広く浅く

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アニソン以外の水木一郎さん

2022-12-19 20:38:38 | 昔のこと
歌手の水木一郎さんが12月6日に亡くなった。
アニメソング界の「帝王」と称される一方で「アニキ(兄貴)」とも呼ばれ、持ち歌は1200曲。
秋田の「超神ネイガー」、弘前の「超城合体タメノブーンV」など、ご当地ヒーロー/キャラクターの歌も歌った。

しかし、水木さんはアニメやキャラクターの歌ばかり歌っていたわけではない。
NHK「おかあさんといっしょ」の、2代目うたのおにいさん(歌のお兄さん)も務めていた(1976年4月~1979年3月。初代・田中星児、3代・たいらいさお 両お兄さんと隔週出演)。
「アニキ」の由来は、これだという。
水木さんの代表作の1つである「マジンガーZ」は1972年だから、アニソン歌手になった後で、歌のお兄さんとなり、その後、アニソンに戻って、さらに精力的に活躍していったことになろう。


各マスコミにおける水木さんの訃報記事では、歌のお兄さんについては触れたところと、触れずにアニソン歌手としてだけ伝えたところに分かれる。
確認できた限りでは、読売新聞やテレビ朝日、秋田魁新報に掲載された共同通信配信の評伝では、簡単に言及があった(アニキの由来うんぬん等はなし)。

「おかあさんといっしょ」の放送局である、NHKでは…
伝えていない。
これには苦言を呈さざるを得ない(実際に呈しました)。
昔のこととはいえ、自局の専属契約だったであろう人。しかも、当時の映像は残っており(多くはないだろうが)、「ぼくは忍者」を歌うシーンは市販DVDにも収録されている。
NHKだからこそ、伝えられる情報と映像なのに。

それに、これを伝えることで、「水木一郎=アニメソング」の印象しか持っていない視聴者に、新たな情報がもたらされる。
おかあさんといっしょは、物心つく前から見られる番組(NHKとしては2~4歳児対象らしいが、その前後でも見る子は多いだろう)なので、「自分の記憶にはないが、生まれて間もない頃、実は水木一郎お兄さんを視聴していたのかも」と、水木さんとの新たな接点に気付かされる視聴者もいるはずである。
「浅い」報道だった。



以下、個人的な思い出。
僕が「水木一郎」の存在を意識したのは、大学生の時だった。小さい頃に見たアニメ番組の偏りのため、それに昔はそれほど「アニソン」や「アニソン歌手」がもてはやされなかったこともあると思う。

それ以前にも知らないだけで、関わりはあった。
まずは、上記、「自分の記憶にはないが、生まれて間もない頃、実は水木一郎お兄さんを視聴していた」世代に当たる。僕にとって、初めてのうたのおにいさんであったはずなのだが、DVDで映像を見ても記憶がよみがえるようなことはなかった。※明確に記憶があるのは、幼稚園入園時の5代目・かしわ哲お兄さんから。


もう1つは、小学校中学年頃に見た、藤子不二雄(※)原作のテレビ朝日のアニメ「プロゴルファー猿」のオープニング曲「夢を勝ちとろう」。歌手は知らないが、かっこいい歌だと思って聞いていた。
※藤子不二雄のコンビ解消以前。1987年頃のコンビ解消後は、藤子不二雄A(正しくは○にA)作品。

「プロゴルファー猿」は、テレ朝では1985年から1988年に、藤子アニメ複数作品がオムニバス形式で放送される30分番組「藤子不二雄ワイド」→「藤子不二雄ワールド」の1つとして放送された。1作品ごとの放送時間が短いため、オープニングのみでエンディング曲はなし。
秋田朝日放送開局前の秋田では、少し遅れて放送されたと思われるが、Wikipediaによれば最初は秋田テレビ、途中から秋田放送がネットしていたとのこと。

1988年には、同じ枠で「新プロゴルファー猿」が10話だけ放送され、別の歌を水木さんが歌ったそうだが、記憶にない。
おそらくこの2曲が、水木さんが歌った唯一というか唯二の藤子アニメソングではないだろうか。【21日訂正】ドラえもんの派生作品「ドラえもんズ」の映画の1つ、1999年「ザ☆ドラえもんズ おかしなお菓子なオカシナナ?」の主題歌が、水木さんと堀江美都子さんの歌唱だった。ほかにもあるだろうか。


そして大学生の頃。
以前も触れたが、1995年から10年ほど放送された、NHK教育テレビの幼稚園・保育園向け学校放送番組「なんでもQシリーズ」。「むしむしQ」→「あにまるQ」→「むしまるQ」などと変遷(一部並行して放送)。
弘前大学農学部の城田助教授(学部名・職名は当時)が、その構成や監修を担当されており、授業で紹介されたのをきっかけに視聴していた。

CGアニメのキャラクターが、昆虫や動物についてのクイズを出す番組で、合間に歌のコーナーがあった。番組向け書き下ろしの、やはり虫や動物にちなむ歌が、たしか月替りで流れた。
その1つ「アリとアリクイ」が、水木さんと橋本潮さんの(「エスパー魔美」主題歌や「ともだちいっぱい うたってあそぼ」のお姉さん)デュエットであった。
Wikipediaによれば1996年4月~1998年3月の間の「あにまるQ」が初出。

