ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ずるいぜ!ザ・フルーツ『愛しのドラム』

2017-10-04 10:58:48 | 劇評

 えっ?お客さん、少ないんだけど??

 だって、春風亭昇太だろ、六角精児だろ、テレビでおなじみの二人じゃないか、当然、駐車場満杯、ロビーは大混雑って想像しながら行ってみたら、なんと、がら隙!3日前の菜の花座より少ない、250ちょい。ええー!?そんなことってあるのか?それも、客層、けっこう高め。これまた意外!と思ったが、考えてみりゃ、笑点に呑み鉄だもの、若い女性押しかけてくるわきゃないよ。

 さて、いつもの通り客席のずっと上段から見せてもらった。うむ?つまらんぞ!演技下手ぁぁ!笑い足りない!受けたのは、内輪ネタ、笑点の司会=商店街のイベント司会、とか、昇太の独身ネタ。それとヅラが落ちて失笑!

 中島敦彦ってことで期待してた脚本も、小劇場じゃよく見る、すっとび展開の連続。いや、これ嫌いじゃないけど、失踪したドラマー兼社長を探しに行くのに槍ヶ岳とか富士の樹海とか、って想像力足りんだろ。このくらいのナンセンス、今時びっくりしやしねえぞ。それに装置もこじんまり、良く言って。菜の花座の装置さんが、ばらしの時に、会館関係者から、菜の花座の装置と似てるね、って言われたってほくそ笑んで程度のものだもの。

 ところが、ラスト30分は拍手喝采雨あられ、手拍子シャンシャンの大盛り上がりになった。

 主演者3人のグループサウンズバンド、ザ・フルーツの演奏になったからだ。そうか、そういうことなのか。これがやりたくて芝居作ってたんだ。役者と落語家と脚本家で作るバンド、ずっと以前から演奏活動続けてきたってことなんだ。で、それを舞台に持ち込めれば、いいもの出来んじゃないか、ってのが彼らの魂胆だった。

 それはいい。それは許す、て、言うか、羨ましい。僕もそんな真似事をしょっちゅうやってるから、一気に親近感がわいた。共演のメンバーにも、ギター弾きながら歌わせたり、アコーデオンやらせたり、津軽三味線演奏させたりって、このムチャぶりにも大いに共感だ。もちろん、演奏は上手くない。ギターの六角精児を除けば、ほぼ、素人芸だ。アマチュアだって、頑張りゃできるレベル。

 なのに、この盛り上がりは、なに?彼らがテレビを通して顔なじみだからだよ。お客さん、拍手できるの待ってるの、手拍子で乗って行けるの心待ちにしてんだから。内輪ネタで笑い取ったり、余技で盛り上がったり、ずるいよなぁ、我々がやれば、叩かれるかどっちらけか、不評を買うこと間違いなしだもの。これも、プロとアマとの隔たりの一つなんだ。

 あっ、そうか!こういう余技で勝負の舞台だから、この程度しかお客さん入らないってことなんだ。昇太が落語やれば、きっともっとたくさん入るんだよ、きっと。なるほどね、お客さんも知ってるんだ。人気者が出てはいても、本職の芸の舞台じゃないってことを。

 だからさ、出演者たちも、客席の少なさをネタにし過ぎちゃいけないっとことよ。負い目ははお互い様なんだからさ。

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残念!がっかり!『イヌの仇討ち』

2017-08-05 09:22:59 | 劇評

 ほんと、楽しみにしてたんだ。新進の演出家だってことだし、あっ、と、驚く大胆な舞台が見られるんじゃないかって。前々日、仕込みの手伝いもして、凝りに凝った舞台装置や、これでもかってほどの小道具類に圧倒されてたから、これは行けるよ、きっと、てね。だから、客席の誘導係も気持ち入れて、いらっしゃいませ!ってご案内に精出した、あっ、ちょっと、集合時間に遅れたけど。

 最初の違和感。あれっ、ここ笑い取るとこじゃないの?井上さんの芝居は微妙なセリフや役者のちょっとした仕草でしっかり笑いが起きる、てのが特徴なんだ。特に、ここ川西フレンドリープラザはお膝元だからね、そんなことで笑うなよ、ってツッコミ入れたくなるくらいに観客の反応は鋭敏、過敏?なんだ。それが、どうだ?何度も、激笑ポイントをやり過ごしてる。中盤以降での駄洒落ではさすがに笑いが起きていたが、それでも、大石内蔵助をアホの間抜けの虚けの、と、大量の罵倒語を連ねて蔑むシーンも、井上さんお得意の同義語を重ねるセリフ作りね、変に暗く間延びしたものになっていた。演出のせいなのか?それとも役者の力不足なのか?

