ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

新作は『Catch&Row』

2010-08-07 21:50:35 | 演劇

 大会に何出すんだ?いつになったら台本上がるの?気にしてる人、多いでしょう?

 なに?そんなこと知ったこっちゃない?まっ、そうかもしれない。でも、僕としては一大事なわけだ。顧問Nから台本を引き継いでから、寝ても覚めても、食っても飲んでも、考えるのは台本のことばかり。ウソだぁぁぁぁ!まっ、ウソだけど。気にはなっているのです。

 先日置賜地区の演劇部生徒評議会が開かれて、参加各校の上演作品が示された。他校もまだ決まってないとこ少なくなかったけど、この時期タイトルも決まってないなんて、癪じゃない?で、見え張って、『Catch&Row』で行っちゃえ!って。

 ボート部の話しだからね。Catchはオールで水を掴むってこと、Rowはもちろん漕ぐの意味だ。発作的に決めてしまった題名だったけど、つぶやけばつぶやくほど、これ、いじゃない!これしかないんじゃない?って気持ちになってきた。

 内容は、今日になってどうにかこうにか固まった。見え見えの部活動青春物語だ。そう、去年、高校演劇からはみ出した作品で勝負して、ものの見事に「場外判定負け」を喫したのでね、今年は王道でどうだ!って気負ってるよ。

 ここまで演劇部と無理心中してきて、部活について書かないってのも、裏切りじゃないかとの思いもあったんだ。ボートに燃える少女たち。力のすべてをオールに託す若者たち。川面にきらめく青春のひとこまをさわやかに捉えてみたいと思う。てへ、ちょっと恥ずかしい!

 時代は今から10数年前。何故かと言えば、2001年に高校漕艇競技のルールが変わってしまったからなんだ。この年以降、高校生では一人で二本のオールを操るクオドルブルという競技のみ(漕ぎ手4人の場合)になってしまったからだ。顧問Nが酒田西高のボート部で青春していたのは、それ以前。ということは、当然、一人が一本のオールを漕ぐという形だったわけで、当然、この作品も一人が一本のオールを操る競技として作られることになった。

 そう、これは顧問Nの青春物語なんだなぁ。もちろん、ありのままじゃないけど。彼女の額に滴った汗や、密かに流した涙、ときめきの心やたゆたう安らぎ、そんなもろもろが描ければいいと思っている。

 さあ、いよいよ、明日から執筆開始だ。

 

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お茶飲み演歌ショー

2010-08-06 20:59:48 | 地域文化

 東京公演から戻って、翌日から三日間、連続で演歌ショーの公演だった。7月31日が高畠生涯学習館、8月1日が、あれっ、どこだっけ?思い出せないぞ!そうそう川西ダリア公園の開園50周年式典、で、2日が南陽市赤湯えくぼプラザだった。さらに1日おいて4日が米沢市南部コミセン。ちょっと、がんばっちゃったね。

 いいよねえ、お年寄りは暖かくて!それぞれの会場、思い出深いものがあったなぁ。米沢南部コミセンでは、終演後帰りがけにおひねりもらった。それも、「こんなに素晴らしいのならもっと準備してきたのにね」だって。元気になるよ。

 赤湯では大喝采の後にアンコールの手拍子!幸せだよなぁ!高校生の分際で、アンコールだぜ。この日はメンバーが実習で出られずコントを一本省略した関係で、プログラムにない「よさこいソーラン」もすでに踊ってしまっていたので、「ウォンビー ロング」を踊らせてもらった。こんな洋物、お年寄りにどうなのか?って心配したが、高校生の元気良さに大声援を送ってもらえた。

 しかし、何と言っても高畠公演だ。だって、お茶飲み付きなんだから。公演終了後、50人ほどのお年寄りと一緒にお茶飲みを楽しんだ。8つほどのテーブルにそれぞれ部員数名が入って、漬け物つまんだり、お菓子食べたり、お茶飲んだり、小一時間にぎやかにおしゃぺりを楽しんだ。部員たち、自分たちで固まってしまっておばあちゃんたちとおしゃべりできないんじゃないかと心配たけど、なんのなんの、みんなお年寄りとにこやかに談笑していた。さすがだ!いいことだよな、これこそ本当の異世代交流ってもんだ。お年寄りは高校生から若さをもらい、高校生はお年寄りからやさしさをいただいた。

 お茶飲みやらおひねりやらアンコールやら、もしかすると元気をもらってるのは高校生の方かもしれないよね。今日もまた書いてしまおう、演歌ショー作ってよかった!!

