昭和20年代~30年代、M男は 祖父母、父母、弟妹、7人家族で 北陸の山村で暮らしていた。
母親は 早婚だったので まだ 20才代~30才代だったはずだが 機嫌良く 農作業等をしている時 良く 歌謡曲を口ずさんだり 鼻歌で歌っていたことを 覚えている。
藤山一郎の歌だったり、岡晴夫の歌だったり、小畑実の歌だったりしたのを 後年になって知ったが 東海林太郎の歌も 好きだったようだ。
太平洋戦争、東京空襲から逃れ 一家で 夫であるM男の父親の故郷に疎開し そのまま その土地に定住、まったく慣習の違う 慣れない土地で 孤独と貧しい暮らしに耐えていた母親だったと思うが 自ら 歌うことで 気を紛らせ、自分を励ましていたのかも知れない。
母親が口ずさんだり 鼻歌を歌っていた歌の中で 子供だったM男の耳に 特に印象深く聞えていたのは 東海林太郎の「赤城の子守唄」だった。
M男は 最近になって ダンボール箱に詰め込んで保管していた 古いレコード盤等を 引っ張り出して 気まぐれに聴いてみたりしているが その中から 東海林太郎のLPレコード盤が出てきた。
M男自身 買った覚えが無く 比較的 新しいもので 多分 昭和40年代 M男の妹が ステレオコンポを買い入れた際に 母親に 買ってやったレコード盤で 実家取り壊しの際 M男が 持ち帰ったものだと思われる。
話は変わるが 拙ブログに 読者登録していただいている あるブロガーさんで 長編小説、短編小説、掌編小説等々を 創作され アップされておられる方が いらっしゃる。
捕物、任侠、股旅等 時代物が中心であるように思うが なかなか面白く 最近になってからであるが 拝読し始めている。
先日 その作品を拝読している内に イメージが湧き なんとなく 母親が口ずさんでいた 東海林太郎の「赤城の子守唄」が 浮かんできてしまい、
YouTubeのカラオケを 共有させていただいた。あの日あの頃 若き母親が 口ずさんでいた情景が 思い出される。
懐メロカラオケ 「赤城の子守唄」 原曲♪ 東海林太郎
今でもふと頭をよぎることがあります
音調と流れがよく…歳がわかりますね~^
抒情歌は好きですが演歌はおぼえられません。白いお花は大好き~~♪
私も白いツツジとモッコーバラの白を玄関で
毎日見て出かけます(^_-)☆-
父の尺八の音が頭の中で響きます
<荒城の月>…今でも聞くと涙が出そう…
嬉しいですねぇ。
何度か結氷した大滝を見に行きましたが
大滝がもう直ぐと言う所に「忠治の岩屋」が有りまして
そこで子分たちと三か月間、身を潜めていた様です。
今は東日本大震災で中に入れない様になってしまいましたが
ハシゴを伝って降りて行きますと10畳位と
更にその奥に15畳ほどの(定かではない)空間がありました。
群馬県人にとりましては、たとえ渡世人で有っても
ヒーローとも言えるのが忠治なんですね。
そうでした。ラジオ放送でも よく 浪花節の番組がありましね。
子供の頃 聴いた歌とか 音色は 脳に焼き付いていて 思い出せるのに・・。
昨日のことも 忘れてしまう 爺さんです。
私も 東海林太郎世代では ありませんので 懐メロでは 聴いたことがありますが 活躍していた頃のことは 知りません。
母親が 口ずさんでいたことで 歌は かなり 覚えていますが。
戦前 東京に住んでいた母親は もしかしたら 東海林太郎のファンだったのかも知れません。
国定忠治の話も 余り詳しくは 有りませんが 赤城の子守唄は 子供の頃に 覚えていましたね。