上円下方墳で初めての、1段目に「前庭部」
府中市は24日、復元工事を進めていた武蔵府中熊野神社古墳(西府町2)で、石室の入り口に続く前庭部を発見したと発表した。上円下方墳でこのような遺構が見つかるのは初めてで、古代の多摩地域と畿内との強い結びつきを示すとみる。
遺構は熊野神社本殿の真下で、今まで手つかずであったが、今回の復元工事のために本殿を西側に移動し20~30cmほど盛り土を取り除いたところ、奥行き約4.5m、横幅約2mのシルト岩を並べた縁石が露出した。
縁石は3段構造の古墳の1段目に「ハ」の字を描くようにして前庭部を形成していた。上円下方墳では、2段目にだけ前庭部を持つのが一般的。
今回見つかった遺構は埋め戻されるが、市は来春までに保存工事を終え、古墳を一般に公開する。
[参考:毎日新聞]
“ウィキペディア”によると、「武蔵府中熊野神社古墳の主体部は複室構造の横穴式石室で、八の字に開く前庭部と呼ばれる墓前域、そして入り口側から前室、後室、玄室という3室があり、一段目墳丘上に造営されている。』と書かれている。
しからば、「1段目に前庭部は初」とは何を示すのか、写真あるいは詳細な情報を待ちたい。
[9/30掲載分]
標題のニュースが9月に入り、読売新聞、朝日新聞、日経新聞などで取上げられている。要約すると、
埋葬施設の横穴式石室を埋め戻し、当時と同様に版築工法を用いて墳丘を再現する。壁面は玉石を積み重ねた石張りにする。完成時の高さは6.5m。その工事が始まった。墳丘のあった場所に建っている現在の神社本殿、山車小屋など建物は可能な範囲で移設する。来春公開する予定。
ということである。
《最古・最大規模》
上記記事の共通のキーワードとしては、「最大、上円下方墳、国史跡、(横穴式)石室、来春までに復元」であるが、気になるワードとして「最古」と書いているものがある。もちろん、上円下方墳としての中でのことであるが。
文化庁は、平成17年5月20日付けの文化審議会答申「史跡等の指定等について」で熊野神社古墳の年代について「古墳の築造時期は横穴式石室や鞘尻金具の特徴から、7世紀中頃から後半と考えられる。本古墳は、調査で確認された上円下方墳としては、史跡石のカラト古墳(京都府・奈良県)、清水柳北1号墳(静岡県)に次いで3例目であり、このうちで最も大きく、かつ古くなる可能性が高い。」と記している。
すなわち、三鷹市の天文台構内古墳が昨年12月に上円下方墳と確認され、さらに今年になって須恵器の壺が出土し、そこから7世紀の中頃と時代が判明するまでは最古と言えたが、今は熊野神社古墳が最古とは言えない。ところが、今月6、7日に行われた天文台構内古墳の現地説明会の資料では、「天文台構内古墳を上円下方墳のひとつの類型とし、熊野神社古墳を典型的な上円下方墳」と記しているのが気になる。
備考:
上円下方墳と確認されたもの
①武蔵府中熊野神社古墳(府中市、7C中~後半) ②石のカラト古墳(奈良と京都の県境、7C末~8C初頭) ③清水柳北一号墳(沼津市、8C初頭)
上円下方墳の可能性があるもの
①宮塚古墳(熊谷市) ②山王塚古墳(川越市)
三鷹市天文台構内古墳(三鷹市)はどちらに入るのであろうか。一般的には確認されたとみるが、専門的には確定ではないのかも?
山王塚古墳は、川越市教育委員会(現地案内板)によると、市指定史跡であり、方形部63m、円形部径47m、高さ4.5mの東日本最大の上円下方墳だろうと記している。もし、この古墳が発掘調査の上、上円下方墳ということになれば最大規模となる。
《北緯35度40分上の3古墳》
北緯35度40分ライン上の、多摩川の西側に北大谷古墳(八王子市)、東側に熊野神社古墳がある。古墳形状が違うものの築造の特徴が似ており、さらには同じライン上に同じような特徴の古墳があるのではと推測されていたらしい。天文台構内古墳が発掘される毎に、それがはっきりと当てはまるようになってきた。
北大谷古墳は円墳ないし方墳であり、熊野神社古墳および天文台構内古墳は上円下方墳である。周辺の他の古墳を凌駕する規模である、中軸は角度の差があるもの南北方向である、版築工法を使用する、シルト岩を利用している、複室構造胴張り形横穴式石室を持つ、玄室床面に敷石を置く、埴輪がない、周溝(または周濠)がある、築造時期は7世紀である、などの共通点がある。多摩川周辺の有力者の連合の現われか興味のあるところ。
[天文台構内古墳
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