歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

南国市・士島田遺跡 古代の南海道の道路遺構が見つかる

2008年10月11日 | Weblog
平成20年9月21日に行われた現地説明会の資料(PDF)が公開されています。
[参考:高知県文化財団埋蔵文化財センター]

[9月19日掲載分] 
 高知県南国市小籠の士島田(ししまだ)遺跡から、県内初となる古代の官道「南海道」とみられる道路遺構が見つかったことを、県埋蔵文化財センターが19日発表した。
 南海道は紀伊半島、淡路島、四国にあり、高知県内では記録はあったものの、実際に発掘されたのは初めて。
 同遺跡の西側で幅約6mの道が見つかり、道の両側には幅約90cm・深さ約30cmと、幅約75cm・深さ約30cmの2本の排水溝とみられる溝が、約30mにわたって平行に走っていた。
 溝は7世紀中ごろの竪穴住居跡を壊して建設されており、官道は奈良時代から平安時代に存在したとみられる。
 この6m道路は近くの国分寺(同市国分字国分寺)から南にかけて約4kmあったとみており、瀬戸内海側の伊予に向けて抜ける山越えルートの起点部分と推測される。
 21日午後1時半から現地説明会が開かれる。
[参考:産経新聞]

 また、(財)高知県文化財団埋蔵文化財センターによると、平成20年度 発掘現場見学会として、「士島田遺跡」が予定されています。
 本遺跡は平成19年度から発掘調査を実施しており、昨年度の調査では古代の官衙関連の建物跡を始めとして、工房跡ではないかと考えられる竪穴遺構が確認されました。奈良時代から平安時代初めにかけての役所(郡衙の出先機関あるいは郷家)に関連した施設であるとみられますが、具体的な物的証拠が出土てしおらず推測の域を出ていません。
■遺跡見学会・・・・・・・・・・・・・・
  場所:南国市小籠の士島田遺跡発掘調査現場
  日時:10月22日(水)13時30分~15時30分
  人数:20名程度
[高知県文化財団埋蔵文化財センター]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿津賀志山防塁に切れ目 激戦区特定へ

2008年10月11日 | Weblog
 先月から発掘調査が行われている福島県国見町の国指定史跡・阿津賀志山防塁に切れ目(木戸口)が発見された。
 奥州合戦で人や騎馬が出入りするためにつくられたとみられ、合戦の激戦区が特定される貴重なものと分かった。 今回分かったのは町森山東国見・西国見地内の発掘現場。幅4m程の切れ目。これまで防塁の切れ目らしいものは発見されていたが、合戦で壊されたものか、初めからつくられたものかは特定できなかった。今回の調査で下草刈りや外堀跡の調査をしたところ、切れ目は初めからつくられていたことが分かった。
 源頼朝が率いる鎌倉軍を効率良く迎撃するため、藤原軍がつくった防御施設の役割を果たしていたことが分かる。
 先月16日から町内森山の現地で発掘調査が始まっていた。
 阿津賀志山防塁約3.2キロのうち、約3分の1が国指定を受けているが、指定範囲を広げるため、国と県の補助を受けながら防塁の範囲を調査するのが目的。10月18日に、予定通り現地説明会が開かれる。
発掘調査現地説明会
 10月18日(土)午前10時~11時(午前の部) 午後1時45分~2時45分(午後の部)
[参考:9/19、10/11福島民法、まほろん(福島県文化財センター)1/4歴史ニュース]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

華城市吉城里土城 百済時代に築造された土城であることが明らかに

2008年10月11日 | Weblog
 華城市郷南面の「吉城里土城(길성리토성)」が3・4世紀頃漢城百済時代(BC 18-AD 475年)の 3・4世紀頃の土城だと明らかになった。
 8日韓神大博物館によれば、韓神大博物館は90年代中頃に発見されてから放置されてきた華城市郷南面吉城里土城に対して、2002年から調査を行ってきた。
 既存調査で漢城百済時代と推定される土器のかけらが発見されたが、城壁切開調査なしには時代判別が難しくて、先月16日に史上初めて城壁切開調査が実施された。幅1.5mで城壁を切開して、城壁切開中に3・4世紀頃百済時代土器片などを収去して、漢城百済時代の土城という意見が提示された。 調査結果、この土城は周囲約2.3km(注1)、幅7.9m、高さ2.55m相当の城壁で、低い丘陵性山地を利用して、色々な性質の土を多数積み上げた形態で築かれた土城壁であることが分かった。
 吉城里土城が漢城百済時代だと明らかにしながら、学界は同じ時代の河南慰礼城と推定されるソウル市松坡区風納土城と夢村土城などとも比較調査を進行している。
 学界関係者は「吉城里土城は風納土城に比べて規模が小さいが、他は構造と形態などがだいぶ似ている。丘陵性山地を利用して築がれた点と土で築かれた規模などが夢村土城とよく似た形態を示している」と説明した。

注1)ソウル松坡区風納土城の周囲は3.4km、その南側700m地点オリンピック公園内部に位置する夢村土城の周囲は2.2km。
[参考:10/9聯合ニュース]

備考:
 吉城里土城はソウルから南に約50kmほどの京畿道華城市郷南面吉城里にある標高112mを最大とする山の稜線に築かれた土城である。
 2002年韓神大学校博物館によって地表調査が実施され、削土法と盛土法を混用して築城された全周2,311mの土城と発表された。
 築城技法が、基底部に石列を使わない純粋な版築の土城だったこと、城壁の基底で出土した中島式硬質無文土器など、そして隣接した社倉里古墳との関連性から、概ね4世紀頃に築造されたと推定されていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする