たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

36勝4敗?

2024年05月29日 21時39分26秒 | スイミング

当地、昨日の大荒れの天候とは打って変わって、
「曇時々晴」、最高気温 28℃前後、
週末には、台風1号が接近するようだが、
嵐の前の静けさ?
湿度が高く、身体、重ーい、怠ーい、
だったが、
いかん、いかん、
こんな日こそ、泳いで来るべし・・、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時、スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。



今日は、ベテランのN指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
M4グループ、女性8人、男性2人,
2レーン使用、1レーン 5人、
トータル 950m?
疲れ果てて帰ってきたところだ。


今年の年初、目標のひとつとして、
若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで続けている、
週2回、月8回のスイミングスクール、
「出来る限り休まないことにしよう」等と、
ブログにも書き込んだものだったが、
5ヶ月経過したところで、
カレンダーでチェックしてみると、
なんとか、4回休んだ(サボった)に、留まっている。
何をするにしても、いい加減で、
なかなか重い腰が上がらない爺さん、
この調子を続けるためには、
さらに自分にハッパをかけるしかない。
なにか、いい方法が無いか?
ふっと、子供の頃から、新聞のスポーツ欄等で見慣れている、
大相撲の星取り表を思い出した。
成績?が、一目で分かる。
「いいね!」、
「これで行こう!」、
と 決め込んだところだ。

出席した日=⚪️、欠席した日=⚫

1月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
2月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫ (7勝1敗) 
3月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫️ (7勝1敗)
4月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
5月 ⚪️⚫⚪️⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️ (6勝2敗)

5月末現在、通算、36勝4敗、
果たして、今年の年末、通算、何勝何敗になるかだ。
・・・・・・・・・継続は力なり・・・・・・・・・


民謡をたずねて・その13

2024年05月29日 14時48分52秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その13
「阿波よしこの(阿波おどりのお囃子・唄)」
(徳島県)

「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ ♫」
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々 ♫」
「阿波おどり」のお囃子・唄で有名な「阿波よしこの」、
子供の頃から、耳に馴染んでいる民謡の一つではあるが、これまでずっと、なんとなく見聞きしているだけで、その歴史や背景等、詳しいことを知らないままできており、
今更になって、「へー!、そうだったの」
目から鱗・・・、である。

「阿波よしこの(阿波おどりのお囃子・唄)」 (YouTubeから共有)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その51

2024年05月29日 10時41分08秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その51
「臼杵山(うすきやま)・市道山(いちみちやま)・陣馬山(じんばさん)」(再)

かれこれ27年前の1997年2月22日のこと、ようやく春の日射しがこぼれる候だったが、当時一時的に所属していた山の会の仲間と、東京都西部の戸倉三山の2座(臼杵山・市道山)、陣馬山等を縦走したことが有った。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃だったが、撮った写真は、プリントして、アルバムに貼ってある。
ピンボケ、拙劣写真ばかりだが、「OCNブログ人」でブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」にも、書き留めたことが有り、外付けHDに残っている。コピペ、リメイクして、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」に書き留め置くことにする。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

荷田子バス停→荷田子峠→(グミ尾根)→臼杵山菜黄御前→臼杵神社→臼杵山山頂→
市道山山頂→イッポチ山→(吊尾根)→醍醐峠→和田峠→陣馬山山頂→(栃尾根)→
栃尾集落→落合集落・陣馬山登山口バス停、
(標準歩行所要時間=約6時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

JR五日市線五日市駅に、午前8時集合、
バスの便が少なく、待ち時間が無駄になるため、タクシーに分乗し、
出発地、「荷田子バス停」まで向かったようだ。
8時30分頃、「荷田子バス停」を出発、いきなり、樹林帯の急登に喘ぎ・・、
9時頃、尾根上、「荷田子峠」に到着、
10時頃、「臼杵神社」に到着
北方、展望良し、大岳、御前山等が、目の前に・・・・、
アップダウンを繰り返しながら
10時30分頃、「臼杵山山頂(標高842.1m)」を通過、
11時50分頃、「市道山山頂(標高795.1m)」に到着、
天気晴朗なれども冷たい強風で、手が悴む程だったが、南斜面は、ポカポカ陽だまり、
昼食タイムとなった。

