【2016年10月31日カテゴリーを「秋田のいろいろ」から「昔のこと」へ変更】
うっかりして忘れていた。(別に忘れてもいいのだけど)
今年の4月28日で、丸20年だったことを。
1995年4月28日(金曜日だったらしい)、秋田市楢山に「秋田サティ」がオープンした。
「サティ」とは、大阪に本社があった株式会社ニチイ→株式会社マイカル(1996年に社名変更)やその子会社が経営していた総合スーパー。
ニチイ経営の店舗は秋田市初(能代や鷹巣には既に「ニチイ」ブランドの店があった)、サティブランドとしては秋田県初の店舗(後に能代と横手にも開店。能代は撤退し、横手は現・イオン横手店)であった。
現在の「イオン秋田中央店」がそれである。建物の外観も内装も(看板や店舗レイアウトは別として)20年前とほとんど変わっていないと思う。
サティがイオンに変わった経緯は以前記事にしていたが、「サティを経営していたマイカルが経営破綻し、イオン傘下に入ったこと」と「イオンの既存の同コンセプト店『ジャスコ』とブランドを統合するため」であり、2011年3月に全国一斉にサティがイオンにブランド転換している。
したがって、たまに「秋田サティが単独で営業状態が悪かったから、潰れてイオンになった(サティが撤退し、後継にイオンが入った)」と勘違いしている人がいるが、そうではない。むしろサティの中では秋田サティは優良店舗だったらしい。
運営会社とブランドは変わっているが、1度も「撤退」はしておらず、20年間ずっと存続している店である。
(再掲)秋田サティ当時。今も看板が違った程度の差
開店当時、僕は秋田を離れた直後ではあったが、建設途中の状況をよく目にしていたことと、耳慣れぬ「サティ」という店に興味があって、開店の日付まで覚えていたのだった。その後もしばらくはあまり行く機会はなかったけど。
やがて2010年代までに秋田市では、ダイエーもイトーヨーカドーも撤退し、秋田駅や秋田市中心部からいちばん近い総合スーパーが秋田サティ(イオン秋田中央店)になってしまい、今までになく利用するようになっているのは、皮肉なもの。
僕が物心ついた頃は、「市街地の総合スーパー」全盛期だった。
5階建てとかそれ以上のビルがまるまる同じ店で、地階に食品売場。上のフロアへ行けば、文房具や家電製品まで揃う。
そんなジャスコ、ダイエー、イトーヨーカドーなどが、多くの地方都市の駅前や今で言う中心市街地にあった。
やがて、郊外型のショッピングセンターができ、秋田市では1993年に御所野のイオン(現・イオンモール秋田)がオープンし、やがて市街地が衰退し、総合スーパーという形態も受け入れられなくなっていく。
秋田サティがあるのは、楢山の外れの幹線道路沿い。
中心市街地ではないが、秋田市中央部(中心部でなく)の範疇に含まれる場所であり、御所野のようなまるっきり郊外とは違うと思う。
同じような立地の店としては、1986年に旭北にできた長崎屋(現・ドン・キホーテ。こちらも同様にブランドは変わったが撤退はしていない形。もうすぐ30年か)や1979年の土崎ジャスコ(イオン土崎港店)も含まれよう。
車で訪れることを想定している店なんだろうが、周辺から歩いて来店する人もそれなりにいて、中心部と郊外の中間のような立地は悪くないと思う。
売り場は標準的な総合スーパー。個人的にはこれがいちばん便利で楽だと思う。
秋田サティは3階までしかなく地下もないのが、中心部の高層総合スーパーに慣れた者としては珍しかった。長崎屋や土崎ジャスコも同じような構造。
今もおおむねきれいに保たれているが、トイレはちょっと。
当時としては最新の赤外線センサーによる男性用小便器の自動水栓はあるが、個室は和式が多かったり、少々古臭い柄入り壁紙【6月7日追記・二枚貝が並ぶパステルカラーの帯状の部分がある】で、それが汚れたり剥がれたりしているような所もあるのが気になる。【6月16日追記】1階立体駐車場側など多少手直しされたトイレもある。
秋田フォーラスのトイレはもっと古く、おそらく1974年のジャスコオープン時のままではないだろうか。(踊り場にあって便器が多すぎるくらい大量に並び、蛇口は回すタイプ)イオンリテールでは、トイレは改修しない方針なのでしょうか…
例年、4月28日頃には「開店○周年祭」とかいったチラシが折り込まれ、イベントやセールが行われていた。サティからイオンに変わっても(土崎港店や御所野店ではやらない単独セール)。
今年は、4月の最初の週末にそういうチラシが入った。イベントなどもやったようだけど、記念すべき20周年にしては大々的じゃないような気がしたから、これは“前哨戦”で、月末に本格的にやるのかななどと勝手に考えていたら、やらなかったようだ。(そして、そのまま忘れてしまっていた)
節目の20年にしては、寂しいのでは?
