JR東日本秋田支社では、弘前さくらまつりの観光客向けの臨時列車を、毎年いくつか運行する。
固定されているさくらまつりの開催日に合わせて運転が設定される。今年のような早咲きあるいは遅咲きの年は、まつりは「準まつり体制」を前後に取るが、臨時列車は対応しきれない。
JRとしてはどの程度儲かっているのか知らないけれど、毎年続いているからには、それなりなんだろう。
ラインナップは毎年決まっていて、
・秋田内陸縦貫鉄道に乗り入れて2つの桜の名所、角館と弘前を結ぶ快速列車「角館武家屋敷とさくら号(上り)」、「弘前お城とさくら号(下り)」。
・2011年に運転が始まり、秋田から日帰りで夜桜を見られる、クルージングトレイン(元リゾートしらかみ初代青池編成)を使用した全席指定の快速「弘前夜桜観賞号」。※“鑑”賞ではない
他に、昔は特急車両を使った快速列車が青森-弘前で運転されていたが、東北新幹線の八戸だったか新青森開業以降は設定されていない。
そして、イベント名称をそのまま名乗る、快速「弘前さくらまつり号」である。
秋田からの日帰りに対応したダイヤ。所要時間は各駅停車と特急の中間くらいの2時間半ほど。往復とも利用すれば弘前に4時間半滞在できる。自由席と指定席があり、この列車を利用した団体旅行やパック旅行もある。
「弘前さくらまつり号」は歴史も長く、僕が記憶している限りでは、1995年頃にはほぼ同じダイヤで特急として運行されていた。列車名は「弘前さくら」号だったかもしれない。
その後、いつの間にか快速列車化された。
使用車両は特急用電車。「たざわ」→「かもしか」用の485系電車がよく使われた。
当初は5両編成だったかもしれないが、末期は3両編成なので、特に見頃にドンピシャの土日などの自由席は混雑が激しい場合もあったと聞いた。
年によっては485系ではなく583系電車が使われることもあった。
近年は「かもしか」廃止後は秋田の485系が廃車されたため、583系がレギュラー。
ここで583系電車について。
1967年から国鉄が製造した特急用電車。※当初は581系として登場。
最大の特徴は同じ車両を座席と寝台の両方で使用できる(昼夜兼用)こと。加えて、機関車にひかれる「客車」ではなく、モーターを搭載し自走する「電車」の寝台車であることも特徴。いずれも日本初(世界初?)であった。
国鉄としては車両の有効活用を意図していたようだが、昼夜それぞれ専用車のほうが評判が良く、後継車両は造られなかった。
東日本方面では、昼の「はつかり」夜の「ゆうづる」「はくつる」など東北本線や常磐線経由で上野と青森を結ぶ列車を中心に使われた。(定期列車としては1993年まで)
秋田など日本海側では定期列車としては、1990年代に急行「津軽」として使われた程度。あとは臨時の「あけぼの」や修学旅行の「集約臨時列車」、TDLツアー「わくわくドリーム号」といった団体専用列車を中心に走った。
長らく青森の車両基地に配置されていたが、最後まで残った2本が東北新幹線八戸開業(2002年)を機に、仙台と秋田へ1本ずつ移籍。
その後、秋田の編成のほうが老朽化していたため廃車。代わりに2011年に仙台の編成が秋田へ異動して現在に至っている。
JR西日本で急行「きたぐに」に使っていた583系も、同列車の廃止に伴って廃車(1両は博物館展示用として車籍保有)。
したがって、今回「弘前さくらまつり号」に使われた、秋田車両センターの583系電車が、唯一の現役の583系電車ということになる。
そんなわけで、583系は今となっては貴重な車両である上、現在は団体専用で使われることが多い中、乗車券だけで乗れる快速「弘前さくらまつり号」は、鉄道愛好者にとっても絶好の列車でもあるのだ。
ところで今年は、NRE(日本レストランエンタプライズ。旧・日本食堂)秋田列車営業支店が、「弘前さくらまつり号運転記念プレート」なるものを発売した。300枚を秋田駅在来線改札内のNRE弁当売店(秋田杉の謎の窓口ができた所)で限定販売。
244ミリ×144ミリのアクリル板に、583系の精巧なイラストや3号車ドア横の表示を描き、1600円。(個人的にはかなり高いと感じるけれど、それなりに売れているようだ。)
ただし、売店の営業は17時まで。上りさくらまつり号の秋田着は18時35分なので、帰りに買うことはできないというのは、商売下手。
最近は、SLとかリバイバル列車ではこの手の乗車記念品をよく売っているけれど、さくらまつり号で売るのが唐突で意外だった。
最近はマメにグッズ販売を発表するJR東日本秋田支社のホームページには告知がなく、コンビニのNEWDAYSでは売らないので、NRE秋田の独断で企画した商品なんだろうが、そういうやり方が変わっている。(NEWDAYSと協力すれば、上りの客が買う機会もあるのに)
583系電車はかなりの高齢だから、いつ引退しても不思議ではないと思う。
1年後には北海道新幹線が函館まで開業するから、青森に配置されている485系電車に余剰が生じると考えられる。485系は583系よりは新しいから、来年のさくらまつり号は485系に再度交代ということもなくはないかもしれない。
唐突に記念グッズが発売されたことも合わせるとそんな気がしてきて、今回、1泊の弘前への行きも帰りも583系の「さくらまつり号」を利用してみた。
昔はさくらまつり期間中は毎日運転されていたはずだけど、近年は期間中の土日祝日を中心に運行。
今年は4月25日~29日、5月2日~6日の10日の運行。水曜日の祝日である29日の前の平日は運転するのに、後の平日30・1日は運転なしなのが不思議だけど、例年こんな感じ。
自由席2両、指定席4両。乗るのは平日だし、ソメイヨシノの見頃は過ぎているし、自由席でも良さそうだけど、583系を運行してくれるJR東日本への一助になればと思って、指定席(1回510円)を利用。
