前回に続いて弘前市内の風景。
弘前市の街中を流れる川の代表が「土淵川(つちぶちがわ)」。
久渡寺(くどじ)の山が源で、市内を南から北へ抜けて撫牛子(ないじょうし)で平川に合流し、最終的には岩木川となる。
個人的には、城南と桜ヶ丘の間のリンゴ畑の中を経て、弘前大学(文京町地区)の裏から弘南鉄道大鰐線に沿って、土手町の中三の下辺りがなじみ深い。護岸がびっちり固められたずっと下のほうを、ちょろちょろ流れているような感じで、川自体には親しみがなかった。
弘前市中心部が土淵川を谷の底とする地形で、大雑把には街全体が土淵川に向かって下り坂になっている(寒沢スキー場とか)ことや、川沿いの家並みといった周辺環境には、親しみと郷愁を覚える。
土淵川の近くに、護岸や川幅の雰囲気がよく似た、別の川がある。
名前すらうろ覚えで、医学部の裏辺りを流れていたはずだけど、土淵川との区別があいまいだった。
今回、弘前公園から県立弘前高校方向へ向かおうと、医学部付近を適当に歩いていたら、その川に行き当たった。
左奥が弘前公園方向。右の高いのが附属病院、他も医学部関係の建物
この辺りは、土淵川とは別にこの川に向かって下り坂になっている。地形図からでは把握しづらいが、土淵川よりもアップダウンが激しく、また道路と川底の高低差が激しく、ものすごく下に水がある所も。
「寺沢川」の看板
そうそう。寺沢川だった。
看板の下に「昭和52年8月5日 洪水位」とある。1977年夏に岩木川とともにこの川が氾濫し、11名が亡くなったそうだ。
看板の下の線まで水が来たようだ。後に洪水対策がされたようだが、この川幅と深さ(浅さ)では、限界が早かったのだろう。
地形図を見ると、寺沢川は土淵川と一定の距離を置いて並走するような感じだが、長さは短い。
桜ヶ丘や大開から遠くない「茂兵衛堤」が源で、りんご公園裏側、茂森新町、医学部裏を経て、五重塔がある最勝院と弘前高校の谷間で、土淵川に合流する。
上流にはため池が点在し、1977年の水害はその決壊が原因だったそうだ。
※最勝院付近の寺沢川一帯は、江戸時代は池があったとのこと。激しいアップダウンもそのことが関係しているのかもしれない。この記事参照。
川沿いの道を下ってみた。
奥に五重塔。道が急に川より高くなる
県道28号線が最勝院前で交わるのが「日暮橋」。「ひぐらし橋」と読むそうだ。これが寺沢川最後(最下流)の橋。
奥が弘前高校
最勝院と弘前高校それぞれの裏の谷間の薄暗いような所を、半円を描くように進むと、
開けてきて
土淵川と合流
なるほど。こうなっていたのか。
対岸を弘南鉄道大鰐線が走る。このまま進むと中央弘前駅方向。
「階段部入口」だって
昨年の旅番組で、川原にカメラが下りて撮影しており、そんな場所もあったのかと思っていたら、たしかに弘南鉄道の車窓から確認できた。
(再掲)車窓。まだ新しい
その現地がここ。
石の風合いを活かした階段で若干足元が不安だが、ちゃんとした手すりがあって、自由に下りていいのでしょう。
下りてみた。右が寺沢川、奥上が弘前高校
下は平らにならされているが、土むき出しで、ごく限られた範囲しか動けない。
目の前に土淵川
上から見下ろすだけだった土淵川の川原に下りることができ、水に触れられて感激。
水がきれいではない勝手なイメージがあったが、澄んで日の光に輝く。
弘南鉄道が合流直前の土淵川を渡る(水が見えてないし、下手な写真です)
弘高下駅からここまで300メートルほどだが、その間に2度、土淵川を渡る。
ここから中央弘前までは、おなじみの川沿いの線路
川原から見上げる弘南鉄道も、また一興。
ただし、中央弘前方向は、
赤い橋がちらり
川がカーブしていて見通しが利かない。
道路へ上がって、下流方向へ。
その赤い橋は、県道の日暮橋と同じく、最勝院にちなむのか赤くて和風のデザイン。銘板が達筆で読めないけど「清水橋」。
【追記】2022年6月28日放送のNHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」の1104日目で、「富田の清水(シツコ)“御膳水”」が目的地となった。
その中で、富田の清水が「しつこ」なのだから、清水橋も「しつこ橋」ではないかとの話が出た(その発想はなかった)が、橋はあくまでも「しみずはし」とのこと。
橋付近から川に滝のように流れ込む水が。
水量はけっこうあり、きれいな水のよう
この方向に、湧き水の「御膳水」や「富田の清水(しつこ)」がある。おそらくそれ。
そして、
ここにも階段
合流点と同じ構造だが、「階段部入口」表示はなく、県による「増水に注意」の看板が立つ。
水が増えたらすぐ上がれということだそうですが、合流点にはなくていいのかな?
