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「藤原高子」「藤原氏の摂関政治の土台」

2024年01月27日 | 歴史
🌸 天皇家の「愛」と「憎しみ」5

『要旨』
 ☆藤原氏政権の立役者となった『伊勢物語』のヒロイン高子
 *彼女は、皇族出身者ではないが、関白となった藤原基経の妹
 *後の藤原道長などが活躍する藤原氏全盛時代の土台を作った人物
 *伊勢物語、男女(高子・業平)が駆け落ちをするシーンが描かれている
 ☆母は強し、若き日の恋を捨てた藤原高子
 *高子は、清和天皇との間に息子を生む
 *息子は陽成天皇として7歳で即位する
 *兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
 *夫に輪をかけて大変な人物だったのが、息子の陽成天皇
 *高子は「女は弱し、されど母は強し」の生き方を体現した女性
 ☆藤原高子の名前は「こうし」と読む

                    (藤原高子イメージ画像)




「藤原高子」「藤原氏の摂関政治の土台」
(ネットより画像引用)

藤原氏政権の立役者となった『伊勢物語』のヒロイン
 ☆平安時代、頭に浮かぶのは、摂関政治を行った藤原家の栄華である
 ☆基盤を作るきっかけは、高子(こうし)
 *彼女は、皇族出身者ではないが、関白となった藤原基経の妹
 *後の藤原道長などが活躍する藤原氏全盛時代の土台を作った人物
 ☆皇族出身者ない藤原基経が権力を持ったのは
 *非常に重要な役割を担ったのが高子の存在
 ☆高子、十代の頃に一つの恋愛沙汰を起こしている
 *平安時代きってのモテ男と言われる在原業平と
 ☆『伊勢物語』は、在原業平をモデルにした
 *男女(高子・業平)が駆け落ちをするシーンが描かれている
 *高子は親元へと取り戻されてしまった
 ☆在原業平も天皇の血をひく貴族
 *藤原氏の大切なお姫様・高子には不釣り合いな身分だった
 *高貴な女性に手を出してしまったがゆえに
 *業平は都にもいられず、関東へと旅し歌を詠んだとされる橋
 *現在の言問橋の名前がつけられた

母は強し、若き日の恋を捨てた藤原高子
 ☆高子は、天皇の元へと嫁ぐことが決められた
 *相手は当時16歳の清和天皇
 ☆高子は、清和天皇との間に息子を生む
 *息子は陽成天皇として7歳で即位する
 *兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
 *高子の義父である藤原良房も、摂政となる
 *藤原氏政権の基礎が固まるほどの絶大な権力を持つ
 ☆繁栄の裏には、藤原高子の尋常ではない頑張りがあった
 ☆夫の清和天皇も一筋縄で行く男ではなかった
 *源氏の血統を「清和源氏」と呼ぶが、人柄はかなり破天荒
 *為政者としても人としても良い話は残っていない
 ☆夫に輪をかけて大変な人物だったのが、息子の陽成天皇
 *陽成天皇は、非常に乱暴なふるまいが多い人物だった
 *基経も「これはまずい」と思ったのか
 *病気を理由にわずか八年で退位させ、以降の皇統が変わる
 *天皇として指名されたのが光孝天皇、55歳で天皇で中継ぎの存在
 ☆光孝天皇の息子、宇多天皇として即位した
 ☆高子は「女は弱し、されど母は強し」の生き方を体現した女性

高子は「こうし」と読む
 ☆藤原高子議論になる名前の読み方
 ☆藤原氏の身分の高い女性は、みんな音読みで表記される
 *「〇〇こ」の呼び名は、鳥羽天皇以降の時代ごろから
 ☆紫式部や和泉式部が仕えた彰子は「しょうし」と読む
 ☆藤原道長の時代くらいまで、音読みで呼ぶのが主流
                       (敬称略)
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