広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田にセブンイレブン?

2011-10-14 23:54:17 | 秋田のいろいろ
秋田県にないものとしてよく挙げられるのが、TBS系列のテレビ局とコンビニのセブンイレブン。
昨日(10月14日【訂正】13日)の朝日新聞秋田版に「セブン-イレブン県内にも」という記事が出た。
【15日追記】「秋田建設工業新聞」のサイトにも、14日付けでほぼ同内容の記事がアップされた。

内容は、セブンイレブンが秋田県内への進出を検討しており、オーナー募集説明会が今月下旬に初めて開かれるというもの。
出店の時期や場所は未定という。」だそうで、まだ具体的ではなさそう。

しかも、
「岩手や山形で出店が進んだことや、オーナーとして開業したいという声があることから、検討することになった。説明会は湯沢、大仙、横手の3市で開かれる。 」
とのことで、開店を想定しているのは、岩手・山形県に近い秋田県の内陸南部、国道13号線・秋田自動車道沿線と考えられる。
したがって、秋田市内や北部に開店することは当分ないのかもしれない。(北隣の青森県も未出店)

なぜか紙面ではカットされているが、asahi.com掲載分では「秋田を含め、青森、鳥取、香川、徳島、愛媛、高知、沖縄の8県には現在、店舗がない。」という一文がある。
セブンイレブンは、効率を考慮して集中的に店舗展開しており(他のチェーンでも多少はその傾向だが)、例えば既に店舗がある島根県では実際に店があるのは浜田市など県西部だけで、松江市にはない。岩手、三重、和歌山各県なども同様に県内の特定の地域に偏っているようだ。


個人的に、これ以上コンビニはなくてもいい(総店舗数において)ような気もしなくはないが、セブンイレブンができれば、店舗ブランドの選択の幅が広がるし、セブンイレブンには「セブンプレミアム」商品が置いてあり、セブン銀行ATMが設置されている点は他チェーンにないメリット。
既に秋田駅前の旧イトーヨーカドー秋田店~ザ・ガーデン自由が丘西武でセブンプレミアムに慣れ(低価格で高品質だと思う)、セブン銀行ATMを使っている者としては、より身近でそれらが購入・利用できれば、それはそれでうれしい。




ついでに、秋田のコンビニの歴史を振り返ってみたい。
※秋田と青森のコンビニの進出状況はほぼ同じであり、僕が弘前に住んでいた時期に各チェーンの進出が盛んだったこともあるため、青森の状況についても取り上げます。
※記憶とWikipediaに基づくため、間違いがあるかもしれません。

・1985年頃 初めてのコンビニ
今年1月の記事でも取り上げた通り、秋田市内に初めてできたであろうコンビニチェーンが「ヤマザキデイリーストア(現・デイリーヤマザキ)」。地元のたけや製パンがフランチャイズ契約して展開している。
後の大手チェーンの進出により相対的に数が減り、さらに閉店・新規出店により当時のままの店舗は存在しないと思われるが、今でも一定数の店舗がある。

なお、当時は「コンビニ」という略称はもちろん、「コンビニエンスストア」という言葉すら、秋田では使われていなかったと思う。
ネットで調べたところ、略称の「コンビニ」が新聞記事などで一般的に使われるようになったのは、1990年代(すなわち平成初期)以降のようだ。(国立国会図書館レファレンス協同データベースhttp://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000076341)
【2013年6月23日追記】「コンビニをうろうろしながら」という歌詞がある、ウルフルズの「バンザイ ~好きでよかった~」は1996年2月の曲。当時は広まっていたのだろう。
【2015年1月3日追記】NHK教育テレビの小学校低学年向け音楽科の学校放送番組「まちかどド・レ・ミ」で「伝説のコンビニ」という曲が放映されて、人気となりCD化されたのも1996年。1996年には「コンビニ」が津津浦浦の小学校低学年の児童にも認知されていたと考えられる。※「まちかどド・レ・ミ」は、1年生向け「ワンツー・どん」と2年生向け「うたって・ゴー」を統合して1996年4月放送開始。
【2016年3月28日追記】1995年10月20日に日本語吹き替え版が初回放送された「刑事コロンボ(新シリーズ)」の「犯罪警報」で、「コンビニの店員が…」というセリフがあった。
【2016年4月4日追記】1994年放送のフジテレビ「ライオンのごきげんよう」で、磯野貴理子が「コンビニ」と発言し、周りも受け入れていた。
【2015年10月11日追記】昭和最後の寅さんである1988年末公開の「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」の最後のほうで、長野県小諸にいる登場人物が「コンビニエンスストアってのに行って(、ひとり用お節料理を買った)」という発言をしていた。
当時の小諸に実際にコンビニがあったのかは不明だが、略さないコンビニエンスストアという言葉は、全国的には既に浸透しつつあったのだろう。
【2019年10月3日追記】1989年に放送されたという、資生堂「Wing(ウィング)」の柳葉敏郎が出ていたCMの最後で、柳葉氏が「お求めはスーパーかコンビニで」と言っていた。こんなに早くコンビニという略があったのか。

・1990年代前半 いくつか進出
既に大都市圏では大手チェーンが幅を利かせていた頃だと思うが、秋田ではまだ。やっと、準大手というべきチェーンが秋田にやって来た。
記憶では、まず「ホットスパー」が秋田市にいくつか出店。
Wikpediaには「岩手県の食品卸「ベルセンター」系列の運営会社・東北スパー株式会社が、1984年に設立し展開。」とあるが、秋田の店は当初は「北奥羽スパー」という企業が運営していたはず。事務所が、スーパー「いとく(本社・大館市)」の秋田市将軍野にある店と同じ場所だったので、いとく系列だったと思われる。
弘前市にもスパーがあった(実業高校のそば)が、いとくの出店エリアでもあるので、同じ会社の経営だったかもしれない。

東北スパーは2004年にコンビニ事業をローソンに譲渡したため、秋田からはスパーはなくなった。有楽町の店などローソンに転換した店舗も多い。※秋田有楽町店は、昨年移転して「秋田南通亀の町店」となった。

さらに、サークルKとサンクスが登場。現在、両者は経営統合して「サークルKサンクス」となっているが、当時は無関係の別会社。
Wikipediaによれば、秋田には、サークルKが1990年11月(秋田市の秋田陸運支局前店=現在は、床屋チェーンになっているか?)、サンクスが1995年4月に進出。
一方、青森ではサークルKは早くて1986年11月(青森市)だそうだ。これは、青森のスーパー「亀屋みなみチェーン」系列の運営会社があったためだという。秋田と岩手を管轄していた時期もあったが、亀屋みなみチェーンの経営破綻や経営不振により廃業した。サンクスは1994年6月に青森市に出店。

僕が大学生の頃は、後述の通りローソンなども進出し始めてはいたがまだ店舗数が少なかった。そんなこともあり、当時、コンビニといえば(青森でも秋田でも)「サークルK」か「サンクス」だったものだ。
サンクスが新規開店する時は、「♪サンクスはコンビニだ出掛けましょ」という「メリーさんのひつじ」の替え歌に乗せて、「サンクス○○店、×月×日オープン!」というテレビCMが流れていた。
この替え歌の歌詞から、既に「コンビニ」という言葉が秋田や青森でも定着しており、一方で「サンクス」がナニモノかはまだ知られていなかったということになると言えそうだ。
【15日追記】「すぐ、そこ、サンクス」「タッチ ユア ハート サークルK」というサウンドロゴがあったのも思い出した。懐かしい。


コンビニではないが、御所野のイオン(現イオンモール秋田)や秋田サティ(現イオン秋田中央店)ができたのは1990年代半ば。
郊外型大型ショッピングセンターやコンビニと、我々の生活が変わり始めたのがこの頃だったのかもしれない。

・1990年代後半 ついに
そして、ついに大手・ローソンが進出してきた。
1997年4月に青森県(青森市と弘前市)、5月に秋田県(秋田市と男鹿市【2017年5月29日補足・5店舗揃って5月29日オープンだったそうだ】)に相次いで開店。ちなみに、7月には高知県と沖縄県にも出店し、この時点でローソンが全都道府県への出店を達成した。
以後、2000年代にかけて次々に店舗を増やし、特に秋田市中心部ではこんな感じでローソンがとても多い印象がある(上記、スパー転換の影響もある)。ちなみに高知市中心部もローソンが多い気がした。

ちなみに、Wikipediaの秋田進出についての記載は「秋田東通二丁目店、秋田保戸野原の町店、秋田八幡大畑店(秋田市)男鹿舟川海岸通店、男鹿舟越店(秋田県男鹿市)を出店し、秋田県へ出店開始。」とある。
地名(店舗名)に関してはいい加減で、八幡大畑→八橋大畑、舟川→船川、舟越→船越が正当。【15日追記】その後、訂正していただきました。

保戸野原の町(数年前に新築リニューアル)、新国道沿い(八橋大畑店という名だとは知らなかった。場所を勘違いしていたかも)、男鹿の2店が最初の店だとは知っていたが、東通二丁目店という店も最初の出店だとは知らなかった。現在、その店名は存在しない。
【2012年2月11日追記】八橋大畑店と同じ建物に、「ローソン(東北ローソン支社)秋田支店」が入居しているようだ。
弘前では「弘前和徳店」と「弘前茂森町店」が最初だったと思う。当時、わざわざ茂森町まで行ってみたことがあった。僕が初めて入ったローソンは弘前茂森町店だったことになる。

ローソン進出以前に秋田にあったコンビニは赤系の看板のチェーンばかりだったが、青い看板のローソンは目新しかった。
サービス内容や企画商品、接客レベルも一定で、「これが大手コンビニというものか!」と関心【訂正】感心したものだった。
個人的には、今でもコンビニといえばローソンだ。
ちなみに、秋田市中心部では、大潟村の野菜などを売っている店舗(保戸野原の町やキャッスルホテル)がある。これは「ローソンL」という種別の店舗(レシートの店舗名に表示)だそうで、一見普通のローソンだけど、地域に根ざした商品構成を取り入れている店ということらしい。【15日レシートの画像を追加↓】
秋田初のローソンの1つだった保戸野原の町店のレシート。店舗名が「L 秋田保戸野~」となっている


そして、おそらく唯一、「秋田には未進出だけど青森にはある」コンビニチェーンが、イオン系列の「ミニストップ」。(27都府県に展開)
おそらく、青森に進出したのは1990年代後半。
たぶん1998年だと思うが、弘前大学(文京町地区)の向かいにその名も「弘大前店」が開店。「ソフトクリームがおいしい」と話題になったものだった。
【22日追記】いただいたコメントによれば、青森県へのミニストップの出店は、ローソンよりも若干早かったとのこと。弘前は遅い方だったようだ。

・2000年代 残すはセブンのみ
ローソンの天下、サークルKサンクスはやや減少傾向といった状況で21世紀を向かえたが、2005年末に大手・ファミリーマートが進出。
ファミリーマートは、この年島根、長野、新潟へ、翌2006年には、青森と北海道へ進出し、全都道府県進出を達成する。

