、川の雰囲気も、あまり変わらない。
ただ、川の中の植物は、キショウブがなくなり、黄色いキク類やガマ(写真手前に蒲の穂が出ている)などが雑多に繁茂している。
キショウブが植えられているのは寒沢橋までで間違いなかった。(キショウブが植えられる前は、上流側もこんな状態だったのだろうか)

また、見た限り、下流側ではキショウブは見当たらなかった。今のところは、植えられた区間より下流側へ大きな影響は出ていないということになろう。
とりあえず、土淵川での目的は達成して自己満足。
※この区間より少し下流側を以前記事にしています
翌2018年の開花期の状況


ところで、上のピンク色のアパートのところで、川沿いに看板が出ていた。注目。
カッパ
「川をきれいにしましょう」「美しい 心が育つ きれいな川で 青森県」とあり、イラストのカッパが持つ竿に「ゴミを すてないで!! 川は泣いています」。
カッパにはへそがあり、竿にはトンボがとまっていて、川の中では赤い生物が泣いている。
赤い生物
これって魚? 口の辺りが大きく開いて、なぜか白い。謎の生物。


別の場所には、
魚(小さいのはドジョウ?)
「川はみんなのものです。 ふるさとの川を守り 美しい川にしましょう。 青森県」
上のカプセル型の部分には何か書いてあったのが色あせたらしい。
カッパとは、書体や状態が異なるので、別のタイミングで設置されたことになろう。
【2020年5月3日追記】昔の書体(フォント)についての興味と知識が多少ついたので、補足。カッパの「川をきれいにしましょう」は道路の案内標識でおなじみの写研「ナール」。「青森県」もナールかもしれない。「美しい 心が育つ きれいな川で」は、おそらくモリサワの丸ゴシック体のどれか。昔のバスの行き先表示やテレビのテロップなどで使われていたものと同じか類似のフォントで、デジタル化はされていない。
魚は「川は~しましょう。」がナールで、「青森県」はモリサワか?(以上追記)


というか、この看板、見覚えがある。
ひどい状態ですが
秋田市の旭川にも設置されている。
旭川のものは、落書き(他の場所では破損も)されている上、土淵川の「青森県」の代わりに「秋田県」とあるものが消えている。
土淵川同様にカプセル型が色あせているが、うっすらと判読でき「川をきれいにしましょう」と土淵川のカッパと同じ文言。また、水と枠が青く塗られているが、土淵川では元からないのか色あせたのかない。
旭川の看板は、少なくとも30年ほど前、昭和末期には設置されていたと思う。魚の妙に明るい目が印象にある。

文章は土淵川が活字で、旭川は手書き。イラスト部分は、両者でまったく同一。
土淵川も旭川も、一級河川の支流であり、国から県に河川管理が委託されている。建設省(設置当時)が主導して、同デザインの看板を手配したのだろう。
※落書きだらけの看板からも分かるように、秋田県(組織としての秋田県庁という意味)の河川管理は、必要最低限のことしかやっていないようで、どうも心がこもっていない(道路管理もだけど)。豪雨が目立つ昨今、この調子では、どこかに抜かりがあって何か起きてしまわないかと、流域住民としては気がかり。青森県はいかがでしょうか。
【9月1日追記】各県共通で同じ看板にしてコストを削減したのかもしれないが、土淵川にしても旭川にしても、どうせなら川の名称を看板に記載(一級河川本流にある青い看板のように)すれば、意義や注目度が高まるだろう。また、管理者の連絡先も記載すれば、住民との関係が緊密になり、事故や不具合を未然に防ぐことができる場合もあると思う。
青森県も秋田県も、県庁の本庁に「河川砂防課」があるが、各河川を実際に管理するのは、地域ごとの出先機関に設けられたセクション。土淵川では「中南地域県民局地域整備部『河川砂防施設課』」、旭川では「秋田地域振興局建設部『保全・環境課』」というもので(たぶん)、一般県民にはとても分かりにくい。しかも、たまに組織再編で名前が変わったりするし。(以上追記)

なお、カッパの看板は旭川では見たことがないが、他の河川を含めて秋田にもどこかにあるのかもしれない。
また、ネットで調べると、宮城県にはカッパの看板があり、土淵川と文章は同じものの、イラストは同一ではない。
※岩手県では、昔旭川にはあったダム放流についての看板があった。

※岩手県には、このシリーズで別のイラストの看板もあった。この記事後半。
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石川の円筒分水

2017-08-27 23:53:58 | 津軽のいろいろ
間が空きましたが、7月下旬の弘前市石川地区の続き。
弘南鉄道大鰐線石川駅を基準にして南側の大仏公園西(弘前市街地)側のJR奥羽本線石川駅方面に続いて、線路を渡らない北~東・大鰐町方向を最後に紹介。

大鰐線石川駅から北へ進み、押しボタン信号のある所で県道260号線へ出て右へ。
石川公民館、「大仏餅」のお菓子屋さんを過ぎると、道がカーブし、また押しボタン信号、そこで平川に架かる橋を渡る。前の押しボタン信号から200メートルほど。

「御幸橋」と表示板が出ていた。旧羽州街道だけに、なにか由緒があるのだろうか。
新しくはなさそうな橋で、歩道は線路がある上流側のみ。
上流側のたもと。奥に弘南鉄道大鰐線、清掃工場(中央)、大仏公園(右)
ガードレール(柵かな)がリンゴのデザインなのは、青森県ではよく見かける。赤と緑が多いようで、黄色いのは珍しいかもしれないけど。
橋の出入口というか道路との境目の「親柱」に注目。この形は…
モチーフは2つ
全体として青森県の形になっている。さらに、中央の陸奥湾がリンゴの形になっている。

親柱は4か所とも、高さが低い津軽半島側を内側(道路側)にしており、橋の外から見て左側は鏡像の青森県。
そういえば、竣工年などの表示板が見当たらなかったが、親柱の外側に付いていたのかもしれない。【2024年6月28日追記・2024年6月26日アップの「弘前経済新聞」サイトで、この親柱を取り上げたX(旧ツイッター)の投稿が話題になっていると取り上げていた。それによれば「1983(昭和58)年度に完成」。デザインの経緯は分からないとのこと。】

青森県でなければできない親柱だ。他の橋にもあるだろうか。あるとすれば、市町村道では意味が薄そうだから、県道かな。


橋の対岸も家が多い。駅側よりは小規模な集落のようだが、市立石川小学校と市立石川中学校はこちら岸。
旧道である県道と国道7号線の交点、東北自動車道大鰐弘前ICもある。国道には道の駅ひろさきもあり、弘南鉄道石川駅からは徒歩圏内。道の駅の裏は平川市との市境で、日帰り温泉「花の湯」もある。なお、国道や東北道は石川地区では平川を渡らない。

