たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

あの日あの頃・ハーモニカ

2016年05月21日 21時59分38秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和20年代から30年代、M男は 北陸の山村で 1学年1クラスの小さな学校で 小学生、中学生時代を 過ごした。
小学校中学校が連なって 一つの校舎になっており 体育館、教員室、音楽室、図書室、等々は 小学校中学校共用という 後年になってから 理解したことであるが 特殊な学校だった。

戦後10年20年の農村部は 都市部と比して まだまだ 貧しい暮らしを強いられており 学生服や教科書は 上の子や 近所の上級生の お下がりだったりしたものである。
また これも 後年になってから つくづく 情けない学校生活だったと 思ったことのひとつに 「音楽室」の情景がある。
古いアップライトピアノと 痛んだ足踏みオルガンが 置いて有ったことで 「音楽室」と呼んでいたものの その他の楽器と言えば 木琴が 数台、カスタネット 10数個、トライアングル 2個、タンバリン 程度しか無く、もちろん 管楽器、リコーダーの類も無しで およそ 楽器演奏、合奏等は 不可能という学校だったのだ。

そんな時代に 「あの家は 金持ち」と 大人達が 特別視していた大百姓の息子の同級生が ある日 ハーモニカを学校に持ってきて 皆に見せびらかすようにしたことがあった。
当然 教師から注意され 2度と学校に持ってくることはなかったような気がするが 楽器等に無縁だった子供達にしてみれば ピカピカのハーモニカは 夢のような楽器に 見えてしまったのだ。

そのことが有って以来 M男も ハーモニカが欲しくて仕方ないという時期が続いたが 貧しかったM男の家では そんな楽器等を子供に与える余裕も無く 結局 買ってはもらうことは なかった。
一種の流行病のようなもので M男の ハーモニカ熱は 急速に冷め 長年 忘れ去っていたが ずいぶん 後年になってから 少年の頃の夢を追ってしまったのか 安い給料から 自分で買い求めたことがあった。
ただ 習ってまで 吹こうというところまでにはならず 「宝の持ち腐れ」と なってしまい 挙句の果て どこに行ってしまったのかも 不明になっている。
最近 たまたま 雑物整理中に ハーモニカが出てきたが これは 息子達のものだと思われる。
いずれにしても 数十年前の ハーモニカであることは間違いなく 掃除、手入れが必要なのかも知れないが M男にとっては あの日あの頃 夢だった楽器、
ちょっと 吹いてみようかしらん 等と 思ったりしているのである。

みかんの花咲く丘 (複音ハーモニカ)

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