上記、ジャスコ土崎港店は、東北地方の旧ジャスコとしては青森店に次いで2番目に古い店で、2009年で30周年を迎えた。
その時は記念式典が開かれ、秋田県知事や岡田卓也氏(名誉会長相談役)も出席したという。
(再掲)当時の広告看板
イオン秋田中央店では、20周年式典はやらないのか。やらないのであれば、その理由は10年足りないから? それとも旧サティだから?
【22日追記】2年前だったはずのイオンモール秋田の20周年式典はやったのだろうか? 全国的にも20年程度のイオンはそれなりに存在するから、20年程度ではこんなものなのかもしれない。それだけ、1980年代から1990年代前半にかけての日本の商業施設の変化は著しく、それをかいくぐって30年存続する土崎港店は、式典を開くにふさわしかったということだろうか。
なお、外旭川にイオンタウンができた場合も、イオン土崎港店は営業を継続する方針であることが、今年の土崎の住民向け説明会で明らかにされたとのこと。(といっても、後で方針変更はいくらでもできますが…)
サティからイオンに名前が変わって、吸収された側の(サティとしての)過去にはこだわらないのかもしれないが、さまざまな変化があった中、撤退せずに20年続いたことは、会社にとっても、お客にとっても(どちらも20年前を知る人は減っているだろうけど)喜ばしいことではないだろうか。
ダイエー秋田店は21年、イトーヨーカドー秋田店は30年で撤退した。イオン土崎港店は今年で36年目。イオン秋田中央店がいつまで続くのか分からないけれど、末永く繁盛することを祈ります。
※開店当時の記録はこちら。
※2024年のイオン秋田中央店の開店記念セールについて。
余談だが、イオンの前身であるジャスコのCMソング「ジャスコで逢いましょう(作詞:横内理和 作曲:中村泰士)」。
かつてはテレビCMや店内で流れていた。今もボサノバ風にアレンジされたものが流れていることがあるらしいが、秋田の店ではどうだろう?
その替え歌が子どもたちに広まっていたというのを、昔、朝日放送「探偵!ナイトスクープ」でやっていた。
1998年6月放送の立原啓裕探偵による「必ず歌ってしまう替え歌」で、大阪での街頭インタビューでどのように替えていたかを調査した。(見た記憶はあるが、今から10年くらい前かと思っていた)
その結果、「♪ジャスコで万引き ダイエーで食い逃げ ニチイで捕まりブタ箱へ」というパターンがいちばん多かった。
当時は、ニチイからサティ(もしくはビブレ)への転換途上だったし、大阪が株式会社ニチイの本拠地でもあったから、「ニチイ」だったのだろう。
今にして思えば、ニチイもダイエーもイオン傘下に入ってしまい、間もなくダイエーの店舗名も消える。全部「イオン」になることを預言していたかのような歌詞でもある?
替え歌には他のパターンも存在し、地域差もあったようだ。(歌い出しは「♪ジャスコで万引き」でほぼ共通)
ネットで調べてみると、ローカルスーパーが出てきたり、地域によって適切なスーパーがなかったのか百貨店名や「生協(またはコープ)」が出てきたり、あとなぜか「そば屋(で食い逃げ)」が好まれたようだ。
逮捕されずに逃亡したり、窃盗以外に重い罪を重ねたり、再犯をほのめかすような歌詞もある。
(そういった意味では、大手総合スーパーのみを列挙し、最後は捕まって終わるナイトスクープのパターンは、ストーリーとしてうまくまとまっている?)
