ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

原水禁大会で「詠唱」を歌う

2012-07-21 22:33:45 | 世の中へ
 原水禁の大会に置農演劇部?それも演歌ショー??本当にいいの?いいです、いいです、好きにやって、と言われて引き受けた舞台だった。

 好きにやってって言われても、悩むよなぁ。原水爆禁止を求めて全県から集まってくる人たちの前なんだから。途中、心配した部分から横やりも入ったりして、まさか、全部を演歌舞踊で通すわけにもいかないってことはわかっていた。大会の趣旨にふさわしい、とまで行かなくとも、そこそこに雰囲気台無しにしないくらいの舞台は作りたい。

 考えに考えた末、演歌ショーと『漂流』の2部構成にした。他に出し物がないってことあったけど、原水禁=朗読劇ってパターンになんか乗るもんかって気負いもちょっとはあったりして。だから、オープニングは敢えて、「祝い酒」!どうだ参ったか!思い切って意表を突いた。唖然とする観客の前に、次に現れたのは婆の語り部。コスモス会の時の二番煎じの感は無きにしもあらずだが、演歌と原水禁をつなぐには、これっきゃない。??まっ、直感だけど。


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 この語りの婆が大当たり、一気に会場を和ませてくれた。そこから「男の情話」「柔」と続けて、うーん、さすが、お客さんの中には、これでいいのか?ってムードもただよい始める。そこで、「最上川舟歌」で少し軌道修正、これならなんとか許せると感じさせといて、次は「北の漁場」を入れた。これは、津波で大被害を被った三陸の漁業への応援歌ってことで踊った。


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 そして、第2部は置農演劇部昨年度大会作品『漂流』から、3曲を歌った。海:豊穣では、言うまでもなく大漁旗を背にして男たちが勇壮に?歌い踊った。さらに「失われしものたち」を静かに斉唱し、最後は「詠唱」をアカペラで歌った。衣装はただの黒衣装。これ、思った以上のインパクトがあったようで、観客が一気に舞台に引き付けられているのがありありとわかった。



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 そして、フィナーレは「ひょっこりひょうたん島」明るく元気に踊り納めた。自然と広がった手拍子にこのステージの成功を確信したね。最後の挨拶の時には、たった一声だけど、大きなかけ声が飛んだしね。


 実はこの2部、三日前までは、まったく酷い出来だった。心がこもらず、声もでず、なしてこれ歌うなや?って不満がありありだった。心がこもらずに『漂流』の曲は歌えない。歌えても届かない。やっぱり風化しているんだよ、一年以上経って。でも、仮設に暮らす人たちはたくさんいるし、悲しみを心に抑え込みつつ暮らす人は数知れない。そのことを部員たちに感じて欲しかった。

 こんなこと、邪道かもしれないけど、被災者から生の声を聞くことを計画した。実は、新入部員の一人は南相馬からの被災者なんだ。部員たちはみなそれを知らない。そこで、彼女に、体験を話して欲しいと頼んだんだ。もちろん、気が進まなければ、嫌で、いいからって。その日は、出来ませんと断った彼女だっけど、翌日、話します、と決意してくれた。

 稽古の始まり、全員で彼女の体験を聞いた。原発からわずか20㎞に家があったこと、その日は卒業式だったこと、仲の良い先輩が津波に掠われて未だに遺体が見つからず葬式ができないこと、いつか会おうと分かれていった友達のこと、なぜ、自分が生きているのか悩んだこと・・・・・最後は、涙しかなかった。

 彼女の話しは、何よりの気付け薬だった。身近に被災者の存在を知って、その辛く苦しい心の内を歌に注ぎ込もうと言う気持ちが全員に行き渡った。

 先週はコスモス会、わずか数日でまたまったく異質な舞台、でも、部員たちはよく気持ちを引き締めてそれぞれにふさわしい舞台を作り上げてくれた。とりわけ、午前中終業式、さっそくプラザに駆けつけてリハーサル、着付けしてすぐ本番という過酷なタイムスケジュールも難なくこなして、成功に導いてくれた。これぞ、置農演劇部の底力、つくづく感じた公演だった。終演後の部員たちの表情もとても和やかで、よかったなぁ。


 




コメント (4)
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