久しぶりの市営バスカテゴリーですが、まずは現在の秋田駅東口。
自由通路の突き当りである2階部分には、透明なガラスがはめられている。今はその一部が、
「あきたにしました。」
デスティネーションキャンペーンの装飾の1つが施されている。
【12月31日追記】この表示は28日にはまだあったが、デスティネーションキャンペーン終了を控えて、12月31日には既に撤去されていた。
この赤い装飾は、ガラスにステッカーを貼っているのは想像がつくけれど、内側から外が見えなくなっているのかといえば、
見づらいけれど見えることは見える(左がステッカー貼付面、右2枚がガラスのみ)
屋外からは装飾が見え、屋内からは外がいちおう見えるという、ハーフミラーのようなフイルムが用いられている。
夜間は外からも中からも見づらくなる
内側からフイルムを観察してみると、黒い網状のものが一様に広がっている。

フイルムはガラスの屋内側に貼られている。
黒の中に無数の小さい穴が空けられているという表現がいいかな
調べてみると、住友スリーエムの「3M スコッチカル パーフォレイテッドウインドウグラフィックフィルム RG8173」という製品だろうか。塩化ビニル製で図柄はインクジェットプリンタ(業務用)で印刷。耐候年数約1年。
このシートは、建物の窓だけでなく、(秋田にはないと思うが)窓ガラス部分にまで絵柄が施されたラッピング広告バスなど、乗り物の窓ガラスに図柄を入れるのにも使われている。
※「三平バス」は窓ガラスに絵がかかっているが、あれは単なる「紙」状のもので、車内からの視界は遮られる。
実は、秋田市営バスでは、これと同じと思われるフイルムを窓ガラスに貼った広告をかなり早い時期から行っていた。
ただし、車体全面のラッピングではなく、車体は通常の塗装で窓ガラスだけを広告媒体として使うもの。当時はまだ「ラッピングバス」という概念がなかった(技術的にも未熟だったかも)から、無理もない。
当ブログで過去に掲載した写真の中で、側面の客席窓ガラスに「新政」と書かれた車両があったけど、それのこと。
(再掲)117号車
車内からは外が見え、黒に細かい穴が開いたフイルムをガラスの屋内側に貼っていたので、東口の「あきたにしました」と同じフィルムが使われていたのではないだろうか。穴の大きさはそっくり。
さらに、写真はないけれどそれ以前には、もっと多くのバリエーションがあった。それらをここでは「窓広告」と呼ぶことにする。
以下、記憶が頼りなので間違いもあると思います(記録した紙があるのですが、すぐに出てこないので…)。
窓広告が初登場したのは、1993年秋だった。
※余談だが、この年は12月2日に初のワンステップバス導入、年度末にバスロケーションシステムの更新も行われた。前年の秋田八丈カラーのワンロマ車やAT車の導入に続いて、活気があった頃だった。
ある日突然、窓ガラスの部分がピンク色で「そふと」の白い文字が並ぶ市営バスが来てびっくりし、しかも車内からはそれなりに外が見えることに感心したものだった。
個人的記録によれば、11月26日で1991年度導入のいすゞ製中型車265号車だったそうだ。
これは「そふと(新光)」すなわち湯沢市の「秋田県醗酵工業」の広告。
他の1990年度・1991年度導入のいすゞ製中型バス(245~247、263~266号車=全車両ではなかったかも)でも実施された。
市営バスの中型バスの客席窓は、上下に分割しているが、広告が貼られたのは下のほう。
左右ともいちばん前の窓には貼られなかったが、これは安全確認のためだろう。前ドア、中ドアの戸袋、中ドア、中ドア直後の行き先表示の下、運転席、非常口にも貼られなかった。
したがって、中型バスの場合、ドア側は3枚、運転席側は6枚の広告が出ていた。
いすゞ中型236号車(この車両では窓広告は実施されていません)赤く塗った窓に貼られた
それから間もなく、1990・1991年の日野製中型車(241~244の一部、260~262号車)で秋田市の新政酒造による、なぜかトリコロールの「清酒新政」、さらに1988・1989年の日野中型(209~213、226~229号車)と241~244号車の一部で湯沢市の秋田銘醸による赤い「美酒爛漫」も登場。
県内の酒造メーカー3社の共演となった。
いずれも記憶に基づくイメージです。もちろん、実際には銘柄部分はそれぞれのちゃんとしたロゴの書体でした
「そふと新光」の色使いが「あきたにしました」に似ている。
その頃、開局間もなかった秋田朝日放送の夕方のニュース番組「AABステーションEYE」(現在のスーパーJチャンネルの前身)で、窓広告のことがちょっとしたレポートとして取り上げられた。
交通局の担当者が「新しい広告媒体に対して、広告主は興味を示しやすい(飛びつきたがる)」という趣旨の発言をしていたのを記憶している。
やがて、車内側に名刺大ほどの白いステッカーが貼られた。「このフイルムはほとんどの紫外線をカットします」といったタイトルで、板ガラスだけとフイルム貼付時の2つの波長の紫外線透過量(カット率)を比較した表が出ていた。
当時はさほど「UVカット」の概念がなかったはずで、ひょっとしたら「こんなモンを貼って外が見えない(見にくい)じゃないか!」という批判を交わす目的があるのかな、などと思った。