秋田ではどうだったのだろう?
僕はCMソングは子どもの時から知っていたが、替え歌は知らなかった。(替え歌といえば「うれしいひなまつり」とか「忍者ハットリくん」)
ネット上にわずかながら情報があり、いとく、ダイエー、西武、サティ、ユニオン、ユーワ、サンホーユ、つるまい、サンプラザが登場するものを確認。
「ユニオン」「ユーワ」は横手、「サンホーユ」は能代にそれぞれあったスーパーだそう。サンホーユは後にニチイ能代店→能代サティとなる。
「つるまい」は秋田市以南(?)で展開していたスーパーで、マックスバリュ東北の前身。「ジャスコ本荘店」を運営していた時期もあるので、歌詞上、万引きの被害も重複して受けた可能性がある。
「サンプラザ」は秋田市土崎にあった「サンプラザつるまい」のことだそう。上記つるまいが経営する店舗(本荘のジャスコも「サンプラザ本荘」だった時期がある)で、現在のマックスバリュ東北本社の建物のことらしい。
地元スーパー「いとく」は秋田市以北の展開、ダイエーは秋田市1店舗。
秋田市に「西武」ができたのは1984年。それ以前は地元百貨店「本金(ほんきん)」で、1984年から2006年までは「ほんきん西武」。【23日追記】したがって、純粋な「西武」になったのは2006年以降。ほんきん西武時代の通称は「西武」派と「本金」派があった。今でも年配の人は「本金」と呼ぶ人もいる。
書き込んだ人の年齢が不明だが、秋田で「サティ」が出てくるからには1995年以降だろう。(後に能代と横手にも開店)
東日本では「(イトー)ヨーカドー」が出てきても良さそうだけど、秋田以外でも例はなさそう。メロディに載せにくいからか、東日本ではこの替え歌がさほど流行らなかったからか?【コメントで情報をいただいたように、秋田でヨーカドーが出てくる歌詞が存在したとのこと】
だいぶ話がそれましたが、ついこの間だったような1995年から、もう20年。
Windows95が発売され、マルチメディアブームとなるのもこの年のことであった。
うっかりして忘れていた。(別に忘れてもいいのだけど)
今年の4月28日で、丸20年だったことを。
1995年4月28日(金曜日だったらしい)、秋田市楢山に「秋田サティ」がオープンした。
「サティ」とは、大阪に本社があった株式会社ニチイ→株式会社マイカル(1996年に社名変更)やその子会社が経営していた総合スーパー。
ニチイ経営の店舗は秋田市初(能代や鷹巣には既に「ニチイ」ブランドの店があった)、サティブランドとしては秋田県初の店舗(後に能代と横手にも開店。能代は撤退し、横手は現・イオン横手店)であった。
現在の「イオン秋田中央店」がそれである。建物の外観も内装も(看板や店舗レイアウトは別として)20年前とほとんど変わっていないと思う。
サティがイオンに変わった経緯は以前記事にしていたが、「サティを経営していたマイカルが経営破綻し、イオン傘下に入ったこと」と「イオンの既存の同コンセプト店『ジャスコ』とブランドを統合するため」であり、2011年3月に全国一斉にサティがイオンにブランド転換している。
したがって、たまに「秋田サティが単独で営業状態が悪かったから、潰れてイオンになった(サティが撤退し、後継にイオンが入った)」と勘違いしている人がいるが、そうではない。むしろサティの中では秋田サティは優良店舗だったらしい。
運営会社とブランドは変わっているが、1度も「撤退」はしておらず、20年間ずっと存続している店である。
(再掲)秋田サティ当時。今も看板が違った程度の差
開店当時、僕は秋田を離れた直後ではあったが、建設途中の状況をよく目にしていたことと、耳慣れぬ「サティ」という店に興味があって、開店の日付まで覚えていたのだった。その後もしばらくはあまり行く機会はなかったけど。
やがて2010年代までに秋田市では、ダイエーもイトーヨーカドーも撤退し、秋田駅や秋田市中心部からいちばん近い総合スーパーが秋田サティ(イオン秋田中央店)になってしまい、今までになく利用するようになっているのは、皮肉なもの。
僕が物心ついた頃は、「市街地の総合スーパー」全盛期だった。
5階建てとかそれ以上のビルがまるまる同じ店で、地階に食品売場。上のフロアへ行けば、文房具や家電製品まで揃う。
そんなジャスコ、ダイエー、イトーヨーカドーなどが、多くの地方都市の駅前や今で言う中心市街地にあった。