 次にたまらんなぁ、これは!我慢できん、って感じたのは役者だ。やたら声が裏返る砥石小僧。聞きづらい、耳障り、あの変な発声の所為で、聞かせ所の啖呵も心に迫って来ない。もちろん、言葉も聞き取りにくい。茶坊主役もキンキン声で、叫び過ぎていて、見て聞いて、心地よさがない。まっ、切迫感を出したかったのかもしれないが。宝塚出身のお吟役も、えっ、その演技で通ったの、宝塚?ってレベルで、訴えかけるもの、なし。

 極め付けの上野介、うーん、これは好みの問題なのかもしれないが、第一声からこれ違うんじゃない?って感じ。あまりに堂々と落ち着いていて、逞し過ぎる。まっ、たしかに、この『イヌの仇討ち』は吉良憎し、上野介卑怯者史観をひっくり返すのが目的の芝居だから、決然とした吉良でいいには違いないのだが、それはラストになって忽然と大石の意図を悟った、あるいは深読みした時に現れる自信なんだと思う。襲撃に恐れをなして秘密の納戸に逃げ込むあたりは、やはり命惜しさの老いぼれ老人でいいんだと思う。そんなジイサンが、一緒に閉じこもった人たちと意見を交わし、邸内探索の大石の様子を聞いて、考えを深めつつ変わって行く、それがこの芝居の吉良上野介なんじゃないかな。最初から立派な吉良だから、結局お上に、つまり権力者に、体よく利用されたんだと見切って、自ら赤穂浪士達の前に身を晒す、ってラストも、もう一つ、感動が薄い。そりゃ立派なお人はそうでしょうよ、おいらたち庶民とは違いますよね、って別世界の人間になってしまっているからなんだと思う。

 それでも、やっぱここは、上杉様の民人意識は濃厚なんだなぁ、万雷の拍手で幕が降りた。そう、吉良は上杉家と濃厚な血縁関係にあったからね。今だって、米沢じゃ忠臣蔵の芝居や映画は打てない、打っても客は入らない、そんな積年の恨みが連綿と受け継がれている土地柄なんだ。カッコよく吉良が死に赴けば、それはもう、よしっ、やったぞ上野介!って拍手喝采になるんだよ。で、おいらは、ここらの言葉で言う、旅の者、ちなみに、米沢でには3代暮らしても、よそ者扱いだったってこと聞いたことがある、今はどうだろう、この排他意識は?へぇ、まっ、そんな見方もできるよね、っ程度にしか感じなかったので、まさか、あの割れんばかりの反響には驚いた。井上さんの地元愛にもね。

 井上さんの脚本、よくぞ、あんなシーンを切り取れたもんだ!納屋に潜んだ数時間を描くなんて発想の奇抜さ!多分現実は、ただひたすら、声を潜め、恐れ慄いて身を寄せ合っていたに違いない、そんな場所と時間を、思いがけない登場人物、盗人砥石小僧、と、大石の表情を逐一伝える茶坊主を造形することで、松の廊下から仇討ちに至る世間の常識をひっくり返した力技、凄いっ!って思う。

 御上ってのは、その都度周囲をつまりは、世間の評判を気にしつつ、手のひら返しをしていく存在なんだ、って認識、今の森友問題に通じるってことで、あるいは、上演を決めたのかもしれないが、籠池さんに共感、同情が集まらないのと同様、吉良にもすっきり感情移入はできなかったなぁ。裏切られたって言ったって、所詮、権力の裾握っていい汁吸ってた人間だろ、吉良も籠池さんも。要するにどっちもどっちなんだよ。

 最後に、あんなに精緻な装置、大量の小道具、照明器具、生かされてたのかねぇ?なんだか、肩透かし食った気分だ。もっと、いろいろ演出上の仕掛けとかあるんじゃないか?って楽しみにしてたのに。せっかく上出来の装置が埋め尽くされた小道具類でほとんど見えない部分も多々あった。照明についても同じ、相当の仕込み量だった。客席上のバトンにも吊る、フロントはもソースホー沢山運び込む、ムービングまで使って、で、あの程度?って印象だった。あれって、スタッフ泣かせだよな。バラシ、搬出手伝いながら、手際よく働くスタッフさんの姿追いつつ、この人たちどんな風に感じてるんだろ?って、余計なお世話だけど、同情してしまった。まっ、彼らはプロだから、一切批評がましいこと言わず、黙々と作業してたけどね。

 おっと、精一杯手伝ったのは、お手伝い組、菜の花座メンバー7人も同じ。終演から2時間半、すべて終了は11時間近だった。肉体的にも、精神的にも、お疲れ!

