冒頭の写真は、2001年度末の秋田駅西口乗り場。
このようにかつてはバス乗り場の大部分を秋田市営バス(秋田市交通局)が使用していて、赤い市営バスがひしめき合うのが、日常の風景だった。
そんな秋田市から2006年3月末をもって秋田市営バスがなくなって(完全民間移管)から、間もなく5年。
個人的には「まだ5年しか経っていないのか」という心境だが、多くの市民の記憶から薄れつつあり、若い人や引っ越してきた人はかつて秋田の街に市営バスが走っていたことなど知る由もない。
当時の政府の「民間でできることは民間に」という方針、それを受けて全国の多くの都市で公営交通事業の見直しが行われたこと、そして市営バスの存在が秋田市にとって財政的負担になっていたであろうことを考えれば、秋田市営バスが廃止されたことはやむを得ないし妥当だったのかもしれない。
思い出として市営バスを懐かしむことはあっても、市営バスが復活してほしいと思うのはかなわないことなのだろう。
だが、人口減少や経済の衰退が進んでいること、国による高速道路料金定額・無料化など公共交通をないがしろにする政策が行われていることなどを差し引いても、この5年間で、秋田市のバス事情は必要以上に後退・衰退してしまったと言わざるを得ない点が少なくない。
他の都市ではよくある100円バスや循環バスは未だに運行されていないし、かつてはあったバスロケーションシステム(バス接近表示)は廃止された。新しい道路ができてもそれを通るバス路線ができるわけでもなく、ダイヤ改正の主な内容は減便。(詳細は後日)
(東京や仙台など大都市ではなく)秋田市と同程度かそれ以下の規模の他都市と比べても、秋田市は公共交通が使いにくい都市になってしまった思う。それによって必要以上のバス離れ、公共交通への無関心を引き起こしているとはいえないだろうか。
こうなってしまったのは、車移動を好む多くの秋田市民の意識もあるだろうが、交通局廃止後5年間における「バス会社の経営・営業の方針」と「公共交通に対する秋田市の関わり方」、そしてその両者の意思疎通が取れていないのが原因のように僕は感じている。
まず、バス会社。この会社は、市営バスの全路線を引き受け、同社既存路線と併せて、秋田市内の路線バスのほぼすべてを運行している。
かつて、市営バスを将来どうするか議論されていた段階では、市営のまま存続することや第3セクター化なども選択肢にあった。
しかし、このバス会社の社長が「秋田市程度の規模の都市では、1つのバス会社が経営した方が効率的」と言って、自ら望んで市営バスの全路線移管を引き受けたものと記憶している。それが現在のほぼ1社独占体制につながっている。
それなのに、いざ移管してみると、今まで何度か取り上げたが時刻表すら満足に作れない有様(最近、多少改善してはいるけれど)。秋田市のバスのほぼ全路線を手中に収めたのに、それを活かして新しい取り組みをするわけでもない。
これでは、お客さんに乗ってもらいたいという気持ちが感じられず、現状維持で手一杯のように思える。
自ら進んで移管を申し出た、あの心意気はどうしたの? と思ってしまう。
このバス会社も、秋田市郊外や市外の過疎路線を抱え、経営が大変なのは分かる。(だから、決して批判ばかりするつもりはない。もっとがんばってもらいたいのです)
利用者としても、かつての市営バス運行地域だけ“優遇”されていたとも考えられるから、ある程度の不便は我慢しないといけないと思う。
でも、秋田市中心部なら、ダイヤや路線網を再検討して工夫をすれば、乗客や収益が増えそうな余地はまだまだあると思う(具体的には後日)。
少し工夫して少しがんばれば、利用者としてはもう少しは便利になるし、バス会社としてももう少しは儲かりそうに思うのは、素人考えだろうか。
そして秋田市。
2009年3月に2015年度までの秋田市における公共交通の将来構想をまとめた「秋田市公共交通政策ビジョン」を策定した。路線やダイヤ設定から路線図やバス待合所、さらには利用啓発にいたるまで幅広く公共交通を使いやすくする構想に満ちあふれている。それから早2年が経つ。
1年後の2012年度末に、各施策の見直しを行うことになっているが、この2年間でビジョンの内容はどのくらい進んだのだろう?