やがて、郊外型のショッピングセンターができ、秋田市では1993年に御所野のイオン(現・イオンモール秋田)がオープンし、やがて市街地が衰退し、総合スーパーという形態も受け入れられなくなっていく。
秋田サティがあるのは、楢山の外れの幹線道路沿い。
中心市街地ではないが、秋田市中央部(中心部でなく)の範疇に含まれる場所であり、御所野のようなまるっきり郊外とは違うと思う。
同じような立地の店としては、1986年に旭北にできた長崎屋(現・ドン・キホーテ。こちらも同様にブランドは変わったが撤退はしていない形。もうすぐ30年か)や1979年の土崎ジャスコ(イオン土崎港店)も含まれよう。
車で訪れることを想定している店なんだろうが、周辺から歩いて来店する人もそれなりにいて、中心部と郊外の中間のような立地は悪くないと思う。
売り場は標準的な総合スーパー。個人的にはこれがいちばん便利で楽だと思う。
秋田サティは3階までしかなく地下もないのが、中心部の高層総合スーパーに慣れた者としては珍しかった。長崎屋や土崎ジャスコも同じような構造。
今もおおむねきれいに保たれているが、トイレはちょっと。
当時としては最新の赤外線センサーによる男性用小便器の自動水栓はあるが、個室は和式が多かったり、少々古臭い柄入り壁紙【6月7日追記・二枚貝が並ぶパステルカラーの帯状の部分がある】で、それが汚れたり剥がれたりしているような所もあるのが気になる。【6月16日追記】1階立体駐車場側など多少手直しされたトイレもある。
秋田フォーラスのトイレはもっと古く、おそらく1974年のジャスコオープン時のままではないだろうか。(踊り場にあって便器が多すぎるくらい大量に並び、蛇口は回すタイプ)イオンリテールでは、トイレは改修しない方針なのでしょうか…
例年、4月28日頃には「開店○周年祭」とかいったチラシが折り込まれ、イベントやセールが行われていた。サティからイオンに変わっても(土崎港店や御所野店ではやらない単独セール)。
今年は、4月の最初の週末にそういうチラシが入った。イベントなどもやったようだけど、記念すべき20周年にしては大々的じゃないような気がしたから、これは“前哨戦”で、月末に本格的にやるのかななどと勝手に考えていたら、やらなかったようだ。(そして、そのまま忘れてしまっていた)
節目の20年にしては、寂しいのでは?
上記、ジャスコ土崎港店は、東北地方の旧ジャスコとしては青森店に次いで2番目に古い店で、2009年で30周年を迎えた。
その時は記念式典が開かれ、秋田県知事や岡田卓也氏(名誉会長相談役)も出席したという。
(再掲)当時の広告看板
イオン秋田中央店では、20周年式典はやらないのか。やらないのであれば、その理由は10年足りないから? それとも旧サティだから?
【22日追記】2年前だったはずのイオンモール秋田の20周年式典はやったのだろうか? 全国的にも20年程度のイオンはそれなりに存在するから、20年程度ではこんなものなのかもしれない。それだけ、1980年代から1990年代前半にかけての日本の商業施設の変化は著しく、それをかいくぐって30年存続する土崎港店は、式典を開くにふさわしかったということだろうか。
なお、外旭川にイオンタウンができた場合も、イオン土崎港店は営業を継続する方針であることが、今年の土崎の住民向け説明会で明らかにされたとのこと。(といっても、後で方針変更はいくらでもできますが…)
サティからイオンに名前が変わって、吸収された側の(サティとしての)過去にはこだわらないのかもしれないが、さまざまな変化があった中、撤退せずに20年続いたことは、会社にとっても、お客にとっても(どちらも20年前を知る人は減っているだろうけど)喜ばしいことではないだろうか。
ダイエー秋田店は21年、イトーヨーカドー秋田店は30年で撤退した。イオン土崎港店は今年で36年目。イオン秋田中央店がいつまで続くのか分からないけれど、末永く繁盛することを祈ります。
※開店当時の記録はこちら。
※2024年のイオン秋田中央店の開店記念セールについて。
余談だが、イオンの前身であるジャスコのCMソング「ジャスコで逢いましょう(作詞:横内理和 作曲:中村泰士)」。
かつてはテレビCMや店内で流れていた。今もボサノバ風にアレンジされたものが流れていることがあるらしいが、秋田の店ではどうだろう?