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どっこい生きてる!井上ひさし:こまつ座公演『私はだれでしょう』

2017-03-31 09:15:12 | 劇評

 井上さんって、どうしてこうも新鮮なエピソード切り取ってくるんだろう!?今回の主題は、終戦直後の日本放送協会ラジオ放送、「尋ね人の時間」だ。日本人だけでも数百万が死んだあの太平洋・日中戦争、その最後は壮絶を通り越してグチャグチャな大混乱だったから、生き別れたり、行方知れずになった人たちはたくさんいた。そんな家族や知人の消息を訪ねる番組、それが「尋ね人の時間」だった。薄っすらと覚えている。生で聞いたのか、噂とかを耳にしたのか、1962年まで続いたそうだから、どちらの可能性もあるなぁ。うん、あのほとんど棒読みのアナウンスが耳の奥に蘇ってくるから、きっと直に聞いているのだろう。

 ウィキペディアによれば、放送された尋ね人探しは、19,515件、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人を探し出せたんだって。これ、凄い達成率だよ。心当たりある人たちが毎日、この放送時ラジオにかじりついていた様子が浮かんでくる。ラジオを頼りに再会を果たした人たちに、どれほどの喜びだったことだろう。そう、それだけの人間ドラマ、芝居ではそれを奇跡と呼んでいたけど、がぎっしり詰まった題材だってことだ。これは芝居になる、いいもの作れる。埋もれていた宝物を探し出し、磨き上げた井上さん、やっぱりすこぶる付きの勉強家だし、敏感なアンテナの持ち主だったってことだ。

 舞台公演を見る時、なにがお目当てか、そりゃ人によって違うだろう。僕の場合は、やっぱり真新しさってことだな。知らなかった話題、初めて目にする光景、未知なる人物との出会い。あっ、それ知ってる!とか、どっかで見たぞ、聞いたぞ!てのは、そう感づいた時点でアウトだ。先月の二兎社公演『ザ・空気』はこの既視感で、もう一発で興味半減してしまった。中身はとっても濃かったし、ち密に組み立てられた凄い芝居だったんだけどね。

 井上芝居はこの点ほとんど裏切られたことがない。太宰や賢治、一葉、芙美子、なんか知れ渡った知名人を書いても、そこで扱われるのは、ほとんどお初のお話しだったり、切り口だったりする。この新鮮さがまず凄い。

 次に圧倒されたのが、そのシチュエーションから繰り出される空想力の雨あられだ。主人公のアナウンサーの弟は、特攻命令を拒否して自死しているし、原稿制作係は脚本賞を狙っている。原稿校正係はもともと築地小劇場の文芸部出身で内職に文章添削のアルバイトをしている。番組の監督役の米軍将校は、日系二世で育った神奈川県丹沢の僻村の村再生に心を砕き、なんと村人から村長に推されている。タイトル『私はだれでしょう』の元になる記憶喪失の青年は、偽親の引き取りであやうく小指を詰められそうになったり、信州の山奥で畑仕事にこき使われたりする。まだまだエピソードは限りない。もう、話題の速射砲と言ってもいいくらい、次から次と投げつけられ、引き据えられ、食らわされる。この空想力の絶え間なき破裂!これがこの作品を飽きさせぬものにしている。

 でも、突拍子もないエピソードの連続攻撃だけで、惹きつけられるわけじゃあない。記憶を失った青年が、ちょっとずつ記憶を呼び戻して行くミステリアスな構成、これも興味津々、観客の関心をグイグイと引っ張って行く。実に巧みな構造だ。サイパンの捕虜収容所で意識を取り戻した青年は英語が得意、頭脳明晰、身ごなし軽く、柔道、剣道、空手は達人の域。さらに歌も上手けりゃタップダンスもお手の物?!こ、こ、こんな風に育てたってどういう家庭なの?どいうう境遇なの?うーん、井上さんの挑戦受けて、舞台見ながらずっと考えていたけど、降参!なんと、あっと驚く結着の着け方だった。恐れ入りました、井上さん。

