🌸 天皇家の「愛」と「憎しみ」5
『要旨』
☆藤原氏政権の立役者となった『伊勢物語』のヒロイン高子
*彼女は、皇族出身者ではないが、関白となった藤原基経の妹
*後の藤原道長などが活躍する藤原氏全盛時代の土台を作った人物
*伊勢物語、男女(高子・業平)が駆け落ちをするシーンが描かれている
☆母は強し、若き日の恋を捨てた藤原高子
*高子は、清和天皇との間に息子を生む
*息子は陽成天皇として7歳で即位する
*兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
*兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
*夫に輪をかけて大変な人物だったのが、息子の陽成天皇
*高子は「女は弱し、されど母は強し」の生き方を体現した女性
☆藤原高子の名前は「こうし」と読む
(藤原高子イメージ画像)
「藤原高子」「藤原氏の摂関政治の土台」
(ネットより画像引用)
⛳藤原氏政権の立役者となった『伊勢物語』のヒロイン
☆平安時代、頭に浮かぶのは、摂関政治を行った藤原家の栄華である
☆基盤を作るきっかけは、高子(こうし)
☆平安時代、頭に浮かぶのは、摂関政治を行った藤原家の栄華である
☆基盤を作るきっかけは、高子(こうし)
*彼女は、皇族出身者ではないが、関白となった藤原基経の妹
*後の藤原道長などが活躍する藤原氏全盛時代の土台を作った人物
☆皇族出身者ない藤原基経が権力を持ったのは
*非常に重要な役割を担ったのが高子の存在
☆高子、十代の頃に一つの恋愛沙汰を起こしている
☆高子、十代の頃に一つの恋愛沙汰を起こしている
*平安時代きってのモテ男と言われる在原業平と
☆『伊勢物語』は、在原業平をモデルにした
☆『伊勢物語』は、在原業平をモデルにした
*男女(高子・業平)が駆け落ちをするシーンが描かれている
*高子は親元へと取り戻されてしまった
☆在原業平も天皇の血をひく貴族
*藤原氏の大切なお姫様・高子には不釣り合いな身分だった
*高貴な女性に手を出してしまったがゆえに
*業平は都にもいられず、関東へと旅し歌を詠んだとされる橋
*現在の言問橋の名前がつけられた
⛳母は強し、若き日の恋を捨てた藤原高子
☆高子は、天皇の元へと嫁ぐことが決められた
⛳母は強し、若き日の恋を捨てた藤原高子
☆高子は、天皇の元へと嫁ぐことが決められた
*相手は当時16歳の清和天皇
☆高子は、清和天皇との間に息子を生む
☆高子は、清和天皇との間に息子を生む
*息子は陽成天皇として7歳で即位する
*兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
*兄・基経は、日本初の関白の地位を得て、政治を大きく動かす
*高子の義父である藤原良房も、摂政となる
*藤原氏政権の基礎が固まるほどの絶大な権力を持つ
☆繁栄の裏には、藤原高子の尋常ではない頑張りがあった
☆夫の清和天皇も一筋縄で行く男ではなかった
*源氏の血統を「清和源氏」と呼ぶが、人柄はかなり破天荒
☆繁栄の裏には、藤原高子の尋常ではない頑張りがあった
☆夫の清和天皇も一筋縄で行く男ではなかった
*源氏の血統を「清和源氏」と呼ぶが、人柄はかなり破天荒
*為政者としても人としても良い話は残っていない
☆夫に輪をかけて大変な人物だったのが、息子の陽成天皇
*陽成天皇は、非常に乱暴なふるまいが多い人物だった
☆夫に輪をかけて大変な人物だったのが、息子の陽成天皇
*陽成天皇は、非常に乱暴なふるまいが多い人物だった
*基経も「これはまずい」と思ったのか
*病気を理由にわずか八年で退位させ、以降の皇統が変わる
*天皇として指名されたのが光孝天皇、55歳で天皇で中継ぎの存在
*天皇として指名されたのが光孝天皇、55歳で天皇で中継ぎの存在
☆光孝天皇の息子、宇多天皇として即位した
☆高子は「女は弱し、されど母は強し」の生き方を体現した女性
⛳高子は「こうし」と読む
☆藤原高子議論になる名前の読み方
☆藤原氏の身分の高い女性は、みんな音読みで表記される
*「〇〇こ」の呼び名は、鳥羽天皇以降の時代ごろから
☆藤原高子議論になる名前の読み方
☆藤原氏の身分の高い女性は、みんな音読みで表記される
*「〇〇こ」の呼び名は、鳥羽天皇以降の時代ごろから
☆紫式部や和泉式部が仕えた彰子は「しょうし」と読む
☆藤原道長の時代くらいまで、音読みで呼ぶのが主流
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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