ファミリーマートも秋田県内で着実に店舗数を増やしているが、ローソンと比べて郊外や幹線道路沿いに店が多い傾向。だから、秋田市中心部にいると、あまり行く機会がない。
※秋田駅西側で駅に近い店舗といえば、川反の秋田大町五丁目店、新国道の秋田中央郵便局前店などで、店舗網がまばら。
実はファミリーマートの社長は秋田(横手市大森)出身。魁のインタビューで、もっと店舗数を増やしたいようなことを言っていた。(現在の秋田県内の店舗数は50店弱)

今やあって当たり前のコンビニだが、地方でそれが身近になったのは、わずかここ15年ほどのことのようだ。パソコンやインターネットが普及した時期と重なるが、どちらもつい最近のような、だいぶ昔のような、不思議な心境。
秋田にセブンイレブンが進出するとすれば、どのように変わっていくのだろう。

【22日追記】その後、セブンイレブンの公式サイトに、オーナー募集説明会の日程と参加受付ページがあるのを見つけた。(http://www.sej.co.jp/owner/seminar/index.html)
3回どころか、12月にかけて何度も予定されていることが分かった。計10回程度行われることになる。
会場はほとんどが県南だが、1回だけ秋田市でも開催される。秋田市で説明会があっても、必ずしも秋田市内で開店というわけではないだろうが、この回数の多さからすると、秋田へのセブンイレブン進出はかなり現実的なように思える。

※その後、進出が正式に発表された
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ひどい工事

2011-10-13 21:06:05 | 秋田のいろいろ
まずは結論というか言いたいことを先に。
秋田駅前からキャッスルホテル・木内方面以遠へ徒歩・自転車で向かわれる(あるいはその逆方向)の方へ
広小路の南側(アトリオン~再開発エリア~キャッスル側)歩道を通るのは避けたほうが無難です。
(危険な目に遭うか、気分を害する場合あり)
広小路北側歩道(お堀側)または中央通りを歩くか、バスやタクシーに乗って通ることをおすすめします。

以下、その理由をグチグチと。
原因は、中通一丁目再開発工事が行われている区画の歩道。
周辺略図。上が東
以前何度かお伝えしたように、広小路では、アーケードが老朽化のため撤去され、融雪装置(ロードヒーティング)が設置されることが決まった。
アーケードは広小路商店街振興組合が管理しており、その撤去も同組合が行うことになっていたはず。融雪の設置は、道路管理者である秋田県が行う。

ここ最近、再開発エリア沿いの広小路の西側(キャッスル寄り=上の図の青い線の辺り)で、融雪の工事が始まり、歩道の一部を封鎖して穴が掘られていた。(この部分では、既に何年も前にアーケードが撤去されていた)
現在は穴が埋められているが、柵はそのまま。自転車が走っている部分は、歩行者・自転車が通行できる
これはちゃんと県がやってるという看板があるし、柵などで誘導されており、普通の工事。特に問題ない。
工事看板「雪を溶かす歩道を作っています」とは、初めて見る言い回し

一方、その東側、旧日本生命秋田ビル(北東角が河合楽器)前付近は、アーケードが残っていた。
現在(10月4日から)、その下の歩道を通行止めにして、アーケードの撤去工事が行われている。(図の赤い線)

ところが、その工事が最悪!(施行方法とかでなく、周知や誘導の観点において)
1.目の前で初めて知らされる
秋田駅側から歩道を歩くと、アーケードへ渡る横断歩道が封鎖され、通行止めを知ることができる。こっち側はまあいい。
駅側の横断歩道は閉鎖(ただし信号機は作動)

しかし、中土橋・お堀側の歩道からアーケードへ渡る横断歩道は封鎖されておらず、渡ってから駅方向へ行かれないことを知ることになる人もいるだろう。あらかじめ知っていれば、渡らずにお堀沿いを歩くか先の横断歩道を渡れば済んだのに。
左がお堀。横断歩道がアーケードにぶち当たる

木内・キャッスル方向から来た場合もひどく、融雪工事現場付近には告知が一切ない。工事資材や車両にまぎれて見づらいこともあり、アーケードの目の前に来て、初めて通行止めを知る人も多い。
キャッスル側から。はるか先に「通行止」看板が
融雪工事現場付近、あるはローソン側に看板があれば、事前に右にも左にも迂回できたのに。

周辺は横断歩道の配置が複雑なのだが、もう少し手前で告知したり、横断歩道を閉鎖するなどもできたはず。


2.休みの日は
僕が最初通ったのは、工事が休みの日だった。現場は無人で誘導員もいない。
解体されているアーケードの長さは、20メートルあるかないかくらいか。車両の通行は多くはない。だから、通行止め区間を迂回せずに車道に出て通る人が多かった。危ない。
誰もいない
封鎖区間の設定と告知の設置場所に問題があるのも、一因だろう。


3.誘導員の役目は?
工事が行われる日は、通行止め箇所の両端に、誘導員が配置されるようだ。
いただいたコメントによれば、通行止めでない区間(県の融雪工事部分)を歩いているのに、誘導員に注意を受けたことがあったという。

一方、今週、僕が見た時は、なんと誘導員ら自身が、通りかかる歩行者や自転車を誘導して通行止め部分の車道を通らせていた
上から指示があったのか、彼らの独断なのかは知らないし、通る人に不便をかけたくないという思いやりも分からなくはない。
だが、「通行止め」看板がある場所にいる工事関係者が、自らそこに招き入れるとは、あんまりだ。万一、これで事故になったら、責任を取ってくれるのでしょうね。


4.いつの間にか延長!
日曜に見た迂回を知らせる看板は工事期間が「10月12日まで」となっていた。
「歩道一部通行止」ってあるけど、「全部通行止」じゃないの?
ただ、その時点で、どう見ても12日までには撤去できそうにないと思っていたが…
いつの間にか、10月30日まで」!
いつの間にか20日近くも工期が延長されていた。しかも看板の日付を上書きするだけであっさりと。

あと半月以上も、通行人にこの不便と危険を強いるつもりのようだ。
そんな長期になるのなら、以前、県が行った竿燈大通りの融雪更新工事の時のように、車道1車線を閉鎖して歩行者用通路とするといった方法を取ることも検討すべきだ。


5.誰がやらせてる工事?
現地に「通行止め」「迂回してください」の看板はあるが、「ご迷惑をおかけします。アーケードを撤去しています」などの発注者や施工業者名を表示した看板が見当たらない。(アーケード自体には何やら掲示してあるが、小さくて遠くて判読できない)
だから僕は最初、近くに設置されている県の融雪工事の看板と混同してしまい、「アーケード撤去も県が発注した融雪工事の一環だ」と誤解してしまっていた。
しかし、
・融雪設置工事とアーケード撤去工事の施工業者・工期が異なること
・秋田県の入札や発注に関する資料を見ても、「融雪の設置工事」はあるが、「アーケード撤去工事」は存在しないこと
・融雪工事には「地方道路交付金(雪寒)」が国から出ているが、アーケード撤去に交付金が出るとは考えにくいこと
・上記の通り、アーケードは商店会の管理で撤去までを行うことになっていたはずだが、この場所では、特例として再開発組合が撤去を行っている。
 →秋田商工会議所のサイトにアップされている「平成23年度第1回秋田市中心市街地活性化協議会議事内容(http://www.akitacci.or.jp/chukatsu/230610.pdf)」の中で、再開発組合理事長が「広小路のアーケードで再開発工事に係る部分として、日本生命ビル前のアーケードは工事に影響があるため撤去させていただく。」と述べている。

以上を考慮すれば、こんなひどい工事をやらせているのは秋田県ではないと考えられる。(というか再開発組合がやらせている)
したがって、「○○を××しています」看板を設置する必要がないのかもしれない。
※ただし、ここは県道なので、秋田県には道路管理者としての責任はあるだろう。このような工事を黙認(?)している点では問題あり。(あるいは県警の管轄でもあるだろう)


再開発組合では、以前も、仲小路の完全通行止めの告知をギリギリまでやらなかったことがあった。お役所ではないので公共工事に不慣れなのかもしれないが、自分のやったことによって周りの人たち(特に一般住民や通行人)がどのような迷惑を被るのか、思いやりが欠如しているように見受けられる。
ここは仮にも県庁所在地秋田市中心部の秋田駅のそば。お年寄りや体の不自由な人も通るし、大荷物の旅行客も通る。そんな人たちの目の前に突然「通行止め」が出現したら、表示と異なる指示をする誘導員がいたら、どう思うだろうか? 旅行者が受ける秋田のイメージはどう変わるだろうか?
もう少し想像力を働かせて事業を進めてほしい。この調子では、再開発完了までに、まだまだ小さな問題(というか僕が勝手に立腹するだけか)を起こしてくれそう。

【16日追記】その後、突如工事がスピードアップし、16日・日曜日に通ったらアーケードは完全に撤去済み。再び歩道部分を安全に通行できるようになっていた。「30日まで」ってのは何だったんだ?
※撤去後の資材が一部置かれていたり、隣の融雪工事はまだ途中なので、歩道が狭かったり足元が悪い部分はある。

【31日追記】29日付秋田魁新報・秋田市地域面によれば、今回撤去されたのは延長30メートルで撤去費用は約200万円。
それはいいのだが、記事によれば、延長300メートルすべてのアーケードを撤去するという当初の計画が変わるかもしれないという。
商店街の組合員からアーケードの骨組みを活用できないかという声が上がったため、組合では全面撤去の計画を再検討し、来年3月までに結論を出すとのこと。
活用法は「アーケードの屋根を撤去して骨組みに防犯対策用の照明を設置する案や、商店街のPRやにぎわい創出を目的にアーケードの柱に装飾を施す案などが、出されているという。」とのこと。
一度撤去を決めたのに、今になって再検討ですか。しかも残すとしても柱くらいのようだから、「アーケードがなくなってしまう」ことには変わらない。あのドギツイ赤い柱だけが残るってことか?
※アーケードの続報はこちら
※融雪設置工事の続きはこちら
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バス停2題

2011-10-12 23:37:20 | 秋田のいろいろ
秋田市内のバス停の話題を2つ。

●昔の名前で出ています
秋田市北部の中央部寄り、外旭川(そとあさひかわ)地区を走る「笹岡線(神田笹岡線)」。
秋田駅方面からは他路線(旭野団地方面)と同じ経路を走り、「笹岡入口」バス停を過ぎて、田んぼの中へ分岐して、笹岡方面へ向かう。
その分岐後最初のバス停が外旭川中学校のそばにあり、名前は「天徳院前」。
そういう名前のお寺でもありそうだが、そうではなく「天徳院ニュータウン」の前という意味らしい。旧秋田市交通局による命名です。(ニュータウンの名前は、天徳寺にちなむのだろう)
 2010年6月の記事の再掲(矢印はこの記事とは無関係)
2010年6月時点では、上の写真のような、秋田市営バスタイプの「ダルマ型」バス停が立っていた。
おそらく、交通局が設置し、路線移管に伴ってそのまま譲渡され、運行会社名だけを書き換えて使っていたと思われる。
※この記事で取り上げるのは、上り側(秋田駅方面)バス停のポールです。

ところが、今年の8月に久々に行ってみると…
※8月撮影のため、周囲の田んぼはまだ青々としています。
バス停が替わっている!
2009年5月22日の記事でも取り上げた、中央交通が昔、設置していた、オリジナルタイプのダルマ型バス停だ。

上部が逆U字型で、オレンジ色(なんでオレンジなのかは不明)部分のロゴ、そして「バスで行こう」というキャッチコピーが印象的だった。
僕はこれを見ると「中央交通のバス停だ」と実感し、デザイン的には市営バスのよりも好きだった。
しかし、ここ数年で新設・更新されるバス停は、なぜか市営バスタイプのもの(上部の社名表示部分だけ色が違う)ばかりで、このオリジナルタイプは減少傾向。
天徳院前のものは錆が出ていて新品には見えないが、「天徳院前」という文字は比較的丁寧(紙に印字したのをセロテープで貼ったような雑なのでなく)に表示されている。いつ、どうしてこれに替わったのだろう?


