近くに住んでいて”一度、行ってみたい”と思いつつ、なかなか機会に恵まれなかった。比叡山焼き討ち、そしてお市の方が嫁いだ浅井長政を攻めることに関係した朝倉氏の一乗谷朝倉館跡である。▼10月の初め、長年の夢にもなっていた”一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねた。一乗谷は最後、織田軍に責められた折、柴田勝家等により焼きつくされ、その戦火は三日三晩に渡ったと言われている。1573年の話である▼写真1は朝倉義景の墓である。1576年に村民が建てた小祠の場所に、1663年に福井藩主松平光通により建立されたようだ。朝倉館の背後の山を少し上がると湯殿跡地がある。写真2はその跡地から見る朝倉義景廟所で写真3は朝倉館の全景である。この写真の左手前に墓所がある。写真4は湯殿の庭園の巨石で4代孝景の頃に作られたようで当地では最も古い庭園のようだ。写真5、6は当時の建物を再現されたものである。写真6はトイレである▼比叡山焼き討ちは織田軍が朝倉軍と戦った折、朝倉軍に味方をしたと言うことで焼き討ちされている。1571年のことである。”泣かぬなら殺してしまえホトトギス”と謳われた所業の1つかもしれない。→HP”望郷+田舎暮らし日記”に”一乗谷を訪ねて”を掲載しました。→http://inakaikeda.iza-yoi.net/
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