麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

秋の夜、余話

2008年10月01日 | 身辺雑記
 昨日のブログは、とある老人ホームで観た芝居についてでした。
 
 東演は世田谷区にあるけれど、セタガヤといっても広くて、なかなか訪れずにいる所が多いのが実情。「パラータ」という拠点を構えているから尚更で、むしろ東演にお世話になる前の小劇場時代、区の施設をジプシーしながら稽古していた十数年前の方が、世田谷中をくまなく(?)駆け回っていたかもしれません。

 さて。老人ホームにチャリンコで向かっていた時、「なんか来たことあるかも…」と普段はお休みしている脳細胞クンからメインコンピュータに連絡が。。。
 漕ぐのを辞めてキョロキョロする
 病院、コンビニ、路地。それからさっき通り過ぎた大通りの神社。
 15年ほど昔だろうか、フリーター時代のバイト先の、同じ部署の社員さんの、お姉さんの引っ越しを頼まれたことがあった。

 僕の友人の軽トラックを使って川崎から世田谷へ・・・。
 その越した先の家の、すぐ近くだった

 開演まで時間があったので記憶を頼りに狭い路地に踏み入ると、そうそう奧には少しスペースがあって、そこで車を切り返すことができたのだった。さすがに時が過ぎて、表札は別の人のものになっていましたけど、紀伊國屋ホールや本多劇場進出を夢見た頃の気持ちがフッと蘇りました。


 そう、あの頃は“無垢”で、引っ越しのギャラもなく……まあ、ある事情でがないから引っ越屋さんじゃなく、僕らが動員されたわけですが……というか、倒産した家電量販店の退職金がテレビや冷蔵庫なのと一緒で、ギャラは現物支給。
 
 彼女はスタイリストだったので、普通じゃ着ないよ~変テコな衣裳を沢山持っていて、もうそれを置く場所もないからと、それが我々の「お駄賃」になったわけである。
 
 
 演劇制作者のはしくれという職業柄(?)、でもそれは、実はのちのち大い役に立ったのだった。
まさに「情けは人の為ならず」(9/27弊ブログ参照)。

 さてさて。衣裳を手に入れた僕はいいけど、友達にとってはメリットなかったのだよな、余り…。小泉今日子とかのお宝写真くらいで。
 僕自身、バイト先の社員さんの、一面識もないお姉さんは、かなり遠い存在だが、僕の友人にとっては本当に無関係な人の引っ越しだったわけで・・・。

 思えば、本当に多くの方々に助けて貰って、ここまで来ました。
 
 その恩返しの意味も込めて『空ゆく風のこいのぼり』、心を込めて創っています。
 純粋に・・・紀伊國屋ホールでのプロデュースを夢見てた十数年前の自分とも向き合いながら『空こい』を紡いでいます。
 是非、劇場にお運びください。   
コメント
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