タイは微笑の国と言われる。
ある種の人間にとって、国籍に関係なく、はまってしまうところがある。
はまった人間は何年も住むことになり、やがては転がるようにして自分の国へ帰る。
なぜそうなるかは、自答しても分かるようで分からない。説明、理由付けはいくらでもできるが、本当の答えは、自らタイを訪れタイの匂いを嗅ぎ、食べて、アルーン(お寺)に行ってみることだ。
日中の熱い陽射しを逃れ、木々の葉っぱの隙間から大河を眺めることによって、生きる強さと、弱さを感じ取ることができるかも知れない。
タイの人々にとって、川は生活そのものだ。いつもひどく濁った川は透き通ることはない。毎日の夕立シャワーが赤い土を川に溶かす。 川は水洗トイレであり、洗濯場であり、そして子供達の最高の遊び場でもある。
夕陽が沈む頃には、路地に野菜炒めの匂いが立ち込める。屋台のお店には手際よく料理を作る、人なつこい真っ黒に日焼けしたおばちゃん達が腕を競う。味はどれも絶品だ。食事ができる幸せとはこのようなことだろうか。一品の野菜炒めとタイ米のご飯が素晴らしく合う。スプーンを使う。粗末な屋台テーブルに座りながら、行き交う人たちを眺める。自身がタイの風景に溶け込んでいく。やがて夜の帳を下ろす涼しい風がそよぎ始め、眠りにつく。
早朝、ワットアルーン(暁の寺)から王宮を見つめる。
濃厚な空気。 三島由紀夫が<豊穣の海>四部作の舞台にしたアルーンである。
急な階段を昇る。少し油断をすると転げ落ち、大怪我をするような階段が四方についている。注意しながら、よじ登るように階段を上がり、狭い回廊に立つ。
色ガラスのモザイクで装飾した石の列塔から下界を見下ろすと、金色に映えるパレス、緑の木々、そして大河が悠然と流れる。
黙って目をこらす。時間は悠久に伸びているかのように思えてくる。三島由紀夫が信じた輪廻転生はここに開花する。
そして耳に聞こえてくるのは、長く余韻を放つタイの風鈴に違いない。 (タイにて)