御幸橋を渡ると、道は大きくカーブしていて、見通しが悪い。県道41号線と合流する箇所(41号線終点)もあって、そこに信号機のない横断歩道があり、横断するにはちょっと怖い。少し先には横断歩道橋もあった。
小学校、中学校とも、橋の歩道とは逆側に位置するので、駅側の集落から登下校する児童生徒は、必ず2度、県道を横断しないといけない。学校側にも信号機を設置するとか、将来的には橋の下流側にも歩道を設置したほうがいいかもしれない。

ここを歩くのは、以前道の駅に来た時に続いて2度目。今回は目的地は違うものの、とりあえず同ルート。
県道にしては狭く交通量が少ない41号線へ左折し、すぐに右の市道へ。「石川小学校はこっち」の案内看板に従えばいい。家の間にリンゴ畑も見えてくる。そこにバス停。
「石川学校前」
前回から登場している、弘前~大鰐~碇ヶ関の路線のバス停ではない。そちらはずっと県道260号線を走り、歩道橋のところに「石川中学校前」というバス停があるようだ。

こっちは、1日3往復だけの「弘前~平賀線(大坊経由)」という路線用。ポールは、弘南バスお得意の片側のみの設置。
この路線、地図や全バス停名を見ても、僕の弘前の地理感覚では理解できない、複雑なルート。バスターミナル~松森町角~取上~門外は大鰐方面と同経路だけど、その先がちんぷんかんぷん。石川学校前の次の次のバス停「薬師堂北口」が終点。いったん弘前市から平川市平賀へ出て、再び弘前市(石川)へ戻ってくるルートらしい。石川地区~弘前バスターミナルの運賃では、大坊経由のほうが100円も高い。【大坊経由の路線は2018年9月で廃止され、予約式乗り合いタクシーになった】

小も中も付かないバス停名「石川学校」は、今の感覚では違和感。ただ、秋田でも、郊外ではたまにある命名。
小学校と中学校を一体化したともとらえられるが、それよりも、戦後に石川中学校ができる以前から存在した石川小学校を指して、単に「石川学校」としていたのではないだろうか。戦前を知る人は、そんな呼び方をすることがあったものだ。

バス停の先に、石川小学校。そこそこの規模で、古めの弘前市立学校らしい校舎。道路沿いに、
「二宮尊徳先生之像」薪を3束も背負っていてだいぶ多いような…
二宮金次郎像は、秋田市の学校では見たことがないが、弘前市内ではちらほら設置されているらしい。
この記事中ほどで大成小学校の石像を紹介している。大成小のものは新しそうな石像だったが、こちらは台座も含めて歴史がありそう。
台座裏側を見ると、「昭和十七年十二月八日」「寄附者 金崎清作」と彫られていた。

小学校に用があるわけでもなく、さらに進む。
ラーメンがおいしいらしいマルヨ食堂があって、ガソリンスタンドの角が国道7号線との交差点。水路が集まっていて、水が勢いよく流れている。
茂みの向こうが目的地

ガードレール沿いに細い道に入った所にある

円筒分水!
秋田市外旭川のものを紹介したことがあった、農業用水を一定の比率で配分する設備。
10年ほど前、円筒分水の存在を初めて知ったNHKBS「熱中時間 忙中"趣味"あり」で取り上げられたのが、弘前市石川のこの円筒分水だった。
外旭川の円筒分水を見たはいいけれど、他のものも見てみたいし、なじみのある弘前、しかもアクセスは悪くないから、行ってみたくて、大仏公園とともに今回訪れたのだった。
ここは「庄司川幹線水路分水工」という名称だそうで、Googleマップにも登録されている。

※以下、円筒分水の素人の感想です。
テレビで見た時は、もっと田舎というか奥地にあるようにも見えた気がするが、国道とガソリンスタンドのすぐそばとは意外。円筒分水より道路のほうが少し高い位置にあり、見下ろせるのはおもしろい。
サイズとしては、外旭川のよりは大きく、直径が1.5倍くらいか?? でもテレビで見た時よりは小さく感じたような気もした。円筒分水全体としては、中規模といったところなんだろうか。

外旭川のとは構造が違う。輪が1層多く、2番目の輪から3番目の枠へ、水が滝のように流れ落ちている(外旭川のは、流れ落ちず、壁に穴が開いていた)。

田植え時期ほどではないものの水を多く必要とする時期だったはずで、盛大に水が分配されていた。
知識がないので、念願かなって来たはいいけれど、落ち着けば感想はこの程度。でも来てよかった。外旭川同様、冬の水が少ない時に見れば、構造がよく分かるかもしれない。

円筒分水の横に石碑があった

「顕彰碑」「水ぬるむ 庄司川原に佇みて 君の偉業を まのあたり見る」
農村部ではたまに見かける、人物の功績を称える顕彰碑。
「田中弘氏」を称えるもので、「弘前市長 福士文知」と「平賀町(現・平川市) 成田??」の連名。福士弘前市長は、1976~1992年の在職。平賀町は「町長」ではない。
裏面は見ないでしまったので、建立年は未確認だが、ネット上には1989年との情報が。円筒分水より後に建てられたということのようだ。
田中弘氏が何者か知らないけれど、1人でこれを作ったとすれば、たしかに功績は偉大だ。


大坊経由弘前行きのマイクロバスが通過
道路の食堂とガソリンスタンドの間から円筒分水を見ると、水門の手すりに何かある。上の写真オレンジ色矢印部分。
逆さまの色あせた看板が
「うわあああああ」「おちると死にます。」「石川小学校PTA」「ここではあそばない。」とある。
円筒分水愛好家には有名な警告看板。このくらいインパクトがあったほうがいいのかもしれないけど、この状態では…

このシリーズの警告看板は弘南鉄道大鰐線石川駅にもあり、鉄道愛好家にも知られていた。今回撮影した写真で確認すると、
こちらは健在
駅舎からホームへの構内踏切の横に、きれいな状態であった。
「線路やホームでふざけていると、最悪の場合、死にます。」だそう。
JR石川駅にはあったかな? JRの設置許可が下りなかったりして…


弘南鉄道大鰐線石川駅からは1キロ、道の駅ひろさきからは400メートルと、アクセスがいい円筒分水。外旭川のようにクマが出没することもないだろう。落ちないように注意の上、興味のあるかたはどうぞ。

弘前市街地の話題は後日また
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石川駅と石川駅

2017-08-07 23:55:00 | 津軽のいろいろ
大仏公園のある、弘前市石川の鉄道事情。
前回触れたとおり、石川地区はJR奥羽本線と弘南鉄道大鰐線、さらに県道260号線を弘南バスも通っている。合わせれば毎時2本は運行されているので、地方都市の郊外としては意外にも利便性は高いと言えるかもしれない。