昨年、車両の行き先表示の社会実験は行われたがそれっきりだし、それ以外にはほとんど変化がないように感じる。
我々の目に見えないところで着々と進展しているのなら余計なお世話だが、来年度1年間でメチャクチャがんばらないと成果がほとんどなさそうに思えるのだが…
さらに、秋田市が関わる日赤病院・婦人会館跡地(中通一丁目)の再開発関連では、中心市街地に駐車場収入をアテにした無料の乗り物を走らせるとか言っているし、しかも先日は、秋田県が電気バスを試作して秋田市中心部で運行することを検討していることが分かった。
いずれも公共交通政策ビジョンには想定されていないものであると思われ、これらと足を引っ張り合うことになりかねない。
ほかにも、郊外地域では、市営バスから移管された民間路線が、その数年後に不採算で廃止されたのに伴い、秋田市が運行するコミュニティバス(実際の運行は民間委託)となり、いわば“再市営化”されたのもなんかヘンなお話に思える。
秋田市でやっていたバス事業を民間会社に譲り渡したわけだし、そもそも路線バスは秋田市民の足である。
民間会社といえども公共交通機関であり、しかも独占状態のため代替できる企業もない。だから、秋田市はもっと積極的に関わるべきだと思う。
市役所内には市営バス時代の運行ノウハウや、事情に詳しい職員もまだ残っていると思う。惜しむことなく、民間バス会社に提供してはどうだろうか。
では、これからの秋田市の公共交通はどうなればいいのだろうか。
少なくとも僕個人には、年取っても自分で車を運転できる自信も、運転手付き車を保有できる自信もない。
これは他の多くの秋田市民も同じはずで、絶対に秋田市に公共交通機関は必要で、今よりも使いやすくする必要があると思う。
秋田市の公共交通を使いやすくするためには、新たに路面電車とか新交通システムを造るという考えもできるだろうが、それには場所・建設費用・運営会社・利用者数・冬の天候対策などなどクリアすべき課題があまりにも多すぎる。
その点、バスは既存の道路を利用すれば済むし、今と同じ会社が運行してくれれば課題は少ない。利用者の要望を充分に聞き、ほんとうに必要とされる路線を作れば、とても利用しやすいはず。ディーゼルエンジンだと環境に悪いという意見もあるかもしれないが、1人1台乗った自家用車が渋滞するよりはずっとエコだろう。
バスだけ(+既存のJRや私鉄)で移動しやすい街を作っている都市がたくさんある(盛岡市、松江市、鳥取市、弘前市など)のだから、秋田市でもバスを充実させるべきだと思う。
繰り返すが、秋田市に必要で、いっそう充実させるべき公共交通機関は、路線バスであると思う。
以上、抽象的で自分勝手なことばかりを並べてしまいました。
2005年3月通町二区にて。最後まで残った市営バスの路線の1つ、泉秋操線(現・泉ハイタウン線)。
市営バスでは祝日は国旗・市旗を前に付けていた。
「134」号車は、交通局が最後に購入した(1996年頃?)車両の1台で、中型サイズのオートマチック車。
民間会社に譲渡されて緑の塗装になり、現在も活躍中のはず。
そんなわけで、秋田市交通局廃止から5年という節目に際し、当ブログでは「秋田市営バス」カテゴリーを新設し、秋田市営バスを思い出として振り返るとともに、現状と将来の秋田市の公共交通について思うところを、好き勝手に綴ってみたいと思います。(他の記事同様、不定期でのアップです。何回くらい続くかも分かりません)
ネット上では、秋田市営バスの車両を記録したサイトはそれなりにあります。全国各地のバス愛好家の方々によるもので、貴重な資料として残ることでしょう。しかし、日常的に秋田市営バスを利用していた人による記録、記憶は極めて少なく、このままでは秋田市営バスの路線やサービスに関する情報がなくなってしまいそうです。自分自身でも忘れてしまいそうなので、記録しておく目的もあります。
あくまでも一個人の意見である点をご了解いただき、間違いやご意見などがあれば、お寄せください。
※当時の写真は、カメラの性能と腕のため、見苦しい点があります。
※次の記事はこちら