なんでもQの歌は、曲調も内容もコミカルな歌が多い中、「アリとアリクイ」はバラード調の落ち着いた曲であり、歌詞はコミカルでいながら、食物連鎖や食べることの意味について考えさせられる内容であった。放送されなかった後半部では「医食同源」「大権現」が登場する。そして、2人のハーモニーがきれいだった【21日補足・ヒーローものとは違う、優しい歌いかたで、水木さんの違った一面が出ている】。


今まで知らなかったが、水木さんはほかにも、なんでもQの歌を歌っていた。
初期のむしむしQで「フン・フン・フンコロガシ☆」。言われれば、タイトルは聞き覚えがあるが、歌やCGは思い出せない。

そして2000年に、魚のフグとアンディ・フグを掛けた「Fighter the FUGU」を歌ったものの、そのアンディ・フグが急逝してお蔵入り、放送されないまま終わったという。
CDには、みんなのうたで歌った「なんのこれしき ふろしきマン」のカップリング曲として収録。
ちなみに、水木さんがみんなのうたで歌ったのは、この1曲だけ。

そして、おそらくその頃から、「アニソン」という分野が広く知られるようになり(フジテレビ「快進撃TVうたえモン」は1999年)、水木さんの知名度と偉業が高まっていったのだと思う。



最後に、もう1つ、水木さんの思い出。
2000年代後半かと思う。大宮から横浜方面への移動に、湘南新宿ラインのグリーン車を使った。横須賀線直通・逗子行きの電車だった。

電車が渋谷駅に到着した時。昼下がりで乗客が少ないホームのグリーン車乗り場に、存在感を放つ男が立っていた。
それが水木さんであった。
黒い革ジャンみたいなのを着て、電車に視線を向けてカッコよく待っていて(単に空席を探されていただけかも)、テレビで見るのと違わないお姿だった。

グリーン車は2階建て×2両だから、僕が座っていた部屋には来られなかった。
鎌倉にお住まいとのことだから、NHK辺りで仕事を終えて、帰宅するところだったのか。


それと前後する時期、超神ネイガーのイベントで、秋田に来られたことがあって、その時の目撃情報も耳にした。
イベントが終わった頃、秋田駅前のナガハマコーヒーのカフェで、ひと息つかれていたとのこと。やはりテレビで見るのと変わらぬ姿で、オーラを放っていたという。



ところで、水木さんに先立って11月28日には渡辺徹さんも亡くなった。
生前、最後の仕事が、秋田大学医学部のフォーラム(秋田市には来たものの、体調不良で別室からのリモート出席だったようだ)。帰路には米の新品種を使った「サキホコレ弁当」を食べたという。

徹さんといえば、僕は1990年代中頃のテレビ朝日の視聴者投稿番組「邦子と徹のあんたが主役」の司会。
とおるという名の芸能人はほかにもいるけれど、「とおるさん」で通るのは渡辺徹さんだけではないだろうか。

そして、こんな思い出。
小学校中学年頃だったか、秋田県河辺町(当時)の岨谷峡へ行った。紅葉の時期だったはずで、駐車場から川沿いに入っていくところには、何人かがたたずんでいた。
その中に、バイクで1人で訪れた、ジーパンの男がいた。ヘルメットを外して、周りを眺めている。
この人、テレビに出るあの人では?
「あの人」とは渡辺徹さんを指すのだが、当時、お名前を知らなかった。だけど周りの大人は誰ひとり気付かない。芸能人なのに誰も気付かず騒ぎもせず、おかしいなと思った。

思い返せば、岨谷峡なんか(と言っては失礼)に徹さんがわざわざ、バイクで来るとは思えない。時期的には榊原郁恵さんと結婚するかどうかの頃。
徹さんに髪型が似た、小太りのお兄さんだった可能性が、極めて高い。

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2 コメント

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秋田なら (FMEN)
2022-12-19 22:07:59
秋田生まれ落合監督時代の中日がアニキを応援歌に使っていました。
渡辺徹は土曜朝のカンテレのワイドショーや平日夕方のマリオの番組、平日午前のABSラジオの箱番組など。
まさか遺作が秋田とは。
フジテレビでも秋大の講演をよく流していました。
ちなみに奥さんは夕方の料理番組やテレ朝の黄金伝説のイメージ。
山田邦子とはよく組んでいたらしく、昨日のM-1グランプリは偏向じみた審査で賛否両論となりました。

ことしはかなりのひとが亡くなりました。
エリザベス女王、安倍元総理、石原慎太郎、海部俊樹、アントニオ猪木、上島竜兵、三遊亭円楽、仲本工事、村田兆治、近石真介、オシム、藤子A不二雄、河村亮などなど。

昨年は有名人60人ぐらいがことしは110人亡くなったとか。
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燃えよドラゴンズ! (taic02)
2022-12-19 23:05:12
「燃えよドラゴンズ!」の水木歌唱版があったようですね。
徹さんはもともとは役者だったわけですが、それよりも、司会者の印象が強いです。ぐいぐい押し出る感じでなく、自然に進行していくような感じでしょうか。

長く生きていると、相対的に知っている人の死が増えていくものですが、今年は多いのでしょうかね。
とりわけ、まだ若いのに亡くなった方々は多い年でした。
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