このうち、「石川駅」は、JRと弘南鉄道それぞれの駅が異なる場所に存在する。石川駅は2つあることになる。
JR奥羽本線は大鰐温泉-石川-弘前、弘南鉄道大鰐線は(大鰐側)-石川プール前-石川-義塾高校前-(中央弘前側)と駅が並ぶ。石川プール前駅は、所在地は石川ではないようだが、市のプールの施設名からして石川が入っている。広義には石川に含まれるのだろう。JRの石川駅にいちばん近い弘南鉄道の駅は、義塾高校前駅。

大仏公園のほか、石川地区の中心部、道の駅ひろさき、円筒分水へ行くには、弘南鉄道の石川駅が近い。
今回も弘南鉄道の石川駅へ降り立ちたかったのだけど、大鰐での秋田方面のJRからの接続があまり良くなく、それならばとJRの石川駅で降りて歩くことにした。

秋田9時45分発大館行き普通列車は、大館から8分の待ち合わせで弘前行き普通列車に接続。弘前行きは「毎日運転の臨時列車」扱い。
大館行きは2両編成ワンマン運転で、大館1番線着。
弘前行きは2番線発で、それなりの乗客が跨線橋を渡って乗り継ぐ。こちらも2両編成ながら、車掌が乗務。

石川到着。私立東奥義塾高等学校の最寄り駅なので、夏休みに登校する/したであろう生徒が、何人か降り、それ以上が乗りこんだ。
JR石川駅ホーム。列車は後部側
石川駅はホームが3本。下り列車は駅舎と直接つながる1番線に入る。
駅舎・出口のある側は、住宅が並び、東奥義塾高校や弘南鉄道大鰐線がある。反対側は田んぼが広がる。

JR石川駅は、1916年に開業している。この区間の奥羽本線は1895年開通だから、少し後。1971年までは有人駅だったそうだ。(現在も、弘前から駅員が出張する場合があるかも)
1987年には、東奥義塾高校が近くに移転(それ以前は弘前公園向かいの現在観光館のところにあったそうだ)してきている。弘南鉄道の義塾高校前駅は、その時に開業。

この駅に降りたのは初めてのはずだけど、そうじゃない感覚にとらわれた。
これまで秋田と弘前の往復で何回も車窓から見ているし、この駅から大鰐温泉方向(長峰まで)は単線であるため、行き違い待ちで長く停まる場合もある。弘前の1つ隣の駅ということもあり、記憶に残っているのだろう。
でもやっぱり初めての駅。駅の外へ出られる通路を見つけたのだけど…
左に「ここは通路ではございません。駅舎をご通行ください。」
ここを通ってもまったく問題はなさそうなのに。おそらく、外側に車が停まっていれば危険なのと、きっぷ回収箱(場合によっては駅員の集札場所)がないというのが理由だろう。
正式な出口はそのちょっと先。
階段は跨線橋、右が駅舎
写真を撮り忘れたけれど、跨線橋は屋根付きの立派なもの(積雪地では標準的とも言える)。
駅舎を通って外へ出るには、連続した2つのドアを通るだけ。その間に別棟みたいな配置の待合室がある。
ホーム側の屋外にあるのが一般的な「きっぷ入箱」(回収箱)は、駅舎の中にあった。Wikipediaによれば自動券売機があることになっているが、見忘れた。あるとすれば、食券券売機風のものがここにありそう。
左のドアが駅の外、奥が待合室、ホームは右

JR石川駅外観
右側の建物がホームにつながる部分。左のコカ・コーラの自販機がある大きい建物が待合室と物置。
その向こう、マイクロバス(弘前市内のクリニックの送迎)との間が、さっき通行禁止だった部分。
駅舎内外とも、比較的最近、リニューアルされた雰囲気。いつ建てられたのかは不明。
なお、公衆電話あり。トイレはないとの掲示あり。

駅前には、それなりに人家があるものの、前の道路はほとんど車は通らない。それもそのはずで、この道の弘前方向はすぐに行き止まり。反対側は、
大鰐方向の道
行き止まりと反対の大鰐方向はちょっとした坂道で、途中で東奥義塾高校や弘南鉄道義塾高校前前駅への道が分岐する(というかそちらがメインの道で、JR石川駅の道のほうが分岐するのか)。JR石川駅と弘南鉄道義塾高校前駅を行き来するには、地図上で見るよりも遠そう。

【14日補足】駅前ががほんと広いことからすれば、もしかしたら昔は貨物を扱っていて、リンゴなどが運ばれていったのかもしれない(憶測で根拠はありません)。道路沿いには、新しい家に混じって、歴史がある立派な造りの家もあり、坂道とともに風景に独特なアクセントを与えている。


JR石川駅から弘南鉄道石川駅を目指して、大鰐方向へ歩く。
2つの石川駅は、直線で1キロ強離れている。JRのほうが北・弘前市街地寄り。
道のりでは、最短では1.5キロほどのルートがあるようだが、リンゴ畑の中の細い道などで分かりづらいかもしれない(冬なら除雪されないかも)。今回は、他の訪問場所の都合もあり、1.9キロと遠回りながら確実ないったん県道260号線へ出るルートを歩いた。

くねくねした道を歩くとすぐに、
左に踏切、上に高架
「石川踏切」でJR奥羽本線を渡る。線路はまだ駅構内という位置づけのようだ。
その先では、高架というか橋になっている弘南鉄道大鰐線が、奥羽本線をまたいでいる。
JR、弘南鉄道とも車窓からは何度も眺めている光景だが、道路から見たのは初めて。

踏切を越えると、平坦になりしばらくまっすぐ。
サークルKがある丁字路交差点で、県道260号線に出るので、右折。
奥が大鰐方向、右が踏切方向
県道は旧羽州街道。旧国道7号線でもあるのだろう。歩道がない道路に、お店、元お店、金融機関、駐在所などが立ち並び、石川地区の中心地だったことがしのばれる。裏には日帰り温泉もある。いくつかある弘南バスのバス停は、下り(碇ヶ関方面)側にしかポールが置かれていないようで、弘前方面へはその向かい側で適当にということだろう。

しばらく歩くと石川郵便局、「中央石川」バス停があり、その先に押しボタン式信号。そこを右折すれば、弘南鉄道石川駅。
振り返って奥がJR石川駅方向、左が弘南鉄道石川駅方向。バスがいる所が中央石川バス停
大仏公園への誘導表示はたくさんあるが、弘南鉄道石川駅はこっちという表示類はなかったはず。あってもいいだろうに。
曲がらずに県道を進むと、すぐに平川を渡る。こちらは後日。