あれ? ちょっと待って!
神田笹岡線は、今年3月で廃止されている。
秋田駅-笹岡入口間は廃止(旭野団地線で代替)、笹岡地区については秋田市が運行する「秋田市マイタウン・バス笹岡線」となっていたはず。
実際の運行は民間会社に委託しているが、その委託先は中央交通ではなかったはず。それなのに中央交通と書かれたバス停が残っている?

と思いながら、反対面へ回ってみる。
こちらがバスの進行方向から見える面で、時刻表が掲示されているので、「正面」になるのか。
ん?!
こちら側は何か違う。



なんと、
「キングタクシー」(秋田市の大手タクシー会社、キングタクシーに委託されている)
「秋田市マイタウン・バス/キングタクシー」というシールを上からべったり貼っていたのだった!
「バスで行こう」の文字が一部だけ見え、シールが若干曲がってはみ出しているのが、貧乏くさい。せめて、下の表示を完全に消してから、まっすぐに貼り、裏面の「中央交通」も消してほしかったようにも思う。

実際のところ、この次の「神田」バス停が終点なので、ここから乗車する人はまずいないので、これで差し支えないのでしょうけど。

田んぼと以前の運行会社名のままのバス停

その後の小変化


●タク・ストップ?
秋田市北部、JR奥羽本線と国道7号線が並行する飯島地区(飯島の話題をアップすると言っておきながら、遅れてます。すみません)。
JR上飯島駅前の「飯島二区」バス停とその北で多くのバスが折り返す「飯島北(旧交通局北営業所)」バス停の間に、「飯島松園」バス停がある。
「松園」という住所はないが、「松園公民館」があるようなので、町内会か何かの名称が由来だろうか。(海岸に近く松林があるから「松園」か)

てっきり、「まつぞの」と読むのだと思っていたが、
「しょうえん」だそうです。
上の写真は、中央交通のバス停。
交通局末期に設置された、2社共同のポールを使い続けているので、下に「秋田市営バス」の文字が透けている。


実はこの一帯のバス停には、中央交通のバス停のほかに、もう1本のポールが立っている。
それは、上記笹岡線よりも先に2008年に廃止・マイタウンバス化されている「秋田市マイタウン・バス北部線」の2路線(金足方面と下新城方面)のもの。「北部ふれあい号」という愛称があり、こちらもキングタクシーが運行を受託している。
※マイタウン・バス単独の停留所(中央交通にない停留所)や、2社で場所が異なる停留所も、一部あり。

秋田市マイタウン・バスでは、笹岡線のように毎日必ず運行される路線もあるが、この北部線などは予約があった場合だけ運行される路線(いわゆるデマンド方式)。
バス停をよく見てみると、

デザインは笹岡線のと同じだが、「秋田市マイタウン・バス」ではなく「北部乗合タクシー」となっている。
でも、これはあくまでも秋田市マイタウン・バスなのだから、そう表示した方が分かりやすいと思う。
そして、
「バス停」ならぬ「タク停」だって!
実際にはバスではなくワゴン車みたいなジャンボタクシーが使われているようだが、それが停まる場所は「タクシー停留所」、「タク停」というわけか。

全国的にこのような予約制乗合タクシーはあり、「タクシー停留所」が存在しているようだが、他の地域で「タク停」の名称を使っている所はないようだ。どうも、秋田市オリジナルのネーミングらしい。

※秋田市マイタウン・バスでは、定期的に運行委託先が見直されるので、将来的にはキングタクシー以外の事業者に変更される可能性もあると考えられます。
この記事後半も参照
※2021年でも北部線はキングタクシーが受託し、「タク停」表記が残っている。しかし、2021年春新設の表示板では、同デザインながら「タク停」の文字がなくなった。この記事にて
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古い信号機撤去

2011-10-11 21:17:03 | 秋田のいろいろ
秋田市中通一丁目(日赤病院・婦人会館跡地)の再開発工事は、順調に進んでいる模様。※再開発の前回の記事は9月12日

公募され最終選考が行われたはずの愛称については、再開発組合のサイトに10月6日付(http://www.nakadouri-saikaihatu.jimusho.jp/osirase/newpage2.html)で「愛称選定結果の発表については、もうしばらくお待ちください。」というページがアップされていた。
「選考結果の発表につきましては、当初の予定では平成23年10月上旬としておりましたが、現在、ロゴデザイン・キャラクターデザインを作成中です。」
「デザインの完成をもちまして、選考結果と合わせて皆様に発表したいと考えております。」
「楽しみにされていたところ大変申し訳ございませんが、11月中旬頃には発表するべく準備をしております」
だって。まとめて発表するのだそうだ。
※愛称決定についてはこちら


各建物とも高さが増し、外側が足場とシートで覆われたものも。こうなってくると、あまり見てもおもしろくない。外観が姿を現すまでは。
南東側から。手前が商業施設、奥の青いシートで覆われたのがにぎわい交流館(写っていないがその左が美術館)

さて今回のお話は、再開発エリアの東側、秋田駅につながる「仲小路」が分断された、明徳館ビル(県立明徳館高校)前の丁字路交差点の信号機について。
秋田駅側から
ここには、今年8月16日に紹介したように、1984年製の古い信号機が残っていた。

来歴などは2010年5月25日の記事で紹介したが、改めて簡単にまとめる。
1985年に仲小路が「コミュニティ道路」として整備された際、仲小路と交わる信号機付き交差点各所に、柱と一体化したオリジナル仕様で茶色いボディの信号機が設置された。
今でこそ、信号機のボディ色はいくつかバリエーションがあるが、当時はグレーのものばかりだった。デザインや色に配慮した信号機としては、秋田県内では初だったと思われる。

その後、2000年代に入り、老朽化や信号機のLED化の促進、秋田中央道路の開通に伴う移設などがあったため、これらの信号が徐々に撤去・更新された。
しかし、明徳館ビル前、北東角に立つ柱1本(車両用1台、歩行者用2台の信号機)だけは、交換されずに残っていた。
交差点略図。信号柱にA~Dと仮に記号をつけました。「A」が古い信号機のあった柱の位置

昨年秋の再開発工事着工・仲小路の一部廃止に伴い、この交差点は十字路から丁字路に変わった。
そのため、その古い柱に付いていた車両用信号機が必要なくなって撤去され、歩行者用2台だけが残って、まだがんばっていた。※2010年9月21日の記事


上記の通り、この交差点の他の3本の柱(上の図B・C・D)は、柱・信号機とも、先(再開発着工よりだいぶ前)に新しいものに交換されている。
うち西側2本(C・D)は、再開発工事に伴いジャマになったようで、今年の春に再度撤去され、柱が地面に埋まっていない仮設の信号機が置かれていた。
 (6月1日の記事の再掲)CとD


このほど(9月末~10月初め)、この交差点で新たな信号機工事が行われた。
工事終了後。「くらた」前から(手前の柱がB)
工事の内容は以下2点。
・仮設だった「C」「D」を、柱を埋め込む通常の設置方法に更新。柱は茶色いもの(新旧は不明)、信号機は茶色で少なくとも歩行者用は他からの転用(2台のメーカーが異なり、LEDではあるが分厚い旧タイプなので)、車両用のアームは1本タイプ。
・27年近くがんばった「A」がついに撤去。柱・歩行者用信号機とも新品。柱は銀色、歩行者用は茶色の薄型。
したがって、この交差点では「B」の柱がいちばん古くから設置されている(といっても10年経ってない)ものになった。
手前が「B」、向こうが「C」

左が「D」、右が新設された「A」(ビルの影で暗いですが)
「A」の更新は仕方ないとしても、まだ再開発工事途中なのに「C」「D」が本格的な設置方法になったのが意外だった。
とはいえ、その信号機はよそのお古の使いまわしだし、配線も雑そうなので、このままでずっといくわけでもないと思う。再開発完了時に、また変化がありそう。

新品の「A」の柱と信号機
「A」の柱も歩行者用信号機も「信号電材」社の2011年製。
エスディーポール

信号機には2011年9月製とあった
秋田市内で更新(新設でなく)される信号機は、信号電材製のものが圧倒的に多い。


それにしても、柱の色、なんとかならなかったのだろうか。
この交差点だけ見ても、柱は茶色と銀色でバラバラ。しかも、銀色の柱に茶色い信号機が下がるのって、アンバランス。(以前、茶色い柱にグレーの信号機の組み合わせを紹介しました)
アンドー大先生が手がけられた立派な美術館の近くなのだから、街並みや景観にも、きめ細かな配慮がほしいところ。
※その後2012年3月頃に近くの別の交差点では、こんな信号機が設置されたので、ここも今後同様に更新されるかもしれない。
【2012年8月27日追記】再開発完成後の2012年8月現在、信号機に変化なし。


 (再掲)以前の信号機

薄型LED信号機。27年間の技術革新を感じさせる
ところで、ちょっと写真が分かりづらいけれど、信号電材製の薄型歩行者用信号機は、「お弁当箱」のような他社製とは若干デザインが異なる。
背面は若干カーブを描いていて、縦方向にラインが入っている。表も、ラインというか凹凸が1つ少なく、すっきりしたデザインに仕上げてある。工業デザイナーの秋田道夫氏という人がデザインを手がけているそうだ。

また、新設された歩行者用信号機(転用のC・Dも)は、上のアームから1点でぶら下げる方式。ただ、従来のものとは異なり、アームと柱の間にワイヤーが張られている。(既存の「B」の柱はアームだけでワイヤーがない)
見かけとしてはちょっとジャマだけど、強度確保のためだろうか?
こういう吊り下げタイプの歩行者用信号機では、トラックなどが接触して信号機が曲がってしまう場合がある。信号電材社では、こういう場合でも、バネみたいなのが入っていて、元に戻る「スイングブラケット」という機構を採用した製品があるそうだ。これがそうかは分からないけど。

※再開発の記事の続き(愛称決定)はこちら
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ラッピングバス2

2011-10-09 20:01:46 | 秋田のいろいろ
公募で決まった秋田らしいデザインのラッピングバスの紹介の2回目です。※前回の記事
※この記事では、各車両の所属営業所(秋田または臨海)を掲載しますが、見間違いや車両のやり繰り(異動や貸し出し)で異なる場合もあります。