ポイントが欲しいからJR東日本のネット予約「えきねっと」で予約。
えきねっとでは、シートマップ(座席配置)を見ながらピンポイントで予約できる列車がほとんど。クルージングトレインの夜桜観賞号でも対応していた。
だけど、弘前さくらまつり号は非対応。
その理由は、583系の座席が2人ずつ向かい合うボックスシートだからだろう。1列ごとにABCDが振られるのではなく、1ボックス単位で同じ数字でボックス内でABCDが振られるから、勝手が違うのでしょう。
調べてみると、6号車以外は上りはA席、下りはD席が進行方向向きの窓側になるそうだ。6号車では逆になるが、自由席。
えきねっとでは、ABCDを指定して予約することはできたものの、3人が埋まっているボックスに押し込められて割り当てられてもイヤだから、「窓側」だけの指定で申し込んでみた。空いているボックスの進行方向向きを割り当ててくれると期待して。
きっぷを受け取ると、行きは順当に「A席」。
帰りは逆向きの窓側の「A席」。混んでいてD席が全部埋まっている、わけはないだろうなと思ったが、案の定、空いていた。周りを見渡せば、他のお客さんも逆向きに座っている人が多い。
えきねっとではなく、窓口や券売機で購入した人もいると思われるから、システム全体の誤設定か何かで、下りでもA席から優先して発売してしまったのだろう。
実際には、みなさんそれぞれで1ボックス独占状態だったから、問題はなかった。
上記の通り、秋田では583系の乗車機会が多くないため、個人的にはさほど思い出や思い入れのある車両ではない。
でも、国鉄型車両の中でも特異な存在であり意識はしていたし、何度か乗った経験はあり好印象だった。
これまで乗ったのは、座席仕様で中学校の修学旅行で秋田→青森と中越地震による不通で運休になった「あけぼの」の代走「かもしか」で秋田→弘前の2回。寝台仕様で急行「きたぐに」に3回(いずれも下段)。以上、計5回のはず。けっこう乗っているほうかも…(だけど485系には優に100回以上乗ってるから、それと比べれば少ない)
秋田車両センターの公開で、座席・寝台半分ずつの車内(最近の秋田のツアーの定番)を見学したこともあった。
では、行きと帰りをおりまぜた乗車記です。
改札口やホームのLED式発車標では、「弘前さくらまつり」は文字数が多くて、表示に苦労している。
秋田駅では、
恒例のこの表示
「さくらまつり」を1文字分に組み込んだ、手作り感あふれる文字。英字表記もあり。(昨年の記事参照)
弘前駅では、
文字は小さいながら、ちゃんとした文字データっぽい
ちなみに2010年の弘前駅では、違う表示だった。
(再掲)2010年の弘前駅。手作りっぽい?
※上の路線・方面の表示も英字が添えられるなど変わっていた。表示器自体は同じはず。
途中の東能代駅ホームの新しめの発車標では、文字データで「弘前さくら」と表示されていた。
583系「弘前さくらまつり号」
見慣れた485系電車の色違いのようなスタイル。
かつての特急は鼻先が長いボンネット型で(485系も初期型はそうだった)、初めて平らな形状になったのが583系だったそうだ。当初は「電気釜」などと揶揄されて好みが別れたそうだが、個人的にはこれこそ国鉄の特急。
なお、583系は寝台車としても使うための車内構造の違いから、485系よりやや大柄な車体。
愛称表示(ヘッドマーク)・行き先表示が「臨時」なのも、毎年のこと。NREのプレートでも忠実に「臨時」とされてしまっている。
味気ないし毎年使うのだから、桜のイラスト入りマークでもセットしたらという意見を時々目にする。
ドア横の表示も「臨時」
485系などでは横長の側面表示が、583系では正方形なのが特徴。ドアが引き戸でなく折り戸(ゴロゴロという開閉音の防止)だったり、電車3段式寝台を示す「★★」マークがあるのが、寝台車ならでは。
ホームに乗車位置表示はある
発車標や乗車位置表示があったとしても、列車自体には「臨時」としか表示がないから、戸惑う人もいる。特に日本語が分からない人には。
この時もホームで、通りかかった他列車の乗務員に指定券を示し、この列車に乗っていいのか尋ねる外国人旅行客がいた。言葉は英語を使っていたが中国系の人に見えたから、「弘前」の文字が車体にあれば理解できただろう。(「臨時」だと、伝わったとしても「臨時」しか分からないし。それは日本人でも同じか)
やはり車両自体に表示が必要だと感じた。
【22時30分追記】あと、車内に自由席か指定席かの区別を示す表示がなかったのも、少々不親切(外のドア横にはある)。かつての表示板は蛍光色の「禁煙」表示に替わったようだ。
車内へ。
583系・座席仕様の車内
JR化後に座席の布地が色・柄入りのものに交換されていたが、この車は仙台時代に国鉄当時に極力近いものに再度改装されており、懐かしい青色。
座席
4人掛けボックスシート。当然ながらリクライニングなどせず、半数の人は後ろ向きで旅する。
普通列車のボックスシートよりも間隔が広く、掛け心地も柔らかい。窓側の凹みは肘掛け。通路側の肘掛けには小テーブルが収納されている。
現在は窓に横引きプリーツカーテンが付いているが、製造当初は二重窓で間にハンドルを回して開閉するブラインドが入っていた。(中学校の修学旅行の時はそれだった)
【11日追記】当初は壁のテーブルの底面に栓抜き、その下に灰皿が装備されていたがなくなっている。ほぼ同じ構造で2段式である客車の開放(=個室でない)A寝台では、壁側の肘掛けはなく(そこに灰皿)、テーブルはもっと大きな折りたたみ式のものがあったようだ。
