古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

「交わるいと 「あいだ」をひらく術として」展をみて 広島市現代美術館

2018-01-07 01:14:41 | 日記
駅まで三十分くらいはたっぷりと歩いた。そこから、



路面電車で比治山下に乗り、山を登って、広島市現



代美術館でやっている「交わるいと 「あいだ」を



ひらく術として」展を見にいってきた。



平野薫の無題ーred NIKE-はシューズを糸の



状態へと戻してある。存在の解体である。ひいては人



類の文明、歴史の解体でもある。存在とは常に解体の恐



怖にさらされているかのようである。


関島寿子のクルミ、コウゾ、ケヤキ、などを使って構築



された構造物には目を見張る。構造物として、一つの到達


点をみたかのような洗練と自然の一体化である。ここま



でにするのにこの作家は、いかように努力されたか計り知


れない。それから、ボクが注目したのが、福本潮子の作品



である。麻を使ってあり、藍が効果的に都会的センスを伴っ


て、しかも、原風景をとらえて離さない。いかようにも、その



イマジネーションは横溢していく。ボクらはその前に立ち



才能ある人間が到達できる洗練された答えの存在をそこに



見ることになる。ボクらは「遠野」をみて、その地平に


驚愕するのみなのである。



と、あまりの時間の集積に、いや、これは、三十年、五十年、


とかかった仕事であるからして、見る方も疲れるのは当然。



朝日コーヒーで、ミックスサンドとコーヒーを所望した。



コーヒーはたっぷりとあり、濃ゆかった。



そのあと、「町の名前をひとつ」を見た。コレクション展


2017-Ⅲと題されたものだったが、さすがに収蔵された作



品群は見ごたえがあった。「町」「街」がテーマだ。


浜口陽三の「雲」などひとつの、都会で暮らす人の抱える


問題が提示されつつ、答えも同時に存在しているのではな


いか。


ボクも「街」は好きである。「町」より「街」の方が好



みである。比治山から見下ろす「街」を見て、「広島」



の街が赤穴宏の作品と頭ン中でトリミングしていた。 



美術館にはひとがひとりいたくらいだった。ぜひ、たく



さんの人に見てみたいものである。といっても、ボクは



関係者でもなんでもないんだけれどね。

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