6種類のデザインが15台にラッピングされるとのことだが、これまでに5種類・14台(いずれもいすゞ製中型車「エルガ・ミオ」)が運行されているのを確認できた。
秋田市中心部(駅~八橋球場辺り)に10分間もいれば、どれか1台は見られるくらいの確率で走っている。15台ある「三平バス」よりも、見る機会は多いと感じる。三平バスは所属営業所・運用路線が偏っているのに対し、今回のラッピングバスは複数の営業所に配置され、満遍なく運用されているためだろう。

●四季と方言
まず、前回紹介したものの補足。
前回紹介した「290」「316」に加え、「291」と「296」も確認したので、計4台も存在する。
どういう事情か知らないが、このデザインがいちばん台数が多いことになりそうだ。
前回、「316」を臨海営業所所属ではないかとしていたが、秋田営業所所属の模様。他の3台(290、291、296)はすべて臨海営業所。

●かすり柄
36歳の男性の「心の安まる故郷」を秋田らしさとした作品。
秋田営業所の「217」「317」、臨海営業所の「519」の3台を確認。うち1台は、9月22日の市役所前での公開の際、真ん中にいた車両だと思われる(ナンバー不明)。【←10日補足・この部分あいまいです】【29日訂正】このバスは、市役所前で展示されなかったことが分かりましたので訂正します。
ぱっと見ると、紺色が目を引く
紺色の部分には白い「・#・#」の模様があり、“秋田おばこ”がよく着ているかすり(絣)の着物の柄だ。車体の下の方には、おばこの衣装の帯やたすきの色である濃い赤を使って、秋田市を象徴するさまざまなもののシルエットが浮かぶ。
前の方を拡大
中ドアより前は、風力発電・ポートタワーセリオン・土崎港曳山まつり。
中ドアの部分には、秋田駅舎(「秋田」と書かれている)と正面を向いた中央交通の路線バスが3台(ここだけカラー)。上の方には白い「V」があり、ここが着物の襟の部分となるようだ。
後ろ
後部は、後輪より後ろに、竿燈と山(ケヤキと千秋公園の御隅櫓?)。白抜きで「Welcome to Akita City!!」。

よそから来た方が、かすりの着物で秋田(秋田おばこ)を連想してくれるかどうかは分からないし、赤いシルエットが若干分かりづらいが、落ち着いた色合い・デザイン。(その中で、緑のバス3台が場違いのような気もする)
タイヤとデザインが、あまり干渉しないのもいい。
ドアが開くと、秋田駅とバス3台、襟は見えなくなります
上の写真を撮影した「217」は、御所野のイオンモールと国際教養大学を結ぶ路線バスで使用されていた。(中ドア右に同大の略称「AIU」表示がある)
この路線は、以前はほぼ専属の車両が充当されていたと記憶している。現在は違うのかもしれないが、この路線にこれを使っているのは「Welcome to Akita City!!」と書いてあるから?

●竿燈
19歳の女性(学生)の作品。
見ての通り、竿燈まつり
やっぱり秋田市といえば竿燈だ。
秋田営業所の「211」と臨海営業所の「243」を確認しているが、市役所公開時に後ろに停まっていた「299」(たぶん秋田営業所)も、同デザインだと思われる。【←10日補足・この部分あいまいです】【29日訂正】299は別デザインでしたので、訂正します。
「深い藍色(講評より)」を中心としたグラデーションや花火が上がる背景に、竿燈や差し手がランダムに並ぶ。これもタイヤなどの影響はほとんどなし。
題材もデザインもシンプルで分かりやすい
他にも竿燈を題材にした作品はあったと思うが、これこそ秋田市らしいものと言えるだろう。
そういえば、中央交通のバスの一部では、座席の布地が竿燈の模様の車両があったはずだが、このラッピングがされた車両は違うかな?

以上3つが、9月22日に市役所前で公開されたデザインのはず。【←10日補足・あいまいです】【29日訂正】かすり柄は市役所前で展示されなかったことが分かったので訂正します。他に秋田美人のデザイン(299)が最後尾で展示されていました。後日紹介します。
●山と花?
第一印象としては、鮮やかで明快なデザインで好感を持った。でも…
まずはデザインを見てください。
山とピンク色の花(とわずかに葉)
山と花のモデルは何だと思います?

山は3つの頂点があることから、太平山だと判断できる。ただ、実際の太平山の山肌とは印象が違うのが気になった。何ていうか実物の太平山は、もっと山肌の凹凸が細かい。
山と花
そしてびっしりと散りばめられた花。花びら(花弁)はピンク色で5つに分かれている。
僕は最初、桜の花かと思った。
ただ、それにしては花弁が大ぶりで、“しべ”が長く、花弁中央に筋が入るなど、どことなくサツキっぽいとも感じたが、これらは桜の花をデフォルメしてあるのかなと思った。
したがって、「春の秋田」をデザインしたのだと思った。

しかし、選考結果の資料を見ると、これは「サツキ」だという。だったら、「初夏の秋田」だ。
たしかに「秋田市の花」はサツキであり、サクラよりは秋田市らしいアイテムではある。

でも、植物形態学・分類学的観点から言わせてもらえば、この絵の花をサツキの花とするのは、難しい。
まず、こんな色のサツキの花は(なくはないけど)一般的ではないと思われる。一般的なサツキの花色は、朱色、濃いピンク、白などではないだろうか。同系色の濃い斑点が入る場合もある。
この絵のような淡いピンク色だと、日本人はどうしても桜を連想してしまう。秋田市の花がサツキであることを知らない人ならなおさら。デザイン上、白だと溶け込んで分からないし、濃くするとしつこくなるのかもしれないけれど。

それに、花の構造が実際と少し違う。サツキにしては花が“開きすぎ”ており、平べったく見える。サツキの花は極端に言えば「筒状(ろうと状)」で、サクラよりも立体的なつくりなのに。(サクラは5弁が独立した「離弁花」、サツキは花弁が付け根でつながって先端だけが分離している「合弁花」と呼ばれる構造の花)
しべ(めしべ・おしべ)は長めに描かれているが、実際のサツキのそれとは違う。本物のサツキのしべは、先端付近でくるんと曲がって、主に上を向くのが普通。
こうした点に配慮すれば、よりサツキっぽく描くことも可能なはずだったのに。
文句ばっかりでは申し訳ないので、自分でもかいてみました↓
上手い下手は別にして、こんな感じで?!
デザインの専門家やサツキを市の花とする秋田市の職員(市長も含む)が見て、これがふさわしい、これが優れていると感じたから選ばれたのだろうが、植物の専門家から見ればこれを指してサツキと呼ぶのにはためらいがあるかもしれない。
まあ、動物などでも、たまに「これがパンダ?」「これがタヌキ?」とか感じる絵もあるから、許容すべきなのでしょう。


デザインしたのは、採用作品中最高齢の70歳の男性。
「自営業」となっているが、お名前で検索したところ、似顔絵・肖像画などを描く仕事をされている方のようだ。したがって、前回の四季と方言の作者を「唯一のプロの作品」としていたが、そうではなかったことになる。

目立つし、明るいデザインで素晴らしいと思うが、もっとサツキをリアルに描いてほしかった。
秋田営業所の「179」と臨海営業所の「202」の2台で確認している。上の写真は202のもの。

ところで、その179は、ラッピングを確認した中でいちばん古いバスのようだ。
「179」後部
中央交通では、車体の塗装の塗り分けが、時期によって微妙に異なる。
今までラッピングを紹介してきた比較的新しい車両は、窓より上の(緑色でない)部分が、屋根まですべてクリーム色というかベージュ色で塗られている。
一方、179はその1つ前の塗装で、クリーム色なのは屋根だけ。窓の高さの部分は白く塗られている。上の写真の通り、後部から見るとそれがよく分かる。(リアウインドウ上部が境目で、以下テールランプ部分までが白い)
最近の白を使わない塗装は、簡略化と汚れ防止が狙いなのだろう。なお、もっと以前には、屋根も含めて窓より上が全部白い塗装の車両があるし、クリーム色部分がもっと白っぽかった(アイボリー)車両もある。


今回の紹介は以上です。
他には、大森山動物園をモチーフにしたものがあり、これは2台(秋田の「300」と臨海の「518」)を確認しているが、いい写真が撮れていません。
もう1つ、特別賞(賞金なし)の秋田美人のデザインもあるそうだが、これは車両自体を未確認。1台だけにラッピングされるのだろうか。ラッピングが後回しになっているのかもしれない。
後日、紹介したいと思います。

それにしても、絵だけをラッピングして走っているわけだが、不親切でもったいないと思う。
旅行客など知らない人がこのバスを見てもどういう意図でこのラッピングなのか分からない(サツキの絵を桜だと思い込んでいる人がいるかもしれない)。また、正面から見ると他のバスと同じで、側面を見ないとそれがそのバスであること自体が分からないのももったいない。
「ラッピングバスデザイン審査入賞作品~秋田市~」とか正面に書いて、どこかに作品のタイトルや題材・意図を表示した方が分かりやすく、理解してもらえると思う。

※続きはこちら
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フレッシュランチ・彼岸団子

2011-10-08 17:50:04 | ランチパック
ランチパックの秋田版「たけやフレッシュランチ」の記事。※先月の記事

ここ最近はあまり大きな変化はなく、しかも販売するお店の方でも、たけやが受託製造する「ヤマザキランチパック」を中心に、フレッシュランチを少し置くといった感じで、フレッシュランチの新商品が出てもすべてを仕入れる店が減っているような印象がある。
7月からの「ブルーベリー&チーズ風味」は引き続き発売されているのを確認。【9日追記】6月からの「本荘ハムフライ」も継続発売の模様。【19日追記】8月からの「ラザニア風」も継続。

10月発売の新商品は、1種類しか見ていない。
「フレッシュランチ カルボナーラ」 1包装あたり248kcal
「ショートパスタに濃厚なソースをからめた、クリーミーなカルボナーラスパゲティをサンドしました。」
↑若干、重複しているようないないような変な説明文?