今の感覚では信じられないけれど、昔はこの座席に対して特急料金を払っていたのだし、上野-青森間を8時間以上もこの座席に座って移動していたのだ。
改めて583系の座席に座ってみると、座り心地はいい。
背もたれの下のほうの角度が絶妙(普通列車より大きい)なのか、背中の辺りがフィットして姿勢を正して座っても疲れない(逆にだらしなく座りづらい構造かも)。靴を脱いで前の席に足を投げ出すには、間隔がちょっと広すぎた。
背もたれは低めで、僕の座高では枕カバーが頭より下になってしまうものの、前後の席との隔絶感はある。
座ると天井の高さが分かる
583系は寝台車にもなるわけだが、その構造には感心させられる。
僕は座席仕様も寝台仕様も知っているけれど、同じ車両だとは信じがたい。あの変わりようを考え出した国鉄はすごい。
(再掲)秋田車両センター公開時の座席・寝台半分ずつ仕様
昼間仕様を基準にすれば、座席の背もたれ上辺が中段寝台、荷棚が上段寝台のそれぞれ底で、昼はそれぞれ壁面に収納されている。
荷棚が少し高い位置にあったり、天井際の壁が重々しい装備なのは、そういう事情なのだ。
どこかをガチャンとやればベッドが下りてくるのでしょう(やったら怒られます)
下段寝台を作るのは比較的簡単。※やったら怒られるし、できないように固定されている場合もあるかもしれません。【8日補足】空いている時などは、大目に見てくれる車掌もいるようだ。
座席の座布団部分を前方に引っ張れば、背もたれの下の部分とともにスライドして、平面のベッドになるのだ。(リゾートしらかみのボックス席と同じ発想)凹凸があるので寝台運行時は布団が敷かれる。
秋田の中学校の修学旅行の集約臨時列車では、先輩や兄姉から“伝授”されたのか、偶然“発見”したのか、毎年のように誰かがこれを実行していたようだ。僕たちの時もやった子がいて、先生に怒られることはなかったが、真似する生徒が続出する事態にもならなかった。
それと、座席の中にいたままでこの作業を実施すると、最終的にはスライドした両方の座席で脚を挟まれることになり、修学旅行出発早々に弁慶の泣き所を強打する生徒もいた(けっこう痛いらしい)。
実は今回も、途中駅から乗りこんできた鉄道マニアであろう男が、片側の座席だけ寝台構造にして寝転んでいたが、30分もしないうちに元に戻していた。あまり居住性は良くないのかもしれない。(正当な使い方でないから当然か)
枕カバーをめくると…
背もたれの途中に「体操用マットの耳」状のものが付いている
寝台から座席へ戻すときは、これを引っ張るのだろう。
壁にフックが2つ。1つは上下逆?
座席仕様では使えない向きのフックがあるが、これは寝台にした時は上から下りてくる中段部分の裏側。つまり下段寝台の人が使うフック(ハンガー掛け?)なのでしょう。
583系は3段式寝台なので、特に中段・上段は天地方向がとても狭い。
その中で、通が指定して買うという位置があった。「パン下」ことパンタグラフの下の中段である。
電車だから集電装置のパンタグラフが屋根にある。大柄な車体である583系では、パンタグラフを設置する部分の屋根を車内側に下げて天井を低くしている。
そのため、そこには3段分の寝台を設けられず、上段がない2段になっている。そこの中段は天地が広くて好まれたという。
パン下は先頭・最後尾を除き、2両に1両の割合で8区画ずつある。
天井や照明が下がっている部分がパン下
パン下では、荷棚の構造(伸び縮みしそう)や収納された中段部分の角度が異なっていた。いっそう複雑な造り。
ところで、首都圏でこんな列車が運転されたら、鉄道マニア(という言い方は好きではないけど、あえて使います)が殺到するだろう。乗ったり撮ったり。
「弘前さくらまつり号」でも、(僕自身も含めて)けっこう来ていたが、首都圏に比べるとかなり少ない。指定席では愛好者とそうでない観光客が半々くらい。
発車前は写真を撮る人が(僕自身も含めて)うろうろしていたものの、走行中はみなさん静かに旅を楽しんでいたようだ。
観光客は秋田から日帰りで花見に来た家族連れ(年配の夫婦とか母娘とか)が多いのは恒例。さらに行きは中国または台湾系の外国人が多かった。2~3人の小グループが複数組で、静かに乗っておられた。
沿線では、撮影するいわゆる「撮り鉄」がいた。これも首都圏や引退間近の列車ならものすごい人数だったり、違法行為(車での道交法違反、禁止場所への立ち入り等)をする人が出てしまいそうだが、今回はそこまでではなさそうだった。ただし、一歩間違えば本人がケガしそうな場所(列車に対しての危険はなさそう)で撮影していた人を見た。無茶はしないでね。
【5日追記】某途中停車駅裏にある某社本社から、社員と思しき人が飛び出してきたと思ったら、柵越しに583系の写真を撮って、そそくさと戻っていったというほほえましい光景も目撃。
今年の「弘前さくらまつり号」のダイヤは、下りが秋田2番線8時23分→弘前1番線11時42分、上りが弘前2番線16時07分→秋田3番線18時35分。
停車駅は上下とも土崎、追分、八郎潟、鹿渡、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、早口、大館、碇ケ関、大鰐温泉。
特急+土崎、追分、鹿渡で、昔の急行並みか。大久保に停まらないのが珍しいかも。
各駅の停車時間は長くても3分ほど。
反対列車との行き違いの運転停車は、下りはなく、上りは鯉川で「つがる」と交換のため4分停まっただけ。
非常に“きれいな”ダイヤで気持ちよく移動できた。欲を言えば大館で少し長く停まってくれたら、コンビニでお土産でも買えたか…
3分停車の下りの追分駅で、跨線橋を渡って1番線に行って写真を撮っていた人がいたけれど、よくやるなぁ。
例年同様、車掌は秋田運輸区が往復とも通しで担当。
