太宰府市教委は8日、都府楼南5丁目の大宰府条坊跡発掘現場で、轍(わだち)跡のある奈良時代(8世紀)の条坊道路を発見したと発表した。轍は路面の中央と左右の路肩に3本の筋を引くように見つかり、同市教委は「二輪の牛車などが道路の左右に分かれて通行していたと考えられ、一定の交通ルールがあったのではないか」と分析している。
発掘された場所は、大宰府政庁から約1.4km、中央・南北軸より西に約200m(2坊分)。道路の幅は約3m。路面中央と左右の路肩路面には縦方向にいくつもの溝が集中して残っている。轍と轍の間は約1.2mで、深さは大きいところでは10cm以上も地面に食い込んでいて、牛とみられる足跡も多数残されている。荷物を運ぶ牛車などは道路を通り、人や牛は側溝を歩いていたと推測されるという。
[参考:西日本新聞]
古代大宰府に“交通ルール”!? 牛車と人 分かれて通行 奈良時代 道路にわだち跡(西日本新聞) - goo ニュース
発掘された場所は、大宰府政庁から約1.4km、中央・南北軸より西に約200m(2坊分)。道路の幅は約3m。路面中央と左右の路肩路面には縦方向にいくつもの溝が集中して残っている。轍と轍の間は約1.2mで、深さは大きいところでは10cm以上も地面に食い込んでいて、牛とみられる足跡も多数残されている。荷物を運ぶ牛車などは道路を通り、人や牛は側溝を歩いていたと推測されるという。
[参考:西日本新聞]
古代大宰府に“交通ルール”!? 牛車と人 分かれて通行 奈良時代 道路にわだち跡(西日本新聞) - goo ニュース