このようにかつてはバス乗り場の大部分を秋田市営バス(秋田市交通局)が使用していて、赤い市営バスがひしめき合うのが、日常の風景だった。
そんな秋田市から2006年3月末をもって秋田市営バスがなくなって(完全民間移管)から、間もなく5年。
個人的には「まだ5年しか経っていないのか」という心境だが、多くの市民の記憶から薄れつつあり、若い人や引っ越してきた人はかつて秋田の街に市営バスが走っていたことなど知る由もない。
当時の政府の「民間でできることは民間に」という方針、それを受けて全国の多くの都市で公営交通事業の見直しが行われたこと、そして市営バスの存在が秋田市にとって財政的負担になっていたであろうことを考えれば、秋田市営バスが廃止されたことはやむを得ないし妥当だったのかもしれない。
思い出として市営バスを懐かしむことはあっても、市営バスが復活してほしいと思うのはかなわないことなのだろう。
だが、人口減少や経済の衰退が進んでいること、国による高速道路料金定額・無料化など公共交通をないがしろにする政策が行われていることなどを差し引いても、この5年間で、秋田市のバス事情は必要以上に後退・衰退してしまったと言わざるを得ない点が少なくない。
他の都市ではよくある100円バスや循環バスは未だに運行されていないし、かつてはあったバスロケーションシステム(バス接近表示)は廃止された。新しい道路ができてもそれを通るバス路線ができるわけでもなく、ダイヤ改正の主な内容は減便。(詳細は後日)
(東京や仙台など大都市ではなく)秋田市と同程度かそれ以下の規模の他都市と比べても、秋田市は公共交通が使いにくい都市になってしまった思う。それによって必要以上のバス離れ、公共交通への無関心を引き起こしているとはいえないだろうか。
こうなってしまったのは、車移動を好む多くの秋田市民の意識もあるだろうが、交通局廃止後5年間における「バス会社の経営・営業の方針」と「公共交通に対する秋田市の関わり方」、そしてその両者の意思疎通が取れていないのが原因のように僕は感じている。
まず、バス会社。この会社は、市営バスの全路線を引き受け、同社既存路線と併せて、秋田市内の路線バスのほぼすべてを運行している。
かつて、市営バスを将来どうするか議論されていた段階では、市営のまま存続することや第3セクター化なども選択肢にあった。
しかし、このバス会社の社長が「秋田市程度の規模の都市では、1つのバス会社が経営した方が効率的」と言って、自ら望んで市営バスの全路線移管を引き受けたものと記憶している。それが現在のほぼ1社独占体制につながっている。
それなのに、いざ移管してみると、今まで何度か取り上げたが時刻表すら満足に作れない有様(最近、多少改善してはいるけれど)。秋田市のバスのほぼ全路線を手中に収めたのに、それを活かして新しい取り組みをするわけでもない。
これでは、お客さんに乗ってもらいたいという気持ちが感じられず、現状維持で手一杯のように思える。
自ら進んで移管を申し出た、あの心意気はどうしたの? と思ってしまう。
このバス会社も、秋田市郊外や市外の過疎路線を抱え、経営が大変なのは分かる。(だから、決して批判ばかりするつもりはない。もっとがんばってもらいたいのです)
利用者としても、かつての市営バス運行地域だけ“優遇”されていたとも考えられるから、ある程度の不便は我慢しないといけないと思う。
でも、秋田市中心部なら、ダイヤや路線網を再検討して工夫をすれば、乗客や収益が増えそうな余地はまだまだあると思う(具体的には後日)。
少し工夫して少しがんばれば、利用者としてはもう少しは便利になるし、バス会社としてももう少しは儲かりそうに思うのは、素人考えだろうか。
そして秋田市。
2009年3月に2015年度までの秋田市における公共交通の将来構想をまとめた「秋田市公共交通政策ビジョン」を策定した。路線やダイヤ設定から路線図やバス待合所、さらには利用啓発にいたるまで幅広く公共交通を使いやすくする構想に満ちあふれている。それから早2年が経つ。
1年後の2012年度末に、各施策の見直しを行うことになっているが、この2年間でビジョンの内容はどのくらい進んだのだろう?