今回は行きは1名、翌日の帰りは2名乗務だった。指定席の検札は、行きはなく、帰りはあった。
車内放送のメロディは、本来は「鉄道唱歌」のオルゴールが搭載されていたが、JR東日本の改造車両でよく搭載されているクラシック音楽の電子チャイムに更新。
行きの車掌は「春の歌(メンデルスゾーン無言歌集)」、帰りは「春の歌」と「春(ヴィヴァルディ四季)」が流れた。「さくらまつり号」にふさわしい選曲? 本当の理由は演奏時間の長短かもしれない。「春の歌」が短いので好んで流す車掌が多い感じ。長い「美しき青きドナウ」や「主よ、人の望みの喜びよ」はあまりかからない。
行きでは、発車して間もなく「本日は1号車と2号車で車内放送が聞こえにくく、3号車でも音量が低くなっております」と放送が流れた。当該車両では聞こえないわけですが。
帰りはその2号車に乗って、ちゃんと聞こえていたので直っていた。
【5日追記】行き帰りとも、車掌が客室に出入りする時の一礼(以前の記事)はなし。どうでもいいけど、新幹線・特急や急行じゃないからか。反対に普通列車ではあまり行わない、始発駅発車後の放送での車掌の「秋田運輸区○○が終点までご案内いたします」といった自己紹介はあった。
【19日追記】583系は1両につきドアが1つで、上記の通り6号車だけ向きが逆転している。そのため、5号車と6号車の間にはドアがないことになるので、その旨を放送した車掌もいた。
横長の窓。485系よりは小さいけど充分
「窓かまち」と呼ばれる窓下の出っ張りは、材質も形状も485系のものにそっくりだが、幅は少し狭い。
上記の通り、製造当初は二重窓で窓かまちはなかった(内側のガラスと壁が同じ面だったはず)から、後付けか。
行きも帰りも、指定席のお客はほぼ全員が秋田-弘前を乗り通した。
自由席のほうは入れ替わりがあったと推察されるが、この手の臨時列車は、地元の通学や用務で利用する客も当然利用できる。
上りは大館発秋田行き各駅停車が直前を走るためか、そういう客はいなかったようだ。下りは特急と各駅停車大館行きの間であるため多少はいたようだが、思ったほど多くなかった。乗り得なのに。
【22時30分追記】上りでは、弘前から碇ケ関止まりの普通列車に15分先行するので、駅員に確認して乗り込む人がちらほら見られた。
弘前まで車窓をじっくり眺めながら行くのは、気分的には久しぶり。
八郎潟駅前に「八郎潟町えきまえ交流館・はちパル」(今年5月1日オープン)、鹿渡駅前に「琴丘地域拠点センター・じょもん」(2013年)がそれぞれできていた。
【6日追記】追分-大久保間の「大清水信号場」が2013年で廃止され、近くの鉄道林跡にJR東日本によるメガソーラーができていた。
この区間を利用するようになって20年になるが、ずっと変わらないものもある。
上の山腹に
早口駅から見える常緑樹による「田代」の文字は、田代町の大館市への編入から10年経っても健在。
青森県に入って、碇ケ関-長峰間の大鰐町の川沿いに、
「陽気ドライブイン」
国道7号線に面していて、線路からは裏側しか見えない。
高速道路や道の駅ができてドライブインは落ち目だから、ここも名前とは裏腹の状態ではないかと、見る度に失礼ながら想像していた。ネットで調べると、定食やラーメンがおいしいそうだ。
行きでは、大館駅発車後の走りが特急並み。7号線の車を抜きながらぐんぐん進む。
県境には、長さ3180メートルの矢立トンネルがある。この区間の許容最高速度95km/hだと、2分ジャストで抜けられる計算になるが、トンネル前後に駅(陣場、津軽湯の沢)があるため、普通列車では2分半~3分かかり、「つがる」など電車特急でも2分20秒前後かかることが多い。かつての「白鳥」は、いつも2分ジャストで抜けていた。
今回の「弘前さくらまつり号」の下りは2分ジャスト! 上りも2分15秒ほどであり、臨時の快速列車、かつ古くて重い583系としては上出来。
ダイヤでは陣場と津軽湯の沢の通過時分も厳密に決められているから、飛ばし屋の運転士だったわけではなく、そういうダイヤを組んであるんだろう。
583系の(座り心地ではなく)乗り心地の良さも実感できた。
昨今の車両の軽くて滑らかな乗り心地の良さとは違う良さで、国鉄車両らしいどっしりとした乗り心地。重量や重心の違いなのか485系よりもさらに重厚な感じ。
寝台車でもあることから静粛性にも配慮され、ドアの開閉音はしないし、二重ドアでモーターのうなりやホームや外の音もほとんど聞こえない。2両目くらいだと先頭車の警笛は「ひーん」と少し控えめに聞こえた。
485系同様、発車時にガクガクと加速するのは、旧式の制御装置の宿命。
弘前駅ではこんなに乗っていたのかというくらい多くが降りた。エスカレーターの下などで駅員が人数をカウントしていたので、その結果で来年以降の運行が決まるのでしょう。
今回は青森市に宿泊したので、きっぷは秋田-碇ケ関の乗車券と碇ケ関以遠(と弘南バス・弘南鉄道)は「津軽フリーパス」という組み合わせで節約。
津軽フリーパスは自動改札を通れないので、弘前駅では有人通路へ。他のお客さんはほぼ全員が自動改札を通っていた。
ロングシートの普通列車はもちろん、新型の特急でも味わえない、素晴らしい「弘前さくらまつり号」の旅だった。再び味わえる機会はあるだろうか。
【21時50分追記】車齢を踏まえれば、車内外ともくたびれたり汚れたりは感じない美しい状態で整備されていたのも良かった。JR東日本秋田支社、秋田車両センター、秋田総合車両センターなどの技術力と努力のたまものでしょう。
※弘前公園さくらまつりについては、こちら
※翌2016年は、583系電車は残っているもののさくらまつり臨時列車には使用されなかった。特急「つがる」用のE751系電車を用いた、同名の特急列車として運行。本文でも触れた、以前の運行形態に戻ることになる。