最近のフレッシュランチはパスタ系新商品が多いですな。
そろそろカレー系とかが出てきてもいい頃のような気もしなくはないのですが。

本家ヤマザキでは、2010年に「ランチパック カルボナーラと味わいたまご」というのがあり、偶然、当時のイトーヨーカドー秋田店で購入して食べていた。(中身の違うのが1枚ずつ入った商品)
それは、スパゲティではなくマカロニが入っていて、ちょっとしょっぱかった(と当時の記事に自分で書いていたけど、記憶がありません)。

一方、今回のフレッシュランチは、短いながらもスパゲティが入っている。
黒い点はコショウか

カルボナーラといえば、カロリーが高そうだが、他のフレッシュランチと比較してもそれほどでもない。
ちゃんとカルボナーラの味がするし、しょっぱいとも感じなかった。でも、もの足りない感じも。
具の量が足りないのか、チーズとかのコクの成分が足りないのか、何かがもうちょっとあればいいのかも。

以上、フレッシュランチの話題でした。


ついでに、たけや製パンのお菓子の話題。
先月の秋のお彼岸前、スーパーにおはぎと並んでこんな商品があった。
「たけや 彼岸だんご 小倉あん」298円
だんご好きなので、真っ白くて大きなおだんごに引き寄せられて購入。
6個入り

真っ白ツルツル
粉をまぶしておらず、饅頭のようにも見える。
秋田では、お彼岸にはぼたもち(春)・おはぎ(秋)を供えて食べるのが一般的。
磯野家のご先祖・磯野藻屑源素太皆(いそのもくずみなもとのすたみな)が、彼岸に殿様の前で38個食べて褒美をもらった(=天保3年(1832年)の出来事という情報もある!)のは有名な話(?)だし、サッカー選手の三浦知良氏(静岡出身)も好物だというから、全国的にもそうなのだろう。
秋田の一部の家庭では、彼岸に白玉やだんごを作ることもあるようで、スーパーの特設コーナーや特売で白玉粉やだんご粉が売られることはある。

でも、(秋田では)大手菓子メーカーが、大々的にお彼岸用のだんごを売っているのは初めて知った。
僕が見たのは、この1種類だけだったが、青森の工藤パンのサイトに掲載されていた商品情報(現在はページが削除された)によれば、同社でも似たような彼岸だんごを発売していて、草だんごがあったり、たけや同様の蒸しただけののほかに粉をまぶしたの(大福みたいに)など、数種類がラインナップされていた。


ネットで調べると、「だんごを供えるのは彼岸入りの日」「中日に供える」「元はサトイモを供えていて、その代わりに白いだんごを供えるようになった」「月見だんごのようにピラミッド状に積み上げて供え、てっぺんの1個だけ赤いだんご」など、地域や家庭によってさまざまな風習があるようだ。
我が家では、仏壇にさっとお供えして、すぐに食べました。(元々おやつのつもりで買ったのだし…)

ともかく、おいしかった。
「たけや“製パン”」というけれど、和菓子もあなどれないたけやさんなのです。

【2012年9月21日追記】翌2012年秋にも、同じ彼岸団子(違いはシールの貼り付け位置がパックではなくその外を包むラップになったくらいか)が発売された。
※その後、2015年秋彼岸時点でも発売継続。
※秋田県沿岸北部の能代周辺では、以前から彼岸だんごの風習があるようで、また違うおいしいものだった
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新行き先表示

2011-10-06 23:18:35 | 秋田のいろいろ
先日に続いて、秋田市内の路線バスで始まった、「系統番号表示に伴う、行き先表示の内容の変更」について。※前回の記事
冒頭の写真のように、秋田駅西口には見慣れない表示のバスが並ぶ。
【2012年4月1日追記】この半年後には、表示内容が若干変更されました。
この記事の内容は、変更前のものです。変更後はこの記事で紹介しています。


繰り返しになりますが、まず、今回の表示の変更の要点とそれに対する個人的感想をまとめます。
1.従来なかった系統番号を表示した
 →秋田市の地理や路線網不慣れな旅行客、外国人には分かりやすくなった。全国的な流れでもある。
2.誤解を招いたり複数の言い回しがあった地点名が統一された(車庫→大川反車庫、秋田駅・秋田駅前→秋田駅西口など)
 →いずれやる必要があると感じていたことなので、この機会にやって正解だったと思う。
3.大きな文字で表示されるのは「終点のバス停名」だけになった
 →路線名や主要地名(新屋西、割山、将軍野、神田など)が、表示されなくなったり小さな文字になってしまった一方、「南浜回転地」「○○×丁目」など見慣れなかったりイメージしづらいバス停名が大きく表示されて、(特に路線網や地理を知っている人には)かえって分かりづらくなった。
※こんなに大規模な変更なのに、バス会社側から(サイト以外では)ほとんど告知・周知がなかったのも不親切。


ところで、路線名・主要地点名の表示が目立たなくなったのは、分かりづらくてかなわないが、考えてみれば、他の都市のバスでも、「終点だけが大きく表示されている」例が少なくないようだ。
 (再掲)しずてつジャストライン
例えば、上の静岡市清水区を走るバス「三保山の手線」は、大きく「三保車庫」と終点が表示され、経由地の「JR清水駅」などが小さく表示されている。
系列の静岡鉄道の駅「新清水」や観光地・三保の松原最寄りの「羽衣の松入口」も通るのに、正面には出ない。

バス業界全体のトレンド(?)として、あくまでも「行き先(終点)」を表示しましょうということになっているのだろうか。
決して、それが乗客のためだとは、僕は思わない。



さて、今回も、秋田の新しい表示を紹介します。
まずはクイズ。
秋田市のバス路線あるいは地理をご存知の皆さん。以下の画像は、何線のことだか分かりますか?(一部、前回の記事でも紹介済みです)
 西部サービスセンター/蓬田上丁

 牛島西四丁目/二ツ屋中丁

 秋田貨物駅入口/組合病院

 更生センター/自動車会館


では、順に正解を。
1「大町 西部サービスセンター」
(大町経由)新屋線。前回紹介した新屋西線とは、上の小さい字が違うだけで、区別しづらい。
そして、新屋線から「新屋」の文字が消えたのがショック。

2「秋田駅西口・温泉入口 蓬田上丁」
秋田温泉線。従来は「秋田温泉・蓬田」だった。
添川線でも「蓬田上丁」と表示されるはずなので、これも区別しづらい。

3「牛島・大住団地 牛島西四丁目」
大住団地線。
従来は「有楽町・牛島 大住」。
昔は「大住団地」が終点だったのだが、市営バス当時の1993年に団地より先に延伸(バス停4つ分)され、「西潟敷」が終点となった。延伸区間のバス停の1つ「みなみ野入口」の名を取って、「大住・みなみ野(団地)線」などと呼ばれるようになったが、表示は民間移管・LED化を経ても「大住」のままだった。
そしていつの間にか、西潟敷からさらに1つ先の「牛島西四丁目」が終点になっていたようだ。

「牛島西四丁目」と言っても、場所がピンとこない人のほうが多いだろう。「みなみ野」とか「西潟敷」を大きくしてほしかった。
経由地にも「牛島」があって、再度「牛島西四丁目」が出てくるのも、ちょっと分かりづらい。経由地の方は「牛島橋」とか「牛島東五丁目」にするべきだと思う。

4「牛島 二ツ屋中丁」
福島二ツ屋線(二ツ屋福島線?)。
二ツ屋上丁を過ぎて下丁へ行かずに左折する路線なのだが、この表示はおかしいと思う。
市営バスが運行していた当時、1995年頃までは、左折してすぐの「二ツ屋中丁」が終点で、そこで折り返していたと思う。
しかし、市営バス末期には、折り返しせず、末端部分でぐるりと一周し、往路の最後の部分と復路の最初の部分が重なっているという、ちょっと変わった運行形態になり、現在に続いている。(サイトの時刻検索では二ツ屋中丁までしかリストにない)
市営バス~従来は「福島下丁」
前の表示では、二ツ屋中丁の2つ先の「福島下丁」が表示されていたが、実際には、ぐるりと回って戻って、牛島小学校前を過ぎて「南部公民館前」が真の終点のはず。
ルールに従うなら、「南部公民館前」と表示しないといけないのでは?

5「通町 秋田貨物駅入口」
泉ハイタウン線(旧・泉秋操線)。
従来の表示
数年前まで、市営バスから受け継いだ「操車場駅」という表示だったのが、突如「泉ハイタウン」に変わり、戸惑うと同時に住宅地らしい路線名・表示になり、それがせっかく慣れてきたのに、また分かりづらい表示に変わった。
経由地に「通町」しかないのも寂しい。「聖園短大」とか「千代田町」があってもいい。(市営バス当時は「泉道田(いずみどうでん)」も表示されていたが、住居表示実施で消えた地名のためか、LED化時に通町だけになった)

6「県庁・サンパーク 組合病院」
前回に続き、また出てきた「組合病院」。新国道・高専経由でも、神田・旭野団地経由でもありません。
なんとこれが、「将軍野線(県庁・サンパーク経由)」!
従来の表示「県庁・寺内・サンパーク 将軍野・組合病院」
「将軍野」も消えてしまった。
せめて「中央高校前」「自衛隊入口」とか入れてほしい。これでは、新国道・高専経由、神田・旭野団地経由の組合病院行きと区別しづらい。

7「県庁・商業 更生センター」
これは難問。
「商業」がヒントか。(←「商業高校」と表示しないとダメなんじゃ?)
「更生センター」は「障害者支援施設 秋田県身体障害者更生訓練センター」のこと。
つまり、秋田商業高校の先にある、「福祉団地」の奥にある施設のことだから、「県庁経由商業高校線」の福祉団地行きのこと。※割山線の県庁経由とは異なる路線
従来の表示は「商業・福祉団地」だった?

終点がこのような名前のバス停だとは知らなかった。

6「県庁・堂ノ沢 自動車会館」
これも難問か。しかも路線自体がレア(平日のみ1往復)。
草生津川沿いの道路工事の記事で少し触れた、「堂ノ沢県庁線」というヤツ。
県庁、面影橋を経て旧国道に出て(ここまでは寺内経由の土崎線・将軍野線と同ルート)、寺内地区を抜けて草生津川を渡って八橋イサノ辺りに至る。昔は、新国道と線路を越えて外旭川八幡田まで行っていたはずだが、現在は新国道直前、運輸支局付近止まりに短縮されたようだ。

「自動車会館」って言われてもねぇ。「堂ノ沢」でいいんじゃないかな。


ほかにもいくつか。
前回、大川反車庫行きの「県庁・八橋球場経由」と「長崎屋経由」の区別がしづらくなったことに触れた。ご覧の通りです。
 
140は純粋な秋田駅西口始発「県庁市役所 大川反車庫」。
521は御野場団地発牛島・西口経由「秋田駅西口・長崎屋 大川反車庫」。
 従来の表示(これ以外の表示もあった)
従来なら、大きく「八橋球場」「長崎屋」などと表示されて区別しやすかったが、「長崎屋」は新表示では小さな文字になってしまい、極めて分かりづらくなった。
文化会館・体育施設のアクセスとして分かりやすいであろう、「八橋球場」は小さな文字にもならず、消えた。
県庁・八橋球場経由か長崎屋経由かの区別のしやすさにおいては、従来の表示の方が、ずっと分かりやすかった。

さらにこんなのも。
「シルバーエリア・ニュータウン御野場 秋田駅西口・長崎屋 大川反車庫」
512は御所野(イオンモール)発。
経由地が2段に渡ってびっしりで、ドット数ギリギリのカクカクした文字。この中から「長崎屋」を見つけるのは難しい。

また、上の画像の車両は表示機が劣化しているらしく、常時点灯しないLEDが存在する、いわゆる「ドット落ち」「画素欠け」が発生している。
従来の大きな文字なら、ドットが抜けてもなんとか判読できるが、細かい字だと厳しい。「シルバーエリア」が「シルバーエリ“フ”」に見えますよ。