曲がった道は、家が立ち並び、緩くカーブしていて先は見えないが、道なりに進み、弘前市石川児童館の先で右に大きくカーブして、
弘南鉄道石川駅到着
道は駅を回りこむように左へ曲がり、踏切を渡る。大仏公園へはその先を左折。

弘南鉄道石川駅舎
JR石川駅と比べると、大きくて多少立派な構え。でも、古く、見かけほど大きくもない。
窓口跡などもあり、かつては有人駅だったことが分かるが、現在は無人駅。こちらの石川駅も公衆電話あり・おそらくトイレなし。自販機はこちらはダイドー。
ホームは行き違い可能な島式1面2線。駅舎とは構内踏切を渡る。ワンマン運転なので、乗降ともいちばん前のドアから。
ホームから。構内踏切のすぐ隣が道路の踏切。その向こうはリンゴ畑

それにしても、弘南鉄道石川駅の駅舎は、正面側に台形を逆さにしたような壁状の飾りが付いている独特の形状。既視感があるのだけど、その理由はこれ。
弘南鉄道大鰐線弘高下駅
同じ路線によく似た構造の駅舎がもう1つ存在し、それを見慣れていたから。ただ、比較すると、台形の角度など細かな造りは異なる。

弘南鉄道大鰐線は、1952年に「弘前電気鉄道」として開業、1970年に弘南鉄道に譲渡されている。
石川駅も弘高下駅も1952年から存在するので、当時の駅舎が使われ続けているようだ。

「いしかわ」駅名標
大鰐線の駅ではたまに見られる、ホーローの駅名標も、弘前電気鉄道時代からのものだろう。
だけど、「  いしかわ」と上に2文字分の空白がある。うっすらと見えるが「しん」が消されている。

そう、弘南鉄道石川駅は、かつては「新石川」という駅名だったのだ。
1986年に新石川から石川に駅名が変更されている。同時に「弘南大鰐」駅も大鰐(当時は奥羽本線も大鰐駅)に変更されている。
奥羽本線の駅名に合わせたということなんだろうか。しかし、1991年には奥羽本線のほうが大鰐から大鰐温泉に改称されてしまい、再び駅名が違うことになった。
石川のほうも、奥羽本線の石川駅とは大きく離れているのだから、かえってややこしくなってしまったと思う。新石川を使いたくないのなら、「本石川」とか中央弘前駅やバス停にならって「中央石川」にしたほうがよかった気もする。
2008年の西弘前→弘前学院大前、城南→聖愛中高前の唐突な駅名変更もあったけれど、弘南鉄道は駅名をもっと大事というか慎重に考えるべきではないのだろうか。
【9日追記】弘南大鰐にしても新石川にしても、「弘南じゃない大鰐」「新じゃない石川」が存在することによる駅名であり、それは国鉄の駅。だから、国鉄の駅名ありきの駅名であることに嫌気が差したのか、あるいは国鉄と対等な立場なんだと主張したくて、駅名を変えたのかもなどと妄想。でも、大鰐駅については、弘前電気鉄道時代は「大鰐」だったのを、弘南鉄道が譲受時に「弘南大鰐」にしている。

駅舎正面のオレンジ色(だいぶ色あせた)の表示は、左端に「弘南鉄道」と小さく書いて「石」「川」「駅」となっている。弘高下には「弘南鉄道」はない。
おそらく、かつてはここに「新」があって、変更時に代わりに「弘南鉄道」としたのだろう。
【9日追記】コメントで指摘いただいたように、構内踏切の上の白い表示は、右側に1文字分を撤去したような痕跡がある。「新」を抜いて左に詰めた可能性がある。


自販機の裏、公衆電話の横には、
水飲み場?
ハチが飛んでいて近寄れなかったので、水が出るのかは不明だが、水飲み場らしきものが。蛇口は回転しなくて水は飲みづらそう。手洗い場とか流しかな?
蒸気機関車が走っていた駅では、すすで汚れた顔を洗う流しがホームに並んでいたそうだけど、ここでは単なる衛生面での設置か。
裏面
だいぶ欠けたりはがれたりしてはいるものの、タイルがランダムにはめられたレトロな雰囲気。

これとよく似たものが、弘前と黒石を結ぶ弘南鉄道弘南線の運動公園前駅にもあった。
(再掲)運動公園前駅の流し
全体の破損が激しく、蛇口が回せなくなっているが、タイルの色が違うだけでそっくり。

弘南線は、弘前電気鉄道とは無関係な元からの弘南鉄道の路線であるし、運動公園前は1977年開業。
石川駅の流しは、駅開業時からあったのかと思ってしまうが、ということは昭和50年前後に弘南鉄道によって設置されたのだろうか。

石川の町の話題はいずれまた

【14日補足】2つの石川駅を徒歩移動する場合、少なくとも県道経由では目立った危険はなさそう。ただし、歩道がなく一部カーブもあるので、車に注意することと、特に夜間は安全・防犯面の注意は必要。
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大仏公園のアジサイ

2017-08-03 00:26:21 | 津軽のいろいろ
かなり久々に青春18きっぷを購入。まずは弘前へ日帰り。
大した目的はない旅だったけれど、以前からちょっと行きたかった季節限定の場所へ。

それは弘前市石川「大仏公園」のアジサイ。大仏は「だいぶつ」でいいんだよね。
JR奥羽本線や弘南鉄道大鰐線に乗って、大鰐と弘前を行き来すると、車窓にゴミ処理場(南部清掃工場)の四角い煙突が見える。その近くの丘。
戦国時代に南部氏が城を築いたが、津軽氏によって落城。現在は公園になっていて、桜とアジサイの隠れた名所になっている。城の名前としては「石川城」や「大渕ヶ鼻城」。
公園の東を平川が流れ、北を弘南鉄道大鰐線と県道260号線と国道7号線、南を奥羽本線が走っている。

何年か前、なぜか秋に訪れたことがあったから、土地勘はあった。
公共交通機関でのアクセスは比較的良好。いちばん近いのは弘南鉄道の「石川」駅、次が県道を通る弘南バス(弘前バスターミナル・弘前駅~)大鰐・碇ヶ関線の「中央石川」バス停(かな?)。
奥羽本線の「石川」駅は、弘南鉄道石川駅とはぜんぜん別の場所(「義塾高校前」駅の近く)だけど、歩けないことはない。今回は列車時間の都合上、JR石川駅から歩いた。この辺りは後日また

