広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

飯島踏切の向こう側

2011-10-18 20:19:09 | 秋田の地理
9月29日の「支所踏切の謎」に続く秋田市北部の飯島地区編です。
(一部の写真を撮り直したいと思っていたのですが、出向く機会がなかったので、若干不本意ですがそのままアップします。)

支所踏切や「飯島コニュニティセンター入口」バス停の南(土崎駅寄り)へ。
旧国道で行くと、ちょうどバス停1つ分。バス停の名は、
「砂山」
北原白秋の「海は荒海 向こうは佐渡よ」を思いだしてしまう。
もちろん、現在は住宅や店舗が並ぶ地域であり、周囲に砂山があるわけではない。
ただし、ここから2キロ弱で海(秋田港。埋め立てや港湾整備が行われて以前より遠くなったのかもしれない)。
住宅地や幹線道路や工業地帯ができる以前は、砂山・砂原と松林が広がる一帯だったそうだから、「砂山」という名前はなんとなくイメージに合ってはいる。

でも、飯島地区だけでなく、割山・新屋など、秋田市内の海岸沿いはほとんど「砂山」だったはずなのに、なぜ、このバス停が(=この場所が)「砂山」なのだろう? 少し調べた限りでは、例えば昔ここが「砂山」という地名だったなどというわけでもないようだ。
しかし、1957年に設立された「納税貯蓄組合」の1つに、14名からなる「飯島砂山納税貯蓄組合」があったようだし、1986年に結成された「飯島短歌会」の歌集のタイトルは「砂山」であるなど(いずれも広報あきたより)、地元の人たちにとって「砂山」が親しみのある名称ではあるのだろう。

砂山バス停付近の旧国道。奥がコミセン入口・追分方向
実はこの旧国道一帯(国道7号線~旧国道~奥羽本線)のコミセン入口のバス停付近から南は、現在は「土崎港北(つちざきみなと きた)七丁目」という町名であり、「飯島」地区ではない。
しかし、1975年までは、土崎港北の一部エリアが「飯島字◯◯」であったそうで、飯島と土崎(土崎港)の境ということになる。

ところで、上の写真左端に看板が少し写っているように、「砂山」バス停そばに郵便局がある。
局名は「飯島郵便局」。
この一帯の郵便局は、いわゆる「簡易郵便局」であることも珍しくないが、ここは普通の郵便局(特定郵便局かな)。街中にある、普通の郵便局のたたずまい。

郵便局の名称は必ずしも地名と一致する必要はなく、そうした例も少なくないはずだが、「飯島郵便局」が土崎に所在していたとは、今まで知らなかった。
昔、「飯島村」だった当時は、実際にここが「飯島」だったのかもしれない(よそから移転して来た可能性もあるけど)し、飯島の「村外れ」だったとしても、旧国道沿いで土崎地区からの集客も見込め、かつ村役場(現・コミセン)に近いから、立地としては良かったのだろう。

さて、上の写真で、郵便局の真向かいの、街灯が立っている部分が、実は線路へ続く道になっている。
こんな風に
石の柱に「村社 飯島神社」、手前に「飯島神社参道入口」とあり、道路は狭い砂利道。先に支所踏切の1つ南隣の踏切が見える。
車は通れない?
道が線路に対して直角ではないため、旧国道からは先の見通しは効かない。入って行ってみる。
踏切も狭い(幅1.3メートル)
踏切の所に二輪車以外の車両通行止めを示す標識があった。
いちおう警報機・遮断機は付いているが、小さな踏切だった。
踏切番号「14」のこの踏切の名称は、
「飯島踏切」!
支所踏切は福島から308キロ118メートル、ここは307キロ841メートル地点なので、飯島踏切と支所踏切は277メートル離れていることになる。

秋田市内では「泉踏切」「将軍野踏切」「羽越楢山踏切」など、広域な地名(大字)が付いた踏切は、幹線道路や交通量の多い道路と交わっているような思い込みがあった。
だから、こんなに小さく、かつ地域の外れにある踏切が、大字名を取った「飯島」踏切だったとは知らなかった。

