三月一日は義父の誕生日であった。
先月、彼は愛妻の四十九日をおえたが、
独り暮らしが随分長くなっている。
八十一回目のお祝いくらいせめて、
と磐田から東京に招いて、お祝いをした
大学生の孫も横浜から駆けつけての
ささやかな食事会。
香港旅行の映像を見たりもした。
筆者の妻と、妻の実父母、実母の姉雛子さんの
四人で、雛子さんの御子息が勤務していた国へ…。
スマホではなく、まだムービーを回していた時代。
ちちの誕生日といえば、さる二月二十二日は
私の父の生まれた日であった。
鬼籍に入って久しいから祝うことはできないが。
写真は、私が知人から「オランダの王室云々」と
説明とともに頂いたジン。
本稿とは直結しないのだけれど、
父も義父もこの手の洋酒ではなく、
手頃な焼酎や日本酒を好んだと書きたくて
貼り付けてみたのです、ハイ。
横断歩道の向こう岸から渡ってくる親子。
長女が父と、次女が母と手を繋いで。
そんな風景を見たのは二月の終わり頃だった。
……そういえば、私は父と手を繋いだ記憶がない。
仕事柄(高度経済成長期の建設業に従事)、
徹夜が多く土日もなく働いた人だった。
たまの休みに家族で出掛けたり、
人並にキャッチボールやら将棋やらもした。
が、手は繋がなかった。……少なくとも記憶がない。
雛祭りにふさわしくない内容だが、
身辺雑記として書き留めておかねばならないと、
二人の父の誕生日を過ごして思った。