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親子同席お断り!:置農東京公演三日目午後

2010-08-05 21:44:22 | 教育

 いよいよ最後の公演だ。江東区豊洲、モノレールが頭上を走り、真新しい高層マンションが立ち並ぶ谷間に豊洲北小学校。エレベーターはある、教室は全室冷房付き、さすがに体育館は冷房施設なしだったけど、舞台にはサスライト、ボーダーライト、ホリライト、さらに裏側にはロウホリライトまであった。もちろん舞台裏の通行も可!ここまで整っている学校は初めてだ。

 ここは、今回の東京公演のきっかけを作ってくださった中島さん、そして、実際に5回の公演をプロデュースしてくださった田中さんの地元だ。さすが、我々の公演を各地に広げてくださるだけあって、その底力はたいしたものだ。今回も学童クラブの主催なのに、小学校のPTA、地域の食育団体、町議会議員などなど地域のお歴々が揃い、観客も保護者同伴で200名に近い大人数だった。公演後、それらの方たちと懇親会なんかもあって、田中さんの日頃の活躍と心遣いが感じられる公演となった。

 さて、公演の方だが、事前に子どもたちは保護者の隣に座ると聞いていて、これはうまくないよな、と感じていた。これまでも何度か経験したことだけど、子どもたちは親が身近にいると、気軽にはしゃいだり声上げたりしないんだよ。そうそうPTAの親子参観日のあらたまった様子、あれね。周りが友達同士だと、最初からリラックスして、劇にもとけ込みやすいんだ。概して母親ってのは、周囲を気にしてつんとおすまし、ほとんど無表情でお利口さんで見ることが多い。そんな親の横できゃっきゃと騒げるわけないんだよね。

 心配は的中。残念ながら盛り上がりに欠ける公演になってしまった。と、は言っても決して飽きて騒ぎ出したりとか、よそ見したりとか、居眠りしたりとかってことではない。みんな真剣に夢中になって見てくれていた。見終わった後の感激も小さなものではなかったようだ。ただ、劇にはまりこみ、キャラクターと同化して熱中する、と言った舞台と観客との一体感には欠けていたってことだ。会場が体育館で広かったってことも影響していたかもしれない。

 公演もほんと千差万別だ。一つとして同じ公演なんてものはない。だから楽しいし、だから常に緊張感がある。これからもいろんな公演を経験していくことになるだろう。

 で、ここの公演で一番思い出に残ったのは、体育館が4階にあって荷物の積み下ろしが大変だったことと、体育館の床に、靴のゴム底のかすれ傷が黒く残ってしまったことだった。大変だった。全部片づけ終わった後で、30分以上も床磨きをした。真新しい学校、主催者の学童だってお借りしての公演だからね。とことん元に戻してお返ししないといけない。置農の外部公演の原則は、現状復帰以上にきれいにしてお返しする!これだから。

 清掃が終了したのが20時3

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0分。公演終了1時間半近く経過していた。階段の上り下り、床磨き、疲れ果てたものの、満足、納得の公演打ち上げとなった。

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作ってよかった!『夢芝居』!:置農東京公演三日目午前

2010-08-03 19:13:26 | 地域文化

 まさかの雨だ。あり得ない。不滅の晴天伝説を誇る置農演劇部なのに、東京で雨に遭うなんて!でもまあ午前中は演歌ショー『夢芝居』だから、荷物ったってたかが知れてる。前日のように離れた所から人海戦術で運んだって、そうは濡れたりしないさ。と、まあ、びくびくしながらもたどり着いてみたら、なんと玄関の軒先までトラックが横付けできてしまった。ラッキー!

