🌸歴史と出会う3(司馬遼太郎さん他)
⛳筆者が、古文書が読めるまで
☆『武士の家計簿』は不思議な縁から生まれた
☆『武士の家計簿』は不思議な縁から生まれた
*筆者が13歳の時、祖母が先祖の古文書を筆者にくれた
*みみずが這った跡のようでちっとも読めない
*「先祖の古文書を解読する」一大プロジェクトを始めた
☆古文書は、精密な磯田家先祖の記録であった
*磯田家の先祖、計数に明るいことから「倹約奉行」に任じめれた
*大名行列の旅費節約にも成功した
*大名行列の旅費節約にも成功した
*最後には側用人になり、以後、重臣に列した
*武士の世界もソロバンが重要なのだと感じた
☆筆者は、高校生になって、さらに先祖のことを調べた
☆筆者は、高校生になって、さらに先祖のことを調べた
*磯田家は幕末には重臣なにに貧しかった
*維新以後、大庄屋の家から嫁に来た曽祖母の遺品は豪華であった
*農民が金持ちで武士が貧乏なのは、なぜかの疑問が沸いた
*先祖の家計簿でもあればと思ったが先祖はつけていなかった
☆筆者三十歳の時、古本屋で赤の他人の武家家計簿を見つけた
*先祖の家計簿でもあればと思ったが先祖はつけていなかった
☆筆者三十歳の時、古本屋で赤の他人の武家家計簿を見つけた
*分析して本に書いたのが『武士の家計簿』
⛳司馬さんに会えたらという反実仮想(1)
☆司馬遼太郎記念館から講演を頼まれた
☆司馬遼太郎記念館から講演を頼まれた
☆司馬さんが生きておられたら
*あの地震、津波、原発事故以来の話聞いてみたい
☆司馬さんは、この国の人々の行く末を考えあぐね
*心配に心配を重ねておられた方もない
☆福島原発事故以後、我々は普通の人々の偉さを目の当たりにした
*一方で、権威者の堕ちた姿もみた
*事故が起きたとき、現場にいた核の参謀たちは福島市まで退避
*電力会社の社長は平日、夫人と奈良旅行を楽しんでいた
*呼び戻されると、血圧が高くなって入院した
☆命がけで踏みとどまったのは、現場の人々であった
☆命がけで踏みとどまったのは、現場の人々であった
*現場や地元には肝心なことは何も知らされない、怒りをおぼえる
☆わたくしたちが目にしたのは
*「立派な現場・駄目な指揮・とんでもない兵站」である
☆「想定は外・情報は内」というこの国の姿
*これこそが司馬さんが生涯かけて
*筆の力で日本人に更改をせまったもの
☆昭和のあの戦争の失敗の時から、なんにも変わっちゃいない
☆持つて行き場のない憤りが、心中に、ふつふつと沸いてきた
⛳司馬さんに会えたらという反実仮想(2)
☆司馬さんだったらこの事態に直面して何を語られたか
☆今回の事態は、いきがかりの現状を自然に受け容れすぎる
*日本人の心性が「あだ」になった面がある
*安全基準の扱いがそうだった
☆新しい原発はさすがに高台に作ってあった
*古い原発は恐ろしく甘い想定のままで稼働を続けていた
☆日本における安全の考え方
*「これまでの物は仕方がない。これから作る物は安全に」
*日本人は、環境に甘く最悪の 事態は考えないことにしがち
☆日本人は、現状は追認するものではなく
☆日本人は、現状は追認するものではなく
*改善すべきものだと肝に銘じねばなるまい
⛳司馬さんに会えたらという反実仮想(3)
☆明治には、その精神があった
*公家の岩倉具視でさえ「日に新たに、日々に新たに」を座右の銘とした
*必死で、時勢に対処していったことが、それを象徴している
☆司馬さんは、明治人のリアリズム
☆薩人(幕末の薩摩人)の的確な判断力について書いている
*薩摩は、日本のなかの例外かもしれない
*薩人、「もし、こうなったら」と考える「反実仮想」の習慣があった
☆司馬さんが存命であれば、このことぜひとも語ってみたかった
☆薩人では、仮定の質問を子どもに問い、考えさせる訓練が繰り返された
☆幼少期に、仮想してみる頭が鍛えられることは、とても大きい
☆幼少期に、仮想してみる頭が鍛えられることは、とても大きい
*想定外が想定内になってくる、このことが、いまの日本には大切だ
☆司馬さんからどのような答えが、かえってくるであろうか
*「もし……ならば」と考えてみたい
(敬称略)
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⛳出典、「歴史の愉しみ方」
歴史と出会う3(司馬遼太郎さん他)
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