ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

東急本店、本日閉店!

2023-01-31 11:58:22 | 地域文化
へぇ、渋谷の東急本店、閉店すんだってよ。
55年経ったって、そんなになるかねぇ。
って、ことは俺の小学校が消滅、移転してからそれだけ年月が経ったってことだぜ。

ここに小学校があったのさ、大向小学校。建物の正面角が正門で、ほぼ当時の敷地いっぱいに東急本店建ってるんじゃないかな。当時、サッカーとかかじってたから、この正門から奥の校舎に向けてボール蹴ったの、何故か覚えてる。
正門入ってすぐ右に体育用具の保管小屋あって、マットとか跳び箱とか置かれてたのも今思い出した。
その先が校舎で、右手前側はたしか音楽室だった。広い運動場、ってその頃は感じてたってことさ、もちろんコンクリート、を囲むようにコの字形に2階建ての校舎があって、大部分はモルタル作りだったが、左端の一角だけは以前に建てられた古びた木造作りで、その教室にだけは行きたくないって願ってたな。
その横、つまり、東急本店の文化村の入り口辺りに砂場と小さな花壇なんかもあったのも、不思議、不思議、浮かんで来たぜ。ずっと思い出しもしなかったのに。

こんな繁華街に小学生なんていたのかよ!?って疑うなよ。1学年5クラス、1クラス55人!も通ってたんだ、今なら大規模校だよな。渋谷の駅前から宇田川町一帯の商業地、さらに丸山の色街、北は松濤のお屋敷町の手前までが学区だったから、けっこう子どもたちもいたんだよ。なんせ、ベビーブーム世代ど真ん中だもの。
戦前から住んでる人たちもいれば、戦後流れ込んで来た人たちもいて、お屋敷のお坊ちゃまから飲み屋やパチンコ屋の小せがれまで雑多な子どもたちが一緒くたになってたんだろう。やっぱりお坊ちゃまたちは俺たちキャバレー街の連中と違って成績も良くて、多くが私立中学に行っちまった。
もう居住地域には相応しくないところだから、当時の卒業生はみんな土地や住居を買いたたかれて、遠くに離れて行っちまったことだろう。
その地元住民を蹴散らすきっかけになったのが、この東急本店だったのさ。
なんか不思議な感覚だったなぁ。街中のちっぼな小学校が日本を代表する商業・文化施設に生まれ変わって、誇らしいような、寂しいような、ふん、俺たちゃここで駆けずり回ってたんだぜ、新入りの田舎者が入り込みやがって、って蔑むような引き裂かれるような気持ち抱きつつ、訪れていたもんだ。
懐かしついでにもう一つ、公園通りのパルコ。あそこには公営?団地アパートが数棟建ってて、そこに暮らす子どもたちが羨ましくてね、同じクラスの女の子に淡い憧れ抱いていたりした。ともかく飲み屋の小せがれ、って自分が嫌だったんだ。
思い出話ついでにもう一つ。公園通り、パルコの手前のビルの中に教会があるんだ、山手教会って。地下にはかの有名なアンダーグラウンドシアター、ジャンジャンが入っていた。あそこが俺が通った幼稚園!
って、何を今さら、縄張りのマーキングしてんだよ。年寄りの感傷ってやつか。
まっ、それもないわけじゃないが、ほとんど暮らしの匂いがしない東急本店周辺、道玄坂やセンター街、あっ、ここ俺のかつての住処ね、この辺り、にも半世紀前まではありきたりだけど濃密な庶民の暮らしがあったってこと、ちょっと示しておきたくってね。
まして、今度は30数階だての高層ビルに代るってんだろ、昔の様子もちらっと頭に入れておいて欲しいかな?って。
まっ、俺なりの落とし前の一つとして書いてみたってことさ。
が、言い訳無用、やっぱり年寄りの懐古趣味、恥ずかしいぃぃぃぜ!



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