 ここもまた、都営住宅の一階がお年寄りの福祉施設になっていた。デイサービスとか介護とかではなく、まだまだ元気な老人たちが、この施設で音楽やったり、囲碁将棋を楽しんだり、講演会なんか聞いたりと生き生き元気に過ごすための施設だった。つまり、カルチャーセンターお年寄りバージョンってことか。

 山形なら地区公民館や地区コミセンがやっているようなサービスを、東京ではNPOが指定管理者となって請け負っている。今回置農演劇部の東京公演を支えてくれたのも、実はこのNPO「ワーカーズ コレクティブ」だった。働きたい人が自分たちの好きな仕事を立ち上げてやっていく、そんな組織で、日本語直訳だと「労働者コープ(生協)」ってことなんだそうだ。下部組織ってわけではないだろうが、上の方には連合が控えている。

 この墨田区「いきいきプラザ」の責任者は元地元中学の先生。学校の生ぬるい体質に嫌気がさして、もっと生き甲斐のある仕事を求めてこの施設の運営を引き受けたのだという。なかなか盛況のようで、開館時間直後からお年寄りが引きも切らない。

 どうして?まだ公演まで間があるんだけど。普通山形じゃ1日1行事でしょ。他のグループが借りて活動したりなんてことはあっても、主催行事は一つだよね。ところが、ここじゃ同時進行で、音楽グループとか、なんやかんやと集まって来ているのだった。お茶飲みだったりサークル活動だったり、文化行事だったり。

 つまり、置農演歌ショーもそんな行事の一こまだったんだ。だから、入館者はたくさん居ても、公演を見てくれたのは40人ほどだった。どうやら事前に宣伝をして希望者を募っていたようなんだね。せっかく会場に来てくれているのに、別室に直行というのはちょっと寂しい気持ちだったけど、ここいらのお年寄りは、お仕着せのお楽しみなどいらないよ、ってくらいに元気だってことだ。仕方ない。置農演歌ショーを楽しみにして来てくれた人に精一杯やるだけだ。

 演歌舞踊の方は、受けるのわかっていた。でも、コントの方はどうだろう?まず言葉が置賜方言だもの。しかも出てくるじっちゃばっちゃもここいらの爺婆だ。都会のどこかおしゃれな老人たちに受け入れてもらえるだろうか?話題もかなりすっと呆けだ内容だし、馬鹿にするな!って気を悪くするんじゃないか?

 心配はやっぱり杞憂だったね。言葉なんて方言丸出し、なまってたって伝わるものなんだ。だいたい、都会の老人たって、都市生活第一世代か二世だもの、田舎の記憶が色濃く残っている人たちなんだよ。

 大爆笑の連続。さかんに携帯で写める人もいたりして、うーん、やっぱり都会!コントが終わって、「最上川舟歌」さらに「お祭りマンボ」なんかになるとしきりに手拍子しきり。部員たちも予期せぬ拍手喝采に大満足の様子だった。

 この演歌ショー『夢芝居』、こういう元気なお年寄りには絶対受ける。田舎も都会もないってことがよくわかった。逆に都会の方が、身近に高校生なんていない場合が多いはずだし、高校生なんて、別世界の住人って思っていただろうから、この公演には感激したんじゃないだろうか。

 改めて、作ってよかった!『夢芝居』!やってよかった演歌ショー!!ってことだ。

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トラックで大渋滞!置農演劇部東京公演二日目午後

2010-08-02 20:14:42 | 地域文化

午後は世田谷区の経堂で1時30分から『夢芝居』の公演。国分寺で公演終えて11時、スムーズに到着出来たとしても12時過ぎ、昼食は当然、バスの中だ。昨日の猛烈な渋滞を考えるとかなり不安だったので、最初から顧問Nがナビを勤めて道案内、まずは小田急線経堂駅まではたどり着いた。よしよし。それでも、時間超過すること30分。とょっぴり冷や汗!

主催者と電話連絡を取りつつ道をたどったが、これがなんともかんとも、狭い!マイクロバスはどうにかか通り抜けることができたものの、4トントラックはついに行き詰まってしまった。衣装もメイク道具もすべてトラックのなかなのに。人だけ着いたってなんにもできないんだよぉぉ。時間はずんずん過ぎていく。焦り、冷や汗じわり!!

