🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(1)
『要旨』
☆神聖なものだと考えられていた「女性の力」
*「内侍所」は、三種の神器八咫鏡を安置する場所
*当時、女性たちの神秘の力が、男性を霊的に守ると考えられていた
☆平安時代の女官にはさまざまな役職があった
*内侍(ないし)天皇の側に仕える女性たち
☆天皇の子どもをなすこともあった内侍たち
*その子が天皇になる事もあった
☆有名な典侍『源氏物語』に出てくる源典侍
*彼女は非常に恋愛上手な女性で、光源氏と恋仲になる
*当時、女性年上で男性が年下でも問題ない認識(約40歳差)
*源内侍は、夫がいるにもかかわらず、光源氏と恋愛を楽しんでいた
*『源氏物語』が書かれた、平安時代は、性におおらかだった
「内侍」「内侍所」「源典侍」「吾妻鏡」
(ネットより画像引用)
⛳神聖なものだと考えられていた「女性の力」
☆『源氏物語』の世界、華やかな貴族社会が描かれている
☆『源氏物語』の世界、華やかな貴族社会が描かれている
☆平安時代の女官にはさまざまな役職があった
*内侍(ないし)天皇の側に仕える女性たち
*侍(さむらい)武士は、元々は天皇に侍る存在
☆内侍たちが所属「内侍所」
☆内侍たちが所属「内侍所」
*「内侍所」は、三種の神器八咫鏡を安置する場所
*鏡は、内侍たちによって大切に護持されていた
*女性たちの神秘の力が、男性を霊的に守ると考えられていた
*女性たちの神秘の力が、男性を霊的に守ると考えられていた
☆『吾妻鏡』には、平家が壇ノ浦で滅亡する様子が描かれている
*平家が擁立していた安徳天皇が海中深く沈む描写がある
*天皇と共に三種の神器も海の中に沈んでしまう
*八咫鏡と勾玉がその後出てきたが、天叢雲剣は紛失したと記載
⛳天皇の子どもをなすこともあった内侍たち
☆内侍所の女官は、全部で三十人ほど
☆内侍所の女官は、全部で三十人ほど
*中国の後官に美女三千人がいたことに比べると
*天皇のおそば近くに仕える女性の人数としては、案外少ない
*日本の朝廷の天皇の周りは、意外と質素だった
☆内侍では「長官」「次官」「判官」「主典」
☆内侍では「長官」「次官」「判官」「主典」
*四つのランクを用いる四等官制が用いられていた
*一番偉い長官は尚侍⇒典侍⇒掌侍⇒内侍司と呼ばれる役職があり
*その下に俗に言う「ヒラ」として、普通の内侍たちが置かれた
☆『源氏物語』が書かれるた頃、長官である尚侍がいた
*一番偉い長官は尚侍⇒典侍⇒掌侍⇒内侍司と呼ばれる役職があり
*その下に俗に言う「ヒラ」として、普通の内侍たちが置かれた
☆『源氏物語』が書かれるた頃、長官である尚侍がいた
*事実上は彼女たちの役目は、天皇の身の回りの世話や
*政治的業務のサポートが中心だった
☆常に天皇と一番近い距離にいる尚侍や典侍を筆頭に
*女官たちが天皇と男女の関係になることもあった
*天皇の子どもを産む女官いて、その子が天皇になる事もあった
⛳『源氏物語』の光源氏と典侍(ないしのすけ)の年の差恋愛
☆有名な典侍といえば、『源氏物語』に出てくる源典侍
⛳『源氏物語』の光源氏と典侍(ないしのすけ)の年の差恋愛
☆有名な典侍といえば、『源氏物語』に出てくる源典侍
*彼女は非常に恋愛上手な女性で、光源氏と恋仲になる
*光源氏はまだ十七歳ですが、お相手の源典侍はもう五十七歳でした
*当時としてはこの年齢差はさほど大きな問題にはならなかった
*当時としてはこの年齢差はさほど大きな問題にはならなかった
☆光源氏が彼女と恋愛関係にあることを知った悪友・頭中将
*鞘当てのようにこの女性と関係を持っている
☆『源氏物語』は、女性目線で描かれた物語であるとはいえ
*当時、女性年上で男性が年下でも問題ないという認識だった
*源典侍は独身ではなく、修理大夫という夫も存在した
*源典侍は独身ではなく、修理大夫という夫も存在した
☆当時は婚姻届があるわけではない
*一般的には二人は夫婦だとして認められている状態でした
☆源内侍は、夫がいるにもかかわらず、光源氏と恋愛を楽しんでいた
*『源氏物語』が書かれた、平安時代は、性におおらかだった
*『源氏物語』が書かれた、平安時代は、性におおらかだった
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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