映画と本の『たんぽぽ館』

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「漂砂のうたう」木内昇

2017年12月18日 | 本(その他)
生け簀の金魚たち

漂砂のうたう (集英社文庫)
木内昇
集英社


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明治10年、根津遊郭。
御家人の次男坊だった定九郎は、過去を隠し仲見世の「立番」として働いていた。
花魁や遊郭に絡む男たち。
新時代に取り残された人々の挫折と屈託、夢を描く、第144回直木賞受賞作。

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木内昇さんの作品はいくつか読んでいますが、
肝心の直木賞受賞作を読んでいなかったので、この度拝読。

遊郭が舞台なので、江戸時代?と思ったのですが、
明治に入ってからのお話でした。
明治の時代になっても遊郭は変わらずにあり続けたのですね・・・。


主人公、定九郎は武家の出でありながら、遊郭仲見世の「立番」をしています。
世が世ならこんな仕事につくはずもなかった。
しかし、明治の世となって、多くの武士は行き場を失い路頭に迷うわけです。
中には警官や役人などの職にうまくありつけた人もいたでしょうけれど・・・。
定九郎自身、今の自分の境遇に自暴自棄になっており、
虚しい日々をただ繰り返していました。


作中で、大雨で池の水が溢れ、
金魚が生け簀から溢れ出てもがいているシーンがあります。
これは明らかに遊女たちのことを例えているわけです。
郭の中ではきれいな着物を着て優雅に見えるけれど、
そこから出るともう生きていけない・・・。
実際この明治になってから、遊女たちの開放令が出たそうなのですが、
それでも女たちは出ていかなかった。
出ていっても生きていく手立てがないからです。


そしてまた、この金魚は定九郎自身の例えでもある。
彼も郭の女たちと同様、ここを出てしまえば、他に生きていく手立てがない。
定九郎のいる店で一番の花魁・小野菊は、
他よりも超然として美しく、凛とした佇まいを見せています。
定九郎は彼女を見るとイライラと心が落ち着かない。
こんな苦界にいて落ち着き払い自分を保つ彼女に、憎しみさえ覚えます。
主人公でありながら、「正義」では動かないこの男・・・。
人の心の奥底の暗がりがしっかりと描かれています。


けれど、なかなか納得の行くラストにつながっているのがまた心憎い。

「生きていりゃあ、なんかしら跡が刻まれる。
誰でもそうだ。
だがどんな跡であれ、そっから逃げなきゃならねぇ謂れはねぇんだ。」

この龍造の一言で、氷付きこわばり闇に沈んでいた定九郎の心が救われる・・・。
龍三こそは郭で生まれ育ち他に行くところもなく、
この仕事に励みのし上がっていくしかなかった。
だからこそ、こんな郭の仕事でも身を入れ、
プロ中のプロの目を持つようになっているのです。
そんな彼から見ると、仕事に全く身が入らない定九郎が
いかにも歯がゆくてならなかったのでしょう。
だからこその、厳しい扱い。
龍三の人物像に、しびれました。


また、こんなシビアな世界の中で、一人ポン太という人物が
何故か夢のような幻のような存在でいるのもまた興味深いのです。
結果、定九郎は郭を跡にして新天地を目指すなどという結末にはならない。
けれども明らかに彼は新しい"生き方"に変化している。
生け簀の中に閉じ込められて惨めなのではない。
生け簀の中でおのれの自由を生きてみるのもまた、一つの生き方ではある。
直木賞というのも納得の力作です。


図書館蔵書にて(単行本)
「漂砂のうたう」木内昇 集英社
満足度★★★★★


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