走ることは、生きるために逃げること
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オリンピック開催中にはタイムリーな作品。
ドキュメンタリーです。
内戦が続くスーダン。
8歳のグオル・マリアルの両親は、息子の命を守るため苦渋の決断をし、
我が子を村から逃がします。
しかしグオルは武装勢力につかまったり、だまされて奴隷のような生活になってしまったり・・・。
でもその都度逃げ出すことに成功。
ひたすら走ってその場を逃げおおせたのでした。
グオルにとっては、「走る」ことは「生きるために逃げる」ことなのです。
こんな放浪生活の末、やがて難民キャンプに保護され、
そして幸運にもアメリカへ移住することができたのです。
でも多くいた兄弟たちは、ほとんど皆内紛に巻き込まれて亡くなり、
たった一人の兄と両親はスーダンに残ったまま・・・。
そしてアメリカでは、グオルの走ることの才能が開花。
初めて走ったマラソンで2012年ロンドンオリンピック出場資格を手にします。
そのころ、スーダンはアラブ系民族でイスラム教徒の多い北側を「スーダン」、
アフリカ系の人々からなる多くがキリスト教徒の南側が「南スーダン」として2分。
つまりグオルの故郷は「南スーダン」として新たな独立国となったのです。
そんなできたての国だったので、まだ国内オリンピック委員会がなく、
グオルのオリンピック出場が危ぶまれました。
しかし、国際オリンピック委員会は、個人参加選手として彼の出場を認めたのです。
グオルは、「南スーダン」からの出場ということにはならなかったけれど、
それでも祖国南スーダンの人々は一心に彼を応援したのでした。
この度の東京オリンピックでは、国際オリンピック委員会に若干不審の念を抱かずにはいられなかったのですが、
こんな粋な計らいをすることもある訳ですね・・・。
リオオリンピックからは、難民選手団の枠ができて、
この度のオリンピックでも29名が難民選手団として出場しています。
さてこのとき、グオルは「スーダン」からの出場とするか、出場しないか、
どちらかの選択しかなかったのですが、
「スーダン」の名の下での出場をかたくなに拒んだわけです。
そりゃそうです、現・南スーダン人としての意地と誇りがあります。
筆舌に尽くしがたい少年期の過酷なサバイバルのような体験の様子は、
アニメーションで描かれています。
実写では生々しくなりすぎるかもしれないので
そこは、いい演出だと思いました。
ロンドンオリンピックでのマラソンの走りの中で、
彼はもうつらくて途中で棄権しようかと思うのです。
しかしその時、路上に彼を応援する南スーダンの人々の姿がありました。
陽気に踊って、彼を応援する人々。
そこで彼は元気をもらってまた走り出します。
応援って、こんな風にアスリートの力になることがあるんですね。
無観客なら、こうはならない・・・。
やはりどう見ても、いびつなこの度のオリンピック・・・。
さてその後、グオルは南スーダンの若者に陸上競技を広める活動をしたり、
自らも次のオリンピックのために走り続けたりもするのですが、
あまりいい成績は残せません。
そして、せっかく平和を取り戻したかに見えた南スーダンでは、
また民族間の抗争が始まったりする。
物語なら「めでたしめでたし」で終わるのですが、
グオルの人生はまだまだ茨の道のように思える・・・。
人々の経済的な格差が問題になることは多いですが、
こうした国家間の格差も、どうにかしていかなくてはなりませんね。
<シアターキノにて>
「戦火のランナー」
2019年/アメリカ/88分
監督:ビル・ギャラガー
出演:グオル・マリアル、ラスティ・コフリン、コーリー・イーメルス、ブラッド・プア
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