 ここまでだったら、お上手なストーリーテラー、楽しいエンタメ舞台で終わるところ、ところが、どっこい井上さん、こんなとてつもない笑いふんだんの設定を操りつつ、しっかり観客の胸に突き刺さるシーンや言葉もたくさん仕込んでいた。賑やかな歌と元気な踊りの合間合間、報道するものの責任とか、権力と戦う姿勢とか、死者から託された使命とかがぐさりと客席を抉る。ラストの歌の歌詞、負けて、負けて、負け続けて 石になる。そのたくさんの石が積み上げられて、戦いは続く、て内容だったかな?これ、井上さんの生きる姿勢の表明であると同時に、見る者に対する投げかけでもあるって厳粛な気持ちになって聞いた。

 公演は観客の少なさを除けば、大成功。盛大な2度のカーテンコールの後も、点灯した客電にも去りがたく拍手が続いていた。ほんと、熱い拍手だった。井上さん、聞いたでしょ、この拍手。まだまだ生き続けますね、まだこれからもご一緒ですね。

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笑いを忘れたカナリアは・・・二兎社公演『ザ・空気』

2017-03-04 08:43:22 | 劇評

 客席の反応は上々だ、熱狂的な拍手にカーテンコール3回、一部スタンディングオベーションも。劇のタイトルからして、今時ものだと判断して見に来た人が多かったのだろう、入りも前2回、『鴎外の怪談』、『書く女』よりも数段良かった。永井愛さんの年来のファンとしてはとても嬉しい。

 が、だ。立ち合いからいなされた。これ違うよ、わかるけど違う。いやいや、いなしは当たらない。真向勝負だ。一気の出足、体当たり、がむしゃらのがぶり寄り。野球なら、初球からラストピッチまで、全球160キロの直球で押し切った試合て言うか。

 話は、高市早苗総務大臣のあの発言だ。公正を害する放送に対しては、政府が電波利用を停止できるってテレビメディアへの恫喝。あるテレビ局のニュース番組、例えば報道ステーションとかニュースZEROみたいな、そこでこの政府の介入を正面から批判的に取り上げる特集を流そうとする。次から次と突き出される横槍、押し付け。必死に抵抗する現場の編集長、キャスター、ディレクター、も次第に追い詰められ、ついには換骨奪胎された無残な内容となって放映されてしまう。そう、昨年、衝撃を与えたNHK「クローズアップ現代」の国谷裕子さん降ろしなど一連の政府圧力疑惑。それを如実な形で切り取ったのが今回の舞台だ。

  時代がどんどん危うい方向に進んでいるって永井さんの危機意識、それは僕も共有している。あれもこれも、ヤバ過ぎ!って毎日暗い気持ちでニュースに接してる。作家として、そんな危ない現実を書ききるのは当然の務めだと思う。誠実な永井さんとしては、ここはもう許せない、て言うより、書かずにいられないって切羽詰まって苦闘した結果なんだと思う。

 だが、怒りや主張を立て続けに投げつけられるてのは、どうにも辛かった。怒号満載、ほぼ笑いなし。剛速球をずばずばと立て続けに投げ込まれて、なすすべもなく立ち竦むバッター!そういう快刀乱麻の一方的試合も熱狂的ファンからすれば、絶賛なんだろうが、ゲームの面白さにはまったく欠ける。時には変化球を織り交ぜ、コースを外し、相手の心理を読んで投球を組み立てる。そんな、舞台を期待していた。『歌わせたい男たち』とか、『見よ、飛行機の髙く飛べるを』のような、笑いあり、青春の輝きありの技巧派永井愛を待ち望んでいたのに。

 もう、最初から、それわかる!異議なし!ってほどじゃないにしても、人間ドラマは添え物で、ひたすら永井さんの時代に対する切迫感、焦燥感が全編を覆っていた。どこに行ってしまったんだろ?あの笑いの名手は?どこへ行くのだろう?不安に震え、怒りに燃えるこの人は?熱狂的に迎えた人たちもいたから、怒りまっしぐらのこの路線もきっとありなんだろう。

 でも、僕は、辛い。僕は、寂しい。笑いがあって、グサッと一突き!も効いてくる、そう思う。深い余韻も生まれるんんだと思う。日々、嫌なニュースを突きつけられていて、さらに劇場に行ったら、ここでも、どうだ!これが現実だ!って、そりゃないよ。

 言いたいことは言っていい。でも、お客さんを楽しませた上での話し。押し付けはもっての外。こんな結びを書かなくちゃなんないなんて!大好きな永井さんの芝居に対して。

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老舗の底力!前進座公演『たいこどんどん』

2016-12-06 09:50:13 | 劇評

 裏切られた!楽しく嬉しく唸った。あの前進座がこんなアクロバティックな舞台作るのか!