固定されているさくらまつりの開催日に合わせて運転が設定される。今年のような早咲きあるいは遅咲きの年は、まつりは「準まつり体制」を前後に取るが、臨時列車は対応しきれない。
JRとしてはどの程度儲かっているのか知らないけれど、毎年続いているからには、それなりなんだろう。
ラインナップは毎年決まっていて、
・秋田内陸縦貫鉄道に乗り入れて2つの桜の名所、角館と弘前を結ぶ快速列車「角館武家屋敷とさくら号(上り)」、「弘前お城とさくら号(下り)」。
・2011年に運転が始まり、秋田から日帰りで夜桜を見られる、クルージングトレイン(元リゾートしらかみ初代青池編成)を使用した全席指定の快速「弘前夜桜観賞号」。※“鑑”賞ではない
他に、昔は特急車両を使った快速列車が青森-弘前で運転されていたが、東北新幹線の八戸だったか新青森開業以降は設定されていない。
そして、イベント名称をそのまま名乗る、快速「弘前さくらまつり号」である。
秋田からの日帰りに対応したダイヤ。所要時間は各駅停車と特急の中間くらいの2時間半ほど。往復とも利用すれば弘前に4時間半滞在できる。自由席と指定席があり、この列車を利用した団体旅行やパック旅行もある。
「弘前さくらまつり号」は歴史も長く、僕が記憶している限りでは、1995年頃にはほぼ同じダイヤで特急として運行されていた。列車名は「弘前さくら」号だったかもしれない。
その後、いつの間にか快速列車化された。
使用車両は特急用電車。「たざわ」→「かもしか」用の485系電車がよく使われた。
当初は5両編成だったかもしれないが、末期は3両編成なので、特に見頃にドンピシャの土日などの自由席は混雑が激しい場合もあったと聞いた。
年によっては485系ではなく583系電車が使われることもあった。
近年は「かもしか」廃止後は秋田の485系が廃車されたため、583系がレギュラー。
ここで583系電車について。
1967年から国鉄が製造した特急用電車。※当初は581系として登場。
最大の特徴は同じ車両を座席と寝台の両方で使用できる(昼夜兼用)こと。加えて、機関車にひかれる「客車」ではなく、モーターを搭載し自走する「電車」の寝台車であることも特徴。いずれも日本初(世界初?)であった。
国鉄としては車両の有効活用を意図していたようだが、昼夜それぞれ専用車のほうが評判が良く、後継車両は造られなかった。
東日本方面では、昼の「はつかり」夜の「ゆうづる」「はくつる」など東北本線や常磐線経由で上野と青森を結ぶ列車を中心に使われた。(定期列車としては1993年まで)
秋田など日本海側では定期列車としては、1990年代に急行「津軽」として使われた程度。あとは臨時の「あけぼの」や修学旅行の「集約臨時列車」、TDLツアー「わくわくドリーム号」といった団体専用列車を中心に走った。
長らく青森の車両基地に配置されていたが、最後まで残った2本が東北新幹線八戸開業(2002年)を機に、仙台と秋田へ1本ずつ移籍。
その後、秋田の編成のほうが老朽化していたため廃車。代わりに2011年に仙台の編成が秋田へ異動して現在に至っている。
JR西日本で急行「きたぐに」に使っていた583系も、同列車の廃止に伴って廃車(1両は博物館展示用として車籍保有)。
したがって、今回「弘前さくらまつり号」に使われた、秋田車両センターの583系電車が、唯一の現役の583系電車ということになる。
そんなわけで、583系は今となっては貴重な車両である上、現在は団体専用で使われることが多い中、乗車券だけで乗れる快速「弘前さくらまつり号」は、鉄道愛好者にとっても絶好の列車でもあるのだ。
ところで今年は、NRE(日本レストランエンタプライズ。旧・日本食堂)秋田列車営業支店が、「弘前さくらまつり号運転記念プレート」なるものを発売した。300枚を秋田駅在来線改札内のNRE弁当売店(秋田杉の謎の窓口ができた所)で限定販売。
244ミリ×144ミリのアクリル板に、583系の精巧なイラストや3号車ドア横の表示を描き、1600円。(個人的にはかなり高いと感じるけれど、それなりに売れているようだ。)
ただし、売店の営業は17時まで。上りさくらまつり号の秋田着は18時35分なので、帰りに買うことはできないというのは、商売下手。
最近は、SLとかリバイバル列車ではこの手の乗車記念品をよく売っているけれど、さくらまつり号で売るのが唐突で意外だった。
最近はマメにグッズ販売を発表するJR東日本秋田支社のホームページには告知がなく、コンビニのNEWDAYSでは売らないので、NRE秋田の独断で企画した商品なんだろうが、そういうやり方が変わっている。(NEWDAYSと協力すれば、上りの客が買う機会もあるのに)
583系電車はかなりの高齢だから、いつ引退しても不思議ではないと思う。
1年後には北海道新幹線が函館まで開業するから、青森に配置されている485系電車に余剰が生じると考えられる。485系は583系よりは新しいから、来年のさくらまつり号は485系に再度交代ということもなくはないかもしれない。
唐突に記念グッズが発売されたことも合わせるとそんな気がしてきて、今回、1泊の弘前への行きも帰りも583系の「さくらまつり号」を利用してみた。
昔はさくらまつり期間中は毎日運転されていたはずだけど、近年は期間中の土日祝日を中心に運行。
今年は4月25日~29日、5月2日~6日の10日の運行。水曜日の祝日である29日の前の平日は運転するのに、後の平日30・1日は運転なしなのが不思議だけど、例年こんな感じ。
自由席2両、指定席4両。乗るのは平日だし、ソメイヨシノの見頃は過ぎているし、自由席でも良さそうだけど、583系を運行してくれるJR東日本への一助になればと思って、指定席(1回510円)を利用。