前回紹介した通り、御所野方面へ行くバスのうち、秋田駅西口発のものは「イオンモール秋田」と表示されるようになった。
一方、東口発は、イオンを経由して隣の「中央シルバーエリア」が終点。その表示、まずは「400」。
「日赤病院・イオンモール 中央シルバーエリア」

側面
側面の経由地が1つ空いているのがもったいなく、やはり「御所野」はないが、こんなもんでしょうか。

微妙に経路が異なる「402」では、
「日赤病院・イオン御所野・イオンモール 中央シルバーエリア」
えっ? 「イオン」が2度も出てくる!
側面も
「イオン御所野」は旧ジャスコ御所野店前のバス停のことで、「イオンモール」は以前「新都市交通広場」と言っていた、ショッピングセンター内の発着場のこと。
イオンモール秋田は広大な敷地のため、周囲にいくつかバス停があり、路線によってジャスコ前は通らないこともあるらしい。
複雑な路線網と、ジャスコの改名とバス停の改名が原因なわけだが、そんなにイオンイオンって書かなくてもよさそうな気もする。「イオン御所野店」のおかげで「御所野」の名は表示されているけど。



告知されているように、系統番号が表示されたのは行き先表示がLEDのバスだけ。
魁の報道によれば14台存在するらしい、昔からの幕式(フイルムに印字した表示)の車両は、9月以前の表示のまま番号なしで走っている。
中でも、新屋方面の路線では、LEDと幕の車両が混在しているため、混乱する乗客がいるかもしれない。
「新屋西」表示が既に懐かしく感じてしまう

もう1つ、五城目線でも、LEDと幕が混在しているはずだが、それ以前にLEDの車でも意外な状況だった。
五城目線の系統番号は、いちばん若い数字の「100」。これは“中央交通発祥の地”である五城目への配慮か、それとも単にいちばん北へ行く路線だからか。
五城目線の表示は…
今まで通りの「新国道・土崎 五城目」だけ!? LEDなのに系統番号がない?
いえいえ。フロントガラスの右下に注目、
「系統番号100」という紙が!
五城目営業所所属と思われるバスを昨日までに3度見たが、いずれもこの表示形式だった。(側面・後部のLEDも従来通り、紙は正面のみ)

つまり、五城目営業所では、LEDのデータ更新がされていないことになる。
五城目営業所が担当する路線で系統番号が付く(秋田市内を走る)路線は、ごく限られているから、更新作業を後回しにしたのか、あるいは紙で済ませてやらないことにしたのだろう。
でも、紙に書いて出しているのは親切といえば親切。上の新屋西線の幕式の車両でもやればいいのに。
【22日追記】20日以降、五城目営業所所属と思われる2台のバスで、下記と同様に「100 五城目BT」と表示されていたのを見た。五城目の車両でも、遅れて表示器のデータが更新されたようだ。

ところで、五城目線のうち、一部の便は、秋田市側の営業所(たぶん秋田営業所【12月18日訂正】どうも今は臨海営業所が担当しているようだ)が担当する。時刻表から推測するに、1日数本程度のようだ。
その車両では、
系統番号が表示されていた
「100 新国道・土崎 五城目BT」という表示だった。
後部は「100五城目BT」だが、側面の矢印表示ではBTがない「五城目」だけ(従来と同じ)。
「BT」は「バスターミナル」のことなのだが、「五城目」だけでいいんじゃない? たしかに「五城目バスターミナル」行きなんだけど、他に「五城目なんとか」という行き先はないのだから。
それにバスターミナルを「BT」と略すのなら、新屋線や新屋西線が「西部サービスセンター」なのはちぐはぐ。「西部SC」にすればいいんじゃない。(しかも側面では「西部SC」と表示され、これまたちぐはぐ)


最後に、「ズルい!」と思ってしまったのが、太平線岩見三内行き。
当然ルールに従って、大きく「岩見三内」とだけ表示されるはずだが、
太平・岩見三内」!!
なぜか路線名の「太平」が大きな字で表示されている。路線名はここに入れないんじゃなかったの?
これができるんなら、新屋・新屋西・割山・将軍野・神田・秋田温泉・添川・大住・長崎屋…全部大きくしてよ!

※関連記事(秋田駅西口乗り場の表示)はこちら
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秋田 みちのく 西馬音内?

2011-10-05 22:50:24 | 秋田のいろいろ
秋田を舞台にした“ご当地ソング”といえば、最近は「五能線(青森と折半だけど)」(水森かおり2005年)、「男鹿半島」(北山たけし2007年)、あとは秋田出身の藤あや子もいろいろ織り込んだ歌を最近歌っていた。
そして今年7月20日には、元おニャン子クラブの城之内早苗が歌う「西馬音内 盆唄(作詞:喜多條忠、作曲:田尾将実)」がリリースされた。
秋田県内陸南部の雄勝郡羽後町西馬音内(にしもない)地区で行われる、幻想的な盆踊りをモチーフにした歌。

遅ればせながら、昨日の「NHK歌謡コンサート」で初めて聞いた。
しかし、相変わらず些細な点なのだけど、ものすごく気になってしまった点があり、ストーリーとかメロディはまったく記憶に残らなかった。それは、次のようなフレーズ

「秋田 みちのく 西馬音内」


皆さんはいかがですか?
僕は不自然に感じてしょうがなかった。

ちなみに、「みちのく」の定義はいくつかあり、南東北や太平洋側のみを指す場合もあり、この場合、秋田はみちのくではない(青森に「みちのく銀行」があるのもおかしくなる)。
しかし、現在では、東北地方全体を指して「みちのく」とする場合も少なくないので、この点はいい。
「秋田」というのは、「秋田県」ととらえていいのだろう。

気になるのは、3つの順番。
範囲が広い方から狭い方に並べると、「みちのく(複数県の地域)>秋田(県)>西馬音内(地区)」となる。
しかし、この歌では、秋田→みちのく→西馬音内、つまり 県 → 複数の県が集まる地域 → 特定の地区名 と、画角というか視点が広くなったり狭くなったり、ズームレンズを使いすぎているような状態。

名曲「女ひとり(作詞:永 六輔、作曲:いずみたく)」の歌い出し、「京都 大原 三千院」に置き換えれば、「大原 京都 三千院」となってしまう。


この歌を作詞した喜多條忠(喜多条忠)氏は、「ハロー・グッバイ」「神田川」「暑中お見舞い申し上げます」など、昭和時代から名曲をいくつも作詞しておられる。
そんな方だから、何か理由・必要があって、順番を入れ替えたに違いない。
理由を考えてみると、
1.「秋田」を最初に持ってきて、「秋田」をPRしたかった?
2.最近の歌は「曲先(きょくせん)」と言って、先に作曲が行われ、そのメロディに合わせて歌詞をはめていく(適切な表現ではないかもしれません)のが主流だという。この曲も曲先であり「みちのく 秋田」では、収まりが悪かった?
このどれかだろうか。

※もしかしたら、僕が知らないだけで、「秋田 みちのく 西馬音内」が正しいという明確な理由があるのかもしれません。何かご存知なら、教えてください。



ところで、日本では、場所を特定する時、広い範囲から一点へ絞り込んでいく。
秋田県>雄勝郡>羽後町>西馬音内>○番地といったように。
「京都>大原>三千院」も、そのルール通りだし、まるでGoogle Earthか何かでズームインしていくような感覚にもなる。日本人の感覚に、とてもマッチする表記だと思う。

一方、英語圏などでの住所表記は、逆に狭い方から広い方への流れになる。
もし、「女ひとり」の歌詞を英訳するなら、順番を逆にしないと、ネイティブの方々には意味が通じない(あるいは違和感を感じる)のだろうか。
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巻きつくバス停

2011-10-04 23:38:05 | 秋田市営バス
秋田市北部に「陸上自衛隊秋田駐屯地」がある。
所在地としては「飯島」だが飯島地区の南端の辺り。将軍野(しょうぐんの)や土崎港地区と境を接しているため、「自衛隊は将軍野や土崎にある」というイメージの方が強いかもしれない。
現在は駐屯地の敷地のすぐ東側を、県道41号線(ヨコカナ線こと県道横山金足線)が通っているが、一般的な駐屯地へのアクセスといえば、新国道(という名の県道56号線)から市道の「自衛隊通り」に入って将軍野踏切を渡り、敷地の南西に位置する正門へ行くルートだろう。

その新国道から自衛隊通りに入る交差点が「自衛隊入口」交差点。交差点から駐屯地までは1.5キロほど。
新国道といえば秋田市内を南北に貫くイメージだが、この付近はほぼ東西方向に走っている。自衛隊は北方向なので、秋田市中心部から来ると右折することになる。
交差点を境に西が土崎港、東が将軍野。
自衛隊入口交差点。西から東を見る。左が自衛隊方向
自衛隊入口交差点の南側の市道は、坂を越えて旧国道へつながる。交差点のすぐそばには県立秋田中央高校のほか、秋田県点字図書館がある。南が丘へ移転する前には県立盲学校もあった。(ちなみに、中央高校には校舎改築計画があり、盲学校跡地も活用して新校舎を建てるらしい)
そのため、この交差点はかなり以前(少なくとも昭和50年代)から、視覚障害者用信号(音響式・盲人用信号)が設置されていた。現在はさらに、歩車分離式(建前上は斜め横断不可)になっている。


この交差点のそばにあるバス停の名も、「自衛隊入口」。
ここは、新国道側を新国道経由各路線、市道側を将軍野線(通町経由市民生協発着と県庁・サンパーク経由組合病院発着)が走っていて、路線が交差しているため、それぞれに「自衛隊入口」というバス停がある。
周辺略図
新国道側は、上り下りとも交差点を過ぎた位置(=上の図では下りが西側の2、上りは東側の1)にあり、市道側は上下とも交差点の北側(3と4)に設置されている。
なお、本数は少ないが新国道経由将軍野線(中央高校前を通らない)というのがあり、その上り(秋田駅行き)は市道側3→新国道側1と2つとも通ることになる。おそらく、どちらからでも乗せてくれるとは思うが、降りるのは市道側だけかもしれない。(未確認です)


今回注目するのは、自衛隊入口バス停のうち、略図でいう「1」のバス停自体について。

バス停には、普通、バス停(のポール)が立っているはず。
市道側の下り側(4)には、旧市営バスの初代バスロケ(接近表示)付きのものが設置されている。2代目には更新されず、ただの照明付きバス停になったわけだが、バスロケが必要なほど利用者のいるバス停だったのだろうか?
市道上り(3)、新国道下り(2)は、普通のいわゆる「ダルマ型」バス停が立つ。

しかし、1の新国道側の上り・秋田駅行き側は…
後方が交差点
交差点の東に、歩道が切り欠かれた(バスベイ)、バス停らしき部分がある。
点字ブロックもバス停を示す丸い点の「警戒」(なぜか2か所)
【2016年5月21日追記】警戒ブロックが2か所あるのは、新国道の近隣のバス停でも見られる。同時期に施工されたのだろうが、意味がないことであり、かえって混乱させてしまう。
でも、ポール類は見当たらない。
じゃあ、時刻表はどこにあるの?