下りてみると、
飛び石があり対岸に渡れる
対岸から下流方向
清水橋から全貌
2つの階段のおかげで、今までにない場所で土淵川に触れられ、親しみが増した。【21日追記】医学部裏から清水橋までの距離は600メートル足らずとお手軽なのもうれしい。
管理者(県のようだが)には、継続して確実な維持管理をお願いしたい。
流れる水、石の階段、土など、一歩間違えれば命に関わりかねない事故につながるのだから。
特に飛び石。土淵川よりは川幅がある秋田市の旭川では、とある場所に昭和末期にちょっとした親水施設が整備され、小さな中州へつながる飛び石などもできた。
ところが、近くの小学校から危険だという声が上がり、児童は遊ばないようにとのお達しが出て、ほとんど使われないまま、現在は中州は草に埋もれてしまっている。
せっかく作ったものだから、有効に適切に末永く活用できるといいものだ。
弘前の街のまた違った光景に触れられたのも楽しかった。やっぱり奥が深い街であり、まだまだ知らないことばかりである。
ちなみにこの1つ下の橋は「黄昏橋」。日暮橋とともに情緒的な名。
弘前大学文京町地区のほう(西弘と西ヶ丘・桔梗野を結ぶ県道)には「弘盛(こうせい)橋」という橋があるが、由来は不明らしい。
※続きは少し下流側について
※2017年の少し上流側
弘前市の街中を流れる川の代表が「土淵川(つちぶちがわ)」。
久渡寺(くどじ)の山が源で、市内を南から北へ抜けて撫牛子(ないじょうし)で平川に合流し、最終的には岩木川となる。
個人的には、城南と桜ヶ丘の間のリンゴ畑の中を経て、弘前大学(文京町地区)の裏から弘南鉄道大鰐線に沿って、土手町の中三の下辺りがなじみ深い。護岸がびっちり固められたずっと下のほうを、ちょろちょろ流れているような感じで、川自体には親しみがなかった。
弘前市中心部が土淵川を谷の底とする地形で、大雑把には街全体が土淵川に向かって下り坂になっている(寒沢スキー場とか)ことや、川沿いの家並みといった周辺環境には、親しみと郷愁を覚える。
土淵川の近くに、護岸や川幅の雰囲気がよく似た、別の川がある。
名前すらうろ覚えで、医学部の裏辺りを流れていたはずだけど、土淵川との区別があいまいだった。
今回、弘前公園から県立弘前高校方向へ向かおうと、医学部付近を適当に歩いていたら、その川に行き当たった。
左奥が弘前公園方向。右の高いのが附属病院、他も医学部関係の建物
この辺りは、土淵川とは別にこの川に向かって下り坂になっている。地形図からでは把握しづらいが、土淵川よりもアップダウンが激しく、また道路と川底の高低差が激しく、ものすごく下に水がある所も。
「寺沢川」の看板
そうそう。寺沢川だった。
看板の下に「昭和52年8月5日 洪水位」とある。1977年夏に岩木川とともにこの川が氾濫し、11名が亡くなったそうだ。
看板の下の線まで水が来たようだ。後に洪水対策がされたようだが、この川幅と深さ(浅さ)では、限界が早かったのだろう。
地形図を見ると、寺沢川は土淵川と一定の距離を置いて並走するような感じだが、長さは短い。
桜ヶ丘や大開から遠くない「茂兵衛堤」が源で、りんご公園裏側、茂森新町、医学部裏を経て、五重塔がある最勝院と弘前高校の谷間で、土淵川に合流する。
上流にはため池が点在し、1977年の水害はその決壊が原因だったそうだ。
※最勝院付近の寺沢川一帯は、江戸時代は池があったとのこと。激しいアップダウンもそのことが関係しているのかもしれない。この記事参照。
川沿いの道を下ってみた。
奥に五重塔。道が急に川より高くなる
県道28号線が最勝院前で交わるのが「日暮橋」。「ひぐらし橋」と読むそうだ。これが寺沢川最後(最下流)の橋。