上記の住友スリーエムの公称では、フイルムの耐久年数は1年ということだが、それを越えて貼られていた。1999年頃まではあったかもしれない。
時が経つにつれ、結露などによって隅のほうからめくれて、さらに切れてしまったりして見栄えは悪くなっていった。(下の写真参照)【28日追記】ただし、印刷部分が色あせるようなことはなかった。フイルムの粘着力が低下しただけ。
酒造会社に続く第2段も登場。(1997年には既に登場していたかもしれない)
今度はいすゞ製の大型バス。路線貸切兼用(ワンロマ車)の1985年導入の182~187号車で、水色地に黄色い文字の「七海医院」と白地にいろいろ書かれた(キャラクターも?)「国民年金」が広告主だったはず。
七海医院は泉秋操線(現・泉ハイタウン線)沿線であり、当時は大型バスを中心に運用されていたので、その辺の配慮もあったのだろうか。
また、車体が長い大型バスではその分窓が多いので、中型バスと同じサイズの広告をドア側に4枚、運転席側に7枚と、中型バスより1枚ずつ多く貼付できたはず。
さらに続いて、窓ガラスが大きい(逆T字と呼ばれる、横長の固定窓)大型バスでも実施された。(これも1997年頃にはあった)
1986年度導入の最初期の新塗装車両(日産ディーゼル以外の3メーカー製202~208号車)で、たしか国民年金だったか?
以上は、遅くとも2000年度中にはなくなった(車両自体が廃車された)されたようだ。
そして、最後の窓ガラス広告が、写真に残っている大型バスの「清酒新政」。新政としては2代目でデザインは変更された。
これも逆T字窓の大型車で、1993・1994年度導入のワンステップ車(日産ディーゼルの116~120、いすゞの126~129号車)が使われた。
120号車
逆T字窓は窓が大きいだけに、広告1枚あたりが広く取れるようになった。しかし、メーカーによって窓割りに差異が多かったようだ。日産ディーゼル製(厳密には中型バスの車体長だけを延長した「普通型」バスだが、交通局では大型バスとして扱っていた)では非常口後方の窓が狭いため左右とも3枚ずつ、いすゞでは運転席側はドア側にわずか2枚、運転席側に4枚貼っていた。
127号車
いすゞ製は各窓の幅が特にまちまちなようで、広告の幅を変えて貼っている。非常口の後ろやドア側のいちばん前は「酒新政」。
(再掲)126号車ドア側
これらワンステップ車は、2001年度いっぱいで中央交通へ譲渡された。このため、2002年2月下旬までは貼られていたフイルムが、3月にかけて順次撤去されたようだ。
2002年3月25日の117号車
これをもって、秋田市営バスの窓ガラス広告は約10年間の幕を閉じた。
ところで、窓広告が実施された車両は、メーカーや導入年に偏りがあった。どうしてそれらが選ばれたのか。
選ばれなかった車両を見てみると、理由が推測できる。
1992・1993年度導入の大型車。
(再掲)
逆T字窓の大窓ながら、ガラスが青く着色されている。
これに広告を貼ったら、色がおかしくなるし、車内が暗くなるだろう。
1993年度から導入されたワンステップ車では、ガラスが無着色になり、後に窓広告が実施された。(1993年度は色の有無両方導入したことになる)窓広告が始まったのが1993年度だから、ひょっとしたら、窓広告を行う前提でガラスに色を付けなかったのかもしれない。
三菱や日産ディーゼル(富士重工ボディ)の中型車。
比較のため、爛漫が貼られていた日野製229号車
※窓枠の色がシルバーとブラウンなのは、導入年の違いによるもの。1989年導入の240号車までが銀色、翌年の241号車から茶色。
1992年度導入三菱製274号車
(再掲)1996年度導入日産ディーゼル製137号車
三菱と日産ディーゼルでは、下の窓の天地が短いのだ。
また、三菱ではドア側の後方2枚、日産ディーゼルでは前から2番目と最後部の窓の幅が狭く、これではドア側には2枚しか掲出できない。
特に日産ディーゼルの前から2番目は極端に狭い。一口に中型バスと言っても、だいぶ違うものだ。
したがって、貼るスペースの都合(面積と数)で日野といすゞが選ばれたと考えられる。(まとまった数の同型車が在籍していたということもあるだろう)
ちなみに、マイナーチェンジした1993年度以降の三菱製では後方の窓は通常の幅となった。一方、1994年度の日野製では窓の天地が短くなっている。
以前も紹介したように秋田市営バスでは、車内外のさまざまな場所を使って、さまざまな手段で広告を行い、車両を広告媒体として活用していた。
中でも、通常なら「窓」に過ぎないはずの窓に、企業名などがずらりと並んでいるというのは、目を引いてインパクトがあった。広告効果は高かったはず(広告費に見合うかどうかはともかく)。
また、特殊なフイルムを使うことにより、窓を窓としての機能を損なわずに広告媒体としたのは、車体ラッピングが普及していなかった当時としては、車両広告の最先端だったと言えよう。
秋田市営バスの先進性は、窓広告からも、うかがい知れる。
※2014年には、中央交通で戸袋の窓にただのシールを貼る広告が登場した。この記事中ほど。
自由通路の突き当りである2階部分には、透明なガラスがはめられている。今はその一部が、


