慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「内侍」「内侍所」「源典侍」「吾妻鏡」

2024年01月28日 | 歴史
🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(1)

『要旨』
 ☆神聖なものだと考えられていた「女性の力」
 *「内侍所」は、三種の神器八咫鏡を安置する場所
 *当時、女性たちの神秘の力が、男性を霊的に守ると考えられていた
 ☆平安時代の女官にはさまざまな役職があった
 *内侍(ないし)天皇の側に仕える女性たち
 ☆天皇の子どもをなすこともあった内侍たち
 *その子が天皇になる事もあった
 ☆有名な典侍『源氏物語』に出てくる源典侍
 *彼女は非常に恋愛上手な女性で、光源氏と恋仲になる
 *当時、女性年上で男性が年下でも問題ない認識(約40歳差)
 *源内侍は、夫がいるにもかかわらず、光源氏と恋愛を楽しんでいた
 *『源氏物語』が書かれた、平安時代は、性におおらかだった







「内侍」「内侍所」「源典侍」「吾妻鏡」
(ネットより画像引用)

神聖なものだと考えられていた「女性の力」
 ☆『源氏物語』の世界、華やかな貴族社会が描かれている
 ☆平安時代の女官にはさまざまな役職があった
 *内侍(ないし)天皇の側に仕える女性たち
 *侍(さむらい)武士は、元々は天皇に侍る存在
 ☆内侍たちが所属「内侍所」
 *「内侍所」は、三種の神器八咫鏡を安置する場所
 *鏡は、内侍たちによって大切に護持されていた
 *女性たちの神秘の力が、男性を霊的に守ると考えられていた
 ☆『吾妻鏡』には、平家が壇ノ浦で滅亡する様子が描かれている
 *平家が擁立していた安徳天皇が海中深く沈む描写がある
 *天皇と共に三種の神器も海の中に沈んでしまう
 *八咫鏡と勾玉がその後出てきたが、天叢雲剣は紛失したと記載

天皇の子どもをなすこともあった内侍たち
 ☆内侍所の女官は、全部で三十人ほど
 *中国の後官に美女三千人がいたことに比べると
 *天皇のおそば近くに仕える女性の人数としては、案外少ない
 *日本の朝廷の天皇の周りは、意外と質素だった
 ☆内侍では「長官」「次官」「判官」「主典」
 *四つのランクを用いる四等官制が用いられていた
 *一番偉い長官は尚侍⇒典侍⇒掌侍⇒内侍司と呼ばれる役職があり
 *その下に俗に言う「ヒラ」として、普通の内侍たちが置かれた
 ☆『源氏物語』が書かれるた頃、長官である尚侍がいた
 *事実上は彼女たちの役目は、天皇の身の回りの世話や
 *政治的業務のサポートが中心だった
 ☆常に天皇と一番近い距離にいる尚侍や典侍を筆頭に
 *女官たちが天皇と男女の関係になることもあった
 *天皇の子どもを産む女官いて、その子が天皇になる事もあった

『源氏物語』の光源氏と典侍(ないしのすけ)の年の差恋愛
 ☆有名な典侍といえば、『源氏物語』に出てくる源典侍
 *彼女は非常に恋愛上手な女性で、光源氏と恋仲になる
 *光源氏はまだ十七歳ですが、お相手の源典侍はもう五十七歳でした
 *当時としてはこの年齢差はさほど大きな問題にはならなかった
 ☆光源氏が彼女と恋愛関係にあることを知った悪友・頭中将
 *鞘当てのようにこの女性と関係を持っている
 ☆『源氏物語』は、女性目線で描かれた物語であるとはいえ
 *当時、女性年上で男性が年下でも問題ないという認識だった
 *源典侍は独身ではなく、修理大夫という夫も存在した
 ☆当時は婚姻届があるわけではない
 *一般的には二人は夫婦だとして認められている状態でした
 ☆源内侍は、夫がいるにもかかわらず、光源氏と恋愛を楽しんでいた
 *『源氏物語』が書かれた、平安時代は、性におおらかだった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「平清盛」「保元の乱」「平... | トップ |  「本音を言わない欧米人」「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事