麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

けんじとけいじ

2025年02月15日 | 身辺雑記

【ふるかわけんじ】

 

1967年山口県生まれ。

慶應義塾大学理工学部電気工学科卒。

山梨医科大学医学部医学科卒業し、

消化器外科医の古川健司医学博士。

 

繊維の町・一宮で互いに刺激を受け、

新たな何かをつくれるのでは?と

「つくる。」という団体を立ち上げ

運営している庭師の古川乾提。

 

日本のオルタナティヴ・ロック・バンド

「ビアンコネロ」のVo、Pianica、Harp

の古川けんぢ(2022年解散)。

 

などなど沢山の「ふるかわけんじ」が

ネット検索すると出てくるけれど、

僕のふるかわけんじは〈古川顕司〉だ!

 

小学校の時のクラスメートで、

バイオリンを弾く男だった。

絵も上手だった。千葉に転校した後も

手紙のやりとりをしていた記憶がある。

 

彼の誕生日会で、蝶ネクタイをして

バイオリンを演奏したのは、

今も強く脳裡に焼き付いている

小さい頃の映像を8ミリで

映写したのにも、おいらとは別世界じゃ

とビックラこいた。

お母様も上品で、さらには家に

お父様もいらしたことに驚愕。

(僕のおやじは仕事柄、

家に滅多にいなかったので)

 

 

それから、別の日。

二人で教室の机の下に隠れたこと。

 

当時はガキ大将が当たり前にいて、

各組のケンカ自慢が、ヤクザよろしく

他の組に(おっと、抗争が組単位なのも

まさに『仁義なき戦い』みたいじゃん)

攻め行って、それをクラスの男が防衛。

するってぇと真面目な女子が職員室へ。

だから抗争はあまり激しくなる前に

担任及び学年の先生が飛んできて、

せいぜい一人が殴られて泣いていて、

机が4、5台ひっくり返った程度で

終焉するわけである。

 

そんな時、僕は「フル」と二人、

大概正義感に溢れて「やめなよ〜!」

と喧嘩を止める女子より後方の、

かつ机の下に隠れていたのだった。

今でもだが、争いごとは苦手

 

さて。

古川顕司も僕もケンカに加え

体育も当時はさっぱりだった。

のに!

中学でのフルは陸上の長距離走に

活路を見出し、大会で上位に入る

変貌を遂げていた。

「おぉ」と手紙の文字に声を出す僕。

たいへん喜ばしいことで、

けんじならぬ漢字二字なら「慶事」。

 

負けじと僕も、バレー部で1年夏から

ぼちぼちと練習試合に起用され、

3年の抜けた新チームではエースだよ

と返事を書く。

まぁ、同地区に全国準優勝校、

県ベスト4と8までいて、公式戦は

あまり勝てなかったのだが

 

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