デスティネーションキャンペーンの装飾の1つが施されている。
【12月31日追記】この表示は28日にはまだあったが、デスティネーションキャンペーン終了を控えて、12月31日には既に撤去されていた。
この赤い装飾は、ガラスにステッカーを貼っているのは想像がつくけれど、内側から外が見えなくなっているのかといえば、

屋外からは装飾が見え、屋内からは外がいちおう見えるという、ハーフミラーのようなフイルムが用いられている。


内側からフイルムを観察してみると、黒い網状のものが一様に広がっている。


フイルムはガラスの屋内側に貼られている。

調べてみると、住友スリーエムの「3M スコッチカル パーフォレイテッドウインドウグラフィックフィルム RG8173」という製品だろうか。塩化ビニル製で図柄はインクジェットプリンタ(業務用)で印刷。耐候年数約1年。
このシートは、建物の窓だけでなく、(秋田にはないと思うが)窓ガラス部分にまで絵柄が施されたラッピング広告バスなど、乗り物の窓ガラスに図柄を入れるのにも使われている。
※「三平バス」は窓ガラスに絵がかかっているが、あれは単なる「紙」状のもので、車内からの視界は遮られる。
実は、秋田市営バスでは、これと同じと思われるフイルムを窓ガラスに貼った広告をかなり早い時期から行っていた。
ただし、車体全面のラッピングではなく、車体は通常の塗装で窓ガラスだけを広告媒体として使うもの。当時はまだ「ラッピングバス」という概念がなかった(技術的にも未熟だったかも)から、無理もない。
当ブログで過去に掲載した写真の中で、側面の客席窓ガラスに「新政」と書かれた車両があったけど、それのこと。

