🌸高野山の墓石群、納骨の風習の名残り?
⛳空海の開山前から聖地だった
☆高野山は、弘法大師空海が朝廷の許可を得て開いた
*高野山は、真言宗の特に重要な神聖な場所
☆高野山は、弘法大師空海が朝廷の許可を得て開いた
*高野山は、真言宗の特に重要な神聖な場所
☆高野山一帯は、空海の入山前から聖地として敬われていた
*古くから山岳信仰の聖地だった
*古くから山岳信仰の聖地だった
*役小角が修験道の修行場を開いている
☆丹生(にう)氏が信仰した「丹生明神」空海にも影響を与えた
☆空海が丹生氏の神を敬った要因
☆空海が丹生氏の神を敬った要因
*水銀利権を得るためだった可能性がある
*水銀は、当時化粧品や薬の原料として高値で取り引きされていた
*丹生氏は高野山一帯の水銀発掘の利権を握っていた
*丹生氏は高野山一帯の水銀発掘の利権を握っていた
*空海がそこに目を付けたのでは
⛳空海が生きている奥の院
☆高野山の中心部には真言宗の総本山金剛峯寺
⛳空海が生きている奥の院
☆高野山の中心部には真言宗の総本山金剛峯寺
*高野山には、117もの寺院が建ち並んでいる
☆高野山で最も重要な聖地が「奥の院」
*奥の院は空海が入定した場所である
*当然ながら本当に空海が生きているわけではない
☆空海が入定したという記録は空海の死から130年後に生まれた
☆空海入定伝説が生まれた理由
*高野山は、宗派内の主導権争いに敗れて荒廃した
*高野山の広報戦略として、空海入定伝説をつくり上げたのでは?
⛳高野山の20万基は、山中納骨の名残
☆奥の院には、 一の橋から御廟橋の間に墓石群が広がっている
⛳高野山の20万基は、山中納骨の名残
☆奥の院には、 一の橋から御廟橋の間に墓石群が広がっている
*その数は20万基を超える
*墓石群は空海の御廟にあやかつたというのが通説だが
*墓石群は、古代の山岳信仰と関連付ける説もある
☆長い間、日本人は山を異世界だと考えていた
*墓石群は空海の御廟にあやかつたというのが通説だが
*墓石群は、古代の山岳信仰と関連付ける説もある
☆長い間、日本人は山を異世界だと考えていた
*山は死者の遺骸や遺骨を捨てる非日常的な空間
*山中には死者の霊が宿っていると信じられていた(山中納骨)
*この風習が完全に廃れたのは、墓石が普及した明治以降
☆高野山への納骨が定着した要因は、幕府の政策によるのでは
☆高野山への納骨が定着した要因は、幕府の政策によるのでは
(敬称略)
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⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』
聖地に残る怖い信仰3(高野山の墓石群他)
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