県道や弘南鉄道石川駅からは、地元の方々が設置したのか「大仏公園はこっち」の看板が要所要所にあり、迷うことはなさそう。駅舎内にも地図が出ていた。
弘南鉄道石川駅近く。奥左右は奥羽本線
上の写真では、弘前市が設置したと思われる道標も設置されているが、距離は「0.8km」となっている。もうちょっと近いと思うけど…
踏切を渡って道路が少し回り込んでいてやや遠回りだけど、弘南鉄道石川駅からは500メートルほど。
途中に昔はなかった駐車場が増設されていた。
「大渕ヶ鼻城跡」の標柱。すでにアジサイがちらほら
入口はいくつかあるが、駅から近いのがこの北側。
右には「津軽遺産」という札がかかった大木。詳細は不明。たぶんカツラの木。

公園内に入るとグラウンドのような広場があって、奥に丘。

丘を見ると、ふもとから上のほうまで青いものが点々と。なるほど、丘の部分にアジサイが咲いているのか。
丘の東(上の写真では左方)に「展望広場」という一角があるが、そこにはアジサイはあまりなかった。展望広場からの眺め。
田んぼとリンゴ畑の中に清掃工場、平川、奥羽本線。この左には弘南鉄道も見える
南~西には「石川三十三観音」として石仏が点在していて、そこにはたくさんのアジサイ。
斜面部分には何本もの小径があり、そのほとんどにアジサイが植えられている。
青い花が多い

ピンクの花も。ここは坂がきつかった

ガクアジサイもところどころ

白くて大きい装飾花が涼しげ。秋田市の千秋公園にもこのタイプがある

階段をふさぐかのようにアジサイ
坂が急だったり、アジサイがうっそうと茂る箇所もあった(花粉や虫が飛んでいたり)ので、散策には多少の覚悟はいるかも。
蒸し暑い中、暑さをしばし忘れさせてくれるアジサイの花々だった。あくまで「忘れた」のであって、実際には坂の上り下りで汗びっしょりだったのですが。

大仏公園のアジサイは約2500本とのこと。これから木がもっと大きくなれば、より見応えが出るかもしれない。
公園内が、自然を活かしつつもしっかりときれいに手入れされていたのにも、好感が持てた。
旅行客が、例えば弘前城よりも優先して訪れるべきほどの場所ではないけれど、これほどアジサイが見られる場所は多くない。僕はアジサイが好きだから、行ってよかった。

7月中は「大仏公園あじさいまつり」が開催され、7月9日にはコンサートなどベントも実施された。(それ以外の日は俳句募集とクイズ程度)
8月に入ってもしばらくは見頃が続きそう。小一時間あれば、園内をひと通り見られる。ちなみに公園内には水飲み場はあるものの自動販売機はない模様。弘南鉄道石川駅にはあった。

【5日追記】大仏公園の中では、アブラゼミが鳴いていた。セミはその土地ごとにすみ分けた種がいるそうで、秋田市街地はアブラゼミ、大仏公園と似た雰囲気である千秋公園の中では、ヒグラシとアブラゼミが共演。弘前市街地がどうなのかは分からない。


ところで、斜面途中を横に伸びる道を歩いていたら、アジサイの中に…
フタされた横穴!
「ナニコレ珍百景」でも取り上げられていたが、ここから弘前城へつながる秘密の抜け穴があるという伝説があるそう(穴自体は実在する)。ひょっとしてこれのこと?!
あるいは防空壕の跡か何か?!(秋田市の千秋公園にはこんな感じの防空壕跡があったはず。現在は埋められた)


大仏公園下の奥羽本線近くには「大仏院」という小さなお寺や、少し離れた高いところに「文学の丘」なるものもあるそうだが、詳細は不明。
それらと反対側の国道添いには「道の駅ひろさき」や円筒分水もある。石川地区はなかなか見どころがある場所かもしれない。※後日続きます
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こころ旅であの場所が!

2017-07-16 00:14:58 | 津軽のいろいろ
火野正平が、視聴者から寄せられた「こころの風景」を自転車で訪れるNHK BSプレミアムの「にっぽん縦断こころ旅」。
高知から北海道へ向かう2017年春の旅も終盤。7月10日の週は、放送開始7年目にして7度目の青森県。

月曜日の朝には、採用一歩手前だった手紙数通が、現地の写真とともに簡単に紹介される。
その1つは、弘前市の「新坂(しんさか)」の思い出だった。弘前公園南西の藤田記念庭園前から岩木川方向へ下る坂。坂の存在は知っているけれど、そういう名前だとは、聞いたことがあるようなないような。
このような大きな坂が、弘前の代表的な風景の1つ。ブラタモリではそこに触れなかったのが、意外で残念。

本編4回の初日(654日目)火曜日は、鰺ヶ沢のスキー場から、雨の中、坂を下って港まで。

そして水曜日は、弘前市(旧・相馬村)のそうまロマントピアスキー場から、平川市長田村下(旧・尾上町?)まで約17キロ。
弘前市中央部を西から東へ抜けるルートととなるはずだから、弘前公園周辺でも通るかと思ったら…

※この番組は、目的地到着前までを14分にした「朝版」と、出発から到着まで29分の「とうちゃこ版」からなり、両者で編集が異なる(=朝版は単なる短縮版ではない)。例えば食事の風景や途中で出会った人とのやりとりなど、朝版では放送されたのに、とうちゃこ版ではカットされたり、あるいはその逆の場合もある。以下、その旨を表記します。

この日は、「今日は監督(=あらかじめルートを知っている担当ディレクター)さんが、心が折れる(=上り坂)のが2つある」とあらかじめ言っていたそうで、1つ目は出発間もないであろうリンゴ畑の近く。

その後、家が立ち並ぶところを走るシーンに変わる。
【朝版のみ】右側に深く掘られた狭い川、ピンク色のアパート(フェリースマンション)を左に曲がると、
【朝版・とうちゃこ版とも】道の先に急な坂。その奥に11階建てのビル。
(再掲)こんな場所 ※路面のカラー舗装や右の看板など、現在とは異なります
見覚えのある光景だ!(と言いつつ、このルートで通ったことはほとんどないのだけど…)
弘前市の寒沢町(坂に向かって道路より左側)・西ケ丘町である。
川は土淵川、ビルは弘前大学理工学部2号館。そして2つ目の難所である坂が、寒沢スキー場
※この辺りを放送後に訪れた

「あんなの大したことない」
坂の上には弘南鉄道大鰐線の踏切があり、「止まれ」と路面標示がある。
「『止まれ』って書いてあるでしょ。心配しなくても止まりますよね」
「ちょっとがんばって行ったろ。短いよこりゃ」「ほら。こんな簡単や」
と、一気に上りきったものの力尽きたのか、乗ったまま再スタートして平坦な踏切を渡ることはできず。降りて押して歩く。「疲れた」
スタッフに「あそこで止まれは酷ですよね。踏切だからしょうがないんだけど」と言われる。
【2018年1月6日追記】この踏切は「西ヶ丘踏切」という名称らしい。現地に表示はないが、2017年末に高齢者の事故があり、その報道で判明。

