うたの奥深さを知る
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五・七・五・七・七の三十一文字で、美しくも壮大な世界を綴り出す短歌。
向かい合い、背を向け、あるときは遠く離れながらも
響き合う二つの短歌の断ち切り難い言葉の糸を
独自の審美眼で結び合わせた50組100首に、
塚本邦雄・石川美南から三井ゆき・佐佐木幸綱まで、総数550首を収録。
現代短歌の魅力を味わい尽くす、前代未聞のスリリングな随想。
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(うたあわせ)というのは本来、歌人を左右二組にわけ、
その詠んだ歌を比べて優劣を争う遊びのようなのですが、
ここでは、北村薫氏が、同じテーマに沿った短歌を2首ずつ選び出し、味わいます。
その2首は古今の様々な方のもの。
普段そういうものに縁のない私にとっては、実に楽しい「うた」体験となりました。
それにしても、北村氏の選択はなかなか一筋縄にはいきません。
まず冒頭の二首。
「隣の赤」と題して
不運続く隣家がこよひ窓あけて眞緋(まひ)なまなまと輝る雛の段
隣の柿はよく客食ふと耳にしてぞろぞろと見にゆくなりみんな
何やら、まがまがしさの感じられる怖い「赤」ですね。
隣の柿は・・・の方は、よく言われる早口言葉を逆転したものですが、
「人食いの柿」よりもむしろ「ぞろぞろ」の方が恐ろしいのかもしれない、
と著者は言っています。
うたを味わう切り口は、その時々でそれぞれなのですが、
うたの意味というか内容について、
受け取る人によって異なるという話を興味深く読みました。
例えば、
少年の騎馬群秋の空を駆け亡き子もときの声あげてゆく
亡き我が子のことを歌う切ないうたではありますが、
大方の人の解釈は「運動会の騎馬戦」の騎馬を組んだ子が空を駆けてゆく情景なのだそう。
けれど著者は騎馬戦ではなく、いわし雲が白い馬に姿を変え、
その馬に乗って幼くして逝った子どもたちが、
苦しみから解き放たれて空を駆ける情景を思い浮かべたと言います。
私も著者の意見に賛成!
また、こういうのはどうでしょう。
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
こちらの大方の解釈は、菓子パンの薄いビニール袋が、ビルの谷間の風に吹かれて、
くるくる舞っている様が「つむじ風、ここにあります」である、と。
実は私もそういうことを思い浮かべました。
ところが著者は、パン屋に並んだ様々なパンのうちの「うずまきパン」が、
「つむじ風、ここにあります」とささやいているのだと、思ったそう。
なるほど~。
実は巻末解説で、三浦しをんさんも著者と同じに思ったそうです。
作者が詠んだときの情景は確かにあるのかもしれないけれど、
いったん作品として世に出たからには、
こういうことに正解はなくて、どのように受け取っても自由、ということなんですね。
個人的に、もう一つ
はつなつの、うすむらさきの逢瀬なり満開までの日を数へをり
札幌に住んでいる私にとって、初夏の薄紫の花といえば、絶対にライラック!!
しかるに、これは桐の花なのだそうです。
出身地や年齢などによっても、歌の味わい方がちがってくるものなのかもしれませんね。
最後に、私が特に気に入った歌をいくつか
迷うこと多き日のはてに雪降りて装幀にレモンイエローを選ぶ
金輪際会わぬと決めたる一人(いちにん)と夢打際で夜毎にまみゆ
混み合える電車に持てる花の束かばいてくれし少年ひとり
すべて作者名省略してしまいました、お許しを・・・。
本作、続編があればぜひ読みたいなあ・・・
「北村薫のうた合わせ百人一首」北村薫 新潮文庫
満足度★★★★☆