この僕のブログは自分の思考実験の発表の
場だと思っているのだが、僕の小説とかの
作品は人に読まれていないものが、たくさん
ある。しかし、僕はあまりプロになることば
かりに拘っているわけではない。兎に角、
自分で納得出来るいい作品を書きたいと云う
想いが強い。と云うわけで、僕は、人に読
まれたことがあまりないこと故、自分の作品
の立ち位置が良く分かっていないところがある。
まあ、長生きしてれば、そのうちに、僕の作品
も人に認知されることも、あるいは、あるかもね。
最近、考えてるのは、カッコいい、とはどういう
ことだろう、と云うことだ。答えは、多分、スマ
ートな気の遣えるおとなの男になる、と云う
ことだろう。僕はカッコいいおとなの男になりたい
と思っている。
とととと、ちょっと長くなってしまいそうだ。
今日は、「虫喰い仙次」所収の色川武大氏の短編
ですよ。
1986年
伯母から朝鮮の朝鮮飴と云うものを送って来る
話しがでてくる。あまりおいしくはなかった、
と云う。広島の原爆でその伯母は死んでしまった
らしい。夏、大柄な女の子が色川氏の元に転がり
込んで来て、秘書のようなことを一年弱していた
ことが描かれる。その子は二十七歳で結婚したが
っているが、なかなか相手に恵まれず、退屈な男
はイヤだと云うことだ。
秋、父母に世話を焼いたりしてやることの難しさ
について描いている。ツケ台に坐ってスシを
喰ったことのない父親に奢ってやって、しでかした、
と後悔している。箱根に二泊の旅行をプレゼントして
二日目に母が腹痛を起こし、帰って来て、女と云うもの
の恐ろしさを描いている。
身辺雑記のエッセイのようだが、エッセイともちと
違うようだ。とても読み易くて、色川氏のこと知るには
いいテクストになるだろう。
(表題作「虫喰い仙次」と「走る少年」はどうしても
興味が持てなくて、きちんと読めなかった。残念だが、
僕の趣味とは合わなかったようだから、「虫喰い仙次」
はこれにて終了だ。)
(2024年12・29(日)20:20)
(鶴岡 卓哉)