なんと、
電柱にあります!

バス停の名称表示と時刻表が電柱に“巻きついて”いるのだ。
以前、弘前市にある弘南バス「桔梗野」停留所の絵に描いたバス停を紹介したけれど、これは「巻きついたバス停」か。


ただし、「秋田中央交通」「自衛隊入口」という表示はあるものの、「バス停留所」といった表記はなく、一見、これがバス停とは認識できないかもしれない。

普通のバス停なら時刻表をはめ込む枠があるが、板を巻きつけているだけなので、構造上無理。
そのため、
ガムテープで貼られている(9月以前の改正前の時刻表)

バス停名と運行会社名
普通、会社名が上段で、バス停名が下だと思うが、なぜか逆。
間に白いテープが貼ってあるが、ここには「秋田市営バス」と表示があったはず。(※そのため、この記事を市営バスカテゴリーに入れました)

東側から西を見る。奥が交差点
裏面も、時刻表はないが同じ内容の板が巻いてある。

上の写真で分かる通り、電柱が立つ位置は、切り欠きの中央部(警戒ブロックのある位置)から離れた位置(バス走行方向から見ると先方)にある。
当然、バスは中央部にドアを横付けして停まるので、電柱の前で待っている人は、そこまであわてて移動しないといけない。

ここ以外のポールが立っているバス停でも、新国道の近隣バス停や竿燈大通りの一部(上りの大町二丁目や交通公社前)で、切り欠きの先端にポールが設置されている場合がある。
乗客の動線としては好ましくなさそうに思えるが、歩道の狭さを考慮して、通行の妨げにならない位置に置いたのだろう。


それにしても、この“電柱のバス停”の表示、白が基調なので目立たないし、位置はずれているし、そもそもまさかこんなスタイルのバス停があるとは思いもしないだろうから、初めての人は見つけられないかもしれない。
せめて、他のバス停と同じような、目立つ色遣いにして目立たせた方がいいと思う。

市営バス当時から存在していたので、歴史はそれなりにあるわけだが、なぜ、電柱をバス停にしようと思いついたのだろう。
バス停の前後の電柱を見てみると、
「ここに電柱広告を出してみませんか?」
自衛隊入口交差点周辺の多くの電柱が、広告募集中だった。(バス停に比べて、広告が高い位置に巻かれている)
秋田市中心部では、医療機関の広告などが電柱にあるのをよく見る。新国道周辺では、広告主が見つからないらしい。

巻きついたバス停も、この手の広告と同じ形式だ。
しかし、バス会社がバス停のために、長年に渡って広告費を出し続けているとは考えにくい。ポールを立てるのならタダだろうし。
もしかして、電柱管理会社側(NTT系?)が、どうせ空いている広告スペースだからと、無償でスペースを提供しているのだろうか。巻きつけ位置を広告より下げたのは、時刻表が見やすいようにとの配慮だろう。
電柱広告であれば、屋外広告物としての手続きが必要になる。しかし、バス停ならいらないだろう。この辺の扱いはどうなっているのだろう。

【5日追記】最近は、各種地図サイト(MapionやGoogleマップ)でも、バス停の位置が表示される。
細かい位置については、いい加減な場合(道のど真ん中にあるとか)もあるが、自衛隊入口交差点周辺では、ほぼ忠実。しかし、この新国道上りの自衛隊入口だけは、Mapion、Google、それにgooの地図でも、バス停が存在しないことになっている。現地での調査に基づく元データが共通なのかもしれないが、調査員も、電柱がバス停になっているのに気づかず、見落としてしまったのだろうか。


ほかにも意外なスタイルのバス停としては、南秋田郡五城目町に、バス停の絵を民家だか店舗の壁に貼ったバス停があるのだとか。→この記事にて

※自衛隊入口の冬の様子はこちら
その後の変化

【2017年12月28日追記】広島市の広島電鉄の路面電車の停留所「小網町」は、狭い道にあり、車道部分と段差がなく線で区切っただけの乗り場「平面電停」。電停名称表示や時刻表を掲出するスペースが確保できないため、路肩の電柱に設置されているのを知った。自衛隊入口のように巻きつけているのではなく、平らな板を何枚か電柱に固定した、立て看板のような外観。現在は安全面から平面電停は少なくなっているが、他の都市でも存在する(した)。もしかしたらこれにヒントを得たのかもしれない。
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三平キノコ弁当

2011-10-03 23:22:40 | 各地お土産・食べ物
先日少しお伝えした、秋田駅の新しい駅弁を食べてみました。

昼過ぎ、秋田駅中央改札横(新幹線側)のコンビニ「NEWDAYS」(小型店舗)の駅弁コーナーにいくと、10個くらい積んで売られていた。
関根屋「釣りキチ三平弁当 きのこ編和牛入り」950円
なお、NEWDAYSでは、10月24日までの毎週月曜日に300円以上の買い物をすると、その後1週間(日曜まで)、何度でも使用できる10%OFFクーポンをくれるキャンペーン中。(レシートの下に印字される。発行店以外でも使用可)

一昨年の三平弁当第1弾では、映画化された釣りキチ三平のワンシーンが包装(掛け紙)になっていて、原作の漫画は描かれていなかった。
しかし今回は、「わっぱ」型の容器を囲むボール紙の包装で、矢口高雄氏の原作漫画は使われていた。
観光キャンペーン「うめっすな!秋田た・び・ご・ろ」のシールが貼られている。

三平の背景は、秋の紅葉した木とキノコ。
そのキノコの絵は、マイタケ、シメジ、ナメコ、さらにはエリンギらしきものや軟白栽培のヒョロヒョロしたエノキタケなどたくさん登場している。でも、全部が弁当に入っているわけではない。「パッケージは、イメージです」とはあるけれど…

容器など
左は包装の裏面。大きな三平くんの顔だが、無理矢理引き伸ばしたのか、粗い。

お品書き
前回は活字印刷の品書きだったが、今回は矢口氏が書いたようだ。サインや「まるごと秋田うめえぞ!!」とある。

発泡スチロールのわっぱのフタを開けると…

赤いのが、秋田名物のたくあんの燻製【2012年3月5日補足】正確には“燻製乾燥した野菜をたくあんにした”「いぶりがっこ」のニンジン。最近の関根屋さんでは、これが入るのが定番。
そこから時計回りに、ぶなしめじ炒め、上半分がまいたけ煮、その中にしいたけ煮と栗甘露煮が1つずつ、右下に和牛焼肉。
3種のキノコは、表示の「原材料」には産地が書かれていないが、お品書きではいずれも「秋田県産」(シイタケは「秋田県産原木椎茸」)。
肉は「和牛」「国産」のみ、栗は産地表示なし。

そして、下に隠れるご飯。原材料では「味付ご飯(秋田産)」、品書きでは「秋田県産あきたこまちで炊いた味付けごはん」。

どれも味付けは濃すぎず、薄すぎず、おいしいと思った。
個人的には、シメジってあまり好きでないのだが、ほのかに独特の香りがして悪くないと思った。
秋田県民が好み、僕も好きなマイタケは、歯ごたえも味もよく、量もそれなりにあって、いい。肉は少なめで、普通の味付け(焼肉のタレ味?)だけど、やわらかい。
マイタケ
驚いたのは、ご飯の上、具材の下に、千切り(?)のショウガ(たぶん生)が、散りばめられていたこと。(2つ上の写真で、右のマイタケのそばに見える黄色いもの)
意外だったけど、さっぱりとして、口直しになる。

色合いが地味で、デザートもない(栗?)けれど、秋田の秋らしい弁当だと思う。
でも、これと「釣りキチ三平」を結びつけるのは、疑問というか無理があるような。「釣りキチ三平」を知る人は、魚の弁当だと思ってしまうのではないだろうか。
むしろ「秋田の秋のキノコ弁当」とかにした方が、分かりやすくていいのではないだろうか。
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番号表示始まる

2011-10-01 16:43:08 | 秋田のいろいろ
今日から10月ということで、昨日の記事の続きで、バスの系統番号表示について。
まずは、その前に、昨日の記事でも紹介した、JR東日本秋田駅にある「秋田お客さま相談室」廃止後の様子。併設されていた「秋田駅こまち駐車場予約センター」がどうなるかと思っていた。
昨日の画像と同じ入口
「お客さま相談室」の緑の表示板は撤去されたが、その跡に1つ下にあったピンク色の「秋田駅こまち駐車場予約センター」の表示が上がってきて、残っている。
中も同様で、部屋もそのまま。つまり、相談室としての機能を廃止しただけで、引き続き予約センターとして存続するようだ。なーんだ。


では、バスの行き先表示。
【2012年4月1日追記】この半年後には、表示内容が若干変更されました。
この記事の内容は、変更前のものです。変更後はこの記事で紹介しています。


秋田中央交通の秋田市内の路線では、10月から、LED式行き先表示機を備えた車両において、「系統番号」を表示することになった
今日の秋田魁新報に小さく記事が出ていたが、それによれば、秋田市内を走る同社路線バス181台(=五城目・男鹿管内限定の車両を除いた台数だと思われる)あり、うち167台がLED式だという。
ということは、秋田市内を走る同社の幕式行き先表示のバスは14台だけということになる。うち、10台くらいが築地方面などの小型バス、2~3台が五城目営業所所属で秋田市内に来るバス、残りが新屋・割山方面限定で走る大型バスという内訳だと思われる。
実際、今日も幕式の大型バスを見かけたが、たしかに従来通りの(昨日までの)表示で走っていた。下記の通り、LEDでは大幅に表示が異なるので、系統番号を頼りに初めて秋田のバスに乗る人にしてみれば、紛らわしいに違いない。
「146 県庁・市役所 秋田駅西口」※146=県立プール線
これを見た限りでは、悪くないんじゃないと感じた。この段階では。
昨年秋田市が行った社会実験の時とよく似ているフォームだが、番号の表示位置が左右逆になった。
前面の表示は左端に枠で囲って系統番号を表示し、残りの部分で、上段に小さな文字で経由地、下段に大きく行き先(最終の停留所名)を表示するルールのようだ。

従来は、同じ行き先を示すのに、表示内容が統一されていなかったり(秋田駅と秋田駅前など)、分かりにくく紛らわしい表示(車庫など)が見れらたが、それは改善されたようだ。
秋田駅/秋田駅西口は上記の通り、全路線で「秋田駅西口」。秋田営業所(通称・大川反車庫)を指す「車庫」は「大川反車庫」になった。
(ちなみに、臨海営業所は「臨海(営)」から「臨海営業所」に変更)

時刻表などにも、系統番号が表示された。
「バス通過時刻予定表」? 普通は「バス通過予定時刻表」じゃないの? これは「時刻表」でなく「予定表」なのか…
各路線ごとに、上部に該当番号を表示し、さらに各便の時刻の前にカッコでその系統番号を表示している。