そういえば道路交通法では、自転車も含めて踏切の手前で停止して安全を確認しなければならないのに、ここはご丁寧に「止まれ」の路面標示があるのか。
残念ながら、弘前周辺では、踏切で止まらずに渡る車が少なくないように感じている。自分の命ばかりか、他人の命、さらには多額の賠償を請求されることもあるのだから、必ず安全確認してほしいし、青森県警察本部や各鉄道会社等は、徹底した周知・指導・取り締まりをするべきだと思う。
信号機のない横断歩道での歩行者保護の不徹底については、秋田も青森も同じくらいだけど、秋田では踏切はほぼ必ず止まっている。

「寒沢スキー場」の名や冬は大変そうといった話は出なかった。
その先を右折すればバカヤローカーブだが、直進。
弘前大学文京町地区(先日紹介したばかり)を東西に貫き、文京町1番地(左側・正門のあるほう)と3番地を分ける市道を進む。

【とうちゃこ版のみ】
「あ、弘大だ。ここ来たじょ、前」「校歌を屋上で聞いたなあ。学食でメシも食ったな」
2011年(だから最初の年か。まだ見ていなかった頃)のこの番組で訪れており、正しくは校歌でなく「寮歌」だそう。
「じゃあ、みんなあの頃いた人は卒業しちゃって」「懐かしいな。といっても決して俺の学校じゃないんだけど」
と話しながら、ほぼノーカットで、富田大通りに出る直前まで放映された。
「へえ。学校の真ん中通った」
弘大を再び訪れるべく、このルートを選んだのだろうか。

先日触れた、理工学部の5階建て部分も映った。リニューアル後の姿を意識して見たのは初めてだったが、他の建物よりグレーの部分が多いデザインになっていた。
相変わらず路上喫煙する大学関係者がいて、恥ずかしいことにその姿も放映されてしまった。
以前の繰り返しで恐縮だが、受動喫煙防止とか言うけれど、これでは学内がいくらクリーンになっても、通行人(大学関係者のみならず一般市民)は受動喫煙しても構わないことになっている。
古くからここにキャンパスを構え、地域と共生する弘前大学がこれでいいのか。ここの場合、教職員も学生も多数通って、路上喫煙の実態を知っているはずなのに、誰一人、問題提起しないのだろうか。世界的な流れや厚生労働省が決めたことでもあるけれど、弘前大学の対応はやっつけ仕事だ。
全面禁煙を撤回し、敷地内に喫煙所を設けた秋田大学のほうが、逆行しているものの、ずっとよく考えた現実的な対応だ。


【朝版・とうちゃこ版とも】
「松森町角」バス停。前のシーンから1キロ弱、富田町。道路の通称はないと思うが、奥羽本線(ユニバースの踏切)、弘南鉄道弘南線・弘前東高前駅までまっすぐの道。
「この通り沿いでごはんを考えましょうか」とディレクターに言われ、すぐ先が「取上」交差点。
その角の「つがるひろさき食堂」というラーメン屋に入って冷やし中華を食べる。
たしか以前、サークルKだった建物。ストリートビューによれば、2015年8月時点では、似ているけれど別の名前のラーメン屋だった。

【とうちゃこ版のみ】
居合わせた客(冷やし中華を食べていた)に、「みそカレー牛乳バターコーンラーメン」を勧められ、スタッフたちが食べる。好評。

【朝版のみ】
食後、店の向かい側の建物を見つけ、「この店ちょっと古いな」。
「農業用具 高木商店」で昭和4(1929)年築とのこと。
店の奥様と記念撮影。最初、スマホが動画モードになっていて、撮り直す。

高木商店は、例によって名前は知らなかったけれど、存在は知っていた。この土手町に至る南北方向の青森県道260号線は旧羽州街道で、こんな雰囲気の店がちらほらある。
20年前から古くて風格のある建物だと思っていたけれど、今もほぼ変わらない姿のようだ。でも、思っていたより新しい。てっきり明治時代かと…

あと、取上交差点では、信号機が樹脂製縦型からフラット型横型に更新(東西方向は両面設置から片面に削減。歩行者用も樹脂から薄型に。2014~2015年更新のようだ)されていたり、ストリートビューで見たら、ラーメン屋の斜め向かいの薬局はやめていたりといった変化。


前半2回は、岩木山が眺められる場所だったが、いずれも天気が悪くてほとんど見えず。
正平さんも岩木山は好きだそうだが、この番組では過去も含めて、岩木山がきれいに見えたことは少ない。
寒沢スキー場でも、条件がいい日に振り返れば、きれいに岩木山が見えるのに。
(再掲)これだけでも、こころの風景になりそう


後半2回も、平内町(浅虫ダム展望台出発)と外ヶ浜町平舘と、いずれも津軽エリアだった。
外ヶ浜へは、青森駅そばの青い海公園で手紙を読んでから、津軽線で蟹田まで輪行。
乗車したのは701系3両編成の普通電車。この津軽線での踏切事故によりN5編成の先頭車が破損したため、代替として2両編成のN19【16日訂正】N29編成の中間に、N5編成から外した1両をつないで3両にした(この記事参照)、因縁の(?)編成に当たった。
この車両に乗った経験はないが、朝版の映像(元2両だった先頭車に乗車)によれば、ウワサ通り、3両編成では使わないワンマン運転用運賃箱はそのまま残され、2両編成時代は鳴っていたドアの開閉予告チャイムは、他の3両編成に合わせて鳴らないようにされていた。したがってドアが開くタイミングは、本来の3両編成と同じ。【16日追記】液晶式運賃表示器もそのまま。3両化時点では旧タイプだったドアボタンは新タイプに更新されていた。
また、運転席周辺にやたらと乗務員がいたが、公式ブログによれば「運転手さんの試験が行われていました。」とのこと。写真では運転士以外に5人写っている。
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弘前でブラタモリ

2017-07-10 00:09:01 | 津軽のいろいろ
8日放送のNHK「ブラタモリ」は、弘前が舞台。
2015年春から東京以外も取り上げるようになって78回目。

「サムライがつくった 弘前の宝とは!?」として、弘前城天守、石垣工事、禅林街、町に残る古い町名と坂道、リンゴ剪定鋏の鍛冶、リンゴの剪定技術とその桜への応用、といった流れ。
お城とさくらとりんごの街として、ひと通りは押さえていた感じかな。