 あの、って言ったって、見たのは7月の『怒る富士』だけなんだけどさ。あれは、ちょっとぉ、最後まで座ってられなかった。演出にも演技にも新味なし、なんか数十年前に引き戻された感じがして、今どきこれ?と、座席が石になった。セリフがよく聞こえなかったし、震災便乗ものだろって忌避感もあって、もう、忙しい中、来たのにさぁ、いい加減してよ、と休憩時途中退場。

 どうせ、だろ、きっと、に違いないさ、って高くくるっていうか、馬鹿にするっていうか、公演の前日まで見るかどうか迷っていた。まっ、フレンドリープラザだしな、こんとこお客さん減ってるしな、プラザ演劇公演、ここは一つ、頭数ってことで、見ることにした。

 オープニング、出演者総出の町衆ダンス。なんでみんな下駄なんだ?と思ったら、タップもたっぷり盛り込んでた。(のっけから駄洒落?そうさ、この作品、駄洒落全開なんだから。)全員が傘を使った振りも、おっ、いいね!やるじゃないの!と、体を乗り出したけど、演技の方は、やっぱり、固いんだよなぁ。たいこ持ち桃八、熱演は熱演だけど、なんか、こう芸人の軽さとか粋さとか、足りないんだなぁ。遊んだことないだろ、あんた、ってところ。ご機嫌取り、お座敷芸、滲み出すものがないんだなぁ。踊りなんかも決まってて、うん、さすが、前進座、しっかり舞踊も身につけてるわ!でもなぁ、定規あてて書いた絵みたい。肝心なものが欠けてる。

 なんて、偉そうに一歩引いて眺めてたんだけど、場が進むに従い、こ、これは!いいじゃないかぁ!さすがだね、と変わって行った。なにが凄いって、場転の数だ。「たいこどんどん」ってこんなにべら棒にシーン多かったかねぇ?もう、矢継ぎ早ってぇか、めったやたらってぇか、のべつ幕なしてぇか、とにかく、ワンシーン10分持たない。作者の井上さんのいたずらだ。驚いたのは、その井上さんのお茶目に真正直に応えてるってことなんだ。どのシーンも一切手抜きなし。きっかり書割出して(大量にあるのですべて布に書いたもの、しかもその精密さがお見事!)、仕掛け作って、衣装変えて、鬘かぶり直して、・・・その都度場転では、お客飽きさせないように、凧上げたり、ショートコントでつないだり、果ては口上まで入れてのあの手この手。その間、暗転幕の後ろではなぐりの音やらなんやら響いていて、うわーっ、必死で立ててるぞ、装置!役者たち、走り回って早着替えしてるぅぅ!

 夢中で走り回って演じてると、役者たちの体温も目いっぱいヒートアップしてきて、それが演技に現れて、固さもいつの間にかぐんぐんほぐれて、笑いも次々爆発するようになって行った。途中、途中で、拍手も起きて、完全に舞台と観客が一体になっていた。フィナーレのダンスは、全員が明治文明開化の姿で踊る。そして、今度も傘!ただし、洋傘!どこまでもサービス精神溢れかえった3時間だった。

 終演後のばらし手伝って、またまた、驚き。「装置運びはいいから、楽屋の方、お願い」って、珍しいよねぇ。言われるままに行ってみて驚いた。20畳ほどのスタジオが衣装、鬘部屋!そこだけで5,6人が立ち働いていて、部屋中広げられ衣装や鬘の数々。仕事は次々木箱に納められる鬘をトラックまで運ぶこと。そうか、そうだよな!あんだけ場転したんだもの、その都度替えてりゃ、あの人数だ、このくらいは必要なんだ。で、これすべて前進座の財産!!!

 さすがに名門だ!老舗だ!創立85年は伊達じゃない。この財産。この裏方、あればこそだよ、こんなとてつもない芝居が出来たたのは。きっちり作る、律義に仕上げる、前進座の精神が存分に生きた『たいこどんどん』だった。

 

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