ゴールデンウイークの初日の4月28日、久しぶりにバス旅行に行った。目的地は高野山である。高野山と言うと奈良県のイメージがあるが所在地は和歌山県になる。岐阜県大垣市を7時40分に出発したバスは京滋バイパスを通り、大阪門真市から南下するルートを走る。そして岸和田ジャンクションを出て高野山に向かう。昼食は弁当が出る。バスの中で美味しく頂いた後、12時前に奥之院に到着した。写真左はお墓が両脇に並ぶ弘法大師御廟への道である。右は加賀百万石のお墓である。
戦国から徳川時代の大きなお墓が目立つ中、御廟に着く。残念ながら”御廟の橋”の手前から写真撮影禁止、脱帽の上、大声で話すことも抑止されながら御廟を参拝する。御廟は左側から回って地下へ入れる。弘法大師に最も近づけるとされる祭壇を参拝する。帰りは来た道とは異なる経路を通る。右の写真は親族の供養のために持ち込まれた供養塔の集まりとの説明だったように思う。
奥の院辺りは海抜900m辺りにあるようだ。桜が満開を迎えていた。
奥之院から壇上伽藍のあるところまでバスで戻り90分間の自由時間となった。写真左は大伽藍に入る中門である。持国天・増長天・広目天・多聞天が安置されている。そして右の写真は中門を入ったところに位置する金堂である。高野山一山の総本堂である。
写真左は根本大塔で高さは50mあるようだ。大日如来・金剛界四仏に加え16本の柱には菩薩が描かれ、曼荼羅が顕されている。根本大塔から蛇腹道を通り、金剛峯寺へ向かう。右写真はその出口で大伽藍を振り返ったところである。紅葉が植えられているが青と赤の若葉が美しい。
金剛峯寺に到着する。秀吉に追放され自刃した豊臣秀吉の柳の間がある寺である。金剛峯寺の寺紋は2つある。五三の桐と右三つ巴である。
金剛峯寺周辺は石楠花が多く見られた。
金剛峯寺から先に記した蛇腹道を大伽藍に戻ると東塔と根本大塔が2塔同時に見えるポイントがある。塔が2つある寺も稀だが2塔が写真に納まるのは珍しい。
最後の写真は金剛峯寺にある石庭で蟠龍庭(ばんりゅうてい)である。石庭としては最大の庭のようだ。
金剛峯寺の別院の襖絵を描かれたのは守屋多々志画伯だった。弘法大師入唐の模様の他、花や鳥が描かれていた。残念ながら絵画を見る目は全くない。が、守屋氏は岐阜県大垣市生まれと知っていたことから新たな発見をしたような喜びが湧き、一つ一つの襖絵を注視しながら回った。
岐阜に住んで45年を経過した。以前はスポーツでも芸術でも生まれ育った徳島県出身者を応援・注視していた。が、何時頃からか岐阜県出身にも心が動くようになっている。洋画家の熊谷守一氏もそうである。また若手では直木賞作家の朝井リョウ氏がいる。”何者”は面白かった記憶である。内容?昨晩、何を食べたか覚えていない人にその質問はキツイ。
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