交通公社前の秋田駅西口行き。こっちは「予定時刻」
このバス停は、夕方のごく一部のバス以外、全部が秋田駅西口を通る。
その秋田駅行きの時刻表は、各便への番号表示はなく、上段にずらりと並べて表示。
「秋田駅前行き=100・101・102・104…」と延々と表示している。その下には「その他各地行き=300・301…」とあるが、これは「秋田駅へ行かない」のではなく「秋田駅を経由してよそが終点(大学病院、太平など)」の番号だ。ちょっと紛らわしいかも。

秋田駅西口乗り場では、バス停の電照式ポールと、屋根の乗り場案内両方に系統が表示された。
 
屋根の表示では、乗り場を示す数字の色が乗り場ごとに色が変わったようで、7番は青(以前は全部緑色だった?)。

新屋西線の時刻表。これは本当の「時刻表」らしい
上段には、系統番号とその内訳が詳しく書かれている。
カッコ内は「新高=721、栗=722、栗新高=723、臨=724、その他=720」とある。
あまり重要な表示ではないが、新屋西線の運行系統を知らない方には、チンプンカンプンかもしれない。
「新高」は新屋高校行き(もちろん大町経由ではなく県庁経由)。「栗」は栗田県営住宅(養護学校前)経由(※下記補足参照)。「栗新高」は県営住宅経由高校行きなのは分かった。
でも「臨」って臨時系統? と一瞬悩んだが、よく考えたら、臨海経由のことか。
そして最後の「その他」が、オーソドックスな新屋西線のこと。最後に追いやられて「その他」にされてしまうとは。ちなみに、こちらは「栗田神社前」を通るので、これも「栗」と省略できるのですが…
【22日補足】「栗」は県営住宅・市営住宅経由にあるバス停「栗田町」の頭文字ようです。市営バス時代~移管後今年9月までのLED表示には「栗田県住」とあったので、勘違いしてしまいました。県営住宅・市営住宅の名称は、どちらも「新屋」です。
【12月18日補足を一部訂正】新屋県営住宅の隣にある市営住宅は「新屋日吉町市営住宅」というようだ。バス停名の「新屋市営住宅」は正式ではないことになる。(他にも「新屋◯◯町市営住宅」があるし)


再び車両の表示に戻って、
側面
縦書き4つの途中バス停が、左から右に向かって表示されるのは変わらない。(この「オージ」社製の表示機は、矢印を逆向きに表示することも可能)
上段の横書きには、今までは主要経由地をなぜか枠で囲っていた。今回からは、枠がなくなって太字になり、左に枠で囲った系統番号が表示されるようになった。

さらに、始発バス停で停車中(だと思う)は、
上段がスクロール表示(文字が流れる)される!
このバスは、系統番号999 ○○経由××行きです」といった程度の内容なので、スクロールする必要はないようにも思えたが…
中央交通のバスでは、始発停留所で中ドアを開けている間、「○○経由××行きです」という放送が延々と流れ続ける場合と、3回くらい繰り返して止まる場合があり、任意で設定できるようだ。その放送が流れている間だけ、スクロールするのかもしれない。


各路線ごとに文字の表示を中心に見てみる。
新国道経由土崎線飯島北行き。
従来は「新国道 土崎・飯島」
市営バス時代の幕をそのままLED化したものだった。(ただし、後部は「土崎・飯島」)
それが、
「110 新国道・土崎 飯島北」
経由地に過ぎない「土崎」は小さくなり、「飯島」というバス停はないので、終点の「飯島北」になった。
後部は「110飯島北」
後部は番号と終点名だけを表示する決まりらしい。だから後部からは土崎すら消滅。
後部を見ただけでは、「110」が新国道経由であることを知らない限り、新国道経由かどうか判断できない。

まあ、あまり変化がないとも言えるが、このバスで飯島まで行こうとする人は多くはないはずで、途中の新国道や土崎で降りる人も多い。
そのためには、むしろそっちを大きい文字にするべきだと思う。


  
新国道経由セリオン行き、牛島経由御野場行き、仁別線は、ほとんど変化なし。



一方、大幅に表示される文字が変更された路線もある。
初めて乗る人なら知らないからいいのだろうが、かえって乗り慣れた人が混乱してしまう。
乗り場は昨日までと同じだけど、来たバスがぜんぜん違う表示だから、驚くのも無理はない。(しかもダイヤも変わっているし)
秋田駅前の乗り場でも、来たバスの運転士に尋ねる人を何人も見かけたし、「前の(表示の)方が良かったな」と話し合う年配のご婦人もいた。

中央交通側の告知はほとんどされていなかった(サイトでは早かったが、それ以外の告知は皆無に近いはず)のも、混乱の原因。せめて今日から月曜日くらいまでは、駅前に案内の社員を立たせるべきだったと思う。

具体例を示します。
「712 大町・西部サービスセンター 大森山公園」
新屋線の大森山行きだが、ぱっと見て分かるだろうか。従来は「大町 新屋・大森山」で、「新屋」も大文字だった。
「新屋」というバス停はないから消滅。オーソドックスな系統の終点である「西部市民サービスセンター(新屋案内所)」を示す「西部サービスセンター」が経由地になった。
そして、終点のバス停名はあくまでも「大森山“公園”」だから「公園」を追加したのでしょう。
他に「大森山」というバス停はないのだし、わざわざ「公園」と表示する必要があるだろうか。むしろ、路線名である「新屋」を大きく記した方が親切だと思うけど。

新屋線と対になる新屋西線(どちらも秋田駅西口-新屋間で経由が異なる)。
従来は「県庁 市役所 新屋西」これも市営バスからの伝統の表示
従来は、路線名の「新屋西」が堂々と表示されていた。
「新屋西」という地名はなく、「新屋線より西側を走る」という意味で命名されたのであろう、路線名。
それが、
「720 県庁・栗田神社 西部サービスセンター」
やはり、新屋西も新屋も消滅。これで「新屋西線」と言えるでしょうか?
上記の通り、県営住宅経由と区別のため、「栗田神社」が入ったのだろう。どうせなら「川尻」や「市立病院西口」もあればいいのに。
当然、後部は
「720 西部サービスセンター」(市の施設としては「西部“市民”サービスセンター」ですが)
これも「720」の意味を知らないと、新屋西線と断定できない。
側面は、
ここにも「新屋西」はなし。そして「西部SC」ですか
新屋西線が新屋西線であるという証は、もう時刻表にしかなくかった。(車内放送では昔から言っていない)
このままでは、新屋西線の名が消えてしまいかねない。


「203 天徳寺・神田・旭野 組合病院」
神田線(神田旭野線)の組合病院まで行く系統。
こうデカデカと「組合病院」と書かれると、新国道経由かなんかの組合病院行きだと勘違いしてしまう。とても神田線とは思えない。後部は「組合病院」だけなんだろうし。
やはり、神田線なら「神田」と大きく表示してもらわないと。
それにルールに従うのなら、「旭野」というバス停はないから、「旭野団地」じゃないといけないのでは。
側面
側面は、天徳寺・八柳(というバス停もないけど)・外旭川市営住宅が表示され、神田線だと認識しやすい。


仁井田御所野線。(車庫発長崎屋経由で)有楽町・牛島・ニュータウン御野場・中央シルバーエリアを通って、イオンモールまで行く系統(四ツ小屋駅は通らない)は、
経由地が2段になってゴチャゴチャ
「御所野」がないし、途中の有楽町や牛島も出てこなくて、分かりづらい。
側面は、
 (再掲)以前の表示

新しい表示
こっちにも有楽町・牛島・御所野はない。以前はあったのに、消えてしまった。
「ニュー御野場」はちゃんと「ニュータウン御野場」と詰めて表示されるようになった。

撮影したのは秋田駅前なので、この段階ではもう「長崎屋」なんていらない。
車内放送に連動して、表示内容を変えられる行き先表示機もあるのだが、中央交通の装置は対応していないのだろうか。

ほかにも、まだまだあり、
「360 蓬田上丁」(後部)
これは秋田温泉線。添川線も同じ終点だから、紛らわしい。

「220 秋田貨物駅入口」(後部)
泉ハイタウン線(旧称・泉秋操線)のこと。なんだか…

「700 大町・船場町経由 南浜回転地」(前)
川尻割山線(船場町経由)のこと。「川尻」も「割山」も消えてしまった。
 (再掲)従来の表示(LEDも同じ配置)
車内放送では、「大町、市立病院前、船場町経由運転免許センター方面行きです」とか言っていて、「南浜回転地」なんてひとことも出てこない。
従来の「割山」は知名度の高い地名(エリア名)だったのに、南浜町自体マイナーな地名だし、それにバス会社の施設である「回転地」なんて大きく書かれても分からない。

ほかにも、大住団地経由みなみ野団地線は「牛島西四丁目」(側面では「牛島西(四)」)、秋田営業所行きは県庁経由、長崎屋経由どちらも大きい字は「大川反車庫」だけで経由地は小文字で区別がつきにくく、今までの感覚で乗りこなすのは難しい。


「系統番号を分かってる人じゃないと、バスに乗っちゃいけないよ」と言われているように思える。
系統番号があって便利な人もたくさんいるだろうから系統番号表示は否定しないが、経由地名や路線名を詳しく表示してくれた方が便利な人も多いはずだから、今回の表示内容の画一化というか変更には疑問を感じる。
運行形態や利用状況とかけ離れた表示に思え、混同・誤解されやすそうな表示もあり、利用者の立場になっていない。時が経てば慣れるかもしれないが、いつまで経ってもなじめない点もありそうだ。

秋田市の社会実験の際、僕はこうした旨の意見をアンケートに書いて出したのだが、その必要はないと判断されたのだろうか。(実験・アンケートの実施は市で、今回実際に実施したのは中央交通で別なのだけど)
番号を知っていないと乗られないバスなんて、ますます客が減ると思う。


秋田市内でバスに乗る際は、乗り慣れた方でも、充分に系統番号を確認してからご乗車を。

そういえば、この新表示ルールに従った場合、環状線では、始発の秋田駅前から「秋田駅西口」と表示しなければならなくなる。
実際はどうなんだろう? 後で確認してみます。
【2日追記】茨島環状線で確認したところ、従来と同じく路線名が大きく表示されており、ルールと異なっていた。後で画像をアップします。
「茨島環状線」の駅→大町→茨島→秋田大橋→牛島→有楽町→駅の順で回る方。(市営バス当時は「大橋回り」と言っていたが、今は「大町回り」というようだ。逆回りは「牛島回り」)
前「600大町回り 茨島環状」

後部「600茨島環状」
従来の表示に番号をつけただけ。(経由地の表示位置が異なるだけで、文字の内容は従来と同一)

ルール通りでなく、分かりやすく配慮したのだろうから、この点は評価する。(どうせなら経由地を「通町・大町・茨島・秋田大橋」とかすればもっといいと思う)
だったら、この配慮を他路線にも拡大するべきだと思う。
繰り返しになるけれど、西部サービスセンター、南浜回転地、大平台三丁目、牛島西四丁目、秋田貨物駅入口なんかより、新屋/新屋西、割山、桜ガ丘・大平台、大住・みなみ野、泉ハイタウンの方が、ずっと簡潔かつ分かりやすい。

※続きはこちら
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