昨年、車両の行き先表示の社会実験は行われたがそれっきりだし、それ以外にはほとんど変化がないように感じる。
我々の目に見えないところで着々と進展しているのなら余計なお世話だが、来年度1年間でメチャクチャがんばらないと成果がほとんどなさそうに思えるのだが…
さらに、秋田市が関わる日赤病院・婦人会館跡地(中通一丁目)の再開発関連では、中心市街地に駐車場収入をアテにした無料の乗り物を走らせるとか言っているし、しかも先日は、秋田県が電気バスを試作して秋田市中心部で運行することを検討していることが分かった。
いずれも公共交通政策ビジョンには想定されていないものであると思われ、これらと足を引っ張り合うことになりかねない。
ほかにも、郊外地域では、市営バスから移管された民間路線が、その数年後に不採算で廃止されたのに伴い、秋田市が運行するコミュニティバス(実際の運行は民間委託)となり、いわば“再市営化”されたのもなんかヘンなお話に思える。
秋田市でやっていたバス事業を民間会社に譲り渡したわけだし、そもそも路線バスは秋田市民の足である。
民間会社といえども公共交通機関であり、しかも独占状態のため代替できる企業もない。だから、秋田市はもっと積極的に関わるべきだと思う。
市役所内には市営バス時代の運行ノウハウや、事情に詳しい職員もまだ残っていると思う。惜しむことなく、民間バス会社に提供してはどうだろうか。
では、これからの秋田市の公共交通はどうなればいいのだろうか。
少なくとも僕個人には、年取っても自分で車を運転できる自信も、運転手付き車を保有できる自信もない。
これは他の多くの秋田市民も同じはずで、絶対に秋田市に公共交通機関は必要で、今よりも使いやすくする必要があると思う。
秋田市の公共交通を使いやすくするためには、新たに路面電車とか新交通システムを造るという考えもできるだろうが、それには場所・建設費用・運営会社・利用者数・冬の天候対策などなどクリアすべき課題があまりにも多すぎる。
その点、バスは既存の道路を利用すれば済むし、今と同じ会社が運行してくれれば課題は少ない。利用者の要望を充分に聞き、ほんとうに必要とされる路線を作れば、とても利用しやすいはず。ディーゼルエンジンだと環境に悪いという意見もあるかもしれないが、1人1台乗った自家用車が渋滞するよりはずっとエコだろう。
バスだけ(+既存のJRや私鉄)で移動しやすい街を作っている都市がたくさんある(盛岡市、松江市、鳥取市、弘前市など)のだから、秋田市でもバスを充実させるべきだと思う。
繰り返すが、秋田市に必要で、いっそう充実させるべき公共交通機関は、路線バスであると思う。
以上、抽象的で自分勝手なことばかりを並べてしまいました。
2005年3月通町二区にて。最後まで残った市営バスの路線の1つ、泉秋操線(現・泉ハイタウン線)。
市営バスでは祝日は国旗・市旗を前に付けていた。
「134」号車は、交通局が最後に購入した(1996年頃?)車両の1台で、中型サイズのオートマチック車。
民間会社に譲渡されて緑の塗装になり、現在も活躍中のはず。
そんなわけで、秋田市交通局廃止から5年という節目に際し、当ブログでは「秋田市営バス」カテゴリーを新設し、秋田市営バスを思い出として振り返るとともに、現状と将来の秋田市の公共交通について思うところを、好き勝手に綴ってみたいと思います。(他の記事同様、不定期でのアップです。何回くらい続くかも分かりません)
ネット上では、秋田市営バスの車両を記録したサイトはそれなりにあります。全国各地のバス愛好家の方々によるもので、貴重な資料として残ることでしょう。しかし、日常的に秋田市営バスを利用していた人による記録、記憶は極めて少なく、このままでは秋田市営バスの路線やサービスに関する情報がなくなってしまいそうです。自分自身でも忘れてしまいそうなので、記録しておく目的もあります。
あくまでも一個人の意見である点をご了解いただき、間違いやご意見などがあれば、お寄せください。
※当時の写真は、カメラの性能と腕のため、見苦しい点があります。
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