ポイントが欲しいからJR東日本のネット予約「えきねっと」で予約。
えきねっとでは、シートマップ(座席配置)を見ながらピンポイントで予約できる列車がほとんど。クルージングトレインの夜桜観賞号でも対応していた。
だけど、弘前さくらまつり号は非対応。
その理由は、583系の座席が2人ずつ向かい合うボックスシートだからだろう。1列ごとにABCDが振られるのではなく、1ボックス単位で同じ数字でボックス内でABCDが振られるから、勝手が違うのでしょう。
調べてみると、6号車以外は上りはA席、下りはD席が進行方向向きの窓側になるそうだ。6号車では逆になるが、自由席。
えきねっとでは、ABCDを指定して予約することはできたものの、3人が埋まっているボックスに押し込められて割り当てられてもイヤだから、「窓側」だけの指定で申し込んでみた。空いているボックスの進行方向向きを割り当ててくれると期待して。
きっぷを受け取ると、行きは順当に「A席」。
帰りは逆向きの窓側の「A席」。混んでいてD席が全部埋まっている、わけはないだろうなと思ったが、案の定、空いていた。周りを見渡せば、他のお客さんも逆向きに座っている人が多い。
えきねっとではなく、窓口や券売機で購入した人もいると思われるから、システム全体の誤設定か何かで、下りでもA席から優先して発売してしまったのだろう。
実際には、みなさんそれぞれで1ボックス独占状態だったから、問題はなかった。
上記の通り、秋田では583系の乗車機会が多くないため、個人的にはさほど思い出や思い入れのある車両ではない。
でも、国鉄型車両の中でも特異な存在であり意識はしていたし、何度か乗った経験はあり好印象だった。
これまで乗ったのは、座席仕様で中学校の修学旅行で秋田→青森と中越地震による不通で運休になった「あけぼの」の代走「かもしか」で秋田→弘前の2回。寝台仕様で急行「きたぐに」に3回(いずれも下段)。以上、計5回のはず。けっこう乗っているほうかも…(だけど485系には優に100回以上乗ってるから、それと比べれば少ない)
秋田車両センターの公開で、座席・寝台半分ずつの車内(最近の秋田のツアーの定番)を見学したこともあった。
では、行きと帰りをおりまぜた乗車記です。
改札口やホームのLED式発車標では、「弘前さくらまつり」は文字数が多くて、表示に苦労している。
秋田駅では、
恒例のこの表示
「さくらまつり」を1文字分に組み込んだ、手作り感あふれる文字。英字表記もあり。(昨年の記事参照)
弘前駅では、
文字は小さいながら、ちゃんとした文字データっぽい
ちなみに2010年の弘前駅では、違う表示だった。
(再掲)2010年の弘前駅。手作りっぽい?
※上の路線・方面の表示も英字が添えられるなど変わっていた。表示器自体は同じはず。
途中の東能代駅ホームの新しめの発車標では、文字データで「弘前さくら」と表示されていた。
583系「弘前さくらまつり号」
見慣れた485系電車の色違いのようなスタイル。
かつての特急は鼻先が長いボンネット型で(485系も初期型はそうだった)、初めて平らな形状になったのが583系だったそうだ。当初は「電気釜」などと揶揄されて好みが別れたそうだが、個人的にはこれこそ国鉄の特急。
なお、583系は寝台車としても使うための車内構造の違いから、485系よりやや大柄な車体。
愛称表示(ヘッドマーク)・行き先表示が「臨時」なのも、毎年のこと。NREのプレートでも忠実に「臨時」とされてしまっている。
味気ないし毎年使うのだから、桜のイラスト入りマークでもセットしたらという意見を時々目にする。
ドア横の表示も「臨時」
485系などでは横長の側面表示が、583系では正方形なのが特徴。ドアが引き戸でなく折り戸(ゴロゴロという開閉音の防止)だったり、電車3段式寝台を示す「★★」マークがあるのが、寝台車ならでは。
ホームに乗車位置表示はある
発車標や乗車位置表示があったとしても、列車自体には「臨時」としか表示がないから、戸惑う人もいる。特に日本語が分からない人には。
この時もホームで、通りかかった他列車の乗務員に指定券を示し、この列車に乗っていいのか尋ねる外国人旅行客がいた。言葉は英語を使っていたが中国系の人に見えたから、「弘前」の文字が車体にあれば理解できただろう。(「臨時」だと、伝わったとしても「臨時」しか分からないし。それは日本人でも同じか)
やはり車両自体に表示が必要だと感じた。
【22時30分追記】あと、車内に自由席か指定席かの区別を示す表示がなかったのも、少々不親切(外のドア横にはある)。かつての表示板は蛍光色の「禁煙」表示に替わったようだ。
車内へ。
583系・座席仕様の車内
JR化後に座席の布地が色・柄入りのものに交換されていたが、この車は仙台時代に国鉄当時に極力近いものに再度改装されており、懐かしい青色。
座席
4人掛けボックスシート。当然ながらリクライニングなどせず、半数の人は後ろ向きで旅する。
普通列車のボックスシートよりも間隔が広く、掛け心地も柔らかい。窓側の凹みは肘掛け。通路側の肘掛けには小テーブルが収納されている。
現在は窓に横引きプリーツカーテンが付いているが、製造当初は二重窓で間にハンドルを回して開閉するブラインドが入っていた。(中学校の修学旅行の時はそれだった)
【11日追記】当初は壁のテーブルの底面に栓抜き、その下に灰皿が装備されていたがなくなっている。ほぼ同じ構造で2段式である客車の開放(=個室でない)A寝台では、壁側の肘掛けはなく(そこに灰皿)、テーブルはもっと大きな折りたたみ式のものがあったようだ。
今の感覚では信じられないけれど、昔はこの座席に対して特急料金を払っていたのだし、上野-青森間を8時間以上もこの座席に座って移動していたのだ。
