午後は世田谷区の経堂で1時30分から『夢芝居』の公演。国分寺で公演終えて11時、スムーズに到着出来たとしても12時過ぎ、昼食は当然、バスの中だ。昨日の猛烈な渋滞を考えるとかなり不安だったので、最初から顧問Nがナビを勤めて道案内、まずは小田急線経堂駅まではたどり着いた。よしよし。それでも、時間超過すること30分。とょっぴり冷や汗!
主催者と電話連絡を取りつつ道をたどったが、これがなんともかんとも、狭い!マイクロバスはどうにかか通り抜けることができたものの、4トントラックはついに行き詰まってしまった。衣装もメイク道具もすべてトラックのなかなのに。人だけ着いたってなんにもできないんだよぉぉ。時間はずんずん過ぎていく。焦り、冷や汗じわり!!
なんと、立ち往生のトラックの後ろに次々と車が連なり、大渋滞を引き起こしているとのこと。慌てて施設職員と顧問Nが自転車で現場に向かった。この施設は障害者の人たちの利用施設で、3時半には迎えの車が入ってくる。それも施設前の道は一車線の一方通行、施設前の狭い空間しか駐車スペースはない。なんとしても3時半には、バスは出ていなくてはならないんだ。狭い道なのになんだってこんなに車通るんだ。なんなんだよ、東京って!こんな私道みたいな道、普通通るか?なんてのは田舎者の八つ当たり。来ない!苛立ちきりきり、汗噴出!!
そこに電話連絡。何十台という車が数珠繋ぎになっているってこと。うわーっ!絶望的!!道具がなくてもできることはメイク前の洗顔ぐらい。トラックの脱出を焦る気持ちの中で待つしかないじゃないか。
20分ほどでようやく渋滞を解消させたと顧問Nが戻ってきた。さすがNだ!ふん詰まった一台一台を謝り通してバックさせて、大型トラックを誘導して太い道路まで引き出すのは容易なことじゃなかったと思う。押しの強いN(って言ったら私小心者なんです!って。)だからこその働きだ。
主催者からは一部プログラムの割愛も提案されたが、いいえ、やります、すべてやります。3時半には絶対にこの場から消えます、と断言したものの、来ない!!見えない!!!脱げ出したんじゃないのか?トラック救出隊の職員の方が同乗して、大きな道を遠回りしてこちら向かっているってことなんだが、来ない!来ない!!来ない!!!怒り沸騰!汗噴射!!
来た!いや長かった!どこまで回ってきたの?って皮肉も言いたくなるほど長くかかった。ところがトラック大きすぎて駐車できないってことが判明。仕方なし!道路の一部広い所に違法駐車?してそこから荷物を人海戦術で運び込んだ。ここですでに約束の開演時間。部員たちに30分でメイクと着付けを終わらせるよう指示した。無理だろ、そんなこと!でも、部員たち、よく頑張った!指定した時間をわずかに5分超過で舞台をスタートすることができた。
さてさて、今回は障害者支援施設での公演。車いすの人たち、椅子に座っている人たち、それに介助のスタッフ、合計で30人弱って所。今日は重度と中度の障害者の方が中心とのことで、果たして『夢芝居』が彼らに理解してもらえるのか、あるいは、満足してもらえるものなのか、とても不安だった。子どもミュージカルのダンスと歌で勝負って手もあったけど、年齢がね、青年からお年寄りまで幅広かったので、『夢芝居』で行くしかない。
最初は『津軽海峡冬景色』、なんか、不思議な顔して見ている。人によっては下向き始めたり。踊りがダメなら、コントなんかもっとだめじゃん!って目をつぶりたい気持ちだ。しかも前のコントはあんぽんたんとかドジ野郎とかすっとこどっこいとか、かなり差別的な言葉が続出するんだよ。もうとても芝居見るゆとりなんてなし、ひたすら観客の顔色をうかがった。
何考えてるんだ?わからない。ただ、スタッフの人たちは結構楽しそうに笑っている。ってことは、こんな言葉のやりとりもありってことか。次の舞踊「夢芝居」が始まって、あっ、観客の心が動いた!表情の微妙変化でそれがわかる。振り袖姿の三人娘、やはり強い。さらに次のコント、妊娠とか痴漢なんてやりとりで車いすの若い兄ちゃんたちが笑ってる、喜んでる。ああ、そうなんだよな、若さだものな、男だものな、障害のある無しなんて関係ない。後は、もう、のりのりで舞台は進行した。喜びのうめき声が何度も上がる。動きにくい身体を揺すって一緒に踊っている。フィナーレ「お祭りマンボ」では上手くならない手拍子なんかも聞こえてきた。
どうやら高校生のパフォーマンスを楽しんでもらえたようだった。花束をもらい、挨拶を交換して宿舎の向かうバスに乗った。やったね!大変な一日、凄い収穫のあった一日、一生の宝となる一日だった。と、思うまもなく全員熟睡!ご苦労、ご苦労!!