その替え歌が子どもたちに広まっていたというのを、昔、朝日放送「探偵!ナイトスクープ」でやっていた。
1998年6月放送の立原啓裕探偵による「必ず歌ってしまう替え歌」で、大阪での街頭インタビューでどのように替えていたかを調査した。(見た記憶はあるが、今から10年くらい前かと思っていた)
その結果、「♪ジャスコで万引き ダイエーで食い逃げ ニチイで捕まりブタ箱へ」というパターンがいちばん多かった。
当時は、ニチイからサティ(もしくはビブレ)への転換途上だったし、大阪が株式会社ニチイの本拠地でもあったから、「ニチイ」だったのだろう。
今にして思えば、ニチイもダイエーもイオン傘下に入ってしまい、間もなくダイエーの店舗名も消える。全部「イオン」になることを預言していたかのような歌詞でもある?
替え歌には他のパターンも存在し、地域差もあったようだ。(歌い出しは「♪ジャスコで万引き」でほぼ共通)
ネットで調べてみると、ローカルスーパーが出てきたり、地域によって適切なスーパーがなかったのか百貨店名や「生協(またはコープ)」が出てきたり、あとなぜか「そば屋(で食い逃げ)」が好まれたようだ。
逮捕されずに逃亡したり、窃盗以外に重い罪を重ねたり、再犯をほのめかすような歌詞もある。
(そういった意味では、大手総合スーパーのみを列挙し、最後は捕まって終わるナイトスクープのパターンは、ストーリーとしてうまくまとまっている?)
秋田ではどうだったのだろう?
僕はCMソングは子どもの時から知っていたが、替え歌は知らなかった。(替え歌といえば「うれしいひなまつり」とか「忍者ハットリくん」)
ネット上にわずかながら情報があり、いとく、ダイエー、西武、サティ、ユニオン、ユーワ、サンホーユ、つるまい、サンプラザが登場するものを確認。
「ユニオン」「ユーワ」は横手、「サンホーユ」は能代にそれぞれあったスーパーだそう。サンホーユは後にニチイ能代店→能代サティとなる。
「つるまい」は秋田市以南(?)で展開していたスーパーで、マックスバリュ東北の前身。「ジャスコ本荘店」を運営していた時期もあるので、歌詞上、万引きの被害も重複して受けた可能性がある。
「サンプラザ」は秋田市土崎にあった「サンプラザつるまい」のことだそう。上記つるまいが経営する店舗(本荘のジャスコも「サンプラザ本荘」だった時期がある)で、現在のマックスバリュ東北本社の建物のことらしい。
地元スーパー「いとく」は秋田市以北の展開、ダイエーは秋田市1店舗。
秋田市に「西武」ができたのは1984年。それ以前は地元百貨店「本金(ほんきん)」で、1984年から2006年までは「ほんきん西武」。【23日追記】したがって、純粋な「西武」になったのは2006年以降。ほんきん西武時代の通称は「西武」派と「本金」派があった。今でも年配の人は「本金」と呼ぶ人もいる。
書き込んだ人の年齢が不明だが、秋田で「サティ」が出てくるからには1995年以降だろう。(後に能代と横手にも開店)
東日本では「(イトー)ヨーカドー」が出てきても良さそうだけど、
だいぶ話がそれましたが、ついこの間だったような1995年から、もう20年。
Windows95が発売され、マルチメディアブームとなるのもこの年のことであった。