以下のことを、今回新たに知った。
禅林街が出城としての機能も持っていたこと。
秋田市の寺町も、城を防衛する役目があったそうだけど、なるほど、禅林街はがけの上にあって地形的にも有利だ。


古い地図に記されていた、緩い坂の場所が分からなかった。道の奥にイトーヨーカドーが見えたので、鍛冶町のどこかかなと思ったが、ちょっと違いそう。
公式ホームページで場所が紹介されており、弘前郵便局の向かいというか、北大通りの裏だそうだ。あの一帯はほとんど通ったことがない。

弘前市内には、寒沢スキー場とかもっとダイナミックな坂が多い。
坂好きのタモリさんなら、そちらのほうが喜びそうな気もするけれど、それは坂の素人の考えでしょうか…


明治時代にリンゴ栽培を普及させ、弘前城址に最初に桜を植えた(関連記事)、元津軽藩士・菊池楯衛(きくちたてえ)が紹介されていた。その写真は初めて見たかもしれない。
その孫の卓郎先生が、奇しくも弘前大学農学部(当時)でリンゴの研究をされていたことには、触れていなかった。


いちばん意外だったのは、冒頭。
説明役の弘前市立博物館の人が、津軽の気質として挙げた3つのうちの1つ。
3つとは、えふりこぎ(いいかっこしい)、もつけ(お調子者)、じょっぱり(頑固)。※いずれも番組の字幕の表記。

じょっぱりはよく知られている。もつけもそれなりに(津軽全体の気質とはちょっと違うような…)。
でも、えふりこぎが津軽の気質だとは初めて知った。そもそも津軽弁の語彙にあることも初めて知った。
番組では、弘前城の天守が裏表で見かけが違う(表側だけ立派)のは、えふりこぎによるものだとしていた。

個人的には、えふりこぎ(いいふりこき)と言えば秋田でしょ。
津軽でもいいふりこきなのかもしれないけれど、秋田のほうがいいふりこきの度合いはずっと強い。

弘前に引っ越した当初、驚いたことが、高校生とか大学生といった若者でも、一人称として津軽弁の「わ」を多用し、英文さえも津軽弁のようなイントネーションで読んでいたこと。つまり、地元の方言へのコンプレックスが薄く、堂々と使っているように感じた。
また、高校生や大学教授でも、雪が積もれば長靴をはいて、街中や学内を歩く人がちらほらいたのにも驚いた。

秋田だったら、家族【10日補足・あるいは気心が知れた知人】以外には意識して方言を使わない人が多い(でも端々で方言が出てしまうし、どんなにがんばっても全体的に共通語とはちょっと違うけど)し、真冬でもコートを着ない男子高校生なんてのもいる。
秋田のほうがずっといいふりこきじゃないだろうか。


古い町名をさっさと住居表示によりなくしてしまった秋田(これは全国的に多いけど)に対し、番組でも取り上げたように古い町名を使い続ける弘前。
残すべき意義がありそうな古い建物でもためらいなくぶっ壊してしまう秋田に対し、古い建物を大切に保存する弘前。
これらも秋田はいいふりこき、津軽はじょっぱりという気質を示しているのではないだろうか。
【10日補足】どちらが良い/悪いと決めつけるつもりはありません。番組内で、津軽とえふりこぎが結び付けられていたことについて、違和感を禁じ得なかったということです。

【13日追記】放送当日は弘前市土手町で「弘前バル街」が開催されており、そこでパブリックビューイングが行われた。
ネット上では、他の回のような地形についての掘り下げが足りなく、表面的な内容に終始したといった感想があった。なんとなく同意できる。弘前はもっともっと興味深いものが多い街なのに、それを紹介しきれていなかった。他の土地では2週連続で同じ街が取り上げられることも多いのに、弘前は1回で終わってしまったのも原因かもしれない。

【16日追記】番組の最後では「お礼肥(おれいごえ)」として、花が散った桜の根本に肥料を施す作業を、実際に体験しながら紹介していた。番組の取り上げ方では、「お礼肥」という名前や作業自体が弘前独特のものだと誤解してしまった人がいたかもしれない。実際には、園芸・ガーデニングの世界ではよく行われており、名前も知られている。(以上追記)

今週は、BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」で青森が放送される
コメント (10)
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少し昔の弘前大学

2017-07-03 23:44:24 | 津軽のいろいろ
15年ほど前の弘前の写真シリーズ。※前回の記事
3回にわたる最後は、弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)。

まず、今年の正月にも取り上げた、正門周辺。
富田大通りに面した門柱や塀は、現在は赤茶色の凹凸のある石垣(?)風デザインだが、2000年代前半までは、グレーだった。
また、正門を入って右にある、大学の本部機能を持つ「事務局庁舎」は、2016年にリニューアルされて外観が変わった。以前は緑色っぽかった。
2001年10月
以前のグレーの門は、大きな石のタイル風のものだった。
現在よりも、そして記憶にあるよりも、少し背が低い感じ。しかも門柱はなく、門というよりただの「塀」。
2005年7月。門が現在と同じになり、路面もブロック敷きに

分かりにくいが、奥の事務局は、外壁の色のほかリニューアル後に塔時計が設置された出っ張り部分がないなど形状も現在と異なり、ほぼ箱型の建物。
庁舎は昭和47(1972)年築とのこと。


正門を入って、総合教育棟(旧・教養部)と附属図書館の間を左折すると広い通路。大学会館や教育学部以外の各学部といった主要施設に面したメインストリート。
2005年7月。現在とほぼ同じ光景のはず
上の写真左側の建物は、手前から総合教育棟と棟続きで人文学部。市道をはさんで、奥に少し飛び出た2つの低い建物が理工学部、その奥の11階建てが理工学部2号館、さらに奥の低いのが農学生命科学部。
現在は、建物の外観が統一され、ブロック敷きのきれいな広々とした道。
以前を知る者がこれを見ると、全体に面影はあるけれど、かなり変わったなという感慨になる。
2003年2月。上の写真とほぼ同じアングル
2003年時点では、奥の方の2学部は、既に建物の外観が改修され、新校舎と統一。
一方、手前はごく一部は新しくなっているが、大部分は未改修。

そして、現状しか知らない人は驚くと思うが、通路に自転車がずらりと並んでいる。現在、こんなことをしたら、不法駐輪として撤去されることだろう。
校舎側に屋根付き駐輪場があるように、当時はこれで問題なかった。右の屋根のない部分にも置かれているし、中央部の斜線の白線が引かれている場所に置くこともできた。
この時は雪が残っているから台数は少ないほうで、春~秋の一般教養の講義がある日は、びっしりと自転車が並んでいたものだ。
この後、学生は登録してシールを貼った自転車でないと学内へ乗り入れできなくなり、駐輪場は新たに整備された反対の富田大通り側に変更された。
【4日追記】以前の光景は雑然としているが、今はきれいになりすぎてよそよそしいようにも感じる。以前のほうが活気がある大学らしい光景だったと思う。(クルマはともかく、ここに自転車を入れても入れなくても、安全上は大して変わらない気がするけど…)

