麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

けいじとけんじ

2025年02月16日 | 身辺雑記

【きのうの話と連動】

 

フルが千葉に越して

……そうそう1970年代後半、

古川顕司は川崎市多摩区

(当時。現在は分区して麻生区)

から千葉県市原市へ。ヨンダこと

依田真由美は同県の柏市へ。

村崎歩は茨城県稲敷郡へと、

東京を飛び越えた新興住宅地に

次々転校して行った。

そういう御時世でした。

 

東柿生小学校から出る者があれば、

小学校の敷地内に住む者もいた。

 

わが母校には用務員宅が校庭にあった。

校庭の南西のプールの脇に。

そこに子どもが二人いて、

兄が僕らと同学年の甲斐健二。

(妹の名前は忘れちゃった

 

健二はのちに市営バス運転士になるが

父は市立小学校で働いており、

ケンジだけに堅実な生き方だ!とか、

何故長男なのにケンイチじゃないのか、

とかは脇に置いて。

 

 

フルが千葉に越して、

僕らは高学年になった。

「ドロケイ」(ケイドロと呼ぶ地も

あるらしいが…)が流行って、

学校中を走り回っていた。

 

 

泥棒と警察、または泥棒と刑事で

「ドロケイ」というチーム戦の鬼ごっこ。

牢屋はプール脇の築山だった。

頂上からハの字に伸びた滑り台の

あいだの斜面が捕まったドロの牢屋、

つまり健二の家のそばでもあった。

 

悪賢いドロが健二の玄関内に隠れ、

刑事が出払ったのを隙間から見て、

逮捕されたドロを逃がす手を使い、

すぐに「ケンジんち禁止」が

ルール化された。

 

嗚呼、なんて平和な小学生時代。

  

「ドロケイ」で刑事として

泥棒を追う際には当時人気の

『太陽にほえろ』のテーマ曲を

口ずさみながら走っていたな〜

 

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