改めて583系の座席に座ってみると、座り心地はいい。
背もたれの下のほうの角度が絶妙(普通列車より大きい)なのか、背中の辺りがフィットして姿勢を正して座っても疲れない(逆にだらしなく座りづらい構造かも)。靴を脱いで前の席に足を投げ出すには、間隔がちょっと広すぎた。
背もたれは低めで、僕の座高では枕カバーが頭より下になってしまうものの、前後の席との隔絶感はある。
座ると天井の高さが分かる
583系は寝台車にもなるわけだが、その構造には感心させられる。
僕は座席仕様も寝台仕様も知っているけれど、同じ車両だとは信じがたい。あの変わりようを考え出した国鉄はすごい。
(再掲)秋田車両センター公開時の座席・寝台半分ずつ仕様
昼間仕様を基準にすれば、座席の背もたれ上辺が中段寝台、荷棚が上段寝台のそれぞれ底で、昼はそれぞれ壁面に収納されている。
荷棚が少し高い位置にあったり、天井際の壁が重々しい装備なのは、そういう事情なのだ。
どこかをガチャンとやればベッドが下りてくるのでしょう(やったら怒られます)
下段寝台を作るのは比較的簡単。※やったら怒られるし、できないように固定されている場合もあるかもしれません。【8日補足】空いている時などは、大目に見てくれる車掌もいるようだ。
座席の座布団部分を前方に引っ張れば、背もたれの下の部分とともにスライドして、平面のベッドになるのだ。(リゾートしらかみのボックス席と同じ発想)凹凸があるので寝台運行時は布団が敷かれる。
秋田の中学校の修学旅行の集約臨時列車では、先輩や兄姉から“伝授”されたのか、偶然“発見”したのか、毎年のように誰かがこれを実行していたようだ。僕たちの時もやった子がいて、先生に怒られることはなかったが、真似する生徒が続出する事態にもならなかった。
それと、座席の中にいたままでこの作業を実施すると、最終的にはスライドした両方の座席で脚を挟まれることになり、修学旅行出発早々に弁慶の泣き所を強打する生徒もいた(けっこう痛いらしい)。
実は今回も、途中駅から乗りこんできた鉄道マニアであろう男が、片側の座席だけ寝台構造にして寝転んでいたが、30分もしないうちに元に戻していた。あまり居住性は良くないのかもしれない。(正当な使い方でないから当然か)
枕カバーをめくると…
背もたれの途中に「体操用マットの耳」状のものが付いている
寝台から座席へ戻すときは、これを引っ張るのだろう。
壁にフックが2つ。1つは上下逆?
座席仕様では使えない向きのフックがあるが、これは寝台にした時は上から下りてくる中段部分の裏側。つまり下段寝台の人が使うフック(ハンガー掛け?)なのでしょう。
583系は3段式寝台なので、特に中段・上段は天地方向がとても狭い。
その中で、通が指定して買うという位置があった。「パン下」ことパンタグラフの下の中段である。
電車だから集電装置のパンタグラフが屋根にある。大柄な車体である583系では、パンタグラフを設置する部分の屋根を車内側に下げて天井を低くしている。
そのため、そこには3段分の寝台を設けられず、上段がない2段になっている。そこの中段は天地が広くて好まれたという。
パン下は先頭・最後尾を除き、2両に1両の割合で8区画ずつある。
天井や照明が下がっている部分がパン下
パン下では、荷棚の構造(伸び縮みしそう)や収納された中段部分の角度が異なっていた。いっそう複雑な造り。
ところで、首都圏でこんな列車が運転されたら、鉄道マニア(という言い方は好きではないけど、あえて使います)が殺到するだろう。乗ったり撮ったり。
「弘前さくらまつり号」でも、(僕自身も含めて)けっこう来ていたが、首都圏に比べるとかなり少ない。指定席では愛好者とそうでない観光客が半々くらい。
発車前は写真を撮る人が(僕自身も含めて)うろうろしていたものの、走行中はみなさん静かに旅を楽しんでいたようだ。
観光客は秋田から日帰りで花見に来た家族連れ(年配の夫婦とか母娘とか)が多いのは恒例。さらに行きは中国または台湾系の外国人が多かった。2~3人の小グループが複数組で、静かに乗っておられた。
沿線では、撮影するいわゆる「撮り鉄」がいた。これも首都圏や引退間近の列車ならものすごい人数だったり、違法行為(車での道交法違反、禁止場所への立ち入り等)をする人が出てしまいそうだが、今回はそこまでではなさそうだった。ただし、一歩間違えば本人がケガしそうな場所(列車に対しての危険はなさそう)で撮影していた人を見た。無茶はしないでね。
【5日追記】某途中停車駅裏にある某社本社から、社員と思しき人が飛び出してきたと思ったら、柵越しに583系の写真を撮って、そそくさと戻っていったというほほえましい光景も目撃。
今年の「弘前さくらまつり号」のダイヤは、下りが秋田2番線8時23分→弘前1番線11時42分、上りが弘前2番線16時07分→秋田3番線18時35分。
停車駅は上下とも土崎、追分、八郎潟、鹿渡、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、早口、大館、碇ケ関、大鰐温泉。
特急+土崎、追分、鹿渡で、昔の急行並みか。大久保に停まらないのが珍しいかも。
各駅の停車時間は長くても3分ほど。
反対列車との行き違いの運転停車は、下りはなく、上りは鯉川で「つがる」と交換のため4分停まっただけ。
非常に“きれいな”ダイヤで気持ちよく移動できた。欲を言えば大館で少し長く停まってくれたら、コンビニでお土産でも買えたか…
3分停車の下りの追分駅で、跨線橋を渡って1番線に行って写真を撮っていた人がいたけれど、よくやるなぁ。
例年同様、車掌は秋田運輸区が往復とも通しで担当。
今回は行きは1名、翌日の帰りは2名乗務だった。指定席の検札は、行きはなく、帰りはあった。