なんと、立ち往生のトラックの後ろに次々と車が連なり、大渋滞を引き起こしているとのこと。慌てて施設職員と顧問Nが自転車で現場に向かった。この施設は障害者の人たちの利用施設で、3時半には迎えの車が入ってくる。それも施設前の道は一車線の一方通行、施設前の狭い空間しか駐車スペースはない。なんとしても3時半には、バスは出ていなくてはならないんだ。狭い道なのになんだってこんなに車通るんだ。なんなんだよ、東京って!こんな私道みたいな道、普通通るか?なんてのは田舎者の八つ当たり。来ない!苛立ちきりきり、汗噴出!!

そこに電話連絡。何十台という車が数珠繋ぎになっているってことうわーっ!絶望的!!道具がなくてもできることはメイク前の洗顔ぐらい。トラックの脱出を焦る気持ちの中で待つしかないじゃないか

20分ほどでようやく渋滞を解消させたと顧問Nが戻ってきた。さすがNだ!ふん詰まった一台一台を謝り通してバックさせて、大型トラックを誘導して太い道路まで引き出すのは容易なことじゃなかったと思う。押しの強いN(って言ったら私小心者なんです!って。)だからこその働きだ。

主催者からは一部プログラムの割愛も提案されたが、いいえ、やります、すべてやります。3時半には絶対にこの場から消えます、と断言したものの、来ない!!見えない!!!脱げ出したんじゃないのか?トラック救出隊の職員の方が同乗して、大きな道を遠回りしてこちら向かっているってことなんだが、来ない!来ない!!来ない!!!怒り沸騰!汗噴射!!

来た!いや長かった!どこまで回ってきたの?って皮肉も言いたくなるほど長くかかった。ところがトラック大きすぎて駐車できないってことが判明。仕方なし!道路の一部広い所に違法駐車?してそこから荷物を人海戦術で運び込んだ。ここですでに約束の開演時間。部員たちに30分でメイクと着付けを終わらせるよう指示した。無理だろ、そんなこと!でも、部員たち、よく頑張った!指定した時間をわずかに5分超過で舞台をスタートすることができた。

さてさて、今回は障害者支援施設での公演。車いすの人たち、椅子に座っている人たち、それに介助のスタッフ、合計で30人弱って所。今日は重度と中度の障害者の方が中心とのことで、果たして『夢芝居』が彼らに理解してもらえるのか、あるいは、満足してもらえるものなのか、とても不安だった。子どもミュージカルのダンスと歌で勝負って手もあったけど、年齢がね、青年からお年寄りまで幅広かったので、『夢芝居』で行くしかない。

最初は『津軽海峡冬景色』、なんか、不思議な顔して見ている。人によっては下向き始めたり。踊りがダメなら、コントなんかもっとだめじゃん!って目をつぶりたい気持ちだ。しかも前のコントはあんぽんたんとかドジ野郎とかすっとこどっこいとか、かなり差別的な言葉が続出するんだよ。もうとても芝居見るゆとりなんてなし、ひたすら観客の顔色をうかがった。

何考えてるんだ?わからない。ただ、スタッフの人たちは結構楽しそうに笑っている。ってことは、こんな言葉のやりとりもありってことか。次の舞踊「夢芝居」が始まって、あっ、観客の心が動いた!表情の微妙変化でそれがわかる。振り袖姿の三人娘、やはり強い。さらに次のコント、妊娠とか痴漢なんてやりとりで車いすの若い兄ちゃんたちが笑ってる、喜んでる。ああ、そうなんだよな、若さだものな、男だものな、障害のある無しなんて関係ない。後は、もう、のりのりで舞台は進行した。喜びのうめき声が何度も上がる。動きにくい身体を揺すって一緒に踊っている。フィナーレ「お祭りマンボ」では上手くならない手拍子なんかも聞こえてきた。

どうやら高校生のパフォーマンスを楽しんでもらえたようだった。花束をもらい、挨拶を交換して宿舎の向かうバスに乗った。やったね!大変な一日、凄い収穫のあった一日、一生の宝となる一日だった。と、思うまもなく全員熟睡!ご苦労、ご苦労!!

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