足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。
「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その33
第262段 「文ことばなめき人こそ」
清少納言は、言葉や文字に対して、非常に関心が高く、流行語等の使用を嫌い、敬語の秩序を乱すことには、格別耳ざとい女性だった。下賤な階級の無教養な者が、粗雑な言葉遣いをしたり、敬語の使い方を間違えたりするのは許せるが、手紙を書くような知識階級の者が、失礼な言い方をしたり、敬語の使用のいい加減なのは、許せないとしており、世人を軽く見ている精神のなすわざだと、厳しく警告している文明批評の段。
「あれ!、ンま!」
手紙に敬語を省いてしまった人は、ほんま、憎たらしでおます。世の中を見くびって。書き流してある言葉遣いが憎うおます。
「な、何や!、ええ加減なこの文は」
「礼儀をわきまえへん手紙もろたときは、当たり前やけど、人に来たのさえ、憎らしい」
かというて、さほど敬うことでけへん人に、あまりかしこまった手紙をあげるのも、おかしなことどす。
差し向かいの話のとき、言葉遣いの乱暴なのも、片腹痛くおます。田舎びた者がそのような調子なのは、愚かなのやから、笑い草でよろしおすが。
「あのさあー!」「ムッ!」
一家の主人に対して、ぞんざいな言葉を遣うのも、ほんま、よろしおまへん。
「エヘヘヘ!」「イヒヒヒッ!」
敬語の使い方がいい加減な人には、あな、わろし。愛想おまへんな。どないして言葉遣いが乱暴でおますのや・・・。
「あの、道隆が、さあー」
殿上人など、偉い人たちの本名を無神経に言うのは、礼儀に反することなのどす。
「そのお方、やんごとなき君・・・」「ワテのことでおますか?」
それと反対に、女房の局の下働きにさえも、あの殿方は、ワテを「あの君」と呼ばれはった。ええお方や!、上品なお方や!、
「左大臣」「右大臣」「大納言」「大蔵卿」「春宮大夫」
殿上人や若者たちの名を呼ぶときは、帝やお后の御前以外は、官名のみを言うのが、習わしでおます。
原文だよーん
文(ふみ)ことばなめき人こそいと憎けれ。世をなのめに書き流したることばの憎きこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げに、わろきことなり。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへ憎くこそあれ。大方(おほかた)、さし向かひてもなめきは、などかく言ふらむと、かたはらいたし。まいて、よき人などを、さ申す者は、いみじうねたうさへあり。田舎(ゐなか)びたる者などのさあるは、をこにていとよし。
(注釈)
手紙の言葉遣いのぶしつけな人は、実に憎らしい。世間をないがしろにしたように書き流している言葉が憎らしいのだ。かしこまる必要の無い人のところへ、あまりかしこまった言葉を使うのも、本当によくないことだ。しかし、ぶしつけな手紙を自分でもらったような時は当然のこと、人のところに来たのまで憎らしい。そもそも、対談の場合でも、言葉が無礼なのは、どうしてこのように言うのだろうと、はたで聞いても聞くにたえない。まして、身分の高い人などのことを、そのように申し上げる者は、ひどく腹立たしいとまで感じる。ただし、田舎じみた人などが言うのは、馬鹿げていて、まことによい。
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