車内からは外が見え、黒に細かい穴が開いたフイルムをガラスの屋内側に貼っていたので、東口の「あきたにしました」と同じフィルムが使われていたのではないだろうか。穴の大きさはそっくり。
さらに、写真はないけれどそれ以前には、もっと多くのバリエーションがあった。それらをここでは「窓広告」と呼ぶことにする。
以下、記憶が頼りなので間違いもあると思います(記録した紙があるのですが、すぐに出てこないので…)。
窓広告が初登場したのは、1993年秋だった。
※余談だが、この年は12月2日に初のワンステップバス導入、年度末にバスロケーションシステムの更新も行われた。前年の秋田八丈カラーのワンロマ車やAT車の導入に続いて、活気があった頃だった。
ある日突然、窓ガラスの部分がピンク色で「そふと」の白い文字が並ぶ市営バスが来てびっくりし、しかも車内からはそれなりに外が見えることに感心したものだった。
個人的記録によれば、11月26日で1991年度導入のいすゞ製中型車265号車だったそうだ。
これは「そふと(新光)」すなわち湯沢市の「秋田県醗酵工業」の広告。
他の1990年度・1991年度導入のいすゞ製中型バス(245~247、263~266号車=全車両ではなかったかも)でも実施された。
市営バスの中型バスの客席窓は、上下に分割しているが、広告が貼られたのは下のほう。
左右ともいちばん前の窓には貼られなかったが、これは安全確認のためだろう。前ドア、中ドアの戸袋、中ドア、中ドア直後の行き先表示の下、運転席、非常口にも貼られなかった。
したがって、中型バスの場合、ドア側は3枚、運転席側は6枚の広告が出ていた。

それから間もなく、1990・1991年の日野製中型車(241~244の一部、260~262号車)で秋田市の新政酒造による、なぜかトリコロールの「清酒新政」、さらに1988・1989年の日野中型(209~213、226~229号車)と241~244号車の一部で湯沢市の秋田銘醸による赤い「美酒爛漫」も登場。
県内の酒造メーカー3社の共演となった。

「そふと新光」の色使いが「あきたにしました」に似ている。
その頃、開局間もなかった秋田朝日放送の夕方のニュース番組「AABステーションEYE」(現在のスーパーJチャンネルの前身)で、窓広告のことがちょっとしたレポートとして取り上げられた。
交通局の担当者が「新しい広告媒体に対して、広告主は興味を示しやすい(飛びつきたがる)」という趣旨の発言をしていたのを記憶している。
やがて、車内側に名刺大ほどの白いステッカーが貼られた。「このフイルムはほとんどの紫外線をカットします」といったタイトルで、板ガラスだけとフイルム貼付時の2つの波長の紫外線透過量(カット率)を比較した表が出ていた。
当時はさほど「UVカット」の概念がなかったはずで、ひょっとしたら「こんなモンを貼って外が見えない(見にくい)じゃないか!」という批判を交わす目的があるのかな、などと思った。
上記の住友スリーエムの公称では、フイルムの耐久年数は1年ということだが、それを越えて貼られていた。1999年頃まではあったかもしれない。
時が経つにつれ、結露などによって隅のほうからめくれて、さらに切れてしまったりして見栄えは悪くなっていった。(下の写真参照)【28日追記】ただし、印刷部分が色あせるようなことはなかった。フイルムの粘着力が低下しただけ。
酒造会社に続く第2段も登場。(1997年には既に登場していたかもしれない)
今度はいすゞ製の大型バス。路線貸切兼用(ワンロマ車)の1985年導入の182~187号車で、水色地に黄色い文字の「七海医院」と白地にいろいろ書かれた(キャラクターも?)「国民年金」が広告主だったはず。
七海医院は泉秋操線(現・泉ハイタウン線)沿線であり、当時は大型バスを中心に運用されていたので、その辺の配慮もあったのだろうか。
また、車体が長い大型バスではその分窓が多いので、中型バスと同じサイズの広告をドア側に4枚、運転席側に7枚と、中型バスより1枚ずつ多く貼付できたはず。
さらに続いて、窓ガラスが大きい(逆T字と呼ばれる、横長の固定窓)大型バスでも実施された。(これも1997年頃にはあった)
1986年度導入の最初期の新塗装車両(日産ディーゼル以外の3メーカー製202~208号車)で、たしか国民年金だったか?
以上は、遅くとも2000年度中にはなくなった(車両自体が廃車された)されたようだ。
そして、最後の窓ガラス広告が、写真に残っている大型バスの「清酒新政」。新政としては2代目でデザインは変更された。
これも逆T字窓の大型車で、1993・1994年度導入のワンステップ車(日産ディーゼルの116~120、いすゞの126~129号車)が使われた。