奥が弘前高校
最勝院と弘前高校それぞれの裏の谷間の薄暗いような所を、半円を描くように進むと、
開けてきて
土淵川と合流
なるほど。こうなっていたのか。
対岸を弘南鉄道大鰐線が走る。このまま進むと中央弘前駅方向。
「階段部入口」だって
昨年の旅番組で、川原にカメラが下りて撮影しており、そんな場所もあったのかと思っていたら、たしかに弘南鉄道の車窓から確認できた。
(再掲)車窓。まだ新しい
その現地がここ。
石の風合いを活かした階段で若干足元が不安だが、ちゃんとした手すりがあって、自由に下りていいのでしょう。
下りてみた。右が寺沢川、奥上が弘前高校
下は平らにならされているが、土むき出しで、ごく限られた範囲しか動けない。
目の前に土淵川
上から見下ろすだけだった土淵川の川原に下りることができ、水に触れられて感激。
水がきれいではない勝手なイメージがあったが、澄んで日の光に輝く。
弘南鉄道が合流直前の土淵川を渡る(水が見えてないし、下手な写真です)
弘高下駅からここまで300メートルほどだが、その間に2度、土淵川を渡る。
ここから中央弘前までは、おなじみの川沿いの線路
川原から見上げる弘南鉄道も、また一興。
ただし、中央弘前方向は、
赤い橋がちらり
川がカーブしていて見通しが利かない。
道路へ上がって、下流方向へ。
その赤い橋は、県道の日暮橋と同じく、最勝院にちなむのか赤くて和風のデザイン。銘板が達筆で読めないけど「清水橋」。
【追記】2022年6月28日放送のNHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」の1104日目で、「富田の清水(シツコ)“御膳水”」が目的地となった。
その中で、富田の清水が「しつこ」なのだから、清水橋も「しつこ橋」ではないかとの話が出た(その発想はなかった)が、橋はあくまでも「しみずはし」とのこと。
橋付近から川に滝のように流れ込む水が。
水量はけっこうあり、きれいな水のよう
この方向に、湧き水の「御膳水」や「富田の清水(しつこ)」がある。おそらくそれ。
そして、
ここにも階段
合流点と同じ構造だが、「階段部入口」表示はなく、県による「増水に注意」の看板が立つ。
水が増えたらすぐ上がれということだそうですが、合流点にはなくていいのかな?
下りてみると、
飛び石があり対岸に渡れる
対岸から下流方向
清水橋から全貌
2つの階段のおかげで、今までにない場所で土淵川に触れられ、親しみが増した。【21日追記】医学部裏から清水橋までの距離は600メートル足らずとお手軽なのもうれしい。
管理者(県のようだが)には、継続して確実な維持管理をお願いしたい。
流れる水、石の階段、土など、一歩間違えれば命に関わりかねない事故につながるのだから。
特に飛び石。土淵川よりは川幅がある秋田市の旭川では、とある場所に昭和末期にちょっとした親水施設が整備され、小さな中州へつながる飛び石などもできた。
ところが、近くの小学校から危険だという声が上がり、児童は遊ばないようにとのお達しが出て、ほとんど使われないまま、現在は中州は草に埋もれてしまっている。
せっかく作ったものだから、有効に適切に末永く活用できるといいものだ。
弘前の街のまた違った光景に触れられたのも楽しかった。やっぱり奥が深い街であり、まだまだ知らないことばかりである。
ちなみにこの1つ下の橋は「黄昏橋」。日暮橋とともに情緒的な名。
弘前大学文京町地区のほう(西弘と西ヶ丘・桔梗野を結ぶ県道)には「弘盛(こうせい)橋」という橋があるが、由来は不明らしい。
※続きは少し下流側について
※2017年の少し上流側