生藤山への分岐・「醍醐峠」からは、急な下りとなり、
14時30分頃、「和田峠」を通過。
駐車場には、数台の車が駐車していたが、路面の一部は凍結しており・・、
和田峠からは上り返し、
14時50分頃、「陣馬山山頂(標高857m)」に到着したようだ。
冷たい強風が吹き荒れており、休憩も10分程度で、出発。
澄み切った青空の下、富士山、大山、扇山・・・、奥多摩秩父上州の山々、
八王子市街等、360度、展望出来たようだ。
陣馬山山頂からは、栃尾根をひたすら下り、「栃谷集落」を経て、
16時頃、「落合集落・陣馬山登山口バス停」に、到着。
最後には、膝が笑い出したが、なんとか持ちこたえ・・・。
バスの便が少なく、ここでまた30分待ち時間、
JR中央線藤野駅に着いたのは、暗くなった17時頃だったようだ。
一般向き山歩きコースとされていたが、歩行時間的には、やや健脚組向きコース?とも思われ、
よくも、歩けたものだと、我ながら驚いたものだった。
「臼杵山・市道山・陣馬山」もまた、今となっては、二度と歩くことの叶わない、遠い思い出の山旅となっている。

 


5月29日、今日は何の日?

2024年05月29日 06時18分13秒 | ブログ考

「今日は何の日?」・・・・・、時々、ふっと思い出しては、ネットで検索してみることが有るが、ほとんど、毎日が、何らかの「記念日」になっているのが簡単に分かり、有難い時代だと思う。無知で、記憶力無しの爺さんでも、知ったかぶりし、ブログネタにも出来る。

5月29日、「今日は何の日?」

「エベレスト登頂記念日」
1953年(昭和28年)5月29日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーと、シェルパのテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレスト登頂に成功した日。
その後、エベレスト登頂者が続出、次第に、大ニュースにならなくなってしまったが、
当時は歴史的快挙として世界に報道され、子供心ながら、その感動の記憶が残っている。

「呉服の日」
全国呉服小売組合総連合会が制定した記念日。
五(ご)二(ふ)九(く)で、「ごふく」。語呂合わせ。

「こんにゃくの日」
全国こんにゃく協同組合連合会が、1989年に制定した記念日。
五(こ)二(に)九(く)で、「こんにゃく」。語呂合わせ。

「幸福の日」
グリーティングカードや慶弔ギフト等を販売する㈱ヒューモニーが制定した記念日。
五(こ)二(ふ)九(く)で、「こうふく」。語呂合わせ。

等々。

そして、そして、今日は・・・・、
個人的に、勝手に決めている「記念日」。
「ブログ開設記念日」だ。
「ブログ」なるものを、初めて始めたのは、2011年5月29日だった。
光陰矢の如し、あれからもう、13年の歳月が流れたことになる。
よくもまあ、13年も飽きずに続けてきたものだと我ながら感心してしまうが・・・・。

今思えば、13年前はまだ、自営業を続けていた頃で、仕事柄、PC、インターネットは活用していたものの、プライベートでは、SNS等にはまるで無縁、IT音痴で、「ブログ?って なんのこっちゃ?」レベルの爺さんだったものだ。
「それが、なんで、ブログを・・」・・・。
ちょうどその頃、一時、朝日新聞に、「初めてのブログ」?等という記事が連載されていたことが有って、「PCさえ有れば、誰でも簡単に始められますよ・・・」等という、甘い?文句が並んでいた。ついその気になって、なんだか良く分からないまま、開設してしまったというブログだったのである。
そのブログ、当時、仕事上で利用していたプロバイダーOCNが運営していた「ブログ人」で始めたものだったが、数年後にその「ブログ人」が廃止となり、丸ごと、「gooブログ」に引っ越してきたという経緯が有る。そんなことも、つい先日のことだったような気もするし、ずいぶん昔のことだったような気もしてくる。そのように何気なく始めたブログではあったが、紆余曲折、試行錯誤しながら、形を変え、次第に、長い老いの坂を下る爺さんには、欠かせない存在になってきたような気がしている。

そういう意味で、「5月29日」は、爺さんの暮らし方を大きく変えた日とも言える。
他人様にはまるで関係ない意味の無い記念日だが、勝手に、「5月29日」=「ブログ開設記念日」と、決めているのだ。
「たかが、ブログ、されど ブログ」


振り返り記事
2011年5月29日・「ブログ人 始めました」
ブロクの第1歩
👇
こちら


「十年一昔」という言葉が有るが、13年前に、今の自分の暮らしを想像出来ていただろうか。
当時とほとんど変わっていない部分もあれば、まるっきり変わってしまった部分も有り、さらに言えば、未だに生きていること自体、想定外?で、感慨無量となってしまう。

              あと幾年ブログ道連れ八十の坂
              ボケぬ内あしあと辿る爺ブログ
              記憶補助ツールになってる爺ブログ、
              過去現在ブログで辿る最終章、

「日残リテ 昏ルルニ 未ダ 遠シ・・・・」
(藤沢周平著「三屋清左衛門残日録」より)

子供の頃、よく眺めていた、ふるさと北陸の夕景
日本海水平線上に浮かんで見えるのは能登半島