また、奥右の学生会館(食堂側)前の針葉樹がなくなり、大学生協によるコンビニが建てられた。

上2枚の間の途中経過。
2004年8月
通路はブロック敷きに。人文学部は改修済み、総合教育棟は工事中。
上の写真で工事中の出っ張っている部分が、総合教育棟の正面玄関。2階部分は部屋になっているように見えるけど、教室にしては小さい。何だったんだろう?
正面から。上の階の壁面も未改修
上の写真で見えている窓は、廊下側のはず。アルミサッシではなく、鉄枠だったようだ。開閉するとゴロゴロと重いんだよね。(もちろん改修後はアルミサッシに変わった)

この面は、たしか「305」「405」とかその辺の部屋番号の中規模の講義室だったはず。一部階では教官(1997年までは教養部所属の教官がいた)の研究室がこの側にもあったか?
正門すぐの201や301よりは小さく、階段状でない平らな部屋で、固定式の座席。室内の什器や備品にはいろいろと手が入っていたようだが、201・301とは共通性がなく、時期は別か。どちらが先かは分からない。
【5日補足】階段教室に比べて、部屋の面積も、机の配置もきゅうくつで詰めこまれているように感じられて、あまり好きな講義室ではなかった。

これらの部屋はワイヤレスマイクは非対応(隣接しているので混線しそう)で、レクチャーアンプが設置されていたか。
そして特徴的な設備が、パイオニア製の大画面のプロジェクションテレビと、ソニー製の8ミリビデオとVHSの「ダブルビデオ」デッキ。201・301にはなかった。
※プロジェクションテレビ(リアプロジェクションテレビ)は、大きさのわりには当時としては薄く、画面が平らなテレビ。複数のメーカーが発売していて、末期の「ニュースセンター9時」や以前の「世界ふしぎ発見!」のスタジオに置かれていたのが、たぶんそれ。この記事後半に実物の写真あり。
※8ミリビデオは家庭用ビデオカメラなどで使われていた小型のビデオテープ。8ミリフィルムとは別。「Hi8」は8ミリビデオを高画質化した規格。

現在、ソニーのホームページの取扱説明書ダウンロードでは、「ダブルビデオ」としては「ビデオカセットレコーダーWV-BW1」というのがいちばん古く、1995年11月10日発売の機種。教養部では、少なくとも1995年春の時点で設置されていたはずだから、さらに前の機種が存在するのだろうか??
このダブルビデオデッキ、一般的な教室に置くには不向きな機種に思えてならなかった。
WV-BW1取扱説明書より
「再生」ボタンは1つで、8ミリかVHSか再生するデッキを選択するボタンがある。テープが入っていないほうのデッキを誤って選択しても、自動切り替えはできないようで、正しく選択ボタンを押さないと「再生」しただけでは再生されない場合がある(消去防止ツメが折れたVHSテープを入れた時は自動で切り替わるそうだ)。

講義室のデッキでは、仕様なのか、あるいはコンセントが常時接続ではなく、都度入切していて起動のたびに初期状態に戻るせいか、電源を入れるといつも8ミリを再生する状態になっていた。
VHSを見るには、「VHS」選択ボタンを押して切り替えてから「再生」しないといけない。

そのことを知らない(画面や本体の表示に気づかない)先生が多く、見せようと持ってきたVHSのテープを入れて、「再生」ボタンだけ押してしまって、「カセットがありません。入れてから行なってください」とエラーになり、「あれ? テープを入れて再生ボタンを押してるのに??」と困惑する先生に何人もお目にかかった。(テープじゃなく「カセット」とか「行ってください」というソニー独特? の画面表示を覚えてしまうほど、戸惑う先生が多かった)

当時の映像記録媒体はVHSが圧倒的優勢。授業で使うビデオを8ミリで持ってくる教官などいただろうか。少なくとも僕は遭遇しなかった。
現場の実情を考慮せず、使いもしない過剰装備の機器を導入したことになる。導入してしまったとしても、事務局がこのことを把握していれば、説明書きを貼るとかフォローすることもできたわけだから、教官と事務局の意思疎通が取れていなかったのだろう。今は知らないけど当時の国立大学は、地方自治体などよりもずっと硬直化したお役所だった。【5日補足・会計検査院や何らかの監査の対象になれば、導入の経緯や活用方法について、指摘を受けるかもしれない】
話がそれました。

2004年夏。正面玄関からのぞくと、内部はきれいになくなって大がかりな工事
2004年度末までには、工事は完了したようだ。


もっとさかのぼって2000年3月。
できたばかり【4日補足・といっても丸1年経過した頃】の理工学部2号館の11階から、買ったばかりの100万画素のデジタルカメラで撮影した写真。
【4日追記】この高さから弘前の街を眺める機会はなかなかないが、改めて見ると、弘前もけっこう建物が密集していると感じた。
※コメント欄にて、2013年に同じ場所から撮影した写真をご提供いただきました。工事がほぼ終わった様子を、広角で分かりやすく見られます。
今までの写真の逆側から
右側が手前から改修中の理工学部、市道、人文学部~総合教育棟。その奥右方向が正門。
各校舎。中央右奥にイトーヨーカドーがかすかに
改修前は建物の形状も色もまちまちで、同じ学部でも新旧つぎはぎだったのが分かる。右手前のドームは理工学部の天体観測施設。【4日補足】ドームのある校舎は5階建てで、11階建ての理学部2号館ができる以前は、そこが弘大でいちばん高い建物だったはず。見た感じ外観の造りは周りより新しそう。昭和50年代築ってところかな?(周りの他の建物は40年代っぽい)
今もそれぞれの建物の形状はそのままだが、色が統一されて、だいぶ落ち着いた。
また、中央奥には、
緑色のドーム屋根?!
手前は総合教育棟の人文学部寄りで、教官の研究室があった辺り。その奥に体育館のようなカマボコ屋根があった。
位置からすると、201・301、そして最大の401講義室の上。401は天井が高いため、こういう構造なんだろうか。下からは見えないし、今回写真で初めて気づいた。

カマボコ屋根といえば、少し左へ目を転じれば、
赤いカマボコ屋根の第一体育館。右は教育学部
現在は、校舎群と同じ色への塗替えと耐震補強らしきつっかえ棒が入れられた第一体育館。その改修前の姿も写っていた。


15年経てばいろいろ変わり、何気なく撮影した写真が記録と思い出になるものです。
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