慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

先人に驚く(2)(薩英戦争他)

2021年03月31日 | 歴史
🌸先人に驚く(2)(薩英戦争他)

日本人の習性は江戸時代に出来上がった
 ☆「明治の日本人は偉かったですね」とよくきく
 ☆日露戦争までの日本人、江戸人の面影をつよくのこしていた
 ☆民族により、西洋人に出会ったとき、興味を持つものが違う
 *朝鮮人は書物、琉球人は地球儀、アイヌは何も欲しがらず
 (朝鮮は儒教で文人の国、琉球は海人の国、アイヌは穏やかな狩猟民族)
 *日本人の兵備への関心は突出し、武人の国といってよい
 ☆19世紀の日本人の強み
 *「世の中は変わる。人智と機械は進歩する」と信じ
 *「過去にとらわれず自らを変える」のに躊躇しなかった
 ☆外国人たちは、日本の弱点もみている
 *厳しく躾けられ政府への服従に慣れた国民
 *治める者と治められる者が同じ
 *議会の使い方が不得意とみている
 ☆日本人の習性、強みや弱み
 *江戸時代に形成されているものが多い
 ☆国の改革には、その習性を知らねばならない

手塚治虫と幕末西洋医
 ☆手塚氏の高祖父、二代目良仙は、蘭方医
 *良仙のお節介な性格が結果的にこの国の医学を躍進させた
 *良仙は、たくさんの蘭方医を育てた
 *その中でも、大槻俊斎の才能を見出したのが大きかった
 ☆大槻俊斎は、優れた蘭方医となった
 *良仙は娘をめあわせ、秋葉原で開業させた
 *俊斎はまさに幕末の天才医ブラック・ジャック
 *天然痘から人々を救おうと、幕府に願い、種痘所を建てている
 *種痘所は後の東大医学部となる
 ☆手塚氏自身、大阪大学で医学を学ぶ
 *生命、医学、人類史の全体をみつめる数々の作品を残している
 *その根っこは驚くはど深い

トカラ列島宝島の薩英戦争
 ☆日本人はペリー来航で初めて西洋列強を意識したのでない
 ☆日本近海には頻繁に異国船が出現
 *脅威をうけた藩から西洋に目覚めた
 *英軍艦フェートン号が長崎に侵入
 *薩州宝島に英人が上陸、薩摩藩士と交戦状態になる
 *薩摩藩は西洋の脅威を目の当たりにする
 ☆幕府は、異国船打払令を出した
 *武士階層から攘夷を意識し始める
 ☆平和な宝島で英国人と薩摩人が交戦した経緯
 *英国人は、さかんに浜辺の「牛貰いたし」と訴える
 *野菜などを与え「牛はやれぬ」と対応した野菜を持ち帰った
 *四時間後、英国人が小船で乗り鉄砲発砲し上陸してきた
 *日本人10数人対英国人20人の小さな戦争が始まった
 *英国人の胸元目掛け、日本人鉄砲を撃ち英国人は即死した
 ☆長い航海で英国人は新鮮な牛肉を欲し、この戦いが起きた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、「歴史の愉しみ方」(記事より画像引用)




先人に驚く(2)(薩英戦争他)
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 先人に驚く(1)(天皇の埋... | トップ | 米国株のQ&A(3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事