踏切を渡ると「飯島松根西町」。名実ともに飯島地区になる。
振り返って。こちら側も砂利道
踏切を過ぎると、住宅やアパートがあり狭いながらも舗装道路で、車が通ることができる。
なぜか写真を撮っていないのだけど、踏切から80メートルほどで、数段の階段に突き当たる。
階段の上から振り返ると、踏切が見える
そして鳥居。
階段の上は、神社の境内だった
旧国道の表示の通り、旧国道から踏切を渡ってここまで140メートルほどが、神社の参道だったのだ。ただし、こちらは本殿の裏手らしく、神社の「正面」ではない。
境内は広く、公園のようになっている。木も茂っているが、あまり暗すぎず、いい雰囲気。
左に社殿を見ながら境内を突っ切ると、神社正面で、道路が通っている。こちら側が正面か。
道路沿いに秋田市の「飯島神社街区公園(いわゆる児童公園)」という表示があった。まさに公園だったわけか。

鳥居のそばにあった「由緒(平成10年10月付、氏子総代会)」によれば、文政3(1820年)に建立され、明治45年に飯島地域の他の各神社と合併して村社飯島神社になったという。戦後、再び各地域ごとの神社に戻った所もあり、現在は近隣4町内の氏神様のようだ。
まつられているのは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と天照大御神。宇迦之御魂神は、いわゆるお稲荷さんでもまつられる神で、ここも合併前は「飯島の財康稲荷」と呼ばれていたそうだ。

内陸部には田んぼが広がる(そしてかつてはこの辺りも田んぼだったはずの)地域らしい、「村の鎮守の神様」のようだ。
お祭りは8月19日・20日。
文部省唱歌「村祭」の印象があるためか、農村地帯のお祭りといえば、収穫後の秋祭りという固定観念を抱いてしまうけれど、どうも秋田の農村の神社のお祭りは夏が多いような気がする。
神社の前の通り「犯罪のない明るい飯島をつくりましょう。」
道幅は狭くてカーブがあるけれど、けっこう車は通る。コミセンの辺りの通りと似た雰囲気だなと思いながら、北東(線路を背にして左前)へ進む。
すると、50メートルも進まないうちに、
 (再掲)この光景!
なんと、飯島地区コミュニティーセンター・信用金庫ATMの角に出た。
神社の前の道はコミセンに通じ、しかも神社とコミセンはすぐそばだった!
↑地図の中心がコミセンの交差点、左端の縦方向が旧国道
線路に対して道が直角でないため方向感覚と距離感覚が狂うのだが、道路が「>」形に配置されており、飯島踏切を渡れば(神社の境内を抜ければ)思いのほか短距離でコミセンにたどりつけるのだ。
旧国道の各踏切分岐点からコミセンまでの距離で比較すると、神社経由の方が20メートルくらいしか短くはないようだが、感覚的にはだいぶ近道のような気がした。
したがって、バスで飯島コミセンへ行く場合、コミセン入口ではなく、砂山で下車した方が、階段や砂利道・神社境内はあるけれど、気休め程度歩く距離が少なくて済む。(バス運賃はどちらも同額)
コミセン前から神社方向。右奥のこんもりしたのが神社
なお、神社前の道をコミセンと逆(上の写真でまっすぐ)に進めば、「長野踏切」を渡って400メートルほどで旧国道に合流する(マックスバリュ港北店の北付近)。

「飯島踏切」とは、飯島村の鎮守の神様の近くにある踏切という意味なのかもしれない。

【2024年2月18日追記・いただいた情報から50年近く前の話】かつては参道そばに郵便局があったとのこと。「今昔マップ」サイトで1971年、1985年の地形図を見ると、たしかに旧国道から飯島踏切に向かって左側(北)に郵便局の地図記号があった。現在は、旧国道のほぼ向かい側に飯島郵便局があるので、移転したということなのだろう。(以上追記)



それにしても、バス停の「砂山」、先日紹介した「飯島松園」、神社・コミセン一帯の町名「飯島松根西町/東町(まつねにしちょう/ひがしちょう)」もそうだけど、飯島地区には砂とか松林にちなむものが少なくない。
コミセンから少し北に進んだ辺りは、「飯島美砂町(みさごちょう)」という。
松根町も美砂町も、1975年の住居表示実施の際に新しく作られた地名(実施前の小字名などではない)のようだ。「東◯丁目」なんて名前より、ずっと個性的できれいでいい町名だと思う。

砂関係といえば、ちょっと離れた国道の方だけど、飯島にはこんなお店も。
「スナック砂丘」
上の横書き看板をよく見ると、「ツ」が大きくて「スナツク」だけど。
せっかくだから、「砂ック砂丘」にすればおもしろいのに!?
コメント (4)
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