逆T字窓は窓が大きいだけに、広告1枚あたりが広く取れるようになった。しかし、メーカーによって窓割りに差異が多かったようだ。日産ディーゼル製(厳密には中型バスの車体長だけを延長した「普通型」バスだが、交通局では大型バスとして扱っていた)では非常口後方の窓が狭いため左右とも3枚ずつ、いすゞでは運転席側はドア側にわずか2枚、運転席側に4枚貼っていた。

いすゞ製は各窓の幅が特にまちまちなようで、広告の幅を変えて貼っている。非常口の後ろやドア側のいちばん前は「酒新政」。

これらワンステップ車は、2001年度いっぱいで中央交通へ譲渡された。このため、2002年2月下旬までは貼られていたフイルムが、3月にかけて順次撤去されたようだ。

これをもって、秋田市営バスの窓ガラス広告は約10年間の幕を閉じた。
ところで、窓広告が実施された車両は、メーカーや導入年に偏りがあった。どうしてそれらが選ばれたのか。
選ばれなかった車両を見てみると、理由が推測できる。
1992・1993年度導入の大型車。

逆T字窓の大窓ながら、ガラスが青く着色されている。
これに広告を貼ったら、色がおかしくなるし、車内が暗くなるだろう。
1993年度から導入されたワンステップ車では、ガラスが無着色になり、後に窓広告が実施された。(1993年度は色の有無両方導入したことになる)窓広告が始まったのが1993年度だから、ひょっとしたら、窓広告を行う前提でガラスに色を付けなかったのかもしれない。
三菱や日産ディーゼル(富士重工ボディ)の中型車。

※窓枠の色がシルバーとブラウンなのは、導入年の違いによるもの。1989年導入の240号車までが銀色、翌年の241号車から茶色。


三菱と日産ディーゼルでは、下の窓の天地が短いのだ。
また、三菱ではドア側の後方2枚、日産ディーゼルでは前から2番目と最後部の窓の幅が狭く、これではドア側には2枚しか掲出できない。
特に日産ディーゼルの前から2番目は極端に狭い。一口に中型バスと言っても、だいぶ違うものだ。
したがって、貼るスペースの都合(面積と数)で日野といすゞが選ばれたと考えられる。(まとまった数の同型車が在籍していたということもあるだろう)
ちなみに、マイナーチェンジした1993年度以降の三菱製では後方の窓は通常の幅となった。一方、1994年度の日野製では窓の天地が短くなっている。
以前も紹介したように秋田市営バスでは、車内外のさまざまな場所を使って、さまざまな手段で広告を行い、車両を広告媒体として活用していた。
中でも、通常なら「窓」に過ぎないはずの窓に、企業名などがずらりと並んでいるというのは、目を引いてインパクトがあった。広告効果は高かったはず(広告費に見合うかどうかはともかく)。
また、特殊なフイルムを使うことにより、窓を窓としての機能を損なわずに広告媒体としたのは、車体ラッピングが普及していなかった当時としては、車両広告の最先端だったと言えよう。
秋田市営バスの先進性は、窓広告からも、うかがい知れる。
※2014年には、中央交通で戸袋の窓にただのシールを貼る広告が登場した。この記事中ほど。