車内放送のメロディは、本来は「鉄道唱歌」のオルゴールが搭載されていたが、JR東日本の改造車両でよく搭載されているクラシック音楽の電子チャイムに更新。
行きの車掌は「春の歌(メンデルスゾーン無言歌集)」、帰りは「春の歌」と「春(ヴィヴァルディ四季)」が流れた。「さくらまつり号」にふさわしい選曲? 本当の理由は演奏時間の長短かもしれない。「春の歌」が短いので好んで流す車掌が多い感じ。長い「美しき青きドナウ」や「主よ、人の望みの喜びよ」はあまりかからない。
行きでは、発車して間もなく「本日は1号車と2号車で車内放送が聞こえにくく、3号車でも音量が低くなっております」と放送が流れた。当該車両では聞こえないわけですが。
帰りはその2号車に乗って、ちゃんと聞こえていたので直っていた。
【5日追記】行き帰りとも、車掌が客室に出入りする時の一礼(以前の記事)はなし。どうでもいいけど、新幹線・特急や急行じゃないからか。反対に普通列車ではあまり行わない、始発駅発車後の放送での車掌の「秋田運輸区○○が終点までご案内いたします」といった自己紹介はあった。
【19日追記】583系は1両につきドアが1つで、上記の通り6号車だけ向きが逆転している。そのため、5号車と6号車の間にはドアがないことになるので、その旨を放送した車掌もいた。
横長の窓。485系よりは小さいけど充分
「窓かまち」と呼ばれる窓下の出っ張りは、材質も形状も485系のものにそっくりだが、幅は少し狭い。
上記の通り、製造当初は二重窓で窓かまちはなかった(内側のガラスと壁が同じ面だったはず)から、後付けか。
行きも帰りも、指定席のお客はほぼ全員が秋田-弘前を乗り通した。
自由席のほうは入れ替わりがあったと推察されるが、この手の臨時列車は、地元の通学や用務で利用する客も当然利用できる。
上りは大館発秋田行き各駅停車が直前を走るためか、そういう客はいなかったようだ。下りは特急と各駅停車大館行きの間であるため多少はいたようだが、思ったほど多くなかった。乗り得なのに。
【22時30分追記】上りでは、弘前から碇ケ関止まりの普通列車に15分先行するので、駅員に確認して乗り込む人がちらほら見られた。
弘前まで車窓をじっくり眺めながら行くのは、気分的には久しぶり。
八郎潟駅前に「八郎潟町えきまえ交流館・はちパル」(今年5月1日オープン)、鹿渡駅前に「琴丘地域拠点センター・じょもん」(2013年)がそれぞれできていた。
【6日追記】追分-大久保間の「大清水信号場」が2013年で廃止され、近くの鉄道林跡にJR東日本によるメガソーラーができていた。
この区間を利用するようになって20年になるが、ずっと変わらないものもある。
上の山腹に
早口駅から見える常緑樹による「田代」の文字は、田代町の大館市への編入から10年経っても健在。
青森県に入って、碇ケ関-長峰間の大鰐町の川沿いに、
「陽気ドライブイン」
国道7号線に面していて、線路からは裏側しか見えない。
高速道路や道の駅ができてドライブインは落ち目だから、ここも名前とは裏腹の状態ではないかと、見る度に失礼ながら想像していた。ネットで調べると、定食やラーメンがおいしいそうだ。
行きでは、大館駅発車後の走りが特急並み。7号線の車を抜きながらぐんぐん進む。
県境には、長さ3180メートルの矢立トンネルがある。この区間の許容最高速度95km/hだと、2分ジャストで抜けられる計算になるが、トンネル前後に駅(陣場、津軽湯の沢)があるため、普通列車では2分半~3分かかり、「つがる」など電車特急でも2分20秒前後かかることが多い。かつての「白鳥」は、いつも2分ジャストで抜けていた。
今回の「弘前さくらまつり号」の下りは2分ジャスト! 上りも2分15秒ほどであり、臨時の快速列車、かつ古くて重い583系としては上出来。
ダイヤでは陣場と津軽湯の沢の通過時分も厳密に決められているから、飛ばし屋の運転士だったわけではなく、そういうダイヤを組んであるんだろう。
583系の(座り心地ではなく)乗り心地の良さも実感できた。
昨今の車両の軽くて滑らかな乗り心地の良さとは違う良さで、国鉄車両らしいどっしりとした乗り心地。重量や重心の違いなのか485系よりもさらに重厚な感じ。
寝台車でもあることから静粛性にも配慮され、ドアの開閉音はしないし、二重ドアでモーターのうなりやホームや外の音もほとんど聞こえない。2両目くらいだと先頭車の警笛は「ひーん」と少し控えめに聞こえた。
485系同様、発車時にガクガクと加速するのは、旧式の制御装置の宿命。
弘前駅ではこんなに乗っていたのかというくらい多くが降りた。エスカレーターの下などで駅員が人数をカウントしていたので、その結果で来年以降の運行が決まるのでしょう。
今回は青森市に宿泊したので、きっぷは秋田-碇ケ関の乗車券と碇ケ関以遠(と弘南バス・弘南鉄道)は「津軽フリーパス」という組み合わせで節約。
津軽フリーパスは自動改札を通れないので、弘前駅では有人通路へ。他のお客さんはほぼ全員が自動改札を通っていた。
ロングシートの普通列車はもちろん、新型の特急でも味わえない、素晴らしい「弘前さくらまつり号」の旅だった。再び味わえる機会はあるだろうか。
【21時50分追記】車齢を踏まえれば、車内外ともくたびれたり汚れたりは感じない美しい状態で整備されていたのも良かった。JR東日本秋田支社、秋田車両センター、秋田総合車両センターなどの技術力と努力のたまものでしょう。
※弘前公園さくらまつりについては、こちら
※翌2016年は、583系電車は残っているもののさくらまつり臨時列車には使用されなかった。特急「つがる」用のE751系電車を用いた、同名の特急列車として運行